一日の授業も終わり、大半の学生は学校の敷地内を出て自宅、バイト、ゲーセンなどそれぞれの目的の場所に向かったりしていたが、校内で適当な雑談をしたり、敷地内に設けられた図書館へ向かったりでそれなりに学内はにぎわっていた。
萌と由羅の二人も授業の方は終わっていたのだが、萌が調べものがあるとかで図書館へ向かい、彼女を待つ間、由羅は図書館近くの掲示板に背中を預けて、腕を組んだまま瞳を閉じていた。 だが、それだけでも、身体から発する雰囲気は簡単には人を近寄らせない。 そんな由羅を対面の教室からその様子を眺めている人影が一つ。 頬杖をついて由羅を眺めていたのは里美で、声をかけにいくために少し腰を上げたが、何かを思いついたらしく再び椅子に座り、バックの中からノートPCとデジタルカメラを取り出して由羅に気がつかれないようにこっそりと撮影する。 何枚か由羅の様子を撮った後に撮影した画像をPCへ転送して、レタッチソフトで修正を行う。 タッチパッドの上で細い指を滑らせてソフトであまり倍率が高くない画像データから望んだ区画を鮮明にしていく。 画面を見つめるとぼけた瞳に反して、指は敏速に動き着々と作業を進めていったが、しばらくすると指がPCから離れた。 いったんPCをサスペンドモードにした後、目頭を押さえて疲れた目をもみほぐす。 「さすがに、ソフト上での補正ではこのくらいが限界かしら」 軽く伸びをして独り言を言っていると、いつの間にいたのか、ふいに背後から男が声をかけてきた。 「無理にソフトで画像補正かけるより、光学系の質を上げた方がいいですよ」 ほんの一瞬驚いたような表情を見せたが、振り向いて男の前に顔が向く頃にはすぐにいつものとぼけた表情に戻る。 「わかってるんだけど、なかなかそうもいかないのよねぇ。いいものは予算不足で買えないのよ」 「いいものは高いですしね」 「それが難点なのよ」 そこまで言って、ふと考えるような顔をする。 「……で、あなた誰?」 唐突な質問に男は一瞬唖然としながらも、そのもっともな質問に頬を軽く掻きながら答える。 「2年の山雲ですけどね……しっかし……見た目だけじゃなくって性格でも天然入ってるんですか?」 彼――山雲達紀――はTシャツにジーンズとなんの変哲もない服装で、ぱっと見た感じにはごく普通の青年に見えるのだが、どことなく一般人ではないような印象を与えていた。 「この目は生まれつきよ」 少し機嫌が悪くなったのを見て取った山雲はそれとなく話題をそらす。 「ところで、何を撮ってたんですか?」 「あの子よ」 里美がおもむろに窓の外へと指を向けると、その先には腕を組んで待ちぼうけを食っている女性がいた。 「なんなら、このカメラでも使います?少なくともそれよりは性能はいいですよ」 と、ポケットの中からデジタルカメラを取り出す。それは見た目でも里美のものよりは性能が良さそうに見えた。 すぐに里美は手を出そうとしたが、寸前で思いとどまる。その瞳には疑念の色がわずかに浮かんでいた。 「ふ〜ん、でも裏があるんじゃないの?」 「ギブアンドテイクって奴ですよ」 ニヤリと口元に笑みを浮かべて答える。 それを見て里美も微笑みを返す。 「……そーゆーことね。でも、一筋じゃ行かないわよ」 言いながらPCのサスペンドモードを解除してレタッチソフトを終了させる。 「そういう訳じゃないんですけどね。しっかし、あなたもなかなか『いい趣味』してますねぇ」 壁紙のみになったPCの画面を見て呟く。そこには浮上した瞬間の潜水艦の写真が張り付けられていた。 「まぁ……ね」 と、からかわれたように感じた里美は苦笑してみせる。 「それにしても練習潜水艦になる前の『あさしお』ですか……」 山雲が画面を見てふと漏らしたつぶやきを聞いて里美は軽く驚いてみせる。 元来海上自衛隊の潜水艦は新型をのぞくとほとんどが同じ形で、タイプの識別はできても個艦名まで特定するのはかなり難しいことだった。ただ、一部を除いては。 だが、それ以前にそれが日本の潜水艦ということを認識し、しかも名前がわかるという段階で充分「一般人」とは言えそうになかったが……。 「わかるのね、これが」 「ま、わかるのはこれだけですけどね」 「でも、この手の趣味なんでしょ?」 