第弐拾六話 AD物語〜22〜
ニッポン放送は、放送局としては珍しく(?)、
社員以外の人間が、「ディレクター」の業務を行うことを認めていません。
唯一の例外は、子会社(?)とも言える制作プロダクション「サウンドマン」の社員が、
「オールナイトニッポン」の2部(3時〜5時)において「ディレクター」をできるぐらいです。
逆に言えば、「ニッポン放送」か「サウンドマン」の社員以外は「ディレクター」になれない、
ということです。
これまで、何人もの「フリーディレクター」が、この「鉄の壁」に挑戦してきましたが、
「AD」から「ディレクター」になった人間は・・・過去、わずかに、1人しかいません。
「オールナイトニッポン(以下、ANN)」はラジオに携わる人間ならば、誰でも憧れる番組です。
「喋り手」は、「ANN」で、パーソナリティをやりたいと思うし、
「放送作家」は、原稿を書きたいと思う。
そして、やはり、「ディレクター」は「ANN」で「キュー」を振りたくなるものです。
デーモン小暮閣下いわく、
「テレビの最高峰番組は『紅白歌合戦』で、ラジオの最高峰は『ANN』だ。」
・・・てなもんです。
僕も、「フリーディレクター」とはいえ、「ディレクター」である以上、
やはり、「ANN」で「ディレクター」をやってみたいと常々思ってました。
・・・と、突然僕の目の前にそのチャンスがやってきたのが、1996年、春のことです。
当時、ANNの土曜日2部では、
音楽ライターの「佐伯進さん」と、シャムシェイドというバンドのヴォーカル「CHACK(現名・ヒデキ)」が、
「インディーズ」の曲を紹介する企画で、番組をやっていました。
そのディレクターの「サウンドマン」の大御所ディレクターが、番組をはずれるにあたり、
次期ディレクターとして、ADを担当していたサウンドマンの新入社員「O村クン」を推薦したのです。
「O村クン」・・・そう、「サウンドマン社員旅行」で、馬のコスプレで大暴れした彼です。
ANNチーフディレクターの「Sさん」が、
「彼だけでは心配だ!」
・・・ということで、フリーのディレクターを「AD」としてサポートに付け、
その人間にも「ディレクター」の権利を与える、という、条件を出しました。
・・・で、白羽の矢が立ったのが、この僕です。
なんで、僕に白羽の矢が立ったんですかね?
僕が、ANNのチーフディレクターだったら、絶対そんなことしません。
もっと心配だからね。
そんなこんなで、1996年3月より、「佐伯進とCHACKのANN」は、
ニッポン放送でも、前代未聞の「ツイン・ディレクター」体制となりました。
どうせならもう1人増やして、
ペレストロイカ体制
・・・とか、名乗った方がカッコ良かったのにねえ。
さて、こうして、ニッポン放送史上2人目の「外部ディレクター」となった僕ですが、
ものすごい難関が待ちかまえていました。
まったく知らない曲ばっかり!
さっきも書きましたが、「佐伯進とCHACKのANN」はインディーズの曲の、
カウントダウン番組だったんですね。
「インディーズ・レコード」というのは、わかりやすくいっちゃえば、
「自費制作」のレコードです。
大手レコード会社の手を借りず、自分たちの手でレコードやCDを作り、
そのスジのレコード店や、ライブハウスでそれを売ったりするんですね。
ところが、これが、「メジャーデビュー」につながる、ってんで、
結構、市場がにぎわってたりするんですわ。
事実、今、メジャーで活躍してるバンドも、インディーズ出身なこと、多いですよね。
「X」「ウルフルズ」「ルナシー」「ペニシリン」「ラクリマ・クリスティ」・・・・、
でも、普通の生活してたら、インディーズの曲なんか聞かないでしょ?
番組でかかる曲、全然わかんねぇよ!
「今週第1位は『オールヌード』で、『ラブ・テロリズム』でした。」
なーんて、言われても、全く分かりません。
番組の最初から最後まで、わからない曲だらけ。
「ここホントに日本?」
ってなもんです。
人並みに、
「こんなんで、ディレクターできるのかなぁ・・・。」
と心配してみたりしましたが、人間には、すごい能力がついています。それは、
3回同じ曲を聞くと、いい曲だなあ。
・・・と思い込んでしまう能力です。
どっかの大学の教授が唱えた理論ですが、これが結構当たってます。
3週間も、この「インディーズ番組」をやっていると、
結構、聞きなじんじゃってきて、親しみがわいてきちゃいます。
それどころか、
なんでこの曲、みんな知らないの?
・・・ていう、訳の分かんない状態に陥っちゃってました。
僕は、この「インディーズのANN」が終わると、そのまま、日曜の朝9時から始まる、
「裕司と雅子のガバッといただきベスト30」という番組に就いていました。
こっちの番組は、流行の曲(メジャーのね)を30曲カウントダウンするんですが、
頭を「インディーズモード」から「メジャーモード」に切り替えるのがもう大変!
そんな「インディーズ」のカウント番組にチャートインしてきた曲に、
「スーパースナッズ」という女の子バンドの「パパ・ウー・マーマー」というものがありました。
この曲、早くなったり、遅くなったり、急に止まったり、また始まったり、という構成なので、
スタッフの間では、
「イス取りゲームにピッタリだよな。」
と言われてたんです。
そんな笑い話のネタが、だんだん大きくなり、ついに、
「生バンドでイス取りゲーム大会」
という企画になっちゃいました。
ニッポン放送(旧有楽町本社)3階の銀河スタジオに「スーパースナッズ」のメンバーと、
リスナーを50人呼び、「史上最大のバカバカしいイス取りゲーム大会」を行ったのです。
女子高生が、短いスカート姿で、イスを奪い合い、
しかもその「イス取りゲーム」のBGMが、バンドの生演奏・・・っていうのは、
非常に下らなくて、面白かったのですが・・・・、
ANNの2部は、本来、非常に低予算です。
そんな低予算なのに、ムリして、イベントをやったのが原因・・・・
なのかどうか、分かりませんが、
この「佐伯進むとCHACKのANN」は、僕が担当になってから、
3ヶ月で、打ちきり!
・・・に、なっちゃいましたぁ。
関係者のみなさん、力不足の僕を、
どうか、許して下さい!
その後、ANNのディレクターは、
再び、ニッポン放送純正社員と、サウンドマンの社員だけになってしまいましたとさ。
・・・めでたし、めでたし。
追記:1997年5月、ANNで、再び「ディレクター」をやるチャンスに恵まれました。
1回だけ、特別にね。
今度は、2部ではなく、「福山雅治のANN」・・・・1部でした。
ディレクター業務は、辛いけど、やっぱり楽しかったです。
しかし・・・・・、
ニッポン放送、まだこりてねぇのか?
・・・って、ちょっと思いました。
戻る