2010年6月23日 開発ドライバー 成瀬 弘様

 ご冥福をお祈りします。


■ 2010年4月3日 レクサス店にLFA(サーキットバージョン)の予約入れたんすが抽選漏れしちまいまして、買えるワケではないんすがとりあえず・・・

総生産台数500台。うち日本への配分は160台。この手の高価格車は北米でよく売れるんで当初日本への配分はもっと少ない予定だったそうです。でもフェラーリも限定車を出す時、必ずイタリアの名士を優先ってな売り方してるそーでして、それなら日本を代表するスポーツカーなんだから外人なんかでなくて日本の日本のスポーツカーを愛している人達に乗ってもらいたいという営業サイドの要望で日本の割り当てを強引に増やしたそーでして。

東京モーターショーでそんな話聞いちゃったら買わないワケにはいかないでしょってな事になって早速地元のレクサスデーラーで予約。独禁法に触れるという建前でデーラーに売り方は丸投げとう話。トヨタ本社が売り先に口を出しはじめたらトヨタ関連の関係者だけで終わっちゃう数ですからね。

でっ、一応メーカーが全国のデーラーに指示したのはレクサス1デーラー1台。投機目的ではなく大事に乗ってくれる方優先。デーラー縄張り越境は禁止。投機目的の客排除するには結局レクサス店でレクサスを買った実績のある客を選ぶしか顧客の素性を知る術がないという事で基本的にはレクサスオーナー優先になるだろうという事前予測。それでも数が裁ききれなかったら残りは抽選みたいな流れだったんですが、想像を超える大反響でレクサス購入実績のある人だけで販売枠が埋まってしまいました。今からレクサス何か買うからそれでもダメ?って聞いたんすが、県西部のトヨタ関連企業のレクサスオーナーの社長さんが何人も待ってるっつー事で却下。県中部にはたいした金持ちいるハズないんで楽勝だろと思ってたんすが、西部の関連企業の連中が束になって応募してたとは、ちょと不覚でした。あっ、そうそう結果的には金持ち多い東京に随分車回ったみたいっすね。田舎のデーラーでは扱いきれんっつー事で、越境禁止も実際は守られなかったらしい。まあ何から何まではじめてづくしだったんでトヨタ関係者もまったく先が見えてない状態だったのは確かでして。どちらにしても手に入れる事できなかったのは残念でした。

えーーー、まだまだいろいろ面白い情報はあるのですが、東京モーターショーで僕を信用して何時間も話してくれた「LFAスペシャルコンサルタント」の彼を裏切るわけにはいかないんでとりあえず軽くしか書きません。

にしてもなー。マクラーレンとかもっとお安くて過激な車いっぱい出てきてるんでLFAのキャンセルでないかなー。何故かわからんけど、いや実際の経験上の話なんすが、外車乗りって頭悪いヤツばっかなんすよね。出来る事ならそんな連中の仲間にだけはなりたくないって事で国産にこだわってまして、LFA買えなかったらシビックRでいいやってなくらい、ちょとね、真剣に欲しかったんすけどね。とりあえず前から情報いろいろもってたんですが買える可能性もあったりしたんで今までなーーんも触れずにきたんすが、流石にちょともうダメっぽいんでとりあえず予約抽選はトライしてみたけどダメでしたよ記念っつー事でちょと意味不明ですけどLFAページシャレで作ってみました。

そこらのショボイ雑誌にはないネタあちこちから仕入れてはいるんで差し障りのない範囲で書けたら書いていきたいんすが、うーーーん、まだキャンセル待ち狙ってるんでムチャな事はやっぱ書けん。もうちょい様子見しよっと。うひひひひ。


 ■ LEXUS LFA in TOKYO MOTOR SHOW 2009 Hi-Vision 10min.   東京モーターショーで撮影したハイビジョン動画でつ。

■LEXUS LFA in FSW Nov.22.2009.
Diver Mr.NARUSE
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お世話になってる富士レース村の村長さんのこさんはちゃん付けで名前呼び合うくらいLFA開発者と仲良しだったりするんですが、なんか仲良し枠ってないの?って話も冗談でしてたんですが、どーにもならなかったんすよねえ。


■ 2009年1月10日 東京オートサロン

えーーーー、ギャルのついでに車も見てきました。LFAも展示されてましたねえ。車好きの豊田家のプリンスが社長就任決定したみたいだし。そうそうFSWのコーナーもあったなあ。自分らみたいな人間でもそんな事してて大丈夫なの?って思えちゃうくらいいろいろがんばってる。この大不況の責任転嫁されて足引っ張られて引きずり降ろされたりしちゃだめよ。がんばってよ。カローラN2ワンメイク?なんて車の展示もあった。(白い車)ハチロク以来じゃん。なんかちょとワクワクする。300度カムとかTRDから出てくるのかなー。黄色いのはGTね。GTRみたいな現実離れした車じゃなくて身近なカローラでGTをってのもアリだと思います。とにかく日本の将来トヨタにかかってるんでばんばってもわらにゃ。

 

 

 


■ 2008年11月23日■

TOYOTA MOTOR SPORTS FESTIVAL
 トヨタモータースポーツフェスティバル

トヨタモータースポーツフェスティバル in 富士スピードウェイ にてレクサスLFAがデモランを行いました。ドライバーは次期?トヨタ社長の豊田章男副社長。デモラン走行後車を降りて、「みなさーん、この車気に入っていただけましたかぁ〜」っと自らマイクパフォーマンス。来たるべき、いやもう突入してるのか、世界大恐慌を日本が乗り切れるか乗り切れないかは日本の経済を1人でしょって立ってるトヨタ様次第なんで。はい、よろしく日本をお願いしますよ。ほんとに。日産なんか海外企業で株価もタダ同然なんで消えても屁でもないっすけど、トヨタ様にはがんばってもらわんと日本がおかしくなって自分ら飢え死にしちまうかもなんで。しかし今社長になるのは貧乏くじなのかもなあ。うーーん、こんだけモータースポーツに理解のある人なんで是非なんとか成功してもらいたいもんです。はい。FSWがトヨタのモータープールになるかレーシングコースとして生き残れるかも彼次第?かもなんで。はい。

動画っすLF-Aの音が聞けます



■ 2008年■

PORSCHE 911 Carrera4S (type 997 PDK) 比較試乗記

ポルシェ997 カレラ4に乗ってみた。 直噴エンジン+PDKっつー事で。

PDKはデキいいっすね。ちゃんとクリープするし、発進も自然だし、追い越しレスポンスもいいし。GTRのはひどかったもんなー。日本も落ち目だよなー。機械的に全然ポルシェの方がデキがいい。飛ばしてもガシャガシャ音が出る事もないし。

んでちょと乗った感じも車の鼻が軽くてコンパクトで、ステアフィールも軽めだけどGTRと比較したら全然インフォメあるし。やっぱポルシェ違うなー、全然デキいいなーみたいな。

所が峠行って飛ばしたらガックリ。足ぐにゃんぐにゃん。100系ハイエースの方が挙動マシで攻めれるんでね?ってなくらい。ヒドすぎて走り出してすぐアタック中止。まったく乗れたもんじゃない。こりゃいかんでショックアブソーバーの調整ボタンさがしてスポーツモードに。スポーツモードでギリギリなんとか乗れるレベル。とりあえずエンジンのトルクがあって太いタイヤ履いてるんで小僧が乗るS14とか楽勝でビタアオリって感じで遅くはないんだけど、35と比較できるレベルのもんではなかったり。勿論ランエボの方が遥かに速い。997はバランスがよくなったとは聞いてるけど、うーーーーーーん所詮RRだよなーみたいな。コーナリングのポテンシャルそのものはまったくお粗末なもん。BSタイヤも死んでる。

とりえずちょっと乗った感じは35GTRとは比較にならんくらいの完成度で実用性もバッチリ、乗り心地も35みたいにバカみたいに硬くなく普段乗りに充分使える感じ。雰囲気や乗り味も35とは比較にならんくらいいい感じ。でも峠行くとまったくもって普通の乗用車以下でして35やランエボと走りそのものを比較できるよーなシロモノではなかったり。ブレーキきっかねーと思ったんだけどローター見たらまだアタリついてなかった。これはアタリがつけばマシになるとしても、うーーーん、峠じゃまったく刺激のない普通の乗用車だった。まあポルシェは世界一儲かってるスポーツカーメーカーなんで、この車はスポーツカーの大衆車って事なんでしょうね。このクラスのスポーツカーに乗りたいって人の99パーセントは35GTRよりこの997の方がええでしょうね。普通に使えて普通に乗れる。雰囲気もバッチリ。でもホンキで攻めたらやっぱ35の絶対性能はすげえ。でもその違いがわかる人なんてほんの僅かでしょ。スポーツカー売る商売としてはポルシェの方が上手。ポルシェが正解と。ポルシェはスポーツカー界の大衆車といえるくらい誰にでもわかりやすくスポーツカーらしさが理解できるって所が最大の美点なんじゃろなー。

直噴エンジンはあいかーらず太いトルクでワイドなギア。峠だとほとんど2速ですんじまうくらい。35はパワーバンド狭くて低速トルク細くて上もないヘボエンジンなんでクロスしたミッションがものすげー勢いで変速して速さ出してる感じ。ポルはパワーバンド広いんでなんかせっかくデキのいいPDKの出番あんましねーよなーみたいな。まあGTRはクロスしててマメにシフト入るし、パワーそのものもカレラ4よりはあるんで技術的にいろいろ無理があるってのは想像できるんだけど、パワーレベルやシフト頻度のレベルが違っても製品としての完成度は35とは比較にならんくらい997のPDKはよくできちょる。まあねえ、価格的にはこのカレラS4あたりが35のライバルになるワケでして。世間一般的には777万でなくて今は値上がりして850万くらい?のGTRのライバルは2600万のポルシェGT2って事になってるけど、いやいや同じくらいの価格?のカレラ4も立派なライバルになりますよと。カリカリの性能求めないっつーかこの手の車欲しがってる人の99パーセントはこの2台の車の性能差実際生かして走れるワケでもなく、だったら絶対性能以外は全部カレラ4の方が上だからカレラ4もありなんじゃない?みたいな。そうそう4駆なのにまったくトルクステアないっすね。たいしてフロント駆動してないんすかね。リアヘビーだからそんなに前にトルク振る必要ないってのもあるんだけどトルクステアがないから結果ステアフィールも35より高級な感じに仕上がっている。やぱね、普通に毎日使って満足できるって部分も大切なんで、はい、これはこれでありだと思います。まあ自分はまだどーもケツ青いみたいで、うーーーん、微妙にこれだったら35かなー。GT2だったGT2ありだとは思うけど2千6百万じゃ現実的でないし。にしてもポルシェもたいしたもんす。はい。なかなかよーできちょるっす。まあ金持ちのおばちゃんにも喜んでもらおうって根性がセコクてトヨタ的で大衆車的なのがハナにつくけど悪い車じゃないっす。はい。 あーーーウチの996ターボと比較したら全然よくなってるか。ウチの996ターボ、まあターボで重いせいもあるけど峠行くと論外だもんなー。まったく重くて曲がらない。あれに比べたら一応ランエボ様とかと少しは比較する気になれるだけ996よりは進化してますね。

あーそうそう、だいぶ後になって気がついた事なんすけど、最初ノーマルショックモードで車の姿勢がグニャグニャでまったく乗れなかった件。これ自分が2000年に買ったスーパーバイクのKAWASAKI ZX12Rと同じで、スロットルに対して反応遅れが出るから乗りにくかったのかも。排気量が大きくて車体に対してトルクが勝ってる上にエンジンの電制の遅れが加わるとギクシャクしてまったく車体の姿勢作れなくなる。今考えてみると997のそれはアクセル反応遅れによるものだったのかもしれない。エンジンのフケそのものはええんすが一瞬遅れてドンとトルクがやってくるんで車がギクシャクしてショックが軟らかい状態だと挙動が乱れてまったくまともに走れない。バイクがインジェクション化されはじめた当初 「ドンツキ」 と言って嫌われた症状に似ている。まあBMWのM3も雨の日になるとシフトモード設定変更しないと全く乗れないっつー話だし。今時の車複雑なんでまあいろいろあるのはしょーがないんでない?って事なんでしょーけど。いやそれでも全体の仕上がりは未完成な35と比べたら全然まとまってますよ。はい。もうちょい35もがんばってもらわんと。


← ■ 2008年10月25日■
← FSW  (富士スピードウェイ) Aパドック レストラン 「ORIZURU」 にて本家 「近藤レーシングガレージ」 ステッカー販売決定!!
富士スピードウェイ オフィシャル ショップにて販売される事になりました。これでGT選手権中でもいつでも 「ホンモノ」 の 「近藤レーシングステッカー」 が入手できるようになりました。どもども関係者各位ありがとうございました。

■ 2008年10月10〜12日■
F1日本グランプリ開催中、大御神レース村(FISCO自動車レース工場協議会)主催のイベント広場の様子が地元新聞に紹介されました。→
本家「近藤レーシング」さんのステッカーや1976年当時のF1での活躍などが紹介されました。よかったよかった。次はもっとがんばらないと!
写真をクリックすると別枠で大きなサイズで見れます。→


