第2日目
1998年3月31日
長崎 7:00 (シーサイドライナー 2号) 7:04 浦上 7:10 (かもめ 4号) 7:25 諫早 7:42
(島原鉄道) 9:24 深江 9:43 (島原鉄道) 9:55 島原外港 10:20 (九州商船) 11:20 三角 11:43
(532D) 12:33 熊本 13:01 (あそ 3号) 15:41 大分 16:12 (ゆふいんの森 4号)
19:09 博多 19:28 (ソニック27号) 20:20 小倉
シーサイドライナー2号 長崎→浦上 キハ58−154
6:45 頃長崎駅に到着。そろそろ、ラッシュが始まる頃で徐々に乗客が増えつつあった。構内にパンを焼いたにおいが漂っている。においの源はJR九州直営のパン屋で、誘われて購入した。(^^;;
ホームに入り構内を観察する。前に来たときは、4,5番ホームへは跨線橋を渡らなければ行けなかったのだが、3番,4番線も行き止まりホームに変わっていて跨線橋を渡らずに行けるようになっていた。跨線橋は閉鎖され、今にも取り壊し工事が行われそうな気配であった。
長崎駅は行き止まりの終着駅であるが、その昔、長崎港という駅が西にあったので、その名残でもあったのだが、こうして過去の遺物が消えていってしまうなぁ。
さて、シーサイドライナー2号で1駅先の浦上に先行する。長崎地区の気動車は、シーサイドライナー色,えびの色,JR九州スタンダード色等、いろいろな塗装の気動車が寄せ集め状態で走っており、目移りする。私が乗ったシーサイドライナーも混色であった。(^^;
わずか4分で浦上に到着。ホームには次の特急を待つ乗客が多数待っていた。
かもめ4号 浦上→諫早 クモハ783−5
浦上からは「かもめ4号」に乗車。浦上駅には以前、下りの一部の「かもめ」が停車していたが、長崎市北部の住民の足の便を図り、全「かもめ」が停車するようになっている。「かもめ4号」はがら空きで到着。諫早までのチョイ乗りなので、指定券は取らなかったが、正解であった。先頭車は喫煙自由席であるが、がら空きだったので迷わずに、ガブリつき席をゲット!!
煙害も無く、満足の行く運転走行風景を堪能できた。(^^;;
今朝は、昨晩のような運転停車はなく、”そこのけそこのけ「かもめ」が通る”といったような、面持ちであっという間に諫早に到着。名残惜しいがここで下車する。
島原鉄道
諫早→深江 キハ20−13
深江→島原外港 キハ25−07

島原鉄道のキハ20 まだまだ現役

島原−三角間の航路から望む雲仙普賢岳
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島原鉄道に乗るのは、普賢岳が噴火している最中で島原鉄道も何度も運休に追い込まれていた頃以来である。あの時は火山と人間の格闘が一番激しかった頃で、土石流による死者もでていた。私が乗車した数日後、また土石流に襲われて島原鉄道の島原外港−深江間は長期運休に追い込まれた。
雲仙普賢岳の活動もようやく沈静化し、島原鉄道も国の災害復興事業の一環として、被災区間を根本的に手直して高架新線を建設し、1年前に再運行にこぎつけた。今回、その区間の様子を観察し、船で三角に抜ける。
諫早駅の0番線ホームに行くと、島原鉄道オリジナル塗装のキハ20の2両編成が停車していた。近年、島原鉄道も新車キハ25を導入しているようだが、キハ20とは嬉しい限りである(^^)
しかも、運転席右後ろのガブリつき席が空いていたので車窓を楽しむことにする。 途中、愛野を過ぎると、左手に「ムツゴロウを守れ〜」と社会問題となった諫早湾干拓地と、海と陸を遮る堰が見える。
しばらく、有明海を左手に眺めながら走る。駅ごとに乗客を拾いながら走り、8:46島原に到着。ここで、大勢の乗客が下車し車内はがら空きに・・・。島鉄本社前に停車したあと南島原で12分ほどの小休止。後ろの車両の切り離しと列車交換を行う。
南島原の構内には、昨年より運行を開始し、目玉列車となりつつあるトロッコ列車が休んでいた。今日はトロッコ列車の運行はなく、明日4月1日から11月までの運行だそうである。多くの観光客が集まるといいね。
島原外港を過ぎると、1年前に全面復旧した区間である。ここまでの道のりは、細く貧弱であったが、いきなりがっしりとした路盤に変わる。この変化も面白い。
右手には異様な姿の普賢岳が現れる。あの溶岩ドームから流れ出た土石流のあとは、今でも草木が生えていない。あらためて自然の猛威を感じる。しかし、そのあとに新しい構造物もちらほらとあり、人間と自然の戦いが繰り広げられているさまを感じた。
深江で折り返し、島原外港へ。折り返しの列車は新車のキハ25であった。このキハ25は、ワンマン仕様で運賃箱や料金表も設置しているが、車掌が乗務しており、カバーがかけてあった。まだまだキハ20が主力だが、いずれキハ25が幅を利かせる時が来るのだろう。
島原外港からは10:15の九州商船に乗船し、三角へ。船上からも普賢岳が良く見える。1時間の航海で三角に到着。三角港の目の前は三角駅であり乗り継ぎは便利がよい。
532D 三角→熊本 キハ31−5
接続よく、20分ほどで熊本行き気動車に連絡する。この辺のスケジュールの出来映えは我ながらよい(^^)
熊本からワンマン1両で到着。折り返し熊本行きとなる。どっと、乗客が乗り込み、座席はほぼ埋まる。しかし、途中の駅での乗降はほとんど無く、終点熊本までこの乗車率のままであった。(^^;
