カーテンを閉め切っているために薄明かりになっている部屋の中、一人の女性が白いシーツにくるまって安らかな寝息を立てていた。
ベッド脇の小さなテーブルにはノートパソコンが置いてあり、その画面は輝き、画像や記号や文字の羅列等があるあたり作業中に力つきて眠ってしまったと言えなくもなかった。 静かにアイドリングしているハードディスクドライブの回転音だけが流れる環境で安眠しているようにも見えたのだが、それは部屋の中に響き渡るチャイムの音によって破られた。 すでに浅い眠りに入っていたのかチャイム音に反応して目を覚ますが、思考の覚醒は完全にはなされていないようで少々時間をかけて次の行動に移る。 「ふみぅ……」 寝転がってまま、ぼうっと寝ぼけ眼で眼鏡を取ろうとするが、普段置いてあるところにはなかった。改めて手探りで探すと、力尽きたときにはずれていたようでベッドの上に転がっていた。 眼鏡を掛けた後にベッドすぐ近くに置いていた小型モニターの電源を入れると、画面にはポニーテールの女性の姿が多少球形にゆがんだ形で映し出される。 ドアの覗きレンズに無理矢理取り付けたCCDカメラの映像からそれが誰かを確認して、パジャマ代わりに着ている大きめの少々薄汚れたYシャツ姿のままで出ていく。 ぼさぼさの髪を手近にあった輪ゴムでまとめた後にドアを開くと、そこにいたのはモニターで確認したとおり由羅で、里美の有様をみて苦笑していた。 「……寝てたみたいですね。おはようございます、里美さん」 「ふわぁ……おはよ。ま、ここじゃなんだから入ってきてね」 軽くあくびをしながら由羅に軽く手招きする里美。 「里美さんの部屋の方に来るのも久しぶりですね」 と言いながら、部屋の中に入ってくと一瞬由羅の表情が引きつる。 「……ちょっと見ないうちにまた凄まじくなりましたねぇ」 呆然とする由羅の目の前には床が見えないという形容がぴったりと合いそうな光景が広がっていた。 足場として踏み入れることができそうな場所はベッドとパソコンデスクの椅子くらいで、そこへと続く足場がかろうじて確保されていた。 その足場を器用に伝ってベッドの上に座ると、由羅に向かって手招きする。 苦笑しながら由羅は足を進めるが、そのたびに「みしっ」とか「くしゃっ」という何かが壊れるような音が響き、そのたびに足下を確認するとコンビニ弁当のフォークや入れ物が足場の下にまき散らされていた。 「いい加減にこの部屋片付けません?」 ベッドにたどり着くと、開口一番由羅は里美にそう話す。 「うーん……よく思うんだけどねぇ」 髪に櫛を入れた後、軽く額を掻く里美に、由羅は少々いらだちを覚える。 「それだったらすぐにでもやってくださいよ」 「でもねぇ……すぐに忘れちゃってね。それに、この状況見たらちょっとやる気が……ねぇ」 面倒くさそうに部屋を見渡す里美。 その視線に追随するように床を再び眺めてみると、そこにはゴミや本やらが入り交じって混沌とした状態を作り出していた。 よくよく見ると服や下着も散らばって、男性が来たら顔が引きつりそうなことは明らかだった。 もっとも、女性が来たとしても反応は似たようなものだろう。今の由羅のように……。 「で、今日はなんで来たの?」 「例の資料のこと、もしかしたら忘れてるんじゃないかって思って、近くに寄ったついでに来たんですけど、どうなってます?」 「ごめん。探してるんだけど、まだ発掘できてないの」 部屋の中で行方不明になったものを探すのに「発掘」というのも大げさな……と、最初は思っていたのだが、部屋の中いたる所に厚さ十数センチにも積もった山を見ると地層から目的の物を掘り出すという作業に似ていなくないと思ってしまうのだった。 そのために里美に頼んでいた船の工学的な資料はいまだに由羅の目に触れていないのだった。 「……里美さん、今から片付けましょうっ!」 たまりかねたのか、由羅は里美の肩をつかんで向かい合う。 「え、今からぁ?」 いかにも面倒くさそうな表情をする里美。 「このままだったらもっと状況は悪化してしまいますよ」 「さすがにこれ以上悪くならないと思うけどぉ」 「悪化します。もっと片付けたくなるくらいに」 きっぱりと断言すると、里美はしばらくの間何かを考え込み、ふいに周りを芝居がかったような感じで見回し直し、一つ溜息をついた。 「……たしかに、これ以上散らかったら辛いでしょうね」 肩をすくめて由羅に同意する里美。 その仕草を見た由羅は、里美の電話を借りて萌へ電話を掛ける。 「萌、今暇か?