■ 2008年10月10〜12日■

2008FIAフォーミュラ1世界選手権シリーズ日本グランプリレース  「 富士F-1 」

が10月10〜12日富士スピードウェイで開催されます。

西口ゲート隣の富士レース村展示販売コーナーにおいて、32年前の1976年に開催された日本初のF-1レース、第一回富士F1で大活躍したコジマF1に貼られていたKRGステッカーを販売します。近藤レーシングガレージ近藤さん公認のオリジナル、一般流通では入手できません。この機会をお見逃しなく。数量限定販売となります。

またレア物、某有名レースシリーズ参戦用エンジンの某有名大手メーカーのチタンコンロッドのアウトレット品も販売されます。お楽しみに。


■ 2008年8月 ■

35GT-R試乗記


センマンするもの試乗もせずに買うワケにはいかんでしょっつー事でちょとだけ試乗してみました。人のインプレ記事読んでも何を基準に判断してるのか、ちーとも実態がつかめなかったんすが乗ってみるとすべての情報がつながるなーと。

【高速道路での絶望感】

まず高速を軽く流してみての感想。6気筒3.8ツインターボの2ペダルという事でウチのポルシェ996ターボ(3.6リッター、ティプトロ)に似てるんではないかと想像してたんですが、車音痴な外車乗りが口にしたがる「乗り味」については残念ながらポルシェの方が遥かに上である事は確かなよーで。ボデイ剛性感、あくまで人が感じる「感触」はポルシェの方が上。ポルシェの人が触れるモノのタッチ、それに対するレスポンスからくるワクワク感の演出のうまさは流石四十年もスポーツカーだけで食ってきただけの事はあるなと思わせる。歴史の差っすね。この種の味付けは市場の反応を見ながら育てていくたぐいのモノかもしれない。いや根本的な市場や作り手のセンスもあるのかもだけど。とにかく35で普通に流してるとたいしてスピードもでないしミッションあたりから安っぽいカタカタ音が出るんでまるでボデイの緩んだヤレた車に乗っている様な錯覚に陥る。カチっとしたしっかり感がとりあえずポルシェに負けている。前後に重いものがあって別々にGがかかるんでボデイに負担でかいのかも?メータークラスターごとチルトするステアリングもガタついており、スポーツカーにとって貴重なステアリングインフォメーションがほとんどなくあいまいなフィーリング。20年前の32の方がマシなくらい。重量のある車体を素早く曲げようとするせいかその軽目のステアリングが場合によって微妙に重くなることがある。おそらくその強烈なステアリングのキックバックをやわらげようとしてるのか、かなりパワーアシストや柔らかいブッシュ類が入ってるのでしょう。結果的にステアリングが非常に頼りない感じがする。中立付近グニャグニャでほとんど反応しない。ポルシェの超高速時に1センチ単位でラインを狙える様な正確なハンドリングの仕上方にはやはり長年高速移動車を売り続けてたメーカーに一日の長があると言わざるを得ない。

 

高速道路で追い越しをかけるとき、35はパワーバンドが狭いんで小まめにキックダウンをしないと加速が得られない。ギア固定で下の回転から加速してみると3500回転あたりからターボ加給がはじまるものの本格的なGの出る加速は4000回転超えてから。排気量あるのにこれはRB26とまったくかわらない。そうそうRB26を排気量アップしてもターボ加給がはじまる回転ってそんなにかわらないんですよね。3リッターにすると高回転時の負担が増えるんでリミットを抑える事になり結果的にパワーバンドが狭くなってしまったり。この3.8リッターエンジンもレブリミットがRB26より1000回転も低い7000回転リミットでしかも6000回転超えるとパワーがドロップしてしまう。パワーバンドの始まりはRB26と同じ4000回転からなんで実質6000回転までのたったの2000回転しか使えないエンジンになってしまっている。エンジンの設計の基本発想があまり26と変わってないんでしょうね。同じ発想でスケールアップすると上が伸びなくなってパワーバンドが狭くなるという典型の様な仕上がり。まあターボは排気温度上昇による排気の熱膨張で仕事してるんで踏み込んで排気温度が上がるスピードの限界が立ち上がりの限界みたいな所あるんで、うーーん、これも自然の摂理?とりあえずそこは踏みっぱなしでシフトできる6段ミッションを想定してその欠点は相殺できると考えられているんでしょうけど。にしてもエンジンそのものに刺激はまったくなし。ショボいジャーナリストが35に乗ってそのパワーに驚いてはしゃいでる記事何度も見かけたんですが、うーーーん、こいつらパワーアップしたRB26乗った事ないだけなんだーと判明。32で言ったらブーストアップ400馬力ちょいくらいの加速感です。いやヘボイ社外タービンつけてダサイ社外CPUでパワー出損なってるRB26車に乗ってる人は35に乗ればパワーに満足できるのかも。そのあたり乗り手の環境によって35のパワーの感じ方違ってくるのでしょうね。おそらくエンジン単体ではRBの400馬力よりはパワー出てると思うのですが、なにせボデイが300キロも重いんで480馬力、いや実際は500以上出てたとしても加速として感じられるパワーは32の400馬力級です。ただし、ミッションの繋ぎがいいんで過給が途切れる事なく勝手に加速が繋がっていくんで、たったの2000回転のパワーバンドが2000回転×6速ミッションでパワーバンド 1万2000回転みたいな感じになるんで、それで初心者は驚いちゃうんでしょうね。ランエボもオートマ仕様になると勝手に加速しちゃうんで怖いという話を何度か聞いた事あるんですが、冷静に観察するとたいした加速ではない。自分の意思とは関係なく踏んでればどんどんパワーが繋がっていく怖さが加速感としてとらえられる傾向がある事は確かで、そーいった意味での加速の連続感はすばらしいと言えます。峠の短い区間で2速3速4速とつなげて加速するとこりゃハエーって感じがする。手動ミッションではクラッチ切ってチェンジしてる間にストレート終わってしまうんでとても4速まで入れられない所でも自動ミッションだと入ってしまうんで、まあ結果的には速いという事なんすが、チューンドGTRを知らないジャーナリストがはしゃいでるのはエンジンそのもののパワーでなくてシステム全体が搾り出す加速感であったというのは今回の試乗ではじめてわかった事です。記事読んで想像してたよりりエンジン単体はまるでたいした事ないのにはちょと驚きでした。まあ所詮誰が買って乗るかわからない「ツルシ」の車はこのくらいにしておかないと危険なのかも。チューンド32の加速と比較する事自体無理な話なのかもです。でも35は改造できないとなるとそれも困るんだけど。

峠で踏みっぱなしで加速する時は新型自動ミッションすごくいい仕事するんですが、高速道路でタラタラと走りながら突然追い越しのチャンスが出来て加速といったケースになると最悪の動きをする。こんなもんだったら普通のトルコンの方が千倍いいよみたいな。とりあえず通常回転からグっと踏み込むと、シフトしクラッチが繋がって回転が上がり追い越しがはじまるまで電スロの遅れも加わるのか一秒くらいのタイムラグが生まれてしまう。混んだ高速で小まめな追い越しをかけるのが面倒になるくらいのわずらわしさ。ポルシェがPDKをルマンで開発しながら長らく市販車にはティプトロ=トルコンを採用し続けてた理由もうなずける。さすがスポーツカー商売わかってる。ポルシェはスポーツカー界のトヨタ!と言えるくらい市場をよく理解している。同じくレクサスISFもシフトチェンジの速さをうたってトルコンを採用したのも、いやトヨタはケチっただけなんでしょうけど、とりあえずポルシェの判断もより所にはなったのかも。実用を考えたらトルコンの方がいいんでね?というのが高速運転をしての印象でした。ステアリングもグニャグニャ、ストッロルもまともな反応しないんで、こんなダサイ走りだったらポルシェはおろかベンツの方がまだワクワク感があんでね?いやクラウンの方がマシかもと思えるくらい。この通常運転の退屈さはかなりヤバイっすね。まあお金儲けに忙しくて車を表面しか知らない車音痴が外車は味があるといってそちらに逃げてしまうのもわかる様な。やぱスポーツカーも売れないと存続できないんで、ポルシェみたいにド素人にコビた製品作りをもう少し取り入れないといかんのかも。バカげたRRや空冷であえて走ろうとするのは、それをやるとお客がついてくるってのをヤツらは経験的に知ってるんすよね。実際過去に944や928のトランスアクスルで大失敗して窮地に追い込まれた経験もあるわけだし。今もミッドシップを作ってもあえてフラッグシップはRRでいくという割り切りは、スポーツカーメーカーを長年経営してきたメーカーの知恵なのかもしれない。ここがね、商売のむずかしい所で。いい物が必ずしも売れるワケではないというのはポルシェの商品展開を見ると一目瞭然なワケで。


↑うーん、鼻歌・・


【一転して 峠 の走りのすばらしさ】

ところがその無味乾燥な乗り味の35が峠に行って真剣に走ると豹変しポルシェが逆立ちしてもかなわないパフォーマンスを見せ付ける事となる。長年スポーツカーだけを売り続け、車を知らない度素人の金持ちの気を引く事のみ考えて物作りするしかなかったポルシェごときには到底マネできない日本人らしい走りに対する真面目でストイックな仕事ぶりが峠に行くと一気に開花する。結論から言えば峠で別格の走りをするランエボ9に近い走りができる。こんなすばらしい走りができる車は世界にランエボ9と35GTRしかないかもしれない。ランエボも超フロントヘビーの奇形なんで車が流れた時の挙動の自然さは35の方が全然上。ただ重量差でトータルの印象どっこいになるって感じ。996ターボも35よりとりあえず200キロ軽いのだが峠に行くと重量がモロに顔を出しまともに走れない。軽自動車の餌食でしょ。技術レベルというか技術の志の高さを比較するともう35GTRとポルシェは比較にならないくらいの差がある。35はすばらしい。ポルシェは論外としか言いようがない走りしかできない。996より遥かに重いはずの 35が峠のタイトなコーナーに関してはほとんど重さを感じさせないのにはとにかく驚いた。あんな無謀な超偏平タイヤを履いているのにもかかわらず四輪が荒れた峠の路面をしっかりと離さない。トラクションもしっかりしており、コーナリング中に気軽にシフトチェンジしても挙動が乱れない。電制もきいているんでしょうね。スペシャルタイヤによるグリップどんだけだよという部分もあるけど、とりあえず重量物をリアに配置するトランスアクスルも効いてるなーって感じ。重量のわりに食いつくフロントも相対的に軽く仕上がってる重量バランスによるものかと。むしろ車全体の重さを感じるのは高速の350Rクラスのコーナーの方だった。峠のタイトコーナーは強力なブレーキ、それによる強力なフロント荷重と強力なタイヤ、それと相対的に軽いノーズがあいまって鋭いコーナー進入を可能にする。その後はコーナリング途中から鋭く加速できる四駆制御によってまったくストレスを感じないコーナリングができる。これはいくら車体が軽くても、トレッドが狭く長くて重い直6を鼻にぶらさげたバランスの悪い第二世代GTRをどうイジっても得られないコーナリング性能だなと。35はパワーでなくシャシのタイトコーナーの処理でタイムを削り出してる。ランエボがアンダーパワーなのに速かったり、かつての500馬力のグループBラリーより現代の300馬力しかないWRカーの方が速かったり、600馬力のグループAGTRよりその後のアンダーパワーなS耐マシンの方がタイム出てるのと同じで絶対パワーでなくタイヤを筆頭とした周辺技術の進歩で細かくタイムを削りとってるってイメージでしょうか。

一方高速の緩やかなコーナーになるとコーナリングを車の前後重量配分を使って分解して行えなくなり、単純に1740キロの車体にタイヤが四つでどう持ちこたえるかって話になってくるんで、元気のいい軽量車をアウトからブチ抜く時ラインが膨らむような車の重さを感じた。ダウンフォースが強力であれば相対的にもう少し高速安定性も増すのではと思うんすが、重量が重過ぎるのかウイングが小さくてダウンフォースがたりないのかタイトコーナーに対して高速コーナーに相対的な物足りなさを感じた。もっともウチのフェラーリ360はダウンフォースが強力であるが為にロールなどでフォースがが抜けると一気にグリップ失い事故になるケースが多かったと聞く。お金持ちが横Gかけずに乗る分にはダウンフォースで安定していい車だったんすが攻めると致命的な欠点があった。同じくフロアでダウンフォースを真剣にやろうとしてた34も姿勢変化を嫌ってサスのセットアップに苦労してた部分もある。とりあえず35には重量に打ち勝って高速で安定する程のダウンフォースは感じられなかった。

高速道路の項でも書いたけど、高速道路で不具合を感じるミッションも峠に行くと威力発揮みたいな。シフトダウン時はトルコンセレクターみたいにタイムラグを感じる事が多かったりするけど、2速3速4速と加給を抜く事なく短いストレートをあっという間に走るぬけたりすると、うーーん35GTRの最大の武器はこの自動ミッションだと思えるくらい峠ではいい仕事をしてくれる。取り扱い説明書を読むと激しい走りをした後は異音がガシャガシャ出るけど故障ではありませんとか、あまり一般に公表されてない注意書きがあちこちに。いろいろ欠点だらけだけどこの峠=サーキット走りで得られる2000回転×6速=1万2千回転のパワーバンドの為だけのものだったんだと思うと、走りに対するバカが付くくらいまじめな車作りの姿勢に軽く感動したりもする。うーーーーーん、日本人って世渡りは下手だけどまじめな国民性だよなー。商売じゃ失敗するかもだけどまじめさじゃー世界のどこにもまけねーぜ!ってな感じ?

