日本共産党と中国共産党の和解劇

 

脱「孤立」−柔軟路線そっくり 1998年

 

(宮地編集)

 〔目次〕

   1、「断絶」一変「実利」で一致 1998年7月22日朝日解説

   2、日中共産党が32年ぶりに和解 1998年8月2日朝日解説

   3、世代かわって柔軟路線 加藤哲郎一橋大学教授

 

 〔関連ファイル〕         健一MENUに戻る

    山椒魚『不破哲三の資本論「研究」と中国「賛美」の老害ぶり』

    共産党『不破哲三議長の中国訪問』 『学術講演「レーニンと市場経済」』02年8月

    共産党『中国共産党との会談終了/日本の情勢について不破議長が発言』05年12月

    中国共産党『賀国強党中央組織部長、不破哲三氏と会見』06年5月

    google検索『不破哲三 中国共産党』 『文化大革命 日本共産党』

    『中国共産党のインターネット摘発・管理』

 

 1、「断絶」一変「実利」で一致

      1998年7月22日朝日解説

 

 日中両共産党の首脳が二十一日、三十二年ぶりに手を握り合った。両党首脳は、先の大戦についての歴史認識や台湾をめぐる問題で意気投合。ののしり合っていた過去がうそだったかのような和解劇が演出された。日本側が「日本の政党の中で、最も共通の言葉で語り合える仲になったのでは」(幹部)と自賛するほど。もっともかつての「同志」的関係に後戻りしたわけではない。同じ「共産党」を名乗りながら、相違は残して互いに実利を得ようという「新型の党関係」(江沢民書記)には、両党がそれぞれに描く戦略が色濃く映る。(北京=中村史郎、池田伸壹)

 

 

 2、日中共産党が32年ぶりに和解 脱「孤立」−柔軟路線そっくり

      1998年8月2日朝日解説

 

 〔小目次〕

   1、中国共産党−文革の重荷を解消

   2、日本共産党−外交能力アピール

 

 日本と中国の共産党首脳が三十二年ぶりに握手を交わし、長期間の断絶状態に終止符を打った。両党ともこの和解を、「孤立」に追い込まれた過去を清算し、より柔軟で開放的な路線に踏み出すためのステップと位置づけた。国際共産主義運動も変化し、もはや同じ「共産党」であることへのこだわりを持つ必要もなくなった。ともに名を捨てて実を取った姿が、相似形のように浮かび上がる。 中村史郎(北京支局)、池田伸壹(政治部)

 

 1、中国共産党−文革の重荷を解消

 

 ● 四原則の提唱

 中国にとって、日本共産党との関係正常化は、文化大革命で背負った重荷を下ろすという特別な意味があった。建国五十周年を来年に控え、「負の遺産」は少しでも清算しておきたい、という党指導部の意向が強く働いたといえる。

 

 文革期、中国は他国の多くの共産党を「修正主義」と批判。特に日本の党に対しては、「宮本(顕治書記長=当時)修正主義集団」と名付け、ひときわ厳しい批判を浴びせた。

 

 自ら国際的孤立を招いた中国は文革後、これらの政党との関係修復を図った。一九八二年の十二回党大会で、胡耀邦総書記(当時)は、()独立自主、()完全平等、()相互尊重、()内部不干渉という共産党間関係の四原則を提唱。東欧や西欧の共産党との関係を回復した。

 

 八七年の十三回党大会では趙紫陽総書記(同)が「四原則に照らして、外国共産党やその他の政党との関係を発展させる」と表明、四原則の枠を共産党以外にも拡げた。その後、東欧の社会主義政権崩壊、ソ連解体により、「国際共産主義」の枠組みの方が崩れてしまった

 

 が、日本の党との問題は残った。過去の干渉を「宜粗不宜細(大ざっぱがよく、細かいのはよくない)」と処理しようとする中国側の姿勢を、日本側が受け入れなかったからだ。

 

 今回、中国側が和解に動いた背景には、自らの内部問題にけじめをつけようという強い意識があった。「この党とだけは口もきかないという関係が隣国との間に残っている。こういう不自然さはいずれ、どうしても解消しなければならない」(中国共産党筋)

 アジアの「責任大国」になりつつあるのに、断絶状態を放置すれば、文革の後遺症を引きずり続けることになるという懸念だ。同党筋によると、まだ関係が修復していない党がいくつかあり、和解の話を進めているという。

 

 ● 江総書記の決断

 「反中国的な報道」を理由に拒否してきた産経新聞社の北京への記者常駐を三十一年ぶりに認めたのも、こうした姿勢と無縁ではない。いずれも「江沢民総書記が決断した」(中国筋)といわれる。

 

 ただ、両党関係の進展は、自民党など他党の警戒感を招く可能性もある。両党対立のあおりで分裂した日中友好協会や原水爆禁止運動など、党外の問題も残されている。バランスのとれた対日政党外交をめざす中国にとって、今回の和解は最初の一歩に過ぎない。

 

 2、日本共産党−外交能力アピール

 

 ●「歴史の道標」

「二十一世紀の日本の民主的発展にかかわる歴史の道標をなす」

 日本共産党の不破哲三委員長は、先月下旬の中国訪問に至る関係正常化をそう意義づけている。

 

 不破氏の外国訪問は、八九年三月に旧ユーゴスラビアを訪問して以来、九年ぶり。その空白が、同党の「孤高を余儀なくされていた」(志位和夫書記局長)状況を物語っている。

 

