- 10月 1日
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予想はしていたけど本当に1面トップは臨界事故か、スポーツ報知。ここまで徹底されると、いっそ清々しくさえ、……ないか。
帰りがけに芳林堂によって、長谷川裕一『マップス』9、10巻、ロバート・アーウィン『アラビアン・ナイトメア』(国書刊行会)、ダン&ドゾワ編『不思議な猫たち』(扶桑社ミステリー)、ツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』(創元ライブラリ)を購入。『魔法の猫』の続篇なのに、『不思議な猫』としなかったのはどんな含みがあるのだろう。
それはそれとして『マップス』を読む。「青き円卓編」があまりに盛り上がってしまったことの反動か、それ以降はやや低調。でもまあ、きっと、残り7冊もあるんだから無事勢いを取り戻してくれるでしょう。それを信じられるだけの実績があるし。
- 10月 2日
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色々とある内にタイミングを逃したので、早稲田の古本市は諦め、芳林堂へ。いや、昨日もよったんだけど。
長谷川裕一『マップス』11〜17巻、外伝1、2巻は当然として、ついでに『コリン・マッケンジー物語』(パンドラ)、牧野修『リアルヘヴンへようこそ』を購入。先週以来僕が買った15冊の『マップス』が見事に穴になっていたのはちょっと哀しい。追加入荷はされないのね。
その後、ユタへ。参加者はSF人妻、大森望、小浜徹也、さいとうよしこ、志村弘之、高橋良平、林、藤元直樹、三村美衣、宮崎恵彦、柳下毅一郎、山本和人(あいうえお順・敬称略)。話題の中心はもちろん、臨界事故。「放射能」という言葉を「放射線を出す能力」と理解する立場が必ずしもメジャーではないと知りちょっとショックを受ける。
まじめな会話も交わされたが、ともすれば「来年のお化けかぼちゃコンテストは茨城の圧勝」などという、非道な冗談に流れていくのはその場にいた人々の邪悪さを象徴しているような。
帰ってから『マップス』を読了。まさか、結末をここまで持っていくとは。さすがである。これだけの傑作、これだけ必要十分にSFである作品は、国内SF小説にはめったにない。これが、星雲賞を取れなかったてんだから(相手は『寄生獣』)、SFマンガのレベルの高さは恐ろしいほどですね。
- 10月 3日
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あと短篇1本にまで迫っていたSFM11月号のイーガン特集をほぼ読了。
ほぼというのは、インタビューを読み終わっていないから。読み始めたら『順列都市』のネタバレかもしれない文章がいきなり目に入るんだから、危ないったらありゃしない。とりあえず、月末まで保留だね。
他はほぼ期待通り。ただ、「チェルノブイリの聖母」は今一つ入り込めなかった。キリスト教各派の間の差異が実感出来ないので、テーマがうまく受け取れなかったのが主原因だとは思うけど、文章の固さに引っかかったことも確か。内省的なテーマだと気にならないのに、外部の描写があるととたんに引っかかるのは何が問題なんだろう。
- 10月 5日
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今週からゴミ出しのシステムが変わったのだが、予想通り誰も守っていない。いや、いっそのこと本当に誰も守っていないのなら扱いも楽だろうが、守っている人間と守っていない人間が半々程度なので、結果として燃えるゴミと燃えないゴミが混在するという無残な状態になっている。皆が新システムに慣れる来週(楽観的予測)〜来月(悲観的予測)までは、惨澹たる状況が続くのだろう。
と思ったのは実は昨日な訳だが、案の定、今朝も間違えている人続出。郵便受けに通知を入れ、集積所に告知文を貼って収集日の変更を告げても、かなり気づかない人がいるってんだから情報の通知は難しいですね。もう、こうなると対応策は家庭訪問しか。
ガードナー『ファイナルジェンダー −神々の翼に乗って−』上巻を読了。現時点では、謎が提示され始めただけなので、まとまった感想を抱くほどではない。強いて言えば、ここまで全く魅力を感じないということくらいか。「どうしようもなくジュヴナイル」というガードナーの特性が悪い方に出ているように思う。