【その他】

とりあえずスピードリミッターはカクンと減速する事もなく踏み続ければリミッターマックススピードを維持できるよーなセッティングになっている。にしてもなー、解除しなかったらハイエースとたいして速さかわんねーじゃんってのも事実でして。いや加速はいいんでリミットの範囲内で加速で時間を短縮して先に行くしかない。それやるとね、燃費わりーっすよ。たった1日で2回フル満タンにした。

そうそう、それとタイヤも減るね。ちょと気がひけるくらい減る。うーーーーん。まああんだけの重量でSタイヤだったらこれくらい減るか。うん、下手なSタイヤより食うからそれも当然?ランフラットのせいかタイヤの剛性もありますね。たわみ感じない。それでいて超扁平にありがちな無用なハネがないのは立派。ダンピングも硬くて乗れないっつー話聞くけど、ソフトに切り替えると段差で車のピッチングがおさまらなくて気持ち悪いくらいフニャフニャじゃん、みたいな。これやっぱ乗り手の育った環境?によって感じ方違うのかもですね。逆にシートはこのくらいでいいような。車の挙動はサスで決まるんでサスは固めて乗り心地はシートで確保ってのが好きでして。横Gは体でふんばればいいワケで。強力なブレーキとタイヤと息継ぎのない加速で車の重さをまったく感じさせない演出は見事っすね。重量は関係ないんだっつー開発者の話もなるほど、この事ねと。そうそう、それとリアミッションが燃料タンクを暖めちまうせいなのかタンク形状が悪いのか何なのか、噴いてしまってかなりゆっくりでないとガソリンがまともに入っていかない。んな所にも強かった頃の日本製品とは違って手作り感いっぱいあふれてる感じ。

それとセンス最悪なのがオーディオ。スカGの伝統はタケ槍デッパのドキュソボーソーだと笑われる傾向あるけど、このオーディオの音のセンスに現れてるなーと。典型的なドンシャリで吹き出してしまうくらいチャチで幼稚な音のセンス。まあこれがこの車の「味付け」の「落ち」になってるよーで、お後がよろしーよーでってな感じ?

でっ、どーするの?って事なんすが、うーーーん、とりあえず走りの組み立てが違うんで32GT-Rとはまったく被らない車っすね。まったくの別物。普通に乗るんだったらレクサスISFの方が遥かにいいでしょう。NA大排気量の8速トルコンの方が通常移動だったら絶対に具合いいハズ。でも峠やサーキットに行くとランエボ並に走ると。所有しての喜びって意味ではポルどころかベンツ程度のワクワク感もまったくなく、普通のどちらかというとデキの悪い方の普通のニッサン車並みで、うーーーーん、通常使用ではタクシー専用車くらいの魅力しか感じられない。んで最大の問題は消耗品の高さ。2千万のフェラーリのV8のエンジン修理に300万ならあきらめもつくけど、どーして777万の車のエンジンが350万なの。ミッションが200万なのみたいな。買っても故障するよーな激しい乗り方はするなというか、できねーよってな補修部品の価格設定がダサすぎる。せっかくがんばって走りの性能極めたんだからオーナーのみなさんガンガン乗ってください、部品は安く用意しますからって雰囲気がまったくない。外車を買ってガレージに飾ってるだけみたな情けない層の客が一番安全で商売相手にするにはいいとでも思ってるのだろうか。ここがどーにも納得できない。それと32は35より乗り味がちゃんとしてる上にちょと改造すればポルシェの倍くらいの速さを得る事ができた。感覚的に完全に倍だった。下にあるポルシェぶち抜く動画を見てもらえばわかる。今の35は改造不能でサーキットラップでポルシェとわずかな差があるだけで、わずかな速さの差以外の部分はずべてかなり劣ってたりするんでなかなか買う動機を見つけにくい。っといいながら3千万のポルシェGT2は現実的に買う金出ないんで、バーゲンプライスの777万の35が自分的には身分相応なのはわかってるんで、うーーーーん、これいくしかないのかもだけど。にしてもなー。32を買った時に比べると欲しい!って衝動がほとんど湧き上がらない。欲しくないものに金出してもしょーがないし。でもいつまでも20年前の車に乗っててもしょーがないんで、買うならやっぱGTRあたりなんだろなーと。Vスペの仕上がりと値段見て考えるって感じでしょーか。別に走るだけならランエボでも充分面白いワケで。そこがなー。GTR買って実際何に使ってどー楽しむのかよく見えてこないってのも事実でして。ここがね、長年スポーツカーを売ってきたメーカーと違う所で、これから改造できないGTRをどー市場が受け入れてどー育てていくかって事なんでしょう。改造してポルシェをぶっちぎるってのがニッサンのスポーツカーの文化だったんすがそれを完全に捨ててしまったんでどーにも車を所有してどー楽しむのか方向性が見えてこないってのが現状って所でしょうか。とりあえず厳しい目で暖かく見守っていこうかと。


■ 2008年7月21日■

R35 GT-R デビューレース惨敗!

十勝24時間レース。完走27台中21位。やっちまったなぁー。
ランエボ様には遠く及ばず、シビックにさえもブチ抜かれる!(失笑)

いやっ、この落ち目の国でR35の開発スタッッフ〜は精一杯がんばってますよ。でもね、バブルの頃作られた32みたいな完成度を最初から求めるのは今の日本のメーカーには無理っす。おっと失礼ニッサンはフランスルノーの1ブランドでした。やっぱ半島製の鉄を使うからハブボルト全部折れちゃうんだろなー!!!みたいな。ミツビシふそうにハブの作り方教えてもらうのも手かも!!!みたいな。

いやっ、ニサンを責める気はないです。これが今の日本の工業力って所でしょう。32の時代とはもう違うんです。かといってヒュンダイやポルシェみたいな技術途上国の車買う所まで落ちたくないんで、やぱVスペあたりを買うしかないんだろなー。まあこちらももうじじいだし、とりあえずホンキ走りは32で。普段のゲタに180キロしか出せない35かLFAかなーと。ISFでもいーや。もう今時の重い車に走りに期待するのはやめました。はい。

←あっ、左の写真は大好きなトヨタの2代目セリカの広告使ってちょとパロディー作ってみました。ちょとうけるでしょ?だめ?あそっ。1970年代のネタじゃよくわからない?あそっ。

しかし、デビューレース惨敗でレースできない初めてのGT−R!!!って事であちこちで笑いものになってるみたいだけど、めげずにがんばれニサン!!!!。惨ヲタ(=ニッサンオタク)が見苦しい盲目的なバカ丸出しなレース惨敗の言い訳とかあちこちで展開してるんで逆に反感買って今35って世間的には超バカにされちゃってますけど、ねえ、がんばって作ったんすよねえ。でも、たまたまなんだけど、レースでダメな車である事は確かなんで、ほら7thスカイラインとかトヨタコンプレックスでマークUマネしたハイソカーとしてデビューしたのに、最終的にはグループAマッシーンのGTS−Rまで発展させてレースしちゃったなんて例もあったりするんで、これからの展開期待してます。32は超えられなくてもいいです、無理はいいません、テカもうデビュー戦ボロ負けで実際もう無理だし。せめて7thくらいの感じで尻上がりでいいからレース活動の方をちょと持ち上げてほしいと。いや自分は国産車ファンなんでどーしても惨ヲタみたいにバカ丸出しになって盲目的にニサンばかりを応援したりできないんで、ごめんなさいね!悪気はないんです!それなりに努力は評価してますんで。34の不真面目というか手抜きというか幼稚というかむしろ白雉な車作りよりは遥かに35の車作りの姿勢はすばらしーと思ってますんで。はい。期待してます。めざせ7thスカイライン!!!

■ 2008年1月 ■ FSW
荷物満載の営業用ライトバンでFSW流してたら新車が走ってました。どーがもありまつ。
←動画コーナーへ (左の写真をクリックしても行けます。

そうそう、去年の12月に営業用ライトバンで筑波も走りました。いや所詮バンなんでおせーですけど。そのあたりの動画もついでに。

ライトバン(ランサー)は
タイヤのみ050M(ノーマルホイル)
ブレーキフリュードのみ変更(ノーマルパッド)
アルミ板ブレーキ導風板ガムテで追加
(フロントのみ)

サーキットカウンターで速度リミッターカットのみ
他は完全ノーマル


↑写真をクリックすると別枠で大きくなります

※ いやね、FSW2分しかでねーんじゃしょーがねーだろでいろいろ掲示板に愚痴書いたんすが、えーーー、実は54秒くらい出てそって事で話ひっくりかえっちゃいまして。とりあえずその愚痴の中で使える部分をちょとだけこちらに転載します。

『レースカーってのは相対評価で判断される。絶対評価で50年前のF1マシンが仮に現代のアルトターボ改造車に競争して負けたって50年前のF1マシンの価値が落ちて、そのかわりにアルトターボが世界の自動車博物館に飾られるわけではない。第二世代GTRが他のスポーツカーに対して圧倒的優位にたってたのは32がデビューして最初の4年の間くらい。33、34は絶対的にはわずかに性能向上してたのかもだけど、2リッターにランエボにちぎられた時点で評価はゼロ、相対的な性能はどん底に落ちきっていた。いや34はむしろ絶対評価でも後退していたくらいで・・。とにかく車はその時点、相対評価で比較しないと意味がない。ウチのホムペで再三34はクソ、32はすげえって言ってるのはそこなんすよね。

そーいった観点で今度の35が32超えられるのか。今や普通の37スカイラインクーペでも32GTR並の性能出てるとかいう記事読んだけど、まったく意味のない比較をしてどーするみたいな。それより型落ちかつ小排気量のランエボに後発のスカクーペが負けてる事の方が問題だろみたいな。

32GTRはスパ24時間でポルシェを粉砕した。ベスモバトルなどでもポルシェが束になってかかっても32GTRにはまったく及ばなかった。なんで32と同等に世界実力ナンバー1を目指すのなら当然35GTRも現行同士の比較でツルシのポルシェに負けるちゃうのはまじいでしょ。ポルシェGT3ってツルシで富士48秒だもんなー。いやスリックのタイムだけど、パワーの割りに速い。35GTRもスリック履いただけで54秒からイッキに48秒超えできるのかなー。それより35GTRと同時?デビューのポルGT2はもっと強烈みたいなんでホントに大丈夫なの?みたいな。とりあえずいきなりニュルタイムは負けてるみたいだし。32も完全ツルシで当時のポル964だとカップカーに勝てかどーか微妙ってば微妙だけど、ちょいブーストアップで確実にチギる事ができた。えーーー、なんでどっちにしても35で32超えするなら、うーーーん、やっぱツルシでFSW50秒は切ってもらいたいよなー。Vスペでもいいから。

まあ世界の市場で評価を得ようとするなら、世界の比較的はえー車がみんなテストしてるニュルで比較するのはアリでして、あそこのタイムをガッチリおさえるのが必要条件だってのはわかるんで否定する気はまったくないんすが、えーーーーー、よーーはVスペは国内サーキット、まあ重量重いんで筑波はもうええです。無理せんでも。国内で一番高速サーキットの富士でブーストアップランエボにあおられず安心して走れる50秒切りくらいが希望ですと。

いやニュルは確かに5トンもフロントタイヤに荷重かかってすげーかもだけど実際日本で買って走る分には関係ねーもん。ブランドハンドバック買う感覚で、ニュルの5トンに耐えるタイヤ付きの車だーすげーだろって駐車場に車並べるだけで、実際にはロクに運転できん感じの連中が一番数が多いんで、商売としてのマーケティングはそれで正解だと思うんすが、身近な日本のサーキットでエボにビタあおりされまくるのはやぱ見た目的にもマジーんで、充分にマージンお願いしますと。32がデビューした当時くらいのね。

ってなネタフリで手持ちの1992年頃撮影した古いビデオの登場ですよ↑。32デビュー当時は富士でヨーイドンすっと1コーナーまでカップカーやターボ含むポルシェ勢をイッキに13台抜いてトップに出れちゃうくらい性能差あったのよと、ホムペにある動画をGIFアニメにして貼り付けました。(ポルシェ964時代) いやね、ここまで話ひっぱって何を言いたかったのかっつーと、実は年寄りが昔話をしたかっただけでして、15年くらい前すかね、32でサーキットでボルシェいびりたおしてた時代、本当に楽しかった。青春だったなーみたいな。それが言いたかった。いやね、また新しいGTRで青春よもう一度ってな事でちょと期待してまして、はい、死にかけのじじいのヨレヨレ運転でも若い衆のド速い強烈なシルビアやランエボとかにつつかれないよーに、勿論ポルシェなんかハナクソみたいに点にできるくらいVスペ充分に国内サーキットでド速い感じで仕上げよろしくお願いしますって事で。いやいやいや。ほら、もう最近は富士のスポーツ走行とかでポルシェGT3カップカー見かけてもついてけねーんすよ。いくらポルシェがローテクだっつーても20年もハンデがあると微妙に追いつけない。ポルシェみたいなローテクで見せかけだけの車にどんなカタチでも追いつけないってのはちょとやばいんじゃないかと。なさけないんじゃないかと。元々GTRってポルシェいじめするための車でしょ。もうそれは54B時代からの伝統なんで。いや個人的にはポルシェはGTRにいびられる為に存在してるって認識でいるくらいでして。それが確実にできるよーな感じでVスペの煮詰めよろしくお願いしますと。んな感じで。


■ 2007年9月28日 ■

マスコミの幼稚な事実隠蔽工作発覚!!

