財務省=オーウェル『1984年』の真理省
公文書改ざんー麻生・安倍の犯罪
(宮地作成)
〔目次〕
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財務省文書改ざん問題は、麻生・安倍の犯罪である。有権者は、政党支持率推移の激落データで犯罪判定を下した。麻生・安倍をやめさせるまで激落を続けられるかどうかに、日本の民主主義レベルが問われている。
この経過は、オーウェル『1984年』の真理省が21世紀の東方の島国において再現されたのと同質犯罪といえる。『1984年』の真理省の箇所だけをコピーする。
財務省文書改ざんは、麻生・安倍の犯罪である。その経緯は、オーウェル『1984年』の真理省の手口と類似している。『1984年』から、真理省の手口を一部だけコピーする。
『オーウェルにおける革命権力と共産党』(追加リンク)トランプと「オーウェル1984」
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実験記録 No.02 : 【日本語訳】一九八四年(Nineteen
Eighty-Four)3部まで全文
1章 真理省……ニュースピーク[ニュースピークはオセアニアの公用語。その構造の説明と語源については付録を参照]で言うミニトゥルー……は風景の中の他の物とは驚くほど異なっていた。それはきらきらと光り輝く白いコンクリートでできた巨大なピラミッド型の構造物で、テラスの上にテラスが重なり、空に向かって三百メートルもの高さに達していた。ウィンストンの立っている位置からはその白い表面に優美な文字で書かれた党の三つのスローガンを読み取ることができた。
戦争は平和
自由は隷属
無知は強さ
真理省には地上部分に三千もの部屋が存在し、下に向かって分岐していっていると言われていた。ロンドンには他にも同じ外観と大きさの建物が三つ散在している。周りの建物と比べるとあまりに巨大なため、ヴィクトリー・マンションの屋上に登ればその四つを同時に見ることができた。それは政府の全機構を分割した四つの省庁の本部だった。真理省は報道、娯楽、教育、そして芸術を担当している。平和省は戦争を担当し、愛情省は法と秩序を管理し、豊富省は経済問題に責任を負う。ニュースピークでのそれぞれの名前はミニトゥルー、ミニパックス、ミニラブ、ミニプレンティーだった。
4章 つぶやきさえためらわせるテレスクリーンの近くであるにも関わらず日中の仕事が始まる時に彼は無意識に深いため息をついた。ウィンストンは自分に向かっている口述筆記機を引っ張るとマイクについた埃を吹いて飛ばし、眼鏡をかけた。それから自分のデスクの右側にあるエアシューターから吐き出されていた四枚の小さな巻かれた紙を広げてクリップで留めたのだった。
キュービクルの壁には三つの開口部があった。口述筆記機の右側にあるものは書き終えたメッセージ用の小さなエアシューターで、左側にある大きな方は新聞のためのものだった。そして側面の壁にはウィンストンの手がすぐ届く位置に金網でふたをされた大きな長方形のスリットがある。この最後のものは使用済みの紙を捨てるためのものだった。同じようなスリットは建物中に何千も何万もあった。全ての部屋にあるだけではなく全ての廊下に狭い間隔で設置されているのだ。ある理由から皆はそれを記憶の穴と呼んでいた。文書が破棄すべきものであることがわかったり、使い終わった紙くずが落ちているのを見つけた場合にはすぐさまもっとも近い記憶の穴のふたが開けられてそこに投げ込まれる。するとどこか建物の奥深くに隠された巨大な焼却炉からの生暖かい風に乗って運び去られるのだ。
ウィンストンは広げた四枚の紙切れを調べた。それぞれの紙には省略された専門用語でほんの一、二行の記述があるだけだ。省内部でのみ使われているその専門用語はニュースピークではなかったが大部分がニュースピークの単語からできている。そこにはこう書かれていた。
ザ・タイムズ 84・3・17 bb 演説 アフリカ 不良報告 修正
ザ・タイムズ 83・12・19 3yp 83 第四四半期予測
誤植 現在の問題を検証
ザ・タイムズ 84・2・14 ミニプレンティー チョコレート 不良見積もり 修正
ザ・タイムズ 83・12・3 bbの当日勲功通達報道 ダブルプラスアングッド 非実在人物に言及 完全な書き直し
ファイリング前に上告
かすかな満足感と共にウィンストンは四番目のメッセージを脇に置いた。それは複雑でしっかりとした判断を必要とする仕事であり、他のものより慎重に取り扱う必要がある。一番最後に回した方がいいだろう。二番目のものはおそらく統計資料の面倒な操作を必要とするだろうがいずれにしても他の三つは単純作業だ。
