村雨由羅の朝は午前6時には始まる。
目覚まし時計が奏でる耳障りな電子音が、女性の部屋としては殺風景な部屋の中に響く。 布団から伸びた手がスイッチを切り、由羅はゆっくりと起きあがる。 しばし眠そうにとぼけた表情を見せていたが、カーテンの隙間から差し込む朝日が彼女の顔を照らし、意識の方の覚醒もなされた。 タオルを持って浴室へと向かい、寝間着代わりに着ていたTシャツを脱ぎ、熱いシャワーを浴びて眠気を吹き飛ばして気を引き締めたあとにTシャツと短パンを身につける。 髪の水気を拭いている途中、脳裏に何かが引っかかった。なにか大事なことを忘れているのではないのか……と。 ある程度乾いた髪をポニーテールにまとめたあと炊飯器の中を見ると、その予感は的中した。 一人暮らしにしては少し大きめの炊飯器の中身は見事に空っぽだった。 「しまった。そーいや夕べ萌が全部食っていったんだっけ……炊くのを忘れてたな」 無くなったのはしょうがないということで米をとぎ、炊飯器にセットする。 冷蔵庫の中から牛乳パックを出し、護衛艦「こんごう」の絵が描かれたマグカップに注いで一気に飲みほしたあとに日課のランニングに出かける。 早朝の澄んだ空気を吸い込み、小鳥のさえずりを聞きつつ走り、しばらく走ると河川敷に出る。 『ついでだから弁当でも作っていくか』 走っている最中に漠然とそんなことを考えつつ、1時間ほどをかけて10キロを走る。 戻ってきたときにはご飯も炊けていたので冷蔵庫の中にあった食材を使って弁当を作りながら、それをつまみ食いして朝食代わりにする。 程なくして少し大きめの二つのハンカチ包みができた。 「さて……と」 と、冷蔵庫の上に載せていた時計を見てみると、針は8時を軽く超えていた。 「やべぇ、遅れちまう」 急いで弁当をリュックに詰めると、MTBにまたがり、颯爽と学校へ向けてこぎ出すが、その途中に萌を誘うべく寄り道をする。 程なくして萌が住んでいるアパートに到着する。 自分ということがわかるように、チャイム素早く2回押してしばらく待つが、反応はない。 何度かドアを叩いてもドアの向こう側で動く気配すらも感じられなかった。 「萌の奴……まだ寝てるんじゃないだろうな……」 呟いてジーンズのポケットを探って鍵の束を出す。 完全に気心が知れた幼なじみと言うこともあって、お互いの部屋の合い鍵を渡しあっていたが、今回はそれを出す必要はなかったようだ。 鍵穴に鍵を差し込んで回しても抵抗なく回り、ドアノブを回すとあっさりと扉が開いた。 「ったく、鍵をかけないまんまとは……あいつ不用心にもほどがあるぞ」 愚痴りつつ中に入っていくと、掛け布団の上でこの部屋の主が小さい身体を猫のように丸めて、すやすやとかわいらしい寝息を立てていた。 帰ってきてそのまま寝たのか、服も髪も盛大に乱れていた。 思わず柔らかいほっぺたをつつくと「ふにぃ」といった感じの寝顔を見せる。 それを見て微笑みを見せる由羅だが、気を取り直し萌を起こしにかかる。 「おい、萌。朝だぞ」 「にゅ〜〜」 彼女の小さい体をゆさゆさと揺らすが、起きる気配はない。 「ったく、このねぼすけは……萌、起きないとパフェあたしが全部食べちまうぞ」 「みゅ〜それだめぇ。わたしも食べるの〜」 どうしても起きない萌だったが、由羅の一言であっさりと夢から覚める。 「……うにゃ?」 状況がつかめないのか寝ぼけ眼できょろきょろと辺りを見回す。 「おはよっ、萌」 笑顔を見せて朝の挨拶をする由羅だったが、萌の方はまだ夢の続きと思っているのか寝ぼけたままのようだった。 