2007年、F−1日本グランプリ金曜フリー走行見にいってきました。

バス乗り場降りたら「体感パビリオン」っつー意味不明な展示場に 30年前の1976年「F1 IN JAPAN」で大活躍したコジマF-1が展示されていました。

ところがコジマF-1のサイドポンツーンに貼られているハズの 「近藤レーシングガレージ」 のステッカーが黒いビニールテープで隠されていました。

散々テレビで76年のF-1の話題を取り上げておきながら主役だったコジマF-1の話題が出てこないんで、うーーーん、テレビ的にいろいろ他の事情でもあるんかなーと思ってたんすが、この瞬間、それが完全に勘違いである事がわかりました。

車自体に問題あれば近藤レーシングのステッカーだけ隠して展示なんかしませんよね。

ははーーん、やっぱ原因は例の 「クソガキ」 かあ。こんな卑劣な事してなーーんの得にもならないのにねえ。

← これが本来の姿ね。オーナーさんに確認したら

「そんな汚くかざってあるのならすぐ引き上げるぞ」 と貸し出しした先に連絡したそうです。

あの手つくりステッカーはオーナーご本人相当こだわってるそうでして・・・・

 

■ 2007年9月29日 ■

翌日予選日に再度チェック。オーナーさんからの怒りの連絡受けて、ちゃんと元にもどってました。

いや、警告したのにもかかわらずもしビニテはったままになってたら自分がはがしに行く事になってたんすが、朝一番で会場に行ったらもうキレイにはがされてました。いやね、これの原因になってるヤツ呼び出す勢いで出向いたんすが空振りでした。いやいやいや。

しかしレース屋さんのネットワークすげーです。オーナーさん英国に居たらしーんすが、すぐ連絡とっていろいろ対応早かったよなー。

いやいや自分は見てただけなんすがとりあえず元に戻ってよかったです。はい。

しかしんな卑劣でみっともない事して、どーいう感覚なんでしょーね。ミエミエな事実隠蔽工作モロだもんなー。ヤツらのやってる事ってこんなレベルなんだろなー。ほんとヘドがでる。

30年ぶり30年ぶりってテレビでやってるけど、30年前のF1で主役だった伝説のこの車の事報道しないって姿勢、ほんと報道なんていい加減なもんす。こんな事やってっから若い連中とかのテレビ離れ止まらないんじゃろなー。ビニテで事実隠すレベルの報道やってっからもう若い連中はみんなそれ見破って感じてるんじゃろな。あまりにマスコミの連中のやってる事のレベル低いんで、もう誰もテレビなんか見てない。もおね、マスコミの連中のやってる事、ホント終わってるね。


あなたは本当の 「近藤レーシング・・・」 をご存知ですか?

日本のレース史を語る上で絶対に欠かす事のできない 近藤進治氏(昭和21年生)の 「近藤レーシングガレージ」。(KONDO RACING GARAGE)

サンエスホンダ、伝説のヨシムラでの修行時代を経て1974年に富士スピードウエイのレース村に「近藤レーシングガレージ」を設立。

日本初のF1 プライベートプロジェクト 「マキF1」 「コジマF1」 に深く関わりを持ち、

1976年の 「 第一回F1日本グランプリ 」(富士スピードウエイ) においてあの伝説のコジマF1の 「奇跡の大修理」 を成し遂げる。

当時来日していた F1の神様コーリン・チャップマン(ロータスの創始者)が 「私は日本に来て奇跡を見た」

と賞賛した近藤レーシングガレージの仕事。

その後 ルマンプロトタイプカー 「童夢RL」 (1979年) のルマン参戦もサポート。

TOMS グループ5 カローラを作製してマカオ参戦 (1980年) 富士グラチャンシリーズ、TOMSグループCカー製作、

パジェロバリダカサポート、マツダロータリールマンプロトタイプカー、ミラージュカップ、34GT−Rスーパー耐久シリーズ、などなど・・・・

「近藤レーシングガレージ」 は日本のレース史と共に輝かしい実績を残してきました。

  KONDO RACING GARAGE

  「近藤レーシングガレージ の歴史」 コーナー

                    

  【 コジマF-1 マキF-1 S耐34GT-R マカオ グループ5レビン 童夢RLル・マン などなど】

【重要 】

レース屋さんにカタチのある財産はありません。 命懸けで勝ち得たレースリザルト表に載る 「チームの名前」 が唯一の財産なのです。

狭い業界の中で著名な商号(屋号)を後から入ってきた者が無断で使用するのは商法違反の可能性があります。

明らかにまぎらわしい名前を使うのも同じく商法違反(営業妨害)である可能性があります。


■ 2007年8月25日 ■

この問題について、進展がありました。スポンサーがらみの問題で直ちに修正対応はできない様ですが、最高責任者に事実関係を直接しっかり伝える事ができた模様です。
先方の誠意ある対応を望みつつ、当ホームページとしては今後の展開を最後までチェックしていきます。

1976年 近藤レーシングガレージがサポートした 「コジマ F-1」 について

※ 写真をクリックすると拡大写真が見れます。

1976年 富士スピードウエイで開催された第一回 「F1 in Japan」。
日本で初めて開催されたF1レースである。

プライベート参戦のコジマF1(京都)を富士レース村の近藤レーシングがサポート。

予選一回目で長谷見選手が総合4位 1分13秒88をマーク。予選2回目でスリップにつく車探しで様子見程度の走行で出したタイム。そこで予選2回目を待たずに緊急記者会見が開かれた。スポンサーもついていない東洋の名もない車に乗る名もない選手がいきなり余裕で予選4番手タイムをたたき出した事に驚いた英国BBCなどの外人記者が 「バックにトヨタやニッサンがついているのか?それともホンダか?」と詰め寄ってきた。

ところがその後の走行でKE007は最終コーナーで大クラッシュしてしまう。
フロントサスペンションが壊れたのが原因らしい。

そこからあの伝説の大修理が近藤レーシングで行われた。

金曜のクラッシュから連続40時間不眠不休の修復作業が始まった。京都から図面を取り寄せ必要な資材を揃え、土曜の深夜にようやく本格的にモノコック組み立てが始まった。翌日決勝日曜朝7時にはKE007の復旧作業は完了。フリー走行の1時間半前の事である。

当時レース見学に来ていた近藤氏の知り合いのレースエンジニア達も次々と無償で作業に参加した。長谷見選手は感謝の気持ちでケンタッキーの差し入れをしたと述べている。


近藤氏の話によるとサスペンションの強度を上げる為に図面にあるフロントサス部分の10ミリボルトをすべて12ミリに変更する作業が大変だったらしい。修理というよりもう一台別の車を作った様なものだったらしい。変更箇所があるので図面通りに新車を作るのより困難な作業だった。現在もそのクラッシュして曲がったKE007のモノコッムフレームが近藤レーシングガレージの屋根裏に保管されている。

KE007不在の土曜の2度目の予選でラバーグリップを使って外人勢がタイムをつめ長谷見KE007は予選10番手まで落ちていた。

予選ポールはアンドレッティの1分12秒77。ところが長谷見がクラッシュした周回のヘアピンまでのタイムの方がポールのアンドレッティより速かった。サスペンション破損クラッシュがなければまた別の伝説が生まれていたかもしれない。

 

 


決勝は大雨。同じ年のニュルブルクリンクで大クラッシュ大火傷の後3ヶ月で奇跡の復活をとげたポイントリーダーのニキ・ラウダ。Jハントはラウダの休養中3ポイント差まで追い上げていた。ところが富士決勝当日の大雨でラウダはレース中止を訴える。それでもスタートを決定した主催者に対して抗議の意味で2周走ってラウダは自らリタイヤした。結果1ポイント差でハントがシリーズチャンピオンの座についた。

長谷見は11位でフィニッシュ。
一晩で作り直した車体で決勝レース中のファステストラップを記録!!!

星野一義選手が型落ちのティレル007で予選21番手からソフトタイヤで追い上げ一時総合3位を走る健闘を見せたが27周でリタイヤした。

 


当時来日していたロータスチームのコーリン・チャップマンは後にこう述べている。

「私は日本に行って2つの奇跡を見た。ひとつは名もない車に乗る名もないドライバーが驚異的なタイムを叩き出した事。それともうひとつはクラッシュしたF1マシンを一晩で作り直した男達がいた事」

ロータスの創始者、天才コーリン・チャップマンが奇跡の仕事と賞賛した近藤レーシングガレージの仕事。

野次馬で見学に来ていた技術者を次々を呼び込み、力をあわせて不可能を可能にする。まだ力強く成長していた当時の日本のパワーを象徴するかのような出来事であった。


翌1977年も富士F1は開催された。
日本人ドライバーは3人参加。
近藤レーシングでは高橋国光氏のタイレルをサポート。

結果は

9位   高橋国光 タイレル007
11位  星野一義 小島KE009
リタイヤ 高原敬武 小島KE009    となった。

観客を巻き込む事故がありF1開催は1977年限りとなった。

F-1 が次に 富士 にやってくるまで30年という時間が必要になった。


2007年、30年ぶりに富士で再び開催されるF1。

日本のF1活動の先駆けとして活躍した「近藤レーシングガレージ」の功績を広く知ってもらいたいものだ。

復刻されたKE007

2006年3月にFSWで開催されたタイムマシンフェス。
そこに復刻されたKE007が展示された。

1976年当時はアルミモノコックが採用されていた。

サイドには日章旗を4分の1にカットしたデザインの「近藤レーシングガレージ」のステッカーが。

当時英国でユニオンジャックの4分の1使うデザインが流行っていたらしい。そこから近藤氏が発想したデザイン。
問題となったサスペンション。当時のモノとは微妙に違った作りになっているらしい。

←写真をクリックすると別枠で大きなサイズで見れます。

■ちょーーひさびさに更新!   ■ 2007年7月15日 ■
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最新記事ページが追加されています。そちらから見たいページを選んで下さい。
(サーバー不足で直リンク不能な無料サイトを借りて記事をアップしてる為です)

■2006年GT-R 2号、2基目エンジンレポート PART B 2007年7月15日更新

■2006年GT-R 2号、3基目エンジンレポート PART C 2007年7月15日更新

■ランエボワゴン特集ページ(2006年9月より2007年〜) 2007年7月15日更新

■2006年10月以降のできごと(2006年10月より2007年〜) 2007年7月15日更新

■近藤レーシングに関する掲示板ログ  2007年7月15日更新

■2005年GT-R 2号、2基目エンジンレポート PART A
■続2006年8月6日富士スピードウエイ S耐ランエボワゴンレポート
■2006の出来事 9月更新
■2006〜2007年試乗記エボ9、S2000、BMW130、新型インプ


日本を腐らせたマスコミ関係者に制裁を。                                                    ■ 2007年1月19日 ■

雪印がおまえらに追い込まれたのと同じ様にフジテレビは責任を取って会社を解体しろ。それが物事の筋ってもんだ。散々日本の優良企業の社長を辞任に追い込んでおいて、テメーの事になったら関西テレビに罪なすりつけて生き延びられると思ったら大間違いだぞ。戦後日本を世界最高の国に押し上げた日本の製造業に対して脅迫犯罪としか思えない行為を繰り返してきたマスコミ関係者。今度はおまえらが葬られる番だ。

20年さかのぼって不良部品追求なんかしたらこの世からファンヒーター製造やるメーカーなんかいなくなっちまうぞ。寒い冬おまえら石油ファンヒーターで暖をとった事あるだろ。罪もないミツビシをあそこまで追い込んでくれたおかげで地元のミツビシデーラーはヒュンダイを扱いだした。おまえらマスコミは半島人の手先か???????今度はおまえらが作った番組、20年分さかのぼって真偽を追求して責任をとってもらうしかねーよな。今度は当然おもいきりテレビの番だろ。おまえら全員同じ穴の狢だ。

おまえらのやってる事は車で言えば法定最高速度の100キロを超える101キロ出る車を売ったら犯罪だと言っているのと同じ。紙に書いてある決まり事どーりに物事なんでも処理できると思ってる事自体幼稚過ぎで話にならん。まず法があって、いくつかの解釈する方法があって、それをまた判断して執行する人間がいて、構造的にね、いくつか緩衝材が最初から設定されておって、現場ですり合わせをして初めて機能するものなのに、いきなり紙切れの断片的な文面を勝手にテメーらの力で前面にもってきて、何を勘違いしたか神様にでもなったつもりであらゆる物事の審判を独断で下そうって発想がね、程度の悪い文屋のヤツら何もわかってねえんだよなあ。完全に勘違いしちまってる。とことんやらんといかん