キハ31の座席は元新幹線0系で使用されていた背もたれ転換式の座席である。ロングシートが多い最近のローカル列車と比較して、嬉しい(^^)
トンネルを抜けると赤瀬に到着。今シーズンの青春18きっぷのポスターのモデルとして登場した駅で、ローカルムード一色であるが、夏場は海水浴場に近いので海水浴客で賑わっているようである。今日は、うぐいすの声が聴こえた。(^^;>
宇土からは鹿児島本線を走行。12:33 熊本に到着した。
あそ3号 熊本→大分 キハ186−6
「あそ」号は185系の3両編成での運転で、真ん中の2号車が指定席である。2号車の中間に仕切があり、多客期に指定席/自由席の切り替えが出来るようになっている。
平日の昼間だしガラガラだろうと思ったが、自由席、指定席とも結構乗っており、座席はほぼ埋まっている。指定席は8割方埋まっており、車掌は声を出して行き先を確認しているが、耳を傾けると別府、大分までという乗客が多い。
熊本市内の桜はちょうど見頃になり始めたようで、水前寺を始めとして沿線の桜を見ながらビールを飲み過ごす。水前寺でも多数の乗客が乗車した。時間帯がいいのか、思った以上に人気がある。(^^;;
沿線に観光地が多いため、車内放送でも観光案内を流す。立野の3段式スイッチバックはもちろん、阿蘇、波野駅の説明(九州で一番高い場所にある駅)もあった。
惜しむらくは、阿蘇山の全容が雲に隠れて一部しか見えないこと・・(^^;;
宮地から先は、毎年のように集中豪雨の被害を受けていた区間であるが、復旧工事のお陰で随分と立派になった。
当面、災害で止まることは減ったようである。大分県に入ると沿線の桜は満開になった。豊後竹田駅は以前は列車が到着する度に、「荒城の月」のメロディが流れていたのだが、今日は流れていなかった。翌日も然りである。止めてしまったのでしょうか?
15:41、定刻に大分に到着。
ゆふいんの森4号 大分→博多 キハ71−2
大分からは「ゆふいんの森4号」に乗車。車両はキハ71形。一般的には「ゆふいんの森1世」と呼ばれ、急行形気動車を大幅改造した編成で、女性客に人気のある列車である。
兄弟列車として、始めから特急が多気動車として開発された「ゆふいんの森2世」と呼ばれる編成もあります。「ゆふいんの森」はグリーン車の連結はなく、普通車指定席のみで運行される。大分駅に到着した「ゆふいんの森」は5分停車する。列車の前で記念撮影を行う親子連れで賑わう。
ゆふいんレディのお出迎えを受けて、車内に。車内は木製をイメージしたようなハイデッカー車で眺めはよく、落ち着いた雰囲気があるが、由布院まではがら空きであった。平日だし、この調子で博多まで行くのかな?と思ったが、由布院で大量乗車。一気に満席になった。由布院の観光効果はすごいねぇ。
由布院からは、ゆふいん地ビールが積み込まれるので、早速購入するためにビュフェに出かける。メニュー的には「つばめ」と同じものが多いね。地ビールとつまみを購入し、いっぱいやる。沿線の桜は見頃で、なかなか風流である。車内を見渡すと、流れるBGMがおしゃれだし、他の列車なら広告が入っている壁のスペースには、さりげなく作品が飾っている。
細かなところに気配りされており、女性客に人気があるのもうなずける。大分−博多間は「ソニック」より1時間程時間が余計にかかるのだが、全く気にならなかった。久留米の手前で、鹿児島本線と併走する。一瞬「つばめ20号」と併走するがあっさりと抜かれてしまった。
このような光景が見られたのは、「つばめ20号」が5分ほど遅れていたためのようである。久留米では、「快速」を先に通して5分程遅れて博多に向けて発車。ダイヤが一杯の鹿児島本線ならではある。結局、5分ほど遅れて博多に到着。
ソニック27号 博多→小倉 クロハ882−8
博多から小倉まで豪勢に「ソニック」のグリーン車を利用。自由席は混雑しているようだが、グリーン車は他の乗客はおらず、独り占めであった。ちょいと、寂しいがソニックレディのもてなしを一人で受けるので、ハーレムのようである(^^)v
編成は第3次車の紺マスク編成。大分でゆふいんの森4号を待っていたときにソニック22号として運用されていた編成であった。この編成、「JR10周年日本一周の旅」でも、乗車しており何となく縁があるなぁ。ソニックレディの見送りを受けて、小倉駅で下車した。名残惜しい。
小倉駅
暗やみの小倉駅に到着。昔は、小倉駅をよく利用していたので、いつもの癖で地下道に行きかけるが、新幹線改札方面に行けないことに気がつき、引き返してエスカレータをのぼる。
昨年に来たときは建設中だったが、随分ときれいに様変わりしました。みどりの窓口に行ってみると、窓口は女性職員がきびきびと働いていた。博多駅も女性職員が窓口に座っていたし、JRの駅も様変わりしているねぇ。
案内類は見なかったが、小倉駅開業記念オレカの在庫を確かめると、いっぱい残っていた。もう少し宣伝すれば、いいのに・・・・(と思ったが、翌朝見ると掲示してあった)。
駅舎の中に乗り入れたモノレールはJRコンコースから丸見えである点が、従来の駅とは違い、おもしろい趣向である。JRの改札とは一直線で結ばれているので乗り換えは、非情に便利になった。開業はいよいよ明朝である。
コンコースには明日のイベント会場設置作業の真っ最中であった。何でもジミー大西氏デザインのモノレールが走るそうである。これが、一番電車になるのかな?
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