しかし、あれですね。原題と何の関係も無いカタカナタイトルってのは何を狙ってつけてんすかね。『選択の時』とか無難なタイトルじゃ勝負できないってことなんでしょうか。だったら、『量子宇宙干渉機』だの、『仮想空間計画』だのというところまで突き抜けて欲しいところですね。タイトルのセンスでは、早川は創元に大きく水をあけられた感があるな。
- 10月 6日
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そう言えば読もうとおもったんだと、昼休みに近所の書店まで『カムナビ』を探しに行く。えーと、どうせこの辺のはず、としばらく探し回ったが見つからない。角川の営業力からすれば入っていないということはあるまい、としばし考えた末、「新書じゃなく単行本」と聞いていたことをハタと思い出す。おお。
というわけで単行本コーナーでいきなり発見。はぁ、遮光機土偶ですかと手にとって裏を見ると、「1600円」と書いてあった。せんろっぴゃくえん……。いやまあしかし単行本なんだからそんなもんだろうと気を取り直し、となりの下巻を手にとって値段を見ると、そこには「1900円」と書かれていた……。
そりゃまあ、単行本2冊なんだからそんなもんかもしれないが、評判を聞く限りでは都合3500円だして買う本とは思えないんだよね。買う気が一瞬で失せたので見送り決定。誰か間違えて買った人から借りることを決意し、代わりに反対側の棚にあった久世光彦『死のある風景』(新潮社)を買って帰ることにする。いや、『カムナビ』より遥かに安かったし。
まあ、買ってしまったものはしかたがないので『死のある風景』を読む。久世光彦が週刊新潮に連載した、死にまつわるエッセイをまとめたもの。もう少し、冷たい、乾いた内容を期待していたのだが、思いの外湿った生暖かい肌触りだったのは残念。序盤は鋭い文章も多いのだが、先に進むにつれ切先が鈍ってくる印象がある。わりと外れ。
- 10月 7日
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朝から体調が悪いので1日休むことにする。
とりあえず、そうなると心に余裕が沸いてきたので、SFマガジン11月号を読了。光瀬龍には思い入れが無いので、イーガン特集を読み終えた時点で終っていたようなもんだが。そんなわけで、新たに興味を惹かれた記事は少ないのだが、そんな中、谷甲州の追悼文は割と興味深かった。そうか、谷甲州と光瀬龍か。その類似性は思いつかなかったな。
さらに、ガードナー『ファイナルジェンダー −神々の翼に乗って−』(ハヤカワ文庫SF)も読了。性転換が自由であるが故に、性的役割分担が固定化された世界という設定はそこそこ魅力的なのだが、しょせんガードナーなのであまり深くは突っ込まない。前に出た『プラネットハザード』では、その浅さが、少しずらした冒険小説というありようとうまくマッチしていたのだが、こちらは、なまじテーマ性が前面に出てしまっているため、突っ込みの浅さが目立ってしまっている。腹が立つほどのクズではないが、少なくとも褒めるところはない。
しばらくして……。
はたと気がついたら深夜になっていた。しかたがないので期待の新番組「エクセル・サーガ」を見てしまったりする。うーむ、さすがワタナベシンイチ。若干、「実験している」という事実を前面に出しすぎている(「実験を」ではないあたりがメタな感じ)きらいはあるが、エクセル役、三石琴乃の好演もあり、原作の無駄なハイ・テンションを見事に再現した、良い意味で原作に忠実な作品となっている。作画などこのままのレベルを保てるとは思えないが、ナベシンが存分に遊んでくれさえすればそれはどうでもいいや。下半期はこれだけを心の支えに生きていけそうだ。
- 10月 8日
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ふと気がつくと、『マップス』を読み返している自分に気づいたりする。驚くほど、良く出来ているな、これ。
実は、細部の完成度、というか辻褄合わせはさほどの出来ではない。丹念に読みかえしてみると、捨てられた設定だの、書き換えられた設定だのがゴロゴロしている。あさりよしとおが『ワッハマン』で見せた、気の長い伏線に比べれば、明らかに完成度は劣る。しかし、有無を言わさず物語を引っ張りまわす腕力では圧倒的にこちらが上だ。「物語としての面白さ」は小手先の技巧よりも、細部を100倍に膨らます展開力と、膨らんだ展開を強引に纏め上げる手腕にかかっていることを痛感させられた。もちろん、「物語としての面白さ」と「作品としての完成度」のどちらが重要かってところには議論の余地があるけどね。
いや、まあそれはそれとして。