人道に反する事するヤツがでかい顔して生きてられる空気を作ってる我々にも責任がある。もっと怒らないといかん。触らず祟らず無難にやりすごせみたいな事してるからアフォな連中がのさばっておかしな事になっちまうんすよね。いくら蓄積があったってこんなバカな事してたら世界から取り残されちまうぜ。どんどんみんなで発言して当たり前の正しい事が普通に通る世の中の空気を作らないといかん。企業が普通にがんばってモノ作りできる世の中に戻らなきゃ、もう日本もおしまいでっせ。

アメリカがOHVみたいな古い技術でしかエンジン作らなくなって落ちぶれた経緯に似てる。訴訟社会で新技術の開発やめちまって日本に市場荒らされた。先輩の失敗例があんだから、そこもうちょい勉強しろや。アフォにはわからんじゃろけど。


■ 2006年11月27日 ■ ランエボワゴソ納車

また増車しちまった。どー考えてもヤバイ。

しっかし今年の9月12日に注文入れて納車今日でっせ。もうね、待ちくたびれたす。ホントに。

第一印象、車デケエ、ハンドルきれねー。そんだけ。カッコも狭い場所でアップでみるとミニバンみたいでヤバイ。まあそのウチ乗ってれば愛着わいてくるでしょう。スカイラインもキライな車だったのに32買ったらすっかりこんなホムペやるよーになっちまったくらいで、こーみえてもけっこう順応性高いんで。フヒヒヒ。


■ 2006年7月17日 ■ 

去年暮れに1号からおろした26エンジンを2号に移植。ところがいざ走ってみるとブローバイ吹きまくり状態。こんなひどかったかなーみたいな。応急処置でニスモセパレター装着したものの解決できず。富士本コース3周で400tもキャッチタンクにオイルが溜まってしまう。これじゃまったく走れない。そこで追加セパレーターを自作する事に。試行錯誤の結果、真夏の富士をスポーツ走行枠めいっぱい周回してもまったくオイルがまったく減らない状態にまで改善。

その詳細レポートは ここのページの更新情報コーナーより
「2006年GT-R 2号、2基目エンジンレポート PART B」
をご覧ください。


■ 2006年3月26日 ■
富士スピードウエイタイムマシーンフェスティバルの模様です。往年のスポーツカーが本コースを走りまくるイベント。見てる人と同じくらいの数の参加者がいるのが特徴。参加型イベントっすね。
近藤さんが参加車両のメンテをやってまして、ご厚意であぶらさんといっしょに招待券で場内に入れてもらいました。
1976年?の富士F1参加の伝説のコジマF1も展示されてました。予選クラッシュ全損状態の車を近藤さんちで一晩で作り直したっつーアレです。それを見たコーリンチャップマンもかなりビビっておったという話。サイドに近藤さんっちのステッカーもちゃんと貼ってありますねえ。いやいやいや。
にしてもコジマ人気あったなー。一番人が集まってた。いやホントに。いつも人がいっぱいで引きでなかなか写真撮れないくらい。うーーーん、けっこうみんな知ってるんすね。実物見るのは初めてなんすが、うーーーん、思ったよりデカイ。これを一晩で作っちまうとは。うーーーーん。すごすぎる。

画像をクリックすると別枠で拡大して見れます。

詳細はこちらのページの ■新着情報 の 「2006FSWタイムマシーンフェス」をクリックしてください。これ以外にマツダコーナーとトヨタコーナーの記事があります。


■ 2006年2月4日 ■ GTR 1号2号 年表

なんかね、最近身近な何人かから結局GTRのエンジン何がどーなってんの?つー質問されましてね。うーーん、確かにわかりにくいよなーってんで簡単なこれまでの経緯を年表にしてみやした。まあどーでもいい話なんすが。

くわしい経緯についてはこちらのページへ→

1号2号搭載エンジンの経緯を年表にしました。右の画像をクリックすると別枠で拡大して見れます→


■ 2005年6月18日 ■  1号、長い眠りから目を覚ます?

2号の無念を晴らす為に1号出陣?運に見放された2号を見切って1号で勝負?なーんてね。んな無茶して1号壊したらマジにやべーっす。いやねっ、とりあえずニッパチの走りがどんなもんか軽く動かしてみよかみたいな。とりあえず車庫から出すにも出口ふさいでる930ポルシェがこれまたバッテリー上がりで動かない。ハイエース横に並べてブースターケーブル使ってもバッテリ完全に終わってんだかなんだか、ダセードイツ車だからどっかぶっ壊れてるのかわからず動かない。せっかく2号のバッテリー抜いてもってきて1号のエンジンかけたのにこんじゃー出られないじゃん。なんで930を手押しで移動。いやーー930軽いっすねー。ハチロクみたい。1人で押しながらなんとか段差越え可能みたいな。邪魔なゴミポルシェがどいたんで1号自走で動かそうとしたらステアリング切るとものすげー音。やべっパワステフリュード漏れて抜けきってやがるな。すぐエンジンきってフリュード補充。なんかコゲくせー。パワステポンプまさかオシャカにしちゃうとヤベー。大丈夫かなー。音出たの一瞬だからなー。いずれにせよパワステホース交換せにゃ。だりーーー。いろいろオイル類も交換して慣らし運転しにゃーと何年も放置してた車なんでイキナリ無茶したらぶっ壊れちまうかも?そうそう2号にメーター移植でインパネの配線もバラバラになってるし。ちょと動くよーにできるまで時間かかりそう。トホホホホホホ。なんか作業ばっかでちーーともGTRに乗れない状態。そのウチに新型出ちゃうんでない?なんか34と違って今度のGTRは33並にちゃんとニュル走り込んでるからハエーんでない?やべやべ。速いの出てきちゃったらますますんな古い車出番なくなっちゃうんで急がないと。いやいやいやいや。

しかしウチの車庫も動かないポンコツだらけで困ったもんす。いやいやいやいや。かといって捨てるの惜しいし。地震きて津波で流されちゃえばスッキリ?いやいやいやいや。もうヒトッパシリさせんと。いやいやいやいや。

にしてもとにかくいろいろヤボ用で時間とれず。車庫の右側にあった930を手押しで外に出して、んでハンドルきって左側に入れなおし。奥のGTR出して、また930を外に出してハンドルきって車庫の右側の元の位置に入れてで合計20メートルくらい押したんすかね。フルパワーだったす。もう40過ぎなんで今日の仕事はこれでおしまい。いや他にもいろいろ体力使う作業もあったし。いやいやいやいや。にしてもはかどらねーー。マジにやべーっす。富士がリニュアルするまでに走るの目標だったのが新型GTR出るまでに走らせるのが目標になっちまった?んな事してるウチにとっくにドライバー賞味期限切れ?いやいやいやいやいや。やべーっす。急がねば。



■2005年5月■ GT-R 2号 レポート (当HPメイン企画)
GTR2号ちゃんレポート。記事があまりにぐちゃぐちゃし杉だったんでそのまままとめて別のとこに移転しやした。GTR2号購入以来の経緯がイッキに見れます。ウチのメインネタなんで、どんぞ。
まとめてレポートの部屋へ→

近藤レーシングガレージさんHPへ

■2005年■試乗記■

あきぽんエボ3ジムカ仕様、クラウンTOMSスーチャー仕様、新型ロードスター初代と比較試乗、ラリーミーティングで軽くエボワゴン試乗、レクサス訪問、など。 詳細記事記事はこちら→  

■2004年■試乗記■

ポルシェボクスター2.5AT ・ BMW Z4 AT ・ マツダRX−8 ・ トヨタクラウンアスリート ・ トヨタポルテ ・ 新型ハイエース

他いろいろ雑談。

2004年各車試乗記の部屋へ→  

それぞれ写真をクリックすると別窓でデッカクなりやす→



↑クリックすると別枠でちょとデカクなりまつ。

■2004年10月2日■ ちょと豆知識

ケンメリGTRのフロントグリルって70年前後のダッジチャレンジャーのHEMIエンジン載っけてるタイプのグリルのパクリだって知ってます?バニシングポイントっつー映画に出てるヤツね。大昔から似てるよなーって思ってたんすが、最近読んだ雑誌のインタビューでケンメリのデザイナー本人がはっきりダッジチャレンジャーを意識してデザインしたと言ってました。やっぱホントにそーなんだーみたいな。

ついでに34GTRのフロントグリルは何のパクリか知ってやす?34GTRデビュー当時、34のデザイナーの雑誌インタビュー読んだんすがボルボのフロントグリルのデザイン造型が好きだって言ってた。そーいえばボルボワゴンのグリルにそっくり。いやーーー、ボルボ乗ってる層ってなんか独特じゃないっすか。金あるのに車あんまし知らない、かっこだけで内容ナシみたいなタイプ。いや失礼、そーばっかりでもないんでしょーけどね。えっへへへへ。

両方の写真見てくだはい。ほーーら似てるでしょ、っつかパクったって両方のスカイラインのデザイナー本人が言ってるんだから当然っすけど。左はダッジチャレンジャーのフロントグリルをパクったケンメリGT−R。クリソツ。ダッジの方がかっこええなぁ。ケンメリは顔はええけどリアの処理が個人的に好きでないんすよね。あれがたまらんって人が多くて歴代で一番売れたんでしょーけど。

 

んで右はボルボのグリルのデザインが好きですと公言してたデザイナーが作った34GT−R。一言いいっすか?「ボルボかよ!」。せめてスポーツカーパクってくれよ。いやクラウンと同じ重量だからボルボ同様普通の乗用車きゃ。そかそか納得。いやボルボファンがデザインしたってトコは非常にひっかかるけど全体のデザインはワタス個人的には34ってけっこう好きなんすよね。下品なとこがいい。でもなー内容が死んでるからなぁー。結局買う気になれなかった。古い32に乗るしかねえよなあみたいな。うーーん、非常におしい。


■2004年6月19日■

「コジマKE007が28年ぶりにグッドウッドフェスティバルで復活するらしい。」

っと掲示板に がさん の書き込みがありまして。おーーーみたいな。情報どもどもありがとうございます。情報はこちら↓

 ttp://www.btinternet.com/~K_Nvfr400/index.htm

(↑のあらすじ)
1976年10月22〜24日 富士スピードウェイで 「F1選手権インジャパン」 が開催されました。その日本ではじめて開催されるF1グランプリに純国産マシンが参加してました。京都のコジマKE007。長谷見選手のドライブで予選1回目で決勝用タイアでポールの0.5秒落ちのタイムをたたきだす。あわてたヨーロッパトップチームグループがグットイヤーのスペシャルコンパウンドの予選用タイアで抜き返しに。しかし最終的に1回目予選は暫定ポール車と長谷見選手のタイム差はたったの0.12秒で終了。いきなり未知の日本製マシンを操る未知の日本人ドライバーのめざましい活躍ぶりにイギリスBBCなどから急遽記者会見を要請される。バックにトヨタがついてるのか?ニッサンがついてるのか?と外国記者に質問責め。実際大資本とはまったく無関係。その後予選2回目。長谷見選手、最初の一周目のアタックの中間計測で1回目を1秒以上上回る驚異的なハイペースな走りを見せるものの最終コーナーで250キロでタイアバリアにクラッシュ。幸い怪我はなかったので急遽大破したコジマKE007を修理する事に。

ここで登場するのが近藤レーシングガレージさんなんですねーー。京都コジマさんは近藤ガレージさんを富士の拠点にしてたんですよね。近藤さんもその直前までヨーロッパF1をメカニックとして転戦してたんで当時現地のF1を実際に知っている唯一に近い日本人という事で、日本初のF1グランプリ開催に出場する日本初の純国産マシンのメンテナンスガレージを引き受けてました。


大破したコジマKE007を見て近藤さん、新車をもう一回作り直す決意を固める。京都から図面を取り寄せ、観客として富士に来ていた日本全国のレース屋さん仲間をかきあつめ、徹夜40時間でF1をほとんどゼロから作り直し。結局問題を起こしたサスアームのボルト類をすべて10ミリから12ミリにサイズアップして部品を作り直し。たったの40時間で問題を起こした部分の対策をしながらもう一台F1を作ってしまったんですよね。これには来日してたチームロータスの創始者のコーリンチャップマンもびっくり。40時間でF1マシンを作ってしまうなんて奇跡だとコメントしてたらしいです。F1の神様チャップマンをビビらせた近藤ガレージさんでの仕事。うーーーーーん。世界一の自動車生産国に登りつめようとしてた頃の日本っすからね。やっぱ当時の自動車マンってのはみんなすごかったんだよなー。世界に追いつけ追い越せって時代だから、うーーーん、最高の人材が自動車界に集結してたんじゃろな。うーーーん、このお話、脚本家が無理やりな演出しなくてもストーリーそのままだけで充分ぶっちぎりに感動的な番組作れると思うんですけど、どーでしょ?某放送局さん?なんつって。えへへへ。いやいやいやいや。