「専門は現代ではなくて昔の方ですけどね」 と、肩をすくめてみせるが、里美はさも嬉しそうに微笑んでいた。 「それでも、生で話せるのがいるというのだけでも結構うれしいかも」 「それはありますよねぇ。僕なんかこの手の話には話し相手がいませんでしたからね」 「ま、実はこの手ならもう一人はいるんだけどねぇ」 と、視線を外に向ける里美。 「彼女も、そんな趣味もってたんですか」 と、山雲も視線を由羅の方に向ける。 木立を通した先に見える由羅は、相変わらず目を閉じたまま少しも動いていないかった。 視線を向けられた由羅は木立がスクリーンの役割を果たしているためにそのことには気がつかなかったが、自分に近づいてくる気配にはすぐに気がついて目を開ける。 「あ、由羅じゃない」 振り返ると、友人の夕霧瑞恵が由羅を見つめていた。 美人とは言えないが、ショートの髪がよく似合う女性で、それ故に快活そうな印象を与えていた。 「ん……瑞恵か」 「こんなところで何してるの?」 「萌が図書館に行っててな。ちょっと待ってるんだよ」 「へぇ〜、萌ちゃんも勉強熱心ねぇ」 「おいおい、あいつがそんな風に見えるか?」 「でも、後期テストの前には萌ちゃんに教えてもらってなかったかしら?」 「それは……言うな」 触れられたくなかったのか、少し焦り気味の由羅。そんな様子の彼女を見て瑞恵は少しばかり微笑んでいた。 しばらくして落ち着いたのか、由羅も言い返す。 「ま、その分あたしも萌に貢献はしてるけどな」 「たとえば?」 「危険からは守ってやる……かな」 頭を掻きつつ少しばかり照れくさそうに答える。 「危険からねぇ。やっぱり由羅ってその点は尊敬しちゃうなぁ」 「そーか?」 「だって、もし何かあったときでも由羅が守ってくれるって考えたらね。女の子同士だったら由羅ほど頼りになる子はそんなにいないと思うけどぉ?」 「まっ、2,3人の不良程度なら楽勝だな」 見た目にはそれほど強そうには見えない手を軽く握ったり離したりしながら不適な笑みを浮かべる。 「その分じゃ、何度か実戦やったって感じじゃないの?」 「まぁな」 からかうつもりで瑞恵は言ったのだが、由羅は静かに答えるのと同時に氷のような冷たさを含んだ瞳で笑みを見せる。 それはまるで獲物を狙う肉食獣のような印象をあたえ、向けられた瑞恵の方は本能的に恐怖を覚えたのか、一瞬背中に冷たいものが走り、頬に一筋の冷や汗が流れた。 「おいおい、何引いてるんだよ」 次の瞬間には苦笑気味に由羅は笑っていた。その瞳には先程のような冷たいものは含まれていなかった。 「だって、怖かったんだもん」 由羅の表情につられて瑞恵も苦笑し返す。その時に何か言うことを思い出したようだった。 「そうそう、明日ひま?」 「明日か?」 「えぇ。ちょっと学校帰りに買い物にでも行こうかなぁって。明日は早く終わるでしょ?」 少しうつむい上目づかいに由羅を見つめる瑞恵。その仕草に由羅は瑞恵の下心を読みとった。 「ひょっとして、荷物持ちでもやらせるつもりか?」 「そこまでは言ってないわよ。ただ、ちょっとたくさんものを買う予定くらいだから」 「はぁぁ、結局は同じじゃねえかよ」 一つわざとらしく大きな溜息をつく。 「ま、どっちにせよ用事があるからな。わりぃ、行けそうにないや」 「そっかぁ、だめなのね。でも、用事って?」 「明日は萌の誕生日だから、ケーキでも作ってやろうかと思ってな」 「そっか、明日は萌ちゃんの誕生日なのね」 と、そこまで考えてふと疑問がわいた。 「ケーキって誰がつくるの?」 「あたしだけど?」 それがどうかしたかという感じで由羅が答えると、その瞬間瑞恵の動きが完全に止まり、再び動き出して反応が戻ってくるまでにきっかり3秒ほどの時間を要した。 「う、嘘でしょ?なんで由羅がそんな物作れるのよ」 予想外の反応に由羅も戸惑いの色を隠せない。 「そんな物って、あたしがケーキ作るのがそんなにおかしいか?」 「だって、由羅ってお菓子づくりとかそういう雰囲気じゃないんだもん。萌ちゃんの方がよっぽど雰囲気あってるわよ」 「ふん、悪かったな」 明らかに機嫌の悪そうな表情を見せる由羅だが、それを無視するかの様に瑞恵は続ける。 「それに、料理する姿だってイメージが思い浮かばないし」 「じゃあ、瑞恵が思ってたあたしのイメージってどんなんだ?」 