●大夕張
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更地となった小学校跡にやってきた。集落も消え、一面巨大な草原となってしまった。ポツンと残された記念碑と記念樹だけが、かつて、そこに学校があった事を物語っていた。初老の夫婦がやってきて、記念碑を、いつまでも、いつまでも、、感慨深げに眺めていた。人口2万人を数えた大夕張(鹿島地区)は原野に帰っていた・・・。
大夕張鉄道は夕張線「清水沢」から「南大夕張」を経て、「大夕張炭山」までを結んでいた。「南大夕張」〜「大夕張炭山」が廃止されたのは1973年(昭和48年)12月15日。私が夕張を訪ねた時は、鉄道跡だとは知らず、「南大夕張」からシューパロ湖までサイクリングロードを歩いた記憶がある。
改めて「南大夕張」から先に進む。シューパロ湖にかかる三弦橋は森林鉄道の跡。大夕張線の鉄橋も数箇所あり、廃線跡としては遺構が残っている方だった。しかし、人口2万人という街は廃墟すら残さず、跡形も無く消えてしまった。巨大な更地は学校跡、貨物ヤード跡、そして大夕張の街の跡だろう。区画毎に整理された道路と電柱が、かつてそこに街があった事を物語ってはいたが、建物は例外なく取り払われていた。
巨大なボタ山跡を見て、そこが大夕張炭坑だったのだろうと確認して帰路についた。南大夕張はやがて「シューパロダム」の完成により水没する事になっている。僅かに残る廃線跡も、現在の大夕張ダムも水没する。大きな街と産業があった事を偲ぶ事は二度とできなくなる。せめて、冒頭の鹿島小学校跡の記念碑だけでも残してあげたい・・・。あの初老の夫婦の姿が脳裏を離れなかった。
関連ページ
・三菱石炭鉱業(現役時代)
・南大夕張
森林鉄道跡 | |
大夕張の街があった場所 | |
鉄橋は数箇所残っている | |
鹿島小学校跡 | |
学校跡は草原になっていた |