決勝グリッドになんとか車を間に合わせ、決勝レースで長谷見選手がファステストラップ!!!を記録。実際マシンはかなりギリギリの状態でヤバかったらしいですけど見事に11位完走。現在、前代未聞の強烈な予算組んでおっても万年ビリの某F1日本メーカー、うーーーん、なんか違うよなあーみたいな。にしてもなーー、某タレントが同じ名前使ったチーム作ってルマンとかやってるみたいだけど、うーーーん、まぎらわしいから辞めてほしーよなー。別に近藤さんはなんも言ってないけど、ワタス的に許せない。うーーーん困るよなー実際。F1でチャップマンやBBC、いや世界を驚かせた屋号なのに同じ名前パクってルマンのビリっけつ走ってもらったんじゃーハタ迷惑なんだけどなーー。名前かえてくんない?ちょとモラルなさすぎでない???ほらタマゴッチみたいな愛称あったじゃん。あれが丁度いい感じで似合ってるって。うーーん。

そうそう最後にこの話題が掲示板で出た直後近藤さんっちに遊びいったら、その時の長谷見選手がクラッシュしたコジマF1のモノコックの残骸ウチに残ってるよ、みたいな。写真とってく?みたいな。いやいやいやいや、すごいもの見せてもらいました。邪魔だから捨てようと思ってたけど、みたいな。新しくなるFISCOに寄付しよかとか。レース屋って過去の仕事とかに執着しないそーで常に次のチャレンジにむけて創作欲をかきたててるよーなトコあるらしいです。新しい発想で次に勝てるものを追っかけるのが仕事であまり過去作ったものに拘らないと。なるほどー、そーいう世界かもなーーみたいな。いやいやいやいや。にしてもなんかすごいモノ見せてもらったでつ。はい。いやいやいや。

そだこのHPの締めくくりに 「日本人がドライブし、日本製F1でレースをする‥‥‥それ以降、未だに誰も果たしていない。」 てコメントが。だよなー。日本チームで日本人ドライバーってのは未だにない。最初のレースでこんなトラブルかかえながら世界をビビらせたっつー意味で、うーーん、世界一に登りつめようとしてた日本ってのは確かにすごかったよなー。いい人材がいい仕事してたよなー。今の落ちる一方の日本となんか違うよなーみたいな。はい。


■2004年7月26日■

いやねっ、近藤さんにステッカーもらいまして。いやーー例のコジマF1大修理の時に作ったステッカーらしーです。外国のF1みるとステッカーだらけだからウチも何か貼ろうよって話になってF1作り直し作業した近藤さんもなんかあったら貼ってよって言われてその時あわてて近藤さんが考えたデザインだそーでつ。当時英国のユニオンジャックとか自分ち国の国旗のガラを4分の1使ったデザインみたいなステッカーが流行ってたそーで、それなら日の丸4分の1でいくしかねーでしょーーみたいな。外人とか漢字見ると喜ぶから漢字も入れちゃえーみたいな。うーーーーん、しびれる話っす。長谷見選手の乗ってたコジマF1についてたステッカーのロゴは写真左下のタイプ。最近になってロゴを今風に手直ししたのが上のタイプ。20世紀バージョンと21世紀バージョンみたいな。いやー−−−どっち貼るかなーって迷ってたら両方もらえました。いやーーー、やべえ、これもったいなくて貼れないから会社でスキャンして複製したもの車に貼るべ?みたいな。いやね、GTR2号もそろそろ完成してきまして、なんとなく話の流れてステッカーいる?みたいな。いやーーー、ほんと前から欲しかったんすが、ワタスみてえなのが貼ったら名汚しになっちまうんでねーかって事で恐れ多くて頼めもしなかったんすが、いやーーーどもどもでつ。とりあえず家宝にさせてもらいまつ。いやね、ここのHPのGTRGTRGTRのタイトルに使ってる写真。あれ間瀬のオプション業界レースとかの写真なんすが、あれ古いからGTR2号にこのステッカーつけて写真とって写真更新しなきゃって言ってもらいまして。いやーーー、涙出るっす。いやーーー。いつまでも過去の写真貼ってちゃいかんすよね。GTR2号でガンガン走ってもう一華咲かせて更新できるよーな写真とらねーといかんでつ。えっへっへへへへ。いやいやどーもありがとございました。

しかしこのステッカーガンメタ32GTRのフェンダにあてがうんとメチャメチャエグくてかっちょいいんすよ。右翼っぽい?とか言われる事あるみたいすけど、そこが渋い。そうそう外車なんかこれでみんなやっつけちゃうぞーみたいな。いやーー。やべえ、車やステッカーに対してドライバーがショボ杉だし。やべーーー


って記事HPにアップしたら速攻で前車お願いしてたテクニカル仲間のエロネタ好きのハチロク師匠から裏切り者ーーって今メールがきまして。結局今もエロネタメールやりとりしてるんすが、いやいや伝統の間瀬やテクちゃんの思い出消し去るよーな事はしやせんぜ。ワタスの大事な青春の1ページなんで。えへっへへへ。いやいや、あの頃はまだ20歳代だったからなー。もう40歳過ぎちゃったけど20歳代の頃思い出してもう一がんばりしてみよーかみたいな。んな感じでつ。うっへへへへへへ。しかしエロネタほんと好きだよなー。いやいやいやいや。


■2003年10月19日■ やだやだ、こんなモン買ったら貴重な日本のカネが白人の手に渡っちまうじゃん、まったくナニやってんだか。えーーー、ウチにフェラーリ360モデナの新車がやってきたっす。うーーん、やっぱかっちょいいっす。前乗ってたF355よりかっちょいいかも。もうモデル末期なんすよね。来年には新型出るんでねーかなー。いやいやけっこうウチは実用で距離乗っちゃうんで逆に信頼性が比較的高い360の末期が実際に走りまーるにはいいんでないかっつー判断で購入したみたいす。

↑写真をクリックすると別窓でデッカクなりやす。


■2003年10月17日
【危険!】【危険!】【危険!】
EARL’S (アールズ) のブレーキホース付けてる人!注意しましょう。人殺したり自分が死ぬ可能性があります!
白人の作った部品信じちゃーーいけません。
アールズのブレーキホース使ってる人はすぐチェックするなりハズすなり対策しましょう。
 ←風化してポロポロと崩れ落ちるカシメネジ部品。マジヤベー、マジ死にます。 詳細情報へ



■2003年10月16日■ ハチロクネタですんまへん。1年くらい前に取材された時の画像、また雑誌に使われてたんでちょちょいとアップです。フロムムック AUTOWORKS特別編集「86スーパーチューニング2」より抜粋っす。左上は本の表紙。中央はモロワタスのハチロク。うーーーん、タイトルがステキっす。「いつまでも走り続けていたい。心底、そう感じさせる車がある。」 うーーーーん、泣かせるタイトルっす。んで右上の赤文字 「ハチロクと一緒に楽しくなろう」の左側の黒いN2フェンダの後ろで真ん中に写ってるのが筆者のハチロク。たまたま雑誌に出てたんでアップしただけっす。
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■2003年9月28日■  近藤レーシングガレージさんで補強してもらったGT-R2号のボデイの写真でつ。
←写真をクリックすると別窓でデッカクなります。

いや市販のダッシュ逃げの6点とか入れると運転席狭〜くなっちゃいますよね。足元なんかもどーやってアクセル踏むの?ってな車もあったりする。そのヘンワンオフで車にあわせて作ってくんで車体のピラーに這うよーにしてケージがレイアウトされてたりするんでそうそうボデイとべたべたに溶接されて強度は上がるし室内は狭くならないしってなワケでとってもいい感じ。足元のアクセルなんかケージがない車とまったく違和感ない。サイドバーがあるんでミニスカはいたギャルとかからクレーム出たりするかもだけど、いやいや純正レカロバケット入りのFDより乗り降り楽だったりする。なんせスカイラインは基本骨格が乗用車っすからね。十分ノーマルFDよりは実用的な乗降性っす。そうそうサイドバーも内装と干渉しない高さになってる。乗降性とあわせてこのヘンでいいんでないってギリギリのライン。それでもグループAより強烈な作りっすよ。グループAのサイドバーなんか1本にょろにょろってなってるだけだし。(ずっと下のタイサンGTRの写真参照)。にしても見事な手曲げっす。曲げにくい米軍クロモリ鋼をこんなに自由に曲げちゃうんだもんなー。すげーよなあ。なんか曲げようとするとすぐ破けちゃったりとかでクロモリのこの手の薄いパイプって加工難しいみたいなんすよね。すげえよなあ。そうそう下にあるグループAの補強に比べるとだいぶパイプが細いでしょ?けっこう補強もやりすぎて重くなっちゃうと逆効果のケースもあるってんでそのヘン十分考慮しての結果っす。なんせマチノリには最低重量の設定ないっすからね。はい。こんどーさんっちにはメーカーの実験車両のケージ作りとかけっこう高度な仕上がり要求される仕事いっぱい回ってきてるんすよね。フロントウインドまわりもケージがべったり溶接されてやして、ウインドはずしてスポットもやったんすがこんなウインド周辺に熱はいっちゃってウインドちゃんと元どーりに付くのかなーって思ってたんすがナンの問題もなくついてる。うーーーん。どーなってんだかわからんすけどすげー技術っす。はい。
えーー補強に興味あったら気軽にこんどーさんに声かけてみてくだせい。
すげーー笑顔がすてきなやさしー感じの人なんで気軽に声かけてみてくだせい。
ワタスのが終わったんで今なら車入れるチャンスっす。いやっ次はアキポンの32かなっ。
こんどーさんっちHPはこちら近藤レーシングガレージさんHPへ



■2003年9月10日■ 富士スピードウェイ ラストラン
(ナラシ中で5000回転リミット=200キロ制限のノーマルブーストでしたけど)

車がウマから地上に下りたのが8月22日。とりあえず軽く試乗に行ったのが8月24日。んで車検だー保険だーでとりあえず暫定で動かせて持ち帰れる状態になって納車になったのが9月5日(金)。でもインジェクタの手配が遅れてノーマルの440ccでとりあえず動いてる状態。マップもナラシ前なんで5000回転までしかA/Fチェックしてない状態。最終セッティングする前に暫定のノーマルインジェクタ仕様でナラシを先にやっちゃいましょーって事に。9月7日(日曜)夜までに節約で下道のみで1000キロ走破。一応短いけどナラシしましたって状態に。んで9月8日(月曜)に走行会の情報もらって店にお願いに。確認してもらってOKが出て正式申し込みにまたそのお店に行ったのが走行会前日の9月9日。ギリギリっす。

詳細はこちらのページの下の方にありまつ→動画ページっす。筑波車載、ポルシェぶち抜き画像にゃど。AVIファイルっす。



※えーーーとりあえずシャサイ映像軽くアップしやした。なんせ5000回転リミットノーマルブーストの200キロ制限3速までしか落とせない走行なんでショボイ走りっすけど、とりあえず。動画の部屋へ→動画ページっす。筑波車載、ポルシェぶち抜き画像にゃど。AVIファイルっす。

■ FD IN FISCO!2003 ■
2003年9月にFISCOが閉鎖になっちまうってんで走りおさめっつー事でFDで3連発走りました。(2003年 2月16日 4月某日 6月5日)
FDでサーキット走るの初めての経験でして。んで初回は雨でズリズリ。2回目はドライだけどブレーキが完全ノーマルでぜんぜんダメ。3回目はブレーキダクトでブレーキなんとかなったけどエンジン熱ダレで賞味1周しか走れない。でもだいぶFDっつー車がわかってきた。その3回の走行会レポートっす。動画中心っすけど。とりあえず記事の部屋へ。上の記事もだぶって入ってやすけど。とりあえず三連戦まとめて別ページにしました。
詳細ページへ→  

←左の写真は2003年6月5日の走行会より。最新Sタイア装着600馬力34GT−Rをブチぬいて3位入賞。FDってノーマルラジアル、完全ノーマル状態でもけっこう走れるもんなんだなー。FDってけっこうエライんだなー。写真をクリックすると別枠で大きくなるでつ。


■2002年8月26日■ ■2002年12月19日■Z33フェアレディ試乗。2回ともデーラー試乗車っす。
Z33の試乗車に2ヵ所のデーラーで2回乗りました。最初はデーラーのきれいなおねーさんと。ちょっとアクセルターン。2回目は単独でいきつけの峠アタック。峠でタイムアタックしたら手持ちのFDよりはえーでやんの。車ってのは条件でいろいろになりますからねー。面白いもんす。
はい。詳細レポートは→。
2回とも車載ビデオまわしやしたんでビデオ動画は→  


■2002年12月1日■

ニスモフェス IN FISCO 2002

毎年恒例の ニスモフェスIN FISCO に行ってきやした。朝から雨なんで注目のチューナーズバトルは中止。前日の予選のタイム表入手したんでアップしやす。ブッチギリトップのオーテックツカダさんバイクシケイン使って38秒でっせ。すごすぎる!ヘナチョコパワーのGT選手権の車よりはえーんでない?すげえー。イギリスの「CAR」っつー雑誌の記者がツカダさんの所に取材にきてたんでちょっとだけ通訳しました。

詳細は→

■2002年11月21日■

素人草レース界の最高峰!
TRD土屋圭一N2ハチロクをやっつけろ!? BMビデオハチロクN2決戦!