「ふみぃ……パフェはぁ?」 「……ねぇよ、んなものは……」 由羅に呆れられてようやく現状を認識する萌。 「ふあぁ……おはよっ」 瞼を半開きにして、目をこすりつつ起きあがる。 「なんか眠そうだなぁ」 「うん……ちょっといやな夢見たみたい」 「やな夢って……何だ? あ、あと早く準備を済ませろよ」 「う、うん。えーっと……」 由羅に問われて夢の内容を思い出そうとするが、いくつかの断片は思い出すことができたが全体に関しては霧がかかったようにはっきりとしない。 「おばけに襲われた夢かな。詳しいことは覚えてないけど」 「おばけ……か。そーいや、あたしも似たような夢見たような気がするなぁ」 「由羅ちゃんもおばけに?」 「いや、あたしが見たのも確か萌が襲われる夢だ」 「なんでわたしばっかり襲われるのよぉ」 「知るかっ。あたしだって見たくはねぇよ……あんな夢……」 ぼさぼさになった髪をセットしている萌を後ろから見ながら愚痴る由羅だったが、その声には萌に対する気遣いが含まれていた。 「でも、夢でよかったぁ」 「おいおい、実際におばけなんか出るわけねえだろ」 そのような会話をしているうちに萌の準備も大体終わっていた。 「準備は終わったか?すぐに出るぞ」 「え〜?朝ご飯くらい食べさせてよぉ」 「もう時間がねぇよ。朝飯食いたいのならきちんと早起きすることだな」 「由羅ちゃんのいじわる〜。もっと早く起こしに来てくれてもよかったのにぃ……今日は朝ご飯抜きなの?」 天板に子犬やペンギンのぬいぐるみが乗せられた小さめの本棚から教科書を出して小さなカバンに入れながら愚痴る。 「自分で起きれなかったお前が悪い!朝飯はコンビニでパンでも買って食えばいいじゃないか」 「ふぇ〜ん。そんなんじゃ足りないよ〜」 妙な悲鳴を上げながら由羅に引きずられていく萌。 由羅のMTBの後輪軸に萌は足を乗せて二人乗りで学校に向かい、その途中でコンビニによって萌の朝食を買う。 学校の敷地内に入り、学生達の隙間をぬって自転車を止めて急いで教室に向かう。 まだ授業は始まっていなかったようで、教室に着くと、かろうじて残っていた席を確保して授業を受ける。 ●
萌がたまに腹の虫をならせつつも午前中の授業が滞り無く終わって、昼休みになる。 「ねぇ、由羅ちゃん、早く行かないと学食でお昼ご飯食べられないよぉ」 昼食をとるためにぞろぞろと教室から出ていく生徒達を見ながら、萌は由羅の服の袖を引っ張りながら教室を出ようとするが、由羅は余裕を持った表情を見せていた。 「そう慌てるなって、今日は昼飯の弁当作ってるから」 「ほんと?」 「あぁ、たまにはそういうのもいいだろ?」 「うん!お天気もいいから外で食べようよ」 由羅は一旦教室の中を見回すが、机の他はホワイトボード、モニターなどがあるだけの殺風景な広い部屋で二人だけで食事するよりはましと漠然と考えていた。 「まぁ、それもいいか」 晴れ渡った空の下、大学の敷地内をしばらく歩いていると二人の顔見知りの女性が、眠そうな目をしながら二人の前を横切ろうとしていた。 「あ、里美さんだぁ」 「あ、ども。里美さん」 「ふわぁ……あ、萌ちゃんに由羅ちゃん……おはよう」 生あくびをかみ殺しつつ、二人に気が付いたのか笑顔を見せる。 その女性は白雪里美という名前が表すかのように、彼女の肌は雪のように白く、それと対照的に髪は墨を流したように黒く長い。 しかし、その表情は少し天然が入ったようなとぼけた感じであり、身につけているものも多少普通ではないものであった。 