……なら、里美さんの所に来い。……じゃあな」 電話を切った由羅は、ひとまず散乱しているゴミを少しずつ回収し、その間に里美は着替えを行う。 しばらくして萌もやってきたが、彼女も由羅と同じように呆然と里美の部屋を見つめ、頬に一筋の汗を流した。 「なんか……すっごく散らかってません?」 「だから今からこれを片づけるんだよ」 と、ゴミ袋を萌にも渡し、明らかにゴミとしか言えないようなビニール袋やコンビニの弁当などを片っ端からゴミ袋に放り込んでいく。 それがあらかた片づくと由羅の指揮の元、萌は本を探し出してベッドの上に積み上げていき、由羅は衣類を掘り出して洗濯機の中に叩き込み、里美が必要なものと必要でないゴミを仕分けしながらゴミ袋に入れていく。 せっせと作業を続けるとほどなくして床が見えてきた。 だが、それと同時に床からはこれまで里美が紛失したと思っていたり、綺麗さっぱり忘れ去っていたようなもの等、様々な物が発見された。 「この本、文字が逆に書いてると思ったら発行が昭和17年って書いてあるんだけど、なんでこんなのが?」 萌がビニールに入ったままのやたら古い本を見つけると、由羅はやけに頑丈そうな大型の携帯用無線機を見つける。 「これ……まさか米軍のか?」 そういった感じで様々なものを発見して驚いたりしているうちに、由羅が探していた資料も見つかったのだが、その隣でふと萌の動きが止まり、額に汗をわずかに流しながらゆっくりと由羅の方に振り返る。 「ねぇ、由羅ちゃん。これって……あれだよねぇ」 「なんだ?……って……」 呼ばれて振り返る由羅だったが、萌の手の中に入っているものが視界にはいると萌と同様に動きが止まり、言葉に一瞬詰まった。その小さな手には薬莢がついたままのライフル弾と思われる弾丸がリンクが付きで数発ほど握られていた。 「これって……鉄砲の弾だよねぇ」 「ん?どうかした?」 洗濯物を乾燥機に入れて一段落した里美が戻ってくる。 「これ……まさか本物とかは言わないですよね」 「それ?本物よ」 否定してくれることを望んだ由羅だったが、里美はあっさりとその希望をうち砕いた。 「……さらりと言わないでくださいよ。それで、どこからこんなものを……」 「ちょっと知り合いから……ね」 「知り合いからって……」 一体どういう知り合いか聞こうとしたが、藪をつついて蛇を出したくないのか由羅はそれ以上聞こうとはしなかった。 「大丈夫だって。銃そのものはないんだから」 「あったらそれこそしゃれになりませんって……」 頭をぽりぽり掻きながら苦笑する由羅。 「ま、まぁこれは安全なところに置いておくとして、早いところ片づけてしまおっ」 二人の間に流れる一陣の乾ききった風を感じ取った萌がその場の雰囲気を変えるべく声を掛け、再び掃除が再開される。 由羅と萌がフローリングの床を雑巾がけしている間に里美は本を並べて衣類を片付けていく。 片づけがほぼ済んだところで、ふと部屋の中を見直して呆然とする里美。 「私の部屋って……こんなに広かったっけ?」 「広かったって……里美さんの部屋ですよ」 「でも……ねぇ」 つい数時間前までゴミの山の中で暮らしていた彼女にとっては、今の広い部屋が同じ部屋だと信じるにはしばらく時間がかかった。 「確かに、これは……」 玄関にうずたかく積まれたゴミ袋の山を見て呟く萌。その数は軽く30個を越えていた。 「これ、ゴミの日に早く出さないと全部出せないのかも……」 「ま、今のうちに出せば問題ないでしょ」 と、近くのゴミ集積地に持って行くが、さすがに入りきらずにいくつかは外に並べて行くしかなかった。 綺麗に片づいた部屋のベッドに腰掛けて、時計を見る里美。その針はすでに11時を越えようとしていた。 「さて……と。もうこんな時間かぁ……晩ご飯どうする?」 隣に座っていた萌に声を掛ける里美。 「普通の店はしまってますからねぇ。ファミレスってとこですか?」 「ま、そんなところになるわね。でも、ちょっと歩きになっちゃうわねぇ」 「車じゃないんですか?」 萌がさも当たり前のことを聞くと、里美は少々苦笑いを浮かべた表情になる。 「ちょっとガス欠でね。明日くらいに買って補給しないと」 「相変わらずの無計画な生活ですねぇ」 「もう少し持つと思ったんだけどねぇ。で、どうする?」 「わたしは歩きでもいいけど……由羅ちゃんは?」 萌が声を掛けると、里美の蔵書を読んでいた由羅が顔を上げる。 「ん?あたしもかまわねぇよ。それよりも里美さんはいいんですか?」 