「言葉」
管理者は、相手が自分と同じくらい専門用語を使えこなせるかどうか、を、考えないで使いなれたボキャブリ(語彙=言葉の集まり)や、専門用語を使いたがります。
例えば、数人の部下を擁している管理者が、彼らの、理解できない技術用語を、使ったとしたら、伝えようとするメッセージは、伝わらなくなってしまいます。いわゆる前述の、送信点に障害が発生している状態になります。
自分の言葉に重みをつけようとか、プライドを誇示したいつもりが、メッセージを混乱させてしまうのです。
ある種の職業についている人達は、彼ら特有の言葉、つまり「符丁」をつくりたがるものです。
ところが、こうした言葉に縁のない人達を相手にするとき、符丁を使ったメッセージは、意味をなさなくなって仕舞います。もし、この符丁を使うと意味が不明なので、たちまちのうちに、そんな言葉は拒絶しますと、いうような断絶用語になってしまいます。
しかしその反面、意味の解る人との意志の伝達に、この符丁を用いると、意志伝達が簡単になり、「心のうち」にある感情まで関係当事者に伝わって意志伝達がスムースにいくことになる。
さらに良く知られた言葉の問題では、職業の相違等による価値観の違いから、ある種の言葉は、人によって受け取られる意味が違ってくると言う点があります。
例えば、同じ鉱山会社の鉱山技師と、労務担当者が、本社で開かれた会議に出席中に、それぞれ次のメール・メッセージを受け取りました。
「山でストライキ、すぐ帰れ」。
これを見た鉱山技師は、得意満面になりました。一方で、労務担当者の方は頭を抱え込んで仕舞いました。
鉱山技師には、「ストライキ」の意味を、新鉱脈の発見(註=ストライキには鉱脈を掘り当てるという意味がある)と受け取ったのに対して、労務担当者は「労働争議」と受け取ったからです。
言葉は様々な印象を、人に与えますから、その印象によって、言葉の意味をとり違えてしまうことがあります。
ある管理者が「能率向上」のために、新しい計画を立てることを部下に知らせたとします。
これに対して「願ってもないことだ。いま頭の中にあるアイデアを生かすことが出来る」と思うものもいるでしょう。また、「いよいよ給料を上げて貰えるぞ」と思う者もおるとおもいます。
このような状態は、聞く側の心理状態や、その言葉を、前に聞いたときの経験や学習等によって、一つの言葉からこの様な二つの反応が出てくるわけです。
言葉の意味や、様々な言外の意味を、研究するのが「意味学」です。
同じ言葉が送信者にあることを意味しても、受信者には全く別のことを意味することがあると言う事実を忘れてはいけません。送信者が言わんとすることが、意図したこととは、全く違う意味に、受信者は受け取ることになります。
意志の伝達は、文書よりも、口頭で行われる場合が大変多いものです。
電話なども盛んに使われます。情報技術の発達とは逆に、ハッキリ明確に話したり、文書化するなど、意志の表現テクニックが社会の傾向として下降線を辿っています。
これは、大事な問題です注意しなければなりません。
そして、はっきりしない不明瞭な指示や命令は、聞き取りにくく、容易に理解できません。
部下は、上司にもう一度言ってくれるように、頼むか、頼むまいか、と、ためらっているあいだに、話しを全部聞き損じて仕舞うようなことは良くある例です。よく思われたい、立場をよくしたい、等々の駆け引きの心理が錯綜した結果です。
文章による意志伝達の場合は、文法や文章構造がお粗末であることが障害になります。
しかし、一般的に、会話離れ、文字離れ傾向が強くなる一方で、モバイル機器も良く利用されるようになります。文書による指示や命令については、もう少し詳しく記述するつもりであす。 つづく
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