【リードと命令】

一般的に、「リーダーシップ」とは、命令する力とか支配能力とかに解釈されがちです。しかし、協調して働く人々から、良い結果を引き出すためには、命令という言葉が如何に不適切な言葉であるか、人間性を良く知れば知るほどそれは過言であるとの考え方に確信を持つものです。

最近まで、危険を伴う単純労働の建設等の作業現場で「俺達は、部下との意思の疎通や、誤解について、考えたことがない。命令に従わない奴があれば、即座に 首にして別の人間を雇うまでだ」といった風潮がありましたが、このような考えは、命令に対するもっとも素朴で単純な目標や結果に対する見解であるのです。

しかし、ある会社の人事担当重役のように、「わが社は、従業員にライフワークを提供しようと、耐えざる努力をしている。新しく人を採用するに当たっては、 社員にも、会社にもプラスになるような関係を打ち立てるように務めている。共通の利害感を永続させるように幾多の努力もしている。工場の職長や、部課長を 動員し、従業員に対する誠意を徹底させ会社の重要な一員であるという気持ちを抱かせるようにと、常に心を配っている。」と、いうものこそ、真のリーダー シップを特色づける心構えであり、希求でもあるのです。

営利企業、非営利企業を問わず、管理者は、”人は単に何をすべきかを知るだけでは十分でない”という認識を強くして来ているものです。立派な目標、対策、働く者への公正な対処だけでは、グループ内の、協調感と士気を最高に高揚させることは出来ないのです。何か、訴えかけるものが必要になります。組織の目標に対して、みな忠実になり、その組織に参加することによって、自分達が如何に恩恵を受けているか、この気持ちをみんなに強く感じさせる能力のある者、これが リーダーというのです。

「命令者」は、命令によって行為が遂行されることを喜ぶけれど、これは、人に対する権力の行使なりです。

「リーダー」は、共通の目的に向かって、人々が一体となり、効果的に円滑に仕事をするように仕向けるのですが、共同の力の開発者であり、実行者であるのです。命令は、結果だけを重視しますが、リーダーシップは結果に導くプロセスをも同じように重要視しなければならないのです。

「命令タイプ」の人は、組織は、ボス的支配によって存続、発展して行くと思いがちです。そして現実には、この見解の誤りが、幾多の色々様々な組織の盛衰によって示 されております。どの組織においても致命的な危機は、最初は何処にもありふれた小さなことで始まります。組織が拡大し、年月を経るに従って、創立当時の熱意や目 的は誤解されたり、忘れられがちになって危険が大きくなってくるものです。ですから常に従業員が組織の首脳部との関係を保ち、そこから温かい励ましを受けるように考慮されなければならないのです。首脳部の影響力は、末端の隅々まで、くまなく及んでいなければならないのです。

「命令者」は、また、組織は創立当初の目的遂行する為にのみ存在すると思い込みがちです。こうした見解は、危険を生じやすいのです。それは仕事に従事する人々の反応をいれない結果から生じていることです。 「ビジネスは、趣味や道楽でするのではありません。金儲けのためにあるのです」という尤もな前提を唯一の目標にしている会社は、また、近視眼的な誤ちを犯しやすいのです。それは、ゴルフをするためにだけ設立された、ゴルフクラブや、会員だけを集めるゴルフ場のようなものです。良心的な、メンバーの選定基準もなければ、霞のような実体のない特典だらけなのです。

つまり、目標とするものは何であれ、全ての組織において、「各人」が求められ、且つ「役立つ」と感じさせることが何よりも、必要なのです。人が、何らかのグループに参加するのは、行為の切り売りに過ぎないなどと、感じさせるような、パソコン通信やネットワークもあるが、それは人間性をバカにした話です。組織とは、人に、その義務を果たさせるだけではありません、人間性が常に求めて止まない価値観と、自己の高揚意識を、助長するように務めなければならないからです。

original txt:sept/92 rewrite july/98 original.txt written by 一桁(2017/01/18renewal)
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