夜も3時をすぎ、真夜中と言うよりも早朝という言葉がふさわしい時間帯になったとき、一軒のアパートの前で車がゆっくりと停止する。
車の中にはTシャツにジーンズの青年と、濃紺色の服を着た女性の二人だった。 目の前のアパートはさすがに時間が時間だけに大半の部屋の電気は消えていて、それ以上に周りには人の気配はなかった。 「もし、電気が消えてただけで起きてたらどうするんですか?」 「そのときは眠ってもらうだけ。でも……」 そこで、一瞬考えるように爪を噛む。 「あの子が呪文を使わせてくれるかどうかは微妙なところだけどね」 苦笑混じりに続ける。 「じゃあ、いってくるわ」 車を降りて、後ろ手で手を振りつつ階段を上って由羅の部屋へと向かう。 部屋の前で音を立てないようにゆっくりとノブを回してみる。しかし、案の定鍵がかけられていた。 「さすがに由羅といえども鍵はかけるわね」 鍵がかかっていることを確認すると、いったんノブから手を離す。 『この時間だとあいつは……連絡がつかないか』 楽して鍵を開けようと思っていたらしいが、その試みは最初から挫折していた。 『まぁ、あいつだって勝手に人様の家を空けるような無茶な奴じゃないわね』 苦笑しながらも導き出された答えは結局…… 「結局は私が開けることになるのね」 だった。 ドアノブに手をかけ、精神の集中にはいる。それと同時に低く音楽を口ずさむように行使力を持った言葉を紡ぎ出す。 その言葉は通常知られている言語体系とは異なるものだったが、その意味は次のようなものである。 『封じられし扉よ……汝の枷を解き放ち、我の前にその開かれた姿を示せ……』 呪文が終わる頃には錠前は軽い機械音を立て、ゆっくりとノブを回すと音もなくドアが開いた。 「さて……」 音を立てないように注意しながら由羅の部屋へと忍び込む。 ポケットから小さなライトを出し、弱い明かりをともす。 照らされた部屋は飾りっ気がなく、艦船などの模型があり、女性の部屋には見えなかった。 「殺風景な部屋ね。もう少しくらい部屋を飾り付けてもいいのに……」 小さく独り言をしつつゆっくりと見回し、シーツにくるまって寝ている由羅を見つける。 「目標発見……ってね」 ゆっくりとそばに座ろうとすると、突然視界が闇に包まれる。 それが目の前に掛けられたシーツと気が付く前に胸を強打されはじき飛ばされる。 「きゃぁっ!」 「何だ!てめぇは!」 シーツをどうにかとると、いつの間に起きていたのか、目の前に由羅が仁王立ちしていた。 「ちょ、ちょっと、落ち着いて」 突然のことに狼狽する春菜。一方由羅は興奮しているのかそのまま向かってくる。 「落ち着けだぁ?侵入者がよくそんなこと言えるなぁ!」 胸ぐらをつかんで、顔を近づける。 「ん?お前は……え?」 驚いたのか、由羅の一瞬動きがとまったところで春菜はとっさに呪文を構成する。 『魔力よ、眠りの霧となりて意識を混沌の海へ!』 呪文が完成すると同時に由羅の力が抜け、床に崩れ落ちる。 息を整えながら春菜が顔をのぞき込んでみると由羅はすやすやと寝息を立てて眠っていた。 「ふぅ、危なかった。さて、熟睡しているうちにやることやってしまいますか……」 普段の強気な表情に比べてリラックスして眠りについている彼女の顔はポニーテールをほどいていることと相まって美女として十分通用する物だった。 「このままだと、かわいい女の子なのにねぇ」 由羅を布団の上に移動させ、彼女の額に軽く手をのせ、小さく、春菜自身にしか聞こえないように呪文の詠唱に入る。 詠唱が終わる頃、春菜の意識は由羅の記憶の中に入り込み、彼女の視界にはまるでパソコンの画面のような空間があった。 動画が明滅し、膨大な文字列がスクロールするその空間の中でデータの検索を行うかのように由羅の記憶の中から萌の襲われた事件を探り出した。 「門からの奇襲って感じね。これじゃあ由羅でも対処できないか……運が悪かったとしか言いようがないわね。萌って」 そこから時系列をたどって、寝るまでの記憶の状況を確認すると、しばらく思案した後に萌が襲われた記憶に戻って自分を含めて関連する部分を消去し、当たり障りのない記憶を刷り込んだ。 「他の記憶の内容までは見ないから安心してね。だけど、ごめんなさいね……私が誰か教えないで……」 由羅の記憶空間から抜け出した春菜は悲しそうにつぶやいて、由羅の手足の包帯に気づき、そこに治癒魔法を施す。 