もう一つ考えたのが、連載形式の問題だ。この話、週刊誌に連載されていたらかなりレベルが落ちていたのではないだろうか。週刊連載の物語は、毎週引きを要求されるという構造上の問題から、全体としての衝撃力が落ちているように思われてならない。低い山を繰り返すことにより感覚が鈍磨し、大きな山が見えなくなってしまう印象があるのだな。週刊連載の長篇マンガがめったに「きれいに」終らないのはこの辺に原因がある気がする。もちろん、月刊でも毎回の山が必要になってくるのは同じだが、1回のページ数が長い分、山の高さを制御できるという印象が。ああ、しょせん印象レベルなんだけど。
えーと、結局何が言いたかったかというと、『マップス』に匹敵する「きれいな」終りかたの週刊長篇マンガって何かあるだろうか、ということなんだろうきっと。
教訓:何か書くときは、自分の意見をまとめてから書き始めましょう。
- 10月 9日
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縁あって「サイボーグ・クロちゃん」を見る。わりとよく出来ているとは思うが、今後どうやってストーリーを引っ張っていくのかが心配。敵役のネコと毎回ちがうシチェーションで戦い続けるんだろうか。
その他は例によってだらだらと過ごす。つい試してしまったジンが敗因だったかも。ジンベースのカクテルは少々飲んだところで利きゃしないのに、ロックで飲んだというだけでこうも回るとは。
- 10月10日
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有里さんの本買い日記を読んでいると、コバルトの作家番号に関する興味深い考察があった。この日記、リスト系の深い話題が出てくるので、自分もちゃんとリストを作らなきゃという励みになる。ありがたいことである。しかし、そうですか。コバルトって、もう2600冊もあるんですか。それは、コンプリートする人もさぞや大変なことだろう。
あ、そんな話をしたかったんじゃないんだ。作家番号の話。スケールは全然違うのだが、僕も作家番号について気になっていることがある。ご存知のように、ハヤカワ文庫の分類番号は80年代末から著者番号制(正確には著者番号と通巻番号の併用)になっているのだが、目録に著者番号が掲載されるようになるのが90年代に入ってからと2、3年遅れるため、その間に目録落ちしてしまい、誰なのかわからなくなっている番号があるのだ。例えば文庫SFだと、以下の番号の作家がわからない。
明らかに番号を振られるべきなのに、番号がわからない作家もいるので見当がついている部分もあるが、確証が無いので下手なことは言えないのだ。万が一、おわかりになる方があれば、教えて頂けないだろうか。
夕方から映画を見に行こうとしていると、「ガンドレス」の完成版のビデオが到着した。公開版を見たことで個人的には十分満足なので、完成版には興味はない。むしろ、「葛西だけで30件は配りましたよ。映画を見に行った人全員に配ってるんですか、これ?まったく聞いたことが無い映画だったのに、名前覚えちゃいました。なんで、みんなそんな映画を見にいったんです?」と宅配便のあんちゃんが、興味深そうに聞いてきたことの方が面白い。そりゃ確かに、未完成の映画に人が押しかけるとは想像しないよな。
まあ、しかしとにかく映画である。というわけで、BOX東中野で「コリン・マッケンジー もうひとりのグリフィス」を見る。ニュージーランドという土地に埋もれていた一人の天才の業績を掘り起こすドキュメンタリー。95年に再発見されたマッケンジーの撮影したフィルム(世界最初期のトーキーやカラー映画など映画史を塗り替える発見を多く含む)と、マッケンジーの業績を追っていく映像とから構成されている。マッケンジーの発明品の数々や、人類最初の飛行機の飛翔シーンなども興味深いが、何より圧巻なのはニュージーランド奥地のジャングルに埋もれた廃都(古代エルサレムを完全に再現した映画のセット!)が再発見されるシーンだろう。そこに浮かび上がるセットの壮大さは、常識を遥かに越えている。映画史が塗り替えられることに対する知的興味、実験映像にすらうかがわれるマッケンジーの上品なユーモア、そして何より莫大な費用と時間を投じられた大作「サロメ」の映像美。さまざまなレベルで満足させてくれる作品であった。
とおもわず書きたくなるほど、きれいにウソをついている。もちろん、「これはウソです」というサインは全体にちりばめられているわけだが、「マッケンジーの映像」として出てくる画のみごとな古びかたを見ると、20世紀初頭の撮影だという設定を信じてしまいそうになるほどだ。OBページの締切りをぶっちぎってまで見に行った甲斐があった。