●三菱石炭鉱業(南大夕張)
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北海道は石炭の産地だった。炭坑がいたるところにあり、炭坑のある所にそれを運ぶ貨物列車が走っていた。夕張炭坑は有名であったが、閉山が相次ぎ、夕張市には失礼だが、この頃は殆どゴーストタウン化していた。その中で僅かに残った三菱大夕張炭坑が細々と残っているにすぎない。
改造を繰り返してはいるが、大正2年製造という旧型客車に乗り込む。冬は暖房器具としてダルマストーブが設置されるとか、台車が3軸だとか、色々な意味で有名な客車である。さらに、もはや珍しくなった貨物列車と旅客列車が連結された混合列車である。列車に乗り込むと、車内は木で出来ていてニスで塗られてピカピカしている。照明は暖かい橙色の白熱燈。古いがなんとも温かみがある。この頃は、国鉄にも手作りの温かみを感じる旧型客車がゴロゴロしていた。
16時05分、ポーというやさしい汽笛とともに列車が動き出した。タタタン・タタタンと三軸ボギー台車はジョイントを渡る時にワルツ音を出す。約7.6km走って終点南大夕張。
地図に載っているシューパロ湖に向かう道を聞いて歩き出す。サイクリング道路を行くが草が茂っている。トンネルもあるが、真っ暗で一部が崩れて水が滴っている。この時は知らなかったが、大夕張炭山までの線路跡を歩いていたのである。トンネルを抜けて現れたシューパロ湖は人造湖で、神秘的な湖を想像していたので裏切られた気がした。帰りは車道を行くが、廃墟と思われたハモニカ長屋を覗いてみると現役の鉱夫の家らしく、生活感があった。
帰りの列車はレイルファンだけの貸切列車。車掌さんは私を手招きする。不思議がって車掌室に行くと、使用済みの切符をくれた。他のレイルファンには何も無かったので優越感に浸る。
遠くの草むらの中から鉄筋コンクリートの4〜5階建ての団地が見えた。これは廃墟でまるで幽霊屋敷だ。幽霊屋敷はいくつも見える。廃坑されたが、鉄筋コンクリートの団地だけが壊されずに残ったのか・・・・。ひどく胸をうたれた。18時23分清水沢に帰ってきた。
1987年7月22日。大夕張炭坑の廃坑とともにこの鉄道も姿を消してしまった。
石炭列車 |
混合列車(貨車と客車) |
西日を浴びて停車中の列車 |
いかにも北海道的な駅舎 |
白熱灯の灯りが暖かい車内 |