「上役なんか全然いらない。上司個人の気まぐれや、気分とか、偏見に規制されたり束縛されては、立つ瀬がない」
「自分で自分の仕事をやらせてほしい」
けれどもこの想いを、上役に言うだけの勇気を持っている人間はまずいないと思います。普通の人の考えでは、管理者という権力者が、自分達を統制したり、にらみを利かせている」と、いう事実を認めているからです。
ビジネス社会での両親の境遇を、見て育ったアメリカのある若者達だけでなく、日本の若者達も、自分の働く場所については、いままでと違う条件で働くことを選んでいます。
そして、管理者を排斥したばかりか、自分自身も排斥して仕舞うケースが沢山生まれています。この倒産劇の残す教訓は、この若者達が何処で仕事を行おうと、仕事の効率を上げるには、管理業務がつきものであることを示しています。
それでも彼らは、仕事の虜になりたくないばかりに、ある種の自分の都合のよいものごとは受け入れるけれども、家庭に帰ると「体制」に対して、痛烈な不満を言うような人間になって仕舞っています。
これは、悲しいことですが、ビジネス社会の利用方法を、拒絶して仕舞った産物のためなのです。
ビジネス組織の管理社会で使われている言葉に、「私は、上司です」「彼は、部下」ですという言葉があります。
これは断定された決定的な言葉です。前者は、後者より優れ、後者は前者より劣る差別の感じがします。
「私は上役だ」という自負を持つ人は、「私は他の連中より優れている。私はみんなのために働いているのだ」という考えが隠されています。
一方で部下である私達は、その言葉に反抗して、「あいつは、上役なんかじゃない、いても邪魔になるばかりだ」と決めつけ、自分が管理者になって、体験学習しないことには、管理者の制度を理解する知識がないので、信用できないでいるのです。
ところが、自分が管理者になった途端、様相は一変します。
それまでは「自分は他人に劣っているとも、誰かの部下だとも想っていない」という、自尊心をもっていたのですが、ビジネス社会のピラミッド構造の中では、言葉や逃げ道に理屈をつけて、自分流の定義を作ったところで、組織の中の管理者は限られた人数になります。
大部分の人がその部下であると定めている冷酷な組織の前では、個人の定義づけなどは、何の役にも立ちません。
そこで現実と、こうあるべきだという理想の間に、感情的な矛盾が生ずることになってくるのです。
それでは、「管理者制度」というものは、果たして、変化させることが出来るものでしょうか。
太平洋戦争前後の封建社会から、民主社会への移行後五十有余年。職業の自由選択等、その成長ぶりには、目を見張るものがあります。
ビジネス社会だけには、ピラミッド的職制組織が継続していますが、個人の生活に立ち入る階層的な身分社会のヒエラルキー構造は、殆ど見かけなくなりました。つまり、奴隷や、昔の農奴を想わせるような社会構造は、消滅したと言っても過言ではないとおもいます。
もしあったとしても、ごく希に、労働の受取証や、会社の売店などの給料清算など、古いタイプの雇用型である植民地型企業の類です。
管理者制度は、太平洋戦争後の民主改革の中でも、もっとも大きい変化がありました、そして、今後も権利意識を尊重した変化は続くと考えられます。
ただ、そのかわり方が非常にゆっくりしているため、多分10年単位の変化であっても、ドラマチックな変化に気づかないような、極々小さい変化の持続になります。
管理者やその制度は、いたるところに存在します。
しかし、一般の人々は、管理者に「管理される」と、いうことを、何とか改めたいと考えています。
これらの改革には、決定を下す過程はもちろんのこと、誰が管理者になるか、あるいは、管理者になった人間は、どのように職場の人達を指揮監督するか。
などのことも含まれています。それに、現実のビジネス環境には、自由、且つ民主的な方法で運営が行われている経営の例は、決して多くはありません。
しかし、少しでも民主的に、少しでも、人々の必要に応じたものにして行こうとする「力」が、管理者に働きかけていることも事実でなのです。
「労働運動や、人権運動によって、いろいろな差別がなくなりました。女性の管理職も、責任ある仕事をするようになり、大幅に増えています。女性の大臣就任が珍しくはなくなりました。一般職でも、以前は、男性にしかできなかった職業にも女性が就業するようになってきました。
ビジネス社会の変化とは、その変化を、眼前で目にすることが出来る時代でもあります。
つづく
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