「絶対完全」と、いうところまで、自分を知ることは不可能だ」ある人に言われたことがあります。
「人間とは、自分で喋ったり、考えたりすることを、ときには自分で自分に吃驚させられます。彼曰くには、人間というものは、そのときそのときに変化しているので、どのくらいとか、何故とか、確信できることは絶対ない」というのです。
そうだ。その通りです。自分自身そういうことがあります。
自分という人間は、一体誰なのか?
何処からきたのか?
これから何処にいくのか?
何が自分を妨げているのか?
人生に何を望むのか?
自分自身に何を望むのか?
ビジネス社会にどれだけの名声を残したいのか?
これは理解するのには難問です。ラベルや記号を知ることではないからです
少しは見当がついても、それ以上は決して進みません。
自分自身の存在も宇宙の神秘かも知れません。何千年も前の先祖は誰だろう。自分は、先祖から何を受け継いでいるのでしょうか。
両親や、そのまた親の子供時代の生活環境は、現在の自分に何をもたらし、どんな役割をはたしているのでしょう。親やその先祖の、何をどのようにした経験が積み重なって、自分にその経験を授けているのでしょうか。
もし正しい答が分かったとすれば、自分自身の正確な力量を、量ることが出来るでしょうが、その多くは不明であるため、知識人や、予言者達が長い年月の間に、指摘したことを、実行することになります。
それは、現在の自分を受け入れ、自分のもっている知性、才能、決断、願望の範囲内で、最善を尽くすのが当然とされています。
出来る限りの努力で完全な人間に近づくため、職業上の任務から得られる限りのものを得るということは、自分自身の挑戦であって、誰の責任でもなく、自分のために当たり前のことです。
自分自身への挑戦項目をあげてみると、
●自分に対して抱いている幻想を打ち消す。
●ビジネス社会に対して抱いている幻想を打ち消す。
●上役や同僚に対する敵意を捨てる。
●自分の限界を知り、手の届かないものを欲しがらない。
●自分の力を知り、人生からより多く得るためにその力を利用する。
●能力の範囲内で、他人にとって出来るだけ魅力のある、興味のもてる人間になる。
●身近な人々に好意をもつように努め、相手にそのことを伝える。
●自分に取って最も大切な人々の好意をかち得る。‥‥こともです。
以上のことに努めれば、思っていたよりも、さらに多くのことを、人生に置いて成し遂げることが出来るます。
「自分以上に、自分を考えてくれる人間は、世の中にはいません」
それは、幸福になる努力をするとか、幸福になるような行いをすることで、考えても見なかった幸福を、自分のものにすることができます。
実際に、自分という人間は、世の中でただ一人です。自分という精神と肉体に密閉され、しかも膨大なエネルギーをもっております。誰の手助けも必要としないで、偉大な業績を成し遂げることが出来るのです。
「汝自身を知れ」聖書には、繰り返し繰り返し、使われている言葉です。仏教の般若心経や観音経にも、同じように、自分を見よ、自分に聞けと、繰り返し自分を知ったときの力の偉大さを説いています。
もし、くつろぎのひとときがあったなら、自分について、思いついたまま紙に書き出してみましょう。
自分は一体誰なのか? 人生に何を望んでいるか?それは何故なのか?厄介な問題かも知れません。出来る限り正直に答えてみるようにします。それによって、完全な人間に一歩一歩近くなるからです。 つづく
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