由羅は顔をしかめるが、それもしばらくすると穏やかな寝顔に戻り、包帯をはずすと傷はなく、きれいな肌があるだけだった。 包帯を回収して、シーツを由羅にかけて部屋を出る。当然鍵を閉めるのは忘れていない。 よけいな魔法を使ってしまったため、魔力の方は心許ないが、少し休めば萌の分くらいは大丈夫だろう…… そう考えながら涼の待つ車の方に戻る。 「さて、もう一人の所に行くわよ」 「本当に大丈夫ですか?もうぼろぼろなんじゃ……」 「もう一人分くらいはもつくらいの魔力は残してあるはずよ」 「魔力が限界で術の途中に倒れるって事だけはやめてくださいよ。見ず知らずの女性の部屋に入るっていうのは趣味じゃないですから」 「相変わらず心配性ね。しばらく時間をおけば魔力も回復するから」 しかし、春菜の言葉とは裏腹にそう走らずに萌の住むアパートにたどり着く。 「もう少し……回復には時間が必要ね」 と呟き、シートを倒して横になって休憩をとる。結局車から降りたのは10分ほど時間が経過してからだった。 車から降りた春菜は萌の部屋に向かうが、由羅に対して彼女の部屋には鍵がかけられていなかった。 「まったく……不用心なんだから……まぁ、無駄に魔力を使わずにすむのはありがたいけどね」 ドアを開け、ゆっくりと忍び込む。 萌の部屋は、由羅の部屋とは対照的に大小さまざまのぬいぐるみがそこかしこにあり、いかにも少女趣味な部屋だった。 その部屋の片隅に敷かれた布団には帰ってそのまま寝たのか、普段着のまま萌が掛け布団の上で眠りについていた。 彼女の顔をのぞき込んでみるとかわいらしい顔に夜目にもはっきりわかるほどの笑みを浮かべ、よだれをたらしていた。 不意に萌が何か言葉を発する。 「うみゅぅ〜、由羅ちゃぁん、もう食べられないよぉ……」 一瞬警戒した春菜だったが、それは寝言だった。 「あ〜、いちごパフェだ〜。それも食べる〜」 えへへっとにこやかに微笑む萌を見て春菜は苦笑を浮かべてしまったが、それは苦笑いというよりも何か幸せげなものだった。 「もう、夢の中でも食いしん坊なのね、萌は」 微笑みながらハンカチでよだれを拭いて上げる。 ふと、隣を見てみるとビニール袋がおいてあり、その中を見てみると黒く染まった固まりがあった。 「これって……まさか」 普通だと無視するところだが、ある可能性が頭をよぎり、慎重に中身を確認すると血液で赤黒く染まってしまった服だった。 「やっぱり」 服全体を染めた血液を単純計算しても、その出血量は魔法による治療を行った春菜本人が信じられないほどだった。 「こんなに小さな身体なのに生命力は人一倍強い……か。」 命の不思議さを改めて認識するが、証拠隠滅のために服の残骸を回収することも忘れない。 その後に由羅と同じように記憶の操作を行うために萌の頭に手を添える。 再び記憶空間へと潜り込む春菜だったが、呪文の構成にミスがあったのか、終わる頃には予想以上に消耗してしまっていた。 「や、やばいかも……」 とぎれそうになる意識をどうにかつなぎ止めて涼の待つ車へと戻ってきた。 「大丈夫ですか?かなり消耗みたいですけど」 「これが大丈夫に見える?……まぁ、やることはやったから私の部屋まで送ってちょうだい」 「はいはい……」 車に乗った途端、心地よい感覚が全身を包み込み、ふぅっと意識が飛びそうになるが、寸前で我を取り戻す。 「結構やばいみたいだから早くね」 「さっきは大丈夫と言ってたのに、何かへまでもやらかしたんですか?」 「うるさいわね。この私がへまをやるとでも思ってるの?」 と、涼の頭を軽くこづく。 「それなら、今まで何度もやってきたんじゃ……」 もう一発来ると警戒していた涼だったが、手が飛んでくることはなかった。 「涼……今度はへまするかもしれないから、背中に気をつけておくのよ」 しかし、その代わりに飛んできたのは言葉による一撃だった。 「そ、それだけは勘弁してくださいよ。春菜さんの魔法は半端じゃないんですから」 てきめんにうろたえる涼。 「じゃあ、今度からは言わないように」 「はい……」 と、いう話が続きながら春菜が住んでいるアパートに到着した。 涼に支えられながら春菜は何とか自分の部屋にたどり着き、涼を帰した後に鍵を閉めると真っ暗な部屋の中でベッドにたどり着いたが、ベッドに倒れ込んだ途端に意識を失った。 第二章 終 |