「たまには歩くこともしないと、それこそ不健康になっちゃうわよ。それじゃ、行きましょうか。萌ちゃんもお腹すいてるだろうしね」 「もうお腹ぺこぺこ〜なの〜。早く行こうよう〜」 お腹を押さえた萌がすぐにでも食べに行くようにと言わんばかりにお腹を押さえつつ立ち上がった。 「じゃ、ちょっと待ってね。準備するから」 と、髪を整えてジャケットを羽織る。 「そういえば、里美さん高校の時に比べたら髪綺麗になりましたねぇ」 萌がなめらかに櫛が通る髪を見て言う。 「高校の時は結構荒れてたのに……」 「大学に入ったんだから、髪くらいはきちんとしなきゃってね」 「……本当に「くらい」でしたね」 「まぁ、他のことには気が回らなくってね」 と、由羅の突っ込みにも臆することもなく、小さめのハンドバッグに財布を含めていくつかの物を入れて行くが、それを見た萌の表情が一瞬苦笑いになる。 「里美さん……いくら何でもそれはないんじゃ……」 「え?」 きょとんとする里美の手には黒い箱と細いヘアスプレーのような物が握られていた。 「それって確かスタンガンと……」 「それと催涙ガスだけど。それが何か?」 さも当然のように言う里美だが、萌に代わり由羅が口を出してきた。 「いくら護身用だからって、今日くらいは置いていきませんか?」 「いいじゃないの、持って行くくらい。これがあったらちょっと心が落ち着くのよ」 なにやら物騒なことを言う里美にさしもの由羅も呆れ顔になった。 「まぁ、それが里美さんといえば里美さんなんですけどねぇ」 「じゃ、電気とか消さなきゃいけないからちょっと外で待っててね」 二人は外でしばらく待ち、玄関から里美が出てくるのには数分の時間がかかった。 「ごめ〜ん。鍵どこにあるかちょっと探しちゃって」 「片づけて行方不明にしかけたんですか?」 「そうじゃなくって、鍵を置いた場所が今までと変わったからついね」 里美が軽く自分の頭をこづいたあと、3人は他愛もない会話をしながら深夜営業のファミレスに向かい、そこに到着すると大食い娘のためにできるだけ広いテーブルを確保した。 「さて……と。今日私の部屋の掃除をしてくれた分、今日の食事は全部私がおごってあげるわね。なんでも食べたいものを食べていいわよ」 「え?ほんと?」 目を輝かせて思わず身を乗り出す萌。 「おい……少しは遠慮しろよ」 そして、即座にそれに対して突っ込みを入れる由羅。 「いいのよ。ちょっと臨時収入があったから」 「だったら自分の食費にでも充ててくださいよぉ」 「まぁ、いいじゃないの。今回くらいはぁ」 「はいはい。わかりましたよ。なら……」 と、食べるものを選ぼうとするときには、すでに萌はメニューを隅から隅まで眺めてチェックを入れていた。 「って、萌は決まったようだな」 「うん」 3人で数々のメニューを注文していって、しばらくすると次々に料理が運ばれて目の前のテーブルは皿で埋まっていった。 そして、それをいつものように早い速度で平らげていく萌。それを苦笑しつつも微笑んで見ている由羅と里美。 萌が食べてしまった頃に、その数分の一の量を食べていた里美がやっと食べ終わった。 ●
「あ〜。おいしかった〜」 その後デザートを食べながらしばらく談笑し、特に巨大なスペシェルパフェを食べた萌はレストランを出る頃にはいかにも幸せそうな顔をしていた。 しかし、その反面里美は財布の中身を確認しいていたりする。 「里美さん、やっぱり払いましょうか?」 「あ、大丈夫よ。予算は一万くらい見込んでたから、予想よりも安くあがったわ」 そんな会話をしながら夜も更けたために静かになった道を行くが……。 「ふみ?」 萌がふいに立ち止まって周囲を見渡す。 「どうした?」 「なんか妙な感じしなかった?」 「気配?あたしは何も感じなかったけどなぁ」 「でも、あっちの方で……」 萌の指が指し示す先を追っていくと、その先には何もなかったかのように見えた。 「気のせいじゃ……」 ないのかと指さされた先を見ながら言いかけて、ふと言葉が止まる。 急にその先の景色がゆがみ、獣のようなものが何もない宙からわいて出てきた。そして、その獣は3人を認識するとそのまま迫ってきた。 それはあからさまに禍々しい気配を出している上、あまつさえ眼球は淡い光を発して3人に目を向けているあたりは、とうてい彼女たちに厚意的な感情を持っているとは思えなかった。 その獣に対しての見覚えはなかったが、ふいに危機感を覚えた由羅はとっさに二人に向けて叫んだ。 「に、逃げろっ!」 