 国内では、国会の野党間協議で「共産党を除く」形が定着し、蚊帳の外に置かれた。外交面では中国ともソ連とも対立八九年の天安門事件やソ連崩壊が共産党のイメージを悪くし、「逆風」を受けるという皮肉な状態に陥っていた。

 

 昨年秋の宮本顕治議長の引退を機に、「二十一世紀早期の政権獲得」の目標を掲げて、幅広い支持層獲得に向けて柔軟路線に踏み出した。そのためにも、外国政府や政党とイデオロギーによらない「普通の関係」を結び、外交面でも政権を担いうる能力をアピールすることが必要だ。

 

 今回の訪中をその第一歩と位置づけており、今後は、「反共」が国是の韓国や、マレーシア、シンガポールなどアジアの資本主義国、さらには長年批判してきた米国とも対話ができる関係を築けないかと模索している。

 

 同党は参院選で、党史上最高の議席を得た。柔軟路線による党勢伸長が、党外交にも追い風になっている。関係改善に動いた中国側が、日本共産党が九〇年代半ばから、野党としての存在感を増している日本の政治情勢をにらんでいることは間違いない。

 

 ● 議論の公開を

 不破氏ら幹部も、政府・自民党のチェック役として存在感をアピールすることを心掛け、とりわけ植民地支配などをめぐる歴史認識を、東南アジア諸国などとの関係を模索する有効な手がかりとしたい考えだ。

 

 不破氏と江総書記との会談でも、不破氏側から「日中関係の五原則」として、日本政府に侵略戦争への厳しい反省や、「一つの中国」の確固とした認識が必要だと強調した。

 

 今回の訪中実現まで、共産党は中国側の実務者との協議を入念に重ね、慎重に準備を進めた。が、その過程や党内の論議はほとんど公表されず、突然、関係修復が実現したような印象を与えてしまった。今後、各国と肩の力を抜いた対話を繰り広げるには、もっとありのままの姿をさらす努力が必要になりそうだ。

 

 

 3、世代かわって柔軟路線

 

   加藤哲郎一橋大学教授(政治学=国家論、社会主義運動史)

   1998年7月22日朝日朝刊

 

 アジア経済危機と日本経済の低迷が、中国の元切り下げにつながるかが注目を集める中で、参院選で議席を伸ばした日本共産党が、巨大な政権党である中国共産党と、三十年以上対立を精算して友好関係を回復したことは、今後重要な意味を持つ可能性がある。

 

 この間の両党関係の変化は、双方の世代交代と実利の思惑が結びついて生まれた。日本側は昨年の党大会で長く党を指導してきた宮本顕治氏が引退、中国でもケ小平氏が世を去った。両党はそれぞれ市場経済を認め、柔軟な政治姿勢を打ち出してきた。

 

 日本側は昨年の党大会で、東アジア重視を新しい柱として打ち出し、宮本氏流の共産党間外交優先、国際的孤立の路線を軌道修正した。不破・志位体制は、首相指名投票で菅直人と書くかもしれないという柔軟路線を示し、対中国外交も政権参加を射程においた現実的姿勢の表れといえる。

 

 中国側からすれば、日本とのパイプだった社会党が社民党になって衰退、新しい日米防衛協力のための指針や歴史認識などで、野党内の地位を高めた共産党との関係を復活させて、政府や自民党以外とのパイプを確保し、日本政治をチェックする足場を築こうということだろう。

 

 両党には兄弟党だった特別な歴史もある。日本共産党は、一九二二年コミンテルン(国際共産党)日本支部として誕生した。戦前、モスクワとの連絡ルートは常に中国が一番重要で、国際共産主義運動の中でも特別な関係だった。戦後も、日本共産党にとって中国共産党は、ソ連共産党と並んで、善かれあしかれ特別な存在だった。

 

 かつての兄弟党時代、両党関係は常にソ連を強く意識していた。両党断絶の間に日中国交正常化や天安門事件、東欧革命、ソ連崩壊など大きな環境変化があった。過去の対立を一応清算した今回の会談では、隠れた第三の主役がソ連から米国になったのも特徴だ。異例に長い意見交換の中でも、両党は、アジアと世界における米国の存在を強く意識していたと思う。

 

 これまでの共産党は、海外の共産党や革新団体との対外関係しか持てなかったが、今回の中国や、すでに交渉をはじめている韓国との関係樹立といった経験を重ね、国際共産主義運動の枠を離れた、普通の対政府・対政党外交もできる党に脱皮しようとしている。

 

 しかし、そうした外交を進めようとすると、コミンテルン以来の伝統や党の組織体質と矛盾が出てくるだろう。本当の脱皮のためには、閉鎖的な民主集中制や党員の権利より義務を優先する党規約を変えるべきだろう。

 

 インターネット上では、今回の訪中について、多くの党員・支持者が天安門事件・人権問題、中国の核保有をどう考えるかを活発に議論しており、党内問題を党外で議論することを禁じてきた民主集中制は、事実上崩壊しつつある。党指導部にはそうした新しい時代認識と、コミンテルン型伝統からの脱却が求められているのではないか。

 

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 〔関連ファイル〕

    山椒魚『不破哲三の資本論「研究」と中国「賛美」の老害ぶり』

    共産党『不破哲三議長の中国訪問』 『学術講演「レーニンと市場経済」』02年8月

    共産党『中国共産党との会談終了/日本の情勢について不破議長が発言』05年12月

    中国共産党『賀国強党中央組織部長、不破哲三氏と会見』06年5月

    google検索『不破哲三 中国共産党』 『文化大革命 日本共産党』

    『中国共産党のインターネット摘発・管理』