ウィンストンはテレスクリーンに「バックナンバー」と打ち込んで該当する「ザ・タイムズ[1]」の号を呼び出した。エアシューターによってほんの数分で手元に届く。彼の受け取ったメッセージには何らかの理由で改変が必要だったり公式声明に沿って修正が必要になったニュースや記事のことが書かれているのだ。例えば三月十七日の「ザ・タイムズ」には前日の演説でビッグ・ブラザーが南インドの前線は平穏なままだが北アフリカではユーラシア軍がまもなく攻撃を開始するだろうという予測を語ったことが書かれていた。実際にはユーラシアの高等司令官は北アフリカを放っておいたまま南インドで攻撃を開始した。従ってビッグ・ブラザーの演説の記事を書き直して実際に起きることを予測したようにする必要があるのだ。また十二月十九日の「ザ・タイムズ」には一九八三年の第四四半期、つまり第九次三ヵ年計画の第六四半期における消費財各種の生産量についての公式予測が載っていた。問題は実際の生産量だが全ての項目で予測が大幅に外れていた。ウィンストンの仕事は実際の数字と合うように元の数字を修正することだった。三番目のメッセージには数分で直せる非常に簡単な間違いについて書かれていた。この二月に豊富省は一九八四年の間はチョコレートの配給が減ることはないと約束していた(「絶対的な公約」が公式な表現だった)。ウィンストンも知っている通り実際には今週末からチョコレートの配給は三十グラムから二十グラムに減らされる。従って元の約束をおそらくは四月中に配給を減らす必要が生じるだろうという警告と入れ換えることが必要だ。
それぞれのメッセージを処理するとウィンストンはすぐに口述筆記機による修正を「ザ・タイムズ」の該当する号に添えてエアシューターに押し込んだ。それからほとんど無意識といえる動作で元のメッセージと作業で使った全てのメモ類を丸め、焼き払うために記憶の穴に放り込んだのだった。
エアシューターの先の見えない迷宮で何が起きているのか、彼は詳しくは知らなかったがおおよその察しはついた。いつ発行された「ザ・タイムズ」であろうが必要な全ての修正が集められて照合されるとすぐにその号は再印刷されてオリジナルのコピーは破棄されるのだ。そして修正されたコピーが代わりに保存される。この絶えざる改変作業は新聞に限らず書籍、雑誌、パンフレット、ポスター、リーフレット、映画、音声記録、マンガ、写真といった政治的あるいは思想的な重要性を持つと考えられる全ての文献と文書に対しておこなわれていた。毎日、いや毎分のように過去は更新されていく。こうして党による予測は全て正しかったことが記録された証拠によって証明されるのだ。どのようなニュースだろうが、どのような意見表明だろうが現在の状況から見て都合の悪いものが記録に残されることはありえなかった。全ての歴史は表面を削ぎとって上書きできる羊皮紙と同じだった。その上に書かれたものは消し去られ、必要に応じて何度でも上書きされるのだ。一度それがおこなわれてしまえば改変を証明することは不可能だった。記録局の最大部門は改変され破棄されるべき書籍、新聞、その他文書のコピーを探し出して収集する仕事に従事する者で構成されていてそれはウィンストンの働いている部門よりも遥かに大きかった。政治的な状況の変化やビッグ・ブラザーの間違った予言のために「ザ・タイムズ」の一つの号は元の日付けのファイルに収められたまま十回以上も書き直され、矛盾するような他のコピーは存在しないはずだ。書籍も同じだった。何度も回収されて書き直されてはいつだって変更がおこなわれたことなどおくびにも出さずに再発行されるのだ。処理が終わるとすぐに処分されるウィンストンが受け取る指示書ですら偽造行為のことについては少しも触れられていなかった。決まって正確を期すための言い間違い、書き損じ、誤植、誤引用の修正であると書かれている。
しかし実際のところそれは偽造ですらない。彼は豊富省の統計の数字を手直ししつつ考えた。たんに無意味なものを他の無意味なものに置き換えているだけにすぎない。作業の材料のほとんどは直接的な虚偽関係があるとすらいえず、現実の世界とは何の関係も無いものなのだ。元々の数字も修正された数字と同じくらいでたらめなものだった。それを真実にするためには膨大な時間をかける必要があるだろう。例えば豊富省はこの四半期での靴の生産量を一億四千五百万足と予測していたが実際の生産量は六千二百万足と発表されていた。しかしウィンストンは予測を書き直すときに数字を五千七百万足と少なめにした。そうすればいつものように四半期の目標を大幅に達成した、と主張できるからだ。とにかく六千二百万という数字は五千七百万という数字とも一億四千五百万という数字ともかけ離れている。靴がまったく生産されていないということすらあり得た。さらには誰も何足の靴が生産されたか知らず、気にもかけていないということもありそうな話だった。皆が知っていることは紙面上では四半期ごとに天文学的な数の靴が生産されている一方でオセアニアの人口の半分ほどは裸足で生活しているということだ。同じことが多かれ少なかれどんな種類の記録に対しても言うことができる。あらゆるものが薄暗い世界に消えて行き、ついにはそれが起きた日時さえ定かではなくなるのだ。
3、共通するテーマ
4、絶望と希望
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