彼女がかけている眼鏡は黒い無骨な金属フレームのデザインであり、見た目よりも強度重視と言わんばかりに頑丈そうな代物で、持ち主の価値観を表していると言ってもよかった。 そして左耳にさしたイヤホンからのびているコードは、そのまま肩から提げた迷彩柄のバッグの中に消え、そこからはアンテナが一本つきだしていた。 「おはようって……もう昼ですよ」 「まぁ……世間一般では今の時間はお昼って言うわね」 「まさか、徹夜とかしてさっきまで寝てたとか?」 「あはは……そ、そうよ」 由羅に痛いところをつかれて、里美は苦笑するしかなかった。 「じゃぁじゃぁ、昨日はどこにつないでたの?」 「萌ちゃん……まさか私が四六時中ネットか無線ばかりしていると思ってない?」 「だって……里美さんの趣味ってパソコンとか無線とかだしぃ」 高校からの先輩相手なのにまるで近所のお姉さんに話すような萌の口調は見た目からか不思議と里美も受け入れていた。 「あはは……まぁ、実際の所そうだけどね。軍事系の所回ってて、気が付いたら5時。仮眠しようかと思ったら、そののまま爆睡してさっき起きたの」 ばつが悪そうに苦笑する里美。 「もう、里美さんったらねぼすけさんなんだからぁ」 「妖怪食っちゃ寝娘の萌ちゃんには言われたくないわよ」 と、萌のおでこを軽くつつきつつ苦笑してみせる。 「妖怪だなんてひっどーい」 「くすっ、ねぼすけって言ってくれたお返しよ」 「ぶぅ〜」 微笑む里美に対して唇をとがらして機嫌が悪そうに見せる萌。 「でも、里美さんの言うことももっともだな」 笑うのをこらえつつ由羅も里美に同意する。 「あー、由羅ちゃんまでぇ」 「じゃあ……今朝のあれは何だったんだ?」 「なんのこと?」 「おいおい……呼びかけても身体を揺すっても起きなかったのに、食い物の話した途端に起きたのはどこの誰だ?」 「あ……い、いいじゃないのよぉ」 痛いところをつかれたのか、あからさまに萌はうろたえていたが、そんな彼女を二人は微笑ましく眺めていた。 「ってことで妖怪食っちゃ寝娘ってことが決定したところで……」 萌の非難がましい視線を無視して由羅は続ける。 「飯でも食うか?」 「うんっ!」 由羅が弁当を取り出すと先程とはうって変わったように笑顔を見せる。 「萌ちゃん、よだれ……」 無意識に流していたよだれを里美に拭いてもらう。 「え?……えへへっ」 「もう……萌ちゃんったらやることも子供なのね」 「わたし、子供じゃないもん」 「まぁ、子供じゃないにしても、少なくとも食欲魔人な事は確かだな。里美さんも一緒に昼飯食べます?」 グラウンド脇の多少傾斜した芝生に座り、由羅が自分の弁当をちらつかせてみせる。 「食べてきたから、いいわ」 「本当に食べてきたんですか?」 「由羅ちゃんも心配性ね……そんなに信用できない?」 「だって、里美さん趣味に突っ走って飯抜きの日も結構あるでしょ?……萌と里美さんを足して2で割ればちょうどいいのに……」 「そういわれると反論できないわね」 「里美さんに倒れてもらったら勉強教えてもらっているあたし達も困りますからね。さて、食べるか……」 と、横を向くと萌は弁当箱の蓋をあけて今にも食べようとしているところだった。 「萌……よほど腹が空いてたみたいだな」 「えへへっ」 はにかんで弁当に箸をつける萌。 特徴的な3人だったが、談笑しながら昼食を食べている姿は年頃の女性そのものだった。 もっとも、端から見ると小学生の女の子が姉に弁当を届けに来て、そのまま食事をしているようにしか見えなかったが。 TO BE CONTINUED |