「うーん。言っちゃあ悪いけど、由羅のイメージって言ったら男っぽくてがさつで、料理なんかはすごく大雑把にしかしない雰囲気じゃない?」 「を、をい。そ、そこまでいうか?」 多少のことは予測していたが、それ以上の酷い言われように一瞬言葉を失ってしまった。 「だって、今までそんな行動しかしてないでしょ?」 「う、うぅ……」 何か反論をしようにも、過去を思い返してみると確かに今までの行動は瑞恵の言うとおりで、反論できなかった。 それでも何かを言おうとした由羅だったが、ふいに背後から響いてきた声に先をこされた。 「そんなことないよ。由羅ちゃん、お料理はすごく上手なんだもん」 「も、萌いつのまに……」 どこからわいてでたと言わんばかりに驚く由羅の視線の先には、萌がきょとんとした表情で立っていた。 「さっき戻ってきたばっかりだけど?で、なに?由羅ちゃんのお料理がどうしたの?」 「なんだかねぇ……むぐっ」 瑞恵の口をふさぎ、彼女のかわりに由羅が頬に一筋の冷や汗を流しながら答える。 「い、いや。何でもないよ」 「そう?」 「そうそう」 きょとんとした表情を見せる萌。だが、それだけで納得してしまったらしくそれ以上話題につっこむことはしなかった。 「由羅ちゃんのお料理といったら、今日のお弁当おいしかったな〜」 昼のことを思い出しながら、いかにも幸せそうな表情をする萌。 「由羅のお弁当?」 「うん!今日お弁当作ってきてくれたし」 「へぇ〜」 物珍しそうに由羅を見ながら妙に間延びした感じで相づちを打つ瑞恵に、由羅は厳しい視線を送る。 「悪いか?」 「悪くはないけど、どんなものか一度食べてみたかったかもね」 「じゃあ、由羅ちゃん、今度また作ってね」 目を輝かせて言う萌。その言葉の裏には「できれば毎日食べたい」という意味合いが由羅には感じられた。 「簡単に言うなよ」 「……ごめんなさい」 由羅に怒られるとすぐさま「しゅん」とする萌。 「ま、その時になってみないとわからないか」 萌の頭をくしゃっと撫でて微笑む由羅。 「そっか、由羅もなんだかんだ言って女の子だったのね」 うんうんと納得する瑞恵の独り言を聞きつけた由羅が軽く彼女を睨みつける。 「なんか言ったか?」 「なんにも〜」 わざとらしく関係ない方を見て素知らぬ振りをする。 それを見てかどうか、萌は由羅に怒られたとき以外ずっと微笑みっぱなしだった。 「なんか嬉しそうだなぁ」 「だって、やっと由羅ちゃんの背後から不意をつけたんだもん」 「あっ……」 萌にそう言われて絶句する。今まで背後から近づいても気配だけで気がついたのに、今回は気が散っていたこともあるが、萌に背後を初めてとられたと言うことに今更ながらに気がついたのだった。 「た、確かに……」 「でしょ?」 少しばかり冷や汗と流す由羅と対照的に萌の表情は晴れやかな物だった 「そうそう、萌ちゃん、明日学校終わった後、暇?」 思い出したかのように瑞恵が声をかける。 「お前、萌に荷物持ちさせるつもりか?」 「そんなこと言ってないでしょ?」 「あたしにはさせるつもりだったじゃねえかよ」 「だって、由羅だもん」 「なんだとぉ?」 と、由羅と瑞恵が言い合いしている間に萌は明日の予定を確認する。 「えっとぉ……ごめん、明日はバイトなのぉ」 両手をあわせ、ウィンクして謝る萌。 「そっか……残念」 「また暇ができたときでもね」 「そうね。……そろそろ帰るの?」 「そう……だな、萌も戻ってきたことだしな」 「それじゃ、おじゃま虫はさっさと先に帰りますかね〜」 冗談めかして瑞恵はその場を去ろうとする。 「おい、おじゃま虫ってどういう意味だ」 「さぁね〜」 意味深な笑みを残して去る瑞恵。それを由羅は厳しい瞳で見送るだけだった。 「ったく、あいつは何考えてんだか……」 額に手を当てて一つ大きな溜息をつく由羅。 「ねぇ、瑞恵ちゃん何を言いたかったんだろうね?」 そんな由羅を見てきょとんとしている萌。 由羅は萌の頭を髪を少しくしゃっとして微笑みかける。 「なんでもねぇよ。さて……と、そろそろ帰るか?」 「うん」 と、いつものように由羅の自転車の後ろに萌が乗り、由羅は萌の重さを感じさせないような軽い動きで自転車を走り出させて校門から出ていった。 TO BE CONTINUED |