見学にいってきました。ベストモータリングビデオのハチロクスペシャルの恒例の企画。トヨタワークスTRDがホンキで作ったN2仕様ハチロクをあやつる土屋圭一をBM読者?のみんなでやっつけよー?ってな企画です。いやっ、ハチロクをこよなく愛する土屋選手が実力のある素人ハチロク乗りにチャンスを与えてくれる企画って言った方がいいすかね。いやーーにしてもハチロク界はレベルがたきゃあ。まったくの素人が自作した車が筑波0秒台とかバンバンだしちゃってる。GT-Rと変わんねーじゃん。GT-R乗りの我々もハチロク見て反省せにゃいかんです。金ばっかかけて、無駄なクソパワームチャして絞り出してエンジン何基もぶっこわして。クソパワーで止まりきれねーからって目んタマどびでちまいそーなバカたけーーバカげたサイズのブレーキ入れて。素人最速のハチロク乗りの車見たら純正ブレーキでっせ。20年前のカローラ標準サイズの13インチホイルに楽勝ではいるちっさいブレーキ。軽自動車用でない?ってくらい小さい。それで筑波0秒台でっせ。ハチロク乗りはやっぱエライ。かしこい!
   詳細レポートへ→     ハチロクページもありやす→ 『 AE86 AE86 AE86 』 
お約束のギャル写真。ハチロクレースのスタート直前の画像っす。ハチロクの事すっかり忘れて撮影してしまいましたとさ。たまんねーっす。

↑画面をクリックすると別枠で拡大写真になりまつ

■2002年11月 ■

オートワークス2002年12月号に載りやした


すんまへん、いい年ぶっこいて雑誌の記事載っかりました。いやっGT−Rでなくてハチロクですけど。えへへ。いえ、わきゃー頃は雑誌によく出てたんすが最近ではヒサビサっす。『オレ達が一番輝くステージそれが峠だ!!』 おーーっ、すてきなタイトルありがとございまつ。なんか20才は若返った気分す。つか今となっては走り系の車に乗るのっておじさんばっかなんすよね。撮影に集まったみなさんけっこう30代。いえ勿論筆者がブッチのジジイでしたけど。赤いワクでかこんだ所が筆者のハチロクの紹介でつ。前日ギリギリで自分で装着したアールズオイルクーラーも写ってますねえ。配管きたなくてごめんちゃい。なんせ粗雑な性格なんで。しかし峠ナン往復したんじゃろ。ヘトヘトになったす。まったく走った事にゃーコースでハーフウエットでツルツル溝なしSタイアだったんでビビりながらの撮影でした。はい。 

詳細レポートへ→                                                                   右の写真をクリックすると別枠でアップで見れます→

■2002年7月7日■ FISCOパワーツアーっつーのに行ってきたです。走るオートサロンってサブタイトルのヤツっす。注目はチューニュング業界レース。優勝は脅威の32秒台のオーテックツカダさんの32GTR!!!おめでとございまーーっす。2位はRE雨宮のFD3S!RX−7の日だし、セブンもなかなか速いっす。んで3位はJUNのエボ5。予選は2位だったんすけどね。健闘してたのがヤシオさんのS15。34GTRとデットヒートでした。S15ってはえーんだなーーー。しかし32GT−RとFD3S RX−7のワンツーフィニッシュっつー事で、両車のオーナーなんで非常に満足。また詳細レポート追加まつ。とりあえず第一報って事で。(写真は決勝グリッドっす。)
詳細コーナーへキャンギャル写真もあるす

■2002年5月30日■ 最終1500台限定RX−7スピリットRタイプAが納車になったでゲス。

動きかりーっす。やっぱ車はこーでなきゃ。こりゃイケルっす。だって重い車って運転 してて全く面白くないんだもん。 なんせFDは低くて軽い。身のこなしがええ。軽さ同様車っつのは重心の低さも重要っす。やっぱスポーツカーはえっーす。丁度バッティングするなーって思ってたZ33(NEWフェアレディ)も見事に1430〜1450キロで重量オーバー。FDは1270キロだもんねー。ってかZ33はいずれにしても1年後にハイパワーバージョンが出るから今買うのはおいしくない。なんつったって日本人だったらルマンで唯一国産で優勝してるロータリーターボに乗っおかないワケにはいかんでしょーってな事で購入ふみきり。次期RX7はNAだっちゅーーし。いずれ次期モデルもターボ化されるかもだけど待ってらんない。ジジイになっちゃう。この体制でしばらくよーす見っす。次期GTRがどーなるのか。スープラがどーなるのか。NSXはハイブリッドだっちゅーし。エボ8もすごいらしい。うーーん、ナニがどーなるのか。わからんけど、とりあえず日本人なら一度はロータリーに乗っとかにゃーいかんでしょって事で。ワールドカップもすげえけどルマン優勝した時は感動したもんなー、えへへ。にしても在庫過剰っす。いずれナニか処分せねば身がもたねーっす。しかしベタベタ車高の32と高さかーらんにゃ。FDはもっと落とせるから落とすかに? えへへ。
RX−7のページ作りやしたんでよかったらどうじょ→


■1992-2002年6月■ FDとの出会い  オプションビデオ1992年6月号に筆者が初めてFD3Sに乗った時の車載画像がチョコっと出てまつ。当時人気下降中の素人投稿ビデオコーナーに新車でデビューしたばかりのFDの車載ビデオを送ったら採用されました。なんせまだFDもデビューしたてでまったく雑誌のインプレも出揃ってない時期だったんで、めずらしかったんでしょうねえ。自前のブーストアップ400馬力GTRとデーラーで借りた走行距離300キロの新車のFDをいきつけのコースで比較。2台のテレビをならべてFDと32GTRの車載ビデオで走りや区間タイムの違いについていろいろ比較しやした。ストレート区間はブーストアップGTRが圧倒。テクニカルな区間は完全ノーマルのFDが速かった。とにかく軽快な身のこなしが印象的だったす。慣れた自分のチューンド32GTRよりも初めて乗っていきなりアタックかけたノーマルFDの方がタイトな部分では速かったのは驚きだったす。なんせ試乗車でデーラーマンに指定された試乗コースからはずれて自前のテストコースにいったんで時間がなく下見もなしで撮影も一発勝負だったんすよね。うーーん、10年たった今よーやくマイカーに。


■2002年2月3日■さよなら、RB26 GT−R (34ニュル特集)
大反響!大好評?の34ニュル特集!!この記事をトップにアップした当時アクセスうなぎのぼりでげした。
さすが腐ってもGTRネタは強いと実感。
内容は34ニュルの性能を暴き、最後の最後までミエミエの34商品展開に渇!!!!みたいな感じで。
次期GT−Rでの汚名挽回を期待してエールっつーー事で。
詳細へ→

■ 2002年1月 ■  もう1台の32GTRが納車になったでゲス。

前々から欲しかったBNR32タービン&エンジンブロ−車っす。新車時から乗っている現在所有の32GTRニスモはせっかく今まで無事故で小さなエクボ一つなく、実はボデイには小さなネジ穴ひとつ開けてない新車同様?の状態なんで、(ボンネットは別に中古で買ったモノに穴あけた)このニスモは保存モードにし、今回新規仕入れの32をフル軽量して草レース車輌に仕上げていくつもりっす。 手持ちのニスモに最近搭載したレイニック2.8+ルマンタービンエンジンを追加購入のボデイに移植するかどうかは未定っす。余裕があったらもう一基2.8作ってコレに載せたいっすけど。どーすべ。これで32台でRB26のスペア2基あるんで、手元にRB26が4基ある事になる。その上もういっちょ2.8新たに作ったら、ちょっと在庫過剰だにゃーー。GTR専門ショップじゃねーっつの。どっちにしても何をどうするのか決まったらまた報告いたしやす。10年前に改造したきりの従来から所有の32(フル装備ノーマルボデイ)+ノーマル2.6ニスモタービンブーストアップ仕様で、これまた3年前に出した 筑波1分3秒2という 今となっては平凡な記録を大幅に塗り変える為の計画っす。どーせ走るならねえ、ちょっとはいいタイムださにゃーと、

って考えっすが年寄りに冷や水っすかね。っつかけっこうこれからかかるかもなんで、はい、ボチボチかないと金続かねーっす。ハチロクも同時進行で開発を進めて?はいます。304−296カムの4スロインジェクション仕様でして、今かなり、テコズッテおりますが、ゆっくりとですがモデファイ進めちょります。GTRにはないNAエンジンチューンのむずかしさがありまして、この辺もまたリポートしてきたいと思ってまつ。ハチロクページの方でねっ。

■ 2001年12月2日■  NISMO FESTIVAL at FISCO 2001  ニスモフェスティバル 富士スピードウェイ 2001 に行ってきやした。注目のショップ対抗レースのレポートなど。最近はニスモより街のショップさんの方が速かったりするんすよね。ニッサンも落ちたもんす。しかし最近の車ははええ。優勝のオーテックツカダさんは1分30秒台前半に相当するタイム。すげえ。すごすぎる。詳細は左のリンクで・・・。

■ 2001年 東京モーターショーにて急遽  NEW GTーR プロト 発表! NISSAN GT−R?■ 2001年10月24日 ■
まじめにフルチェンジしたV35の世間での不評を受けて、スカイラインブランドのイメージアップ作戦なんでしょうか急遽、ニッサンは東京モーターショーにて NEW  GTーR プロトを発表。もう東京モーターショー特集の雑誌が出きった所で滑り込みの発表。意識的にやったのかマジに滑り込みなのか不明。目立つには目立つやり方。ガイジンのゴーンだからできるオキテ破りの発表タイミング。うーーん、どーなるんじゃろ・・・

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必見

■2001年10月■  トレッド はく離問題を繰り返す ブリヂストン

たった2度のサーキット走行でトレッド剥離をおこしたポテンザ゙540S。 ファイアストン問題同様、過負荷による現象との事。BS技術者に直接会って話を聞いた所、GTRに対しては540Sは強度不足で使うのはお勧めできないと。だったらGTRには使えないと断って売ってくれ。あくまでJAF戦(ジムカーナ)ユーザーの2リッタークラスにあわせた
設計なんだそうな。にしても身の回りでもファイアストン問題が起きた頃の製品、ポテンザ711、540などあまりにトレッド剥離したという話が多すぎる。例があったらあげてみろと、ふざけた態度のその技術者。一切事実を認めようとしないのはファイアストン問題に対するBSの姿勢の一貫か?雪印と同じ道を歩む事になるのだろうか・・・・。
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■2001年6月26日■

100万件アクセス、ありがとうございます。


1997年8月7日、本HP創設以来、約3年11ヶ月。 たくさんのアクセスありがとうございます。
趣味の立場でいろいろ自動車の話題を取り上げてきましたが、これからも一趣味人として利害にとらわねない
率直な意見・情報の掲載を心がけていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

当HPの立ち上げにあたり沼津テクニカルレーシングの故杉澤さんの協力をいただきました。改めて感謝を述べると共に杉澤さんの
思い出を僕なりに書いてみました→

■ 1999年12月29日 ■ 理想のエンジンが作りたい
既成概念にとらわれてはいけない。エンジンは生き物である。空気を吸いたいように自然に吸わせ、自然に吐き出させる。人間の骨の関節の様に究極のクリアランスで精度よく各部品を動かしてあげる。究極は360度カム。ジェットエンジン並みの吸排気効率。エンジンにNAもターボもない。自然界に存在するものの目指すところはみな同じである。宇宙的な発想でエンジンを作り内燃機関の究極を求めたい。1999年12月29日 テクニカルレーシング  杉澤 富士雄

■2000年12月■ 今お世話になってる近藤レーシングさんについて

最初の出会いは、おともだちの気合いの入った草レーサーの100ちゃんが (問答無用之介ってネーミングでサーキットあらしまくってる、今何処走っても最速の人です。近藤さんに入れて速くなった。) 近藤さんに車を入れるって聞いて、 おーーーーー、あの有名な近藤さんに行くなら僕もいくいく、神様みたいな人を肉眼で見れるだけでもうれしーーみたいな気持ちで100ちゃんに便乗して伺ったのが最初でした。1999年でしたか。んでその直後、タメ込んでたインターネットメールを見たら、近藤レーシングのHPを開設したばかりの近藤さんからリンク依頼のメールが僕のHPに来てた事に後から気付き、あらーーー、2度びっくり。今までレース専門の一流チームって事でマチノリをやってもらえるなんて考えられない事だったんですが、一般向けの仕事も始めるという事で100ちゃんがとびついたんですよね。それと同時に一般向けにHPも開かれたよーで、そのリンク依頼もタマタマ僕のHPにもきてた。なんか偶然にいろいろ重なったです。

テクニカルの杉澤さんも近藤さんと話しをしたと言ったら、すごく驚いてました。下界の人とオハナシしてくれるよーな身分の人でない。レース界の神様みたいな人だと・・・。んなすごい人と話をしてきたんだーーみたいな・・。