由羅の合図で3人揃って一斉に180度反転し、もと来た道を走って戻り始めたが、その直後に何に躓いたのか里美が派手に転んだ。 「里美さんっ!」 萌が先に行ったのを確認して慌てて里美の所に舞い戻る由羅だが、里美は足首を押さえたまま道端にうずくまっていた。 「あ、足を挫いたみたい。私はいいから早く逃げて!」 「何言ってんですかっ!ドラマじゃあるまいしっ!」 くじいた足をかばいつつ由羅に自分を置いていくように言う里美だったが、由羅がそれを聞くはずはなかった。 「あたしが肩かしますからっ」 と、半ば強引に里美に肩を貸してその場から逃げるが、里美という荷物を持った状態では獣との距離は開くどころか縮んでいく一方だった。 「自分の身くらいは自分で守れるから早くっ」 「いくらスタンガンとか護身用の物持ってるからって里美さんがあれにかなうわけないでしょっ」 「そ、そんなこと……っ!?」 やってみなければと言おうとしてふと視線の隅に獣を捕らえるが、その時獣は立ち止まって口を大きく開いていた。 次の瞬間、獣が口を素早く閉じると、そこから直径20センチあまりの球形の透明な物が周囲の風景を微妙に曲げながら二人の元へとまっすぐに飛んできた。 「由羅ちゃん。避けてっ!」 「え?」 それを見た里美は咄嗟に声を掛けるが、その時にはすでに遅かった。 由羅が里美の声を認識した直後、獣が飛ばしてきた物は狙い違わず由羅の背中に命中し、蓄積されたエネルギーが運動エネルギーと共に解放される。 その瞬間、由羅はそれが空気の固まり――衝撃波のようなもの――ということを認識したが喰らった由羅にとってはどうでもいいことだった。 「かはっ!」 解放されたエネルギーは空間に拡散せずにほとんどが由羅に向かって集中したために由羅は肩を貸していた里美と共に数m跳ね飛ばされ、彼女はしばらく呼吸をすることもままならず、周りの状況をつかむどころではなくただ喘ぐことしかできなかった。 しかし、呼吸がわずかにでも回復するのにはそう時間がかからず、すぐさま里美を確認するが、彼女は埃まみれにはなっていたが怪我はないようだった。そして周りを確認しようとすると目の前に急に影がかかる。 「ゆ、由羅ちゃん、大丈夫?」 喘ぐ由羅の耳に入ってきた声は逃げ切ったと思っていた萌だった。 「も、萌……なんで戻ってきたんだ」 「だってぇ……由羅ちゃんと里美さん置いて逃げられないよぉ」 「馬鹿野郎っ!」 怒鳴る由羅だが、身体が満足に動かない現状では大声を出すだけでも胸に鈍い痛みが走る。 「くっ……」 痛みに胸を押さえ、顔をしかめる由羅に心配そうな顔をする萌。 「で、でも由羅ちゃん……」 「あの時は助かったが、またこんなのに殺されそうになったらどうするんだっ!」 「え?」 突然の由羅の言葉に一瞬きょとんとする里美と萌。言った由羅も自分の言ったことを理解していない感じがあった。 「あの時って……」 しかし、里美の応えに由羅が応える暇はなく、目の前には元にたどり着いた獣が彼女たちに襲いかかろうとしていた。 獣が、三人に向かって先に鋭い爪のついた前脚を突き出すと、3人は次に来る衝撃と激痛に恐怖するかのようにぎゅっと瞳を閉じた。 ……が、来るべき衝撃は来ず、前脚を振ったことにより発生した微風が肌を撫でただけであった。 「……え?当たってない?」 ゆっくりと瞳を開けると、里美の視界には空振りを続ける獣の姿があった。 「なんで目の前の私たちを……」 無駄に空振りを続ける獣に由羅は少し余裕ができたのか、それとも恐怖心が麻痺してきたのか状況を確認しだしていた。 「こいつの目、蛙か?」 「か、蛙って?」 相変わらず怯えた表情の里美が聞いてくる。 「蛙は動く物しか見れないんだろ?」 「う、うん……」 曖昧にうなずく里美。だが、それに対して萌はその脇で目の前の恐怖に耐えられなかったのか一瞬意識を失った。 「きゅう……」 それを見た里美は急に目つきを厳しくすると、いきなり由羅の元から飛び出した。 いきなり自分からだけではなく獣からも遠ざかっていくのを見た由羅は、一瞬何が起こったのか判断できず、その状況を認識できてもやはり「なぜ」「どうして」が渦巻いていた。 しかし、由羅の仮定を裏付けるかのように獣は迅速に反応し、無造作に衝撃波を放つとそれは一直線に里美に向けて飛んでいった。 ふと振り返ろうとした里美が気がついても回避する間も与えず、その身体に衝撃波がぶつかり、その反動で彼女の華奢な身体が跳ね飛ばされて宙を舞った。 TO BE CONTINUED |