んな勝手にいろいろ書くとマズイかなーーーっといいつつ。その時、杉澤さんに聞いたんですけど、日本のレース界にまだちゃんとしたフォーミュラカーがなかった時代。日本にも欧米並のフォーミュラカーの技術を取り入れようという事で、当時若手だった3人の優秀な人材をヨーロッパのF1界に送り込もうという事になった。日本レース界が国をあげて送り込んだ優秀な若者3人。現セルモ代表の伊達さん、ケン松浦レーシングの松浦さん。そして近藤さん。伊達さんと近藤さんは習得が早くて現地でもF1のメカニックとして活躍され早々に日本に技術を伝えに帰国。松浦さんはゆっくりと勉強されたよーでしばらくむこうにいるウチにコスワースの販売権を持って日本に帰国。あってるのかな。この話。まずいかなーー。杉澤さんに聞いた話なんで・・・。近藤さんはヨーロッパでF1、日本に戻ってF2、N1、など国内レースの頂点のレースでずっと活躍されました。そうそう、S800のレースでポップヨシムラさんの元でS800のレースでワークスホンダと戦ってた時期もあったそうです。とにかく、これだけではないんでしょうけど、すごい経歴ってか実績の持ち主なんですよね。まさか、日本のレース史に残るよーな人とお話できるなんて、まるで夢みたいでした。

こんな事書いていいのかなーー。いやーーやっぱり超一流の人ってのはすごいです。はい。すごく気さくにお話してもらえて・・。何がすごいって、あれだけの経歴と実績をお持ちなのに、何に対しても先入観や固定概念を一切もたずに、何でもよくモノを観察して・・・。何でもチャレンジして・・・。何かを決める時の決断ってんでしょうか、これ重要なんすよね。経験と考察力、判断力、発想力。その辺のバランス。やっぱ実戦で結果をだされてる人はぜんぜん違うです。はい。

いや僕なんかが文字で批評できるよーな方ではないです。はい。やっぱあれだけの事をやってきた人ってのは、やっぱす根本的に格ってか作りが違うです。いいのかなーーこんな事書いて・・

GTRにお乗りでホントにサーキットなどで気合いいれて走られてる方。ムカシだったら考えられなかったですけど、今は素人の車でもエンジンOHなど気軽にやってもらえます。是非近藤さんに相談してみてください。やみくもに無意味な部品を売り付けて・・なんて事なしに内容のある仕事をキチっとしてくれます。使える部品は無駄なく使って実質的に速いエンジンを作ってくれます。ホントに違いのわかる人なら、価値がわかる。エンジンってのは機械もんですから。機械の心がわかってる人にお願いしないといかんです。マジです。はい。なにより近藤さんはスカイラインが大好きなんですよね。
近藤レーシング
ガレージ
さん
HPへ

■ 2000年9月26日 ■
本日2000年9月26日発売の
『 REVSPEED  11月号 』  にいろいろ載りました。
買って見てくだはい。
マッドハウスさんのFISCOフェスの模様です。
それと P198 のチ−ム紹介コーナーにもここのHPの紹介が載ってまつ。
オヤジステッカーも2種類載せてもらいました。ありがとーーございました。
REVSPEED今月号(2000年11月号)より
(P198より抜粋)


■1999年12月26日■   筑波タイムアタック大会 (バトルエボミ)
落ち目のGT-R君にカツを入れるため、老体(車&ドライバ)に鞭打って久々に筑波タイムアタック大会に行ってきました。
今ノリにノってるランエボの雑誌がらみの大きなタイムアタック大会に潜入。やっぱす現役で速い車の集まりは活気が違う。 ランエボ使いの 中谷明彦選手 や ターザン山田選手 もタイムアタックに参加。落ち目のGT-Rでどこまで食い込めるのか・・ 名実ともに国産最速最強のランサーエボリューションのビッグイベントで果たして過去の車になりつつあるGT−Rでどこまで戦えるのか・・・
いや・・って言うか、実は久々にちょっとGT−Rでサーキットを走る用事があったんで前からこの走行会にエボに乗ってるお友達から誘われてたのもあったりして、ついでにチョコっとノリで、気まぐれで参加してみただけなすが・・ フタをあけてみると他にGT−Rの人が全く いなかったんでとっても肩身が狭かったです・・・小心者なんで・・・
結果は 105台中 6位の 1分3秒750
9万キロ使用エンジンに11万キロ使用タービンで白煙吹きまくりの末期状態にゃんで、コースイン2周目でオレンジボール。ハイキャスランプもあいかわらずツキっぱなしでコーナー出口で意味不明の挙動。同時30台コースインでクリアラップはゼロ。なんとか応急処置?をして最後の14分再アタックをしたもののこのタイムが限界。どー評価していいのか・・・ また次がんばりやす・・
その前にエンジンOH?・・金ないじょ・・ オイル吹きまくりでベトベト濡れ濡れになったGT−Rのテール。→
やべえーーーオイルも食いまくり・・はたして家に帰れるのか
タイムランキング表へ 当日のくわすい様子& 準備など・・詳細へ

■2000年1月22日■  (↑) 前回あんましクリアとれなかったんで、その後もういっちょ筑波にいったんすけど、やっぱす  1分3秒224  しかでませんでした。
             エンジンさらに オイル食いまくりで、ちゃんとエンジンなおさないとヤバいっす・・とほほ。
「サーキットクラブ」タイムランキング表へ 2000年1月22日の筑波のタイム表っす。

■ 1999年12月10日 ■  スカイライン専門誌『 Club SKYLINE』  新創刊
REV SPEED誌で有名なニューズ出版さんから羨望のスカイライン専門誌 『クラブ スカイライン』 が新創刊。
『1999No1 発進号』 好評発売中!! (年4刊発行予定)おめでとうございます。自分が知ってる大好きなショップもたくさんでちょりやす。
自分の穴あきボンネットの写真もおっきく載せていただきました。ありがとうございました。

■ 1999年12月10日 ■  自作穴あきボンネット製作記へ

        

夜中にヘンなテンションで作業してたんで、昼間外に持ち出して冷静に見てみると、けっこうはずかすい・・・・でもけっこう冷える・・

■ 1999年8月11日発売 『 OPTION2 』 9月号 ■ 先日筑波で開催されたオーテックツカダさん主催GT-R 100台バトル(賞金100万円)の模様が本日発売 『OPTION2』 9月号に掲載されました。 ショップ対抗エキシビションレースには近藤マッチもやって来たんですよね。 マインズさん、MCRさん、JUNさん、ヤシオさん。もちろんオーテックさん。サーキットを走り込んでる有名ショップもデモカーでバトル。(7月1日) とりあえず自分の車の写真(左)があったんで、とりあえず・・・左下は穴あきボンネットの写真ね。
んで同じ週の7月4日、間瀬サーキットで開催かれたDefiカップの模様の記事写真も同じ本に載ってやした。賞金がいいんで筑波で速いとウワサの人が勢揃い・・みんなはえーっす〜・・ たいしたもんす・・わたちの車は途中で 2WDになってくれたり、ひやひやもんの紙一重・・ ボロボロの状態で59台中予選12位決勝14位、御粗末様ですた。

予選タイム結果表へ その他今回参加するまでの準備、修理日記などなど・・・・なにせGT−Rでのサーキット走行は1年以上ぶり・・ 筑波をまともに走るのは3〜4年ぶり、 んで車はこの状態、やべえ〜

■ 34GT−R、峠ホームコース、全開試乗記 ■
■ 1999年5月 ■
34GT−R、峠ホームコースでたっぷり全開試乗してきました。
峠で2時間も走り込みました・・・、 結論から申しましょう・・
×
GT−Rの時代は完全に終わりました。 ランエボの速さと比較するのはランエボに失礼です。
34GTR全開試乗
レポート他詳細へ

失望した34GTRの走り。4速まで入る峠でドリドリ全開試乗・・。動きが重いにゃあ〜もうGTRはダメか?高速サーキットと言われるFISCOだって4個所も2速に落とす場所がある。ボデイの重さは致命的。 スポーツ走行する車って感じじゃないにゃ・・他、34のウワサ話などなど

34GT−Rのライバルはクラウン? まず重量差ね・・・ライバルのハズ?のマークU兄弟はもっと軽いじょ・・
スカイライン34GT−R  Vスペック         1560kg
クラウンセダン スーパーサルーンエクストラ4WD  1570kg

■1999年1月 ■ 34GTRちょっとだけ街乗りインプレ
34GTR初試乗の模様。街でチョロチョロっと走った印象はすごくよかったんですけどね・・この1ヶ月後2度目の
試乗で峠で全開したら幻滅した・・まだ、チョイ乗りで浮かれてた時の文章っす・・・
34GTR試乗記 詳細へ デーラーでVスペックに試乗。
そんときの感想文。

■1999年1月30日■  ■ 34GT−R vs ランエボ6  決戦の日 ■
1月30日筑波サーキットにて、待ちに待った34GTRとランエボ6の直接対決が行なわれた。(ビデオは2月24日発売予定)
 ランエボ6 RS=1分5秒3   34GT−RVスペック=1分5秒4
■ ド迫力!!バトル中継レポート ■
バトルの後、ランエボ6、N1&WRCカーもデモランしました。

■各種タービンデーター表■ タービン選びでお悩みの貴兄に・・ニッサン各種タービン&GTタービンのデータ比較表を 作りやした・・
参考にしてくだせぇ〜なやんでくだせぇ〜

■ウレタン補強のデメリット■ レース屋さんの貴重な証言を追加 (8月25日)毒にも薬にもなるウレタン補強。後からハズせる部品
とは違うんで、この辺、確認して下さい.
■1999年 8月25日■


■クレームとモラルについて■
  製品は消費者の鏡である。
消費者が製品を育てる事が大切。ヤミクモなクレームは結局消費者の消費生活を
つまらない物にしてしまう・・というお話。
■1999年 7月27日■

■1999年版■ 筑波3秒台を金をかけずに
           出す方法
ボロもうけ主義のショップのデモカーなんかにだまされねーーぞー見てくれなんかかまわないから人並みにクルマ
をはやくしてーー って人は見てくらはい・・・・ひとつの考え方なんで別の 方法でタイムを出したい人は勝手にどんぞ。
(つか最近はタイアの性能上がったんでこんなに力まなくても、3秒くらい簡単に出るよーになっちゃいましたよね。
あくまで99年当時の水準でのお話って事で読んでくだはい。)

■ 1998年 ■  GT−Rマガジン98年019号に、ここのHPの紹介記事が載りましたありがとうございましたあ〜。

■1999年4月■ 当HPオリジナルデザインステッカー 左は「おっさんGT−Rチーム」 ステッカー。当HP筆者がドローイングソフト
「コーレルドロウ」 で1999年春に作ったオリジナルっす。その後アチコチで見かけやしたが・・・。と言っても誰で
もスグ思い付く発想っすけどね。そもそもオトモダチと作ったトヨタAE86のチームの為の 「おやじハチロクチーム」
ステッカーを筆者がオリジナルで作ったのがキッカケでして、その勢いでついでにニッサン車用のも作ったって感じっす。えー
ーー右がトヨタのオヤジハチロクステッカーでして、こっちの方が気合い入ってたかも。アップしてあるモノはあえて未完成品
でして・・・。実際にステッカーにしたモノはもうちょい細かい箇所の完成度煮詰めてキレイに仕上がってまつ。他に
テンロクステッカーなど、いろいろ作りました。


■2000年10月1日■
←すんまへん、また自分のバイクの写真撮ったんで載せたくなっただけっす。
■2000年9月17日■
カワサキ ZX-12R Ninja (排気量1200cc 181馬力!)注文しちゃいました。
欲しくなるよーな4輪がなかなか現われないんで思わずいってしまったす。
ヨーロッパ300km/h速度規制とフルパワー逆輸入国産バイクに 排ガス規制
がかけられるって事で、時速300キロオーバーの怪物バイクは今年が
買い納め。 なにしろゼロヨン9秒台、0−200Km/h加速が7.2秒!!
この性能がノーマルで普通に使えるってのがすごい!
また納車になったらいろいろアップしまつ。
とりあえずHP立ち上げやした。


■ LFA LFA LFA のページ゙へ、ようこそ!! ■

13年もGT-Rのホムペやってきたんすが、35もいろいろ問題あり過ぎで買う気になれず、GT-Rも完全にネタ切れ。本来自分はトヨタファンだったんでGT-Rに見切りをつけてLFAのページ立ち上げてみよかと。一応レクサスに予約注文入れたんですが抽選漏れしてしまいました。なんで別に買えるワケじゃないんすが、売れ残りとか回ってこないかなーって事でとりあえずホムペだけでも作ってみよかと。んな感じで。

当ホームページは ■2010年4月1日■ より制作開始。
ちなみに、ここはリンクフリーです。 御自由にリンク、よろしくお願いします。

「うへーーっ、ウチの回線じゃこんな重いペ−ジ開ききれないっす。」 っと言う方の為に・・ 。フレームページを用意してみました。
いえっ、重さは変わらないっすけど、下までたどり着かなくてもメニューに飛べまつ。