由羅達の元から急に駆けだした里美。
その姿は衝撃波による攻撃を受けたために身動きのとれなくなってしまった由羅と、恐怖のためか気絶した萌の元から逃げ出したかのようにも見えた。 しかし、いきなり動き出したを見た「狼を禍々しくした」という形容がぴたりと来るような獣は、里美に向かって先程由羅に放ち彼女を行動不能にした衝撃波をその口から再び放つ。 それに気がついたのか里美が振り返ろうとしたのだがその時にはすでに遅く、彼女の脇腹に命中するとその細い身体に向かって持っていたエネルギーを解放した。 「里美さんっ!」 由羅の声が届く頃には衝撃波が直撃した里美の身体は、その反動で簡単に宙を舞っていた。 里美はそのまま回避することもかなわずに地面に叩きつけられ、肋骨が折れて肺に突き刺さる。血反吐を吐いた後にぴくりとも動かなくなると、そのまま身体が冷たく……。 由羅が宙を舞った里美を見た時、一瞬にしてそのような錯覚が彼女の脳裏によぎっていった。 ……が、それに反して里美は空中で器用に身体を捻って姿勢を修正すると、地面への衝突寸前に地面に片手をつけて落下方向を幾分水平方向に偏向させることで地面への直撃を回避した。 そして、そのまま地面を転がって勢いを殺しつつダメージを最小限に押さえる。 転がっていく途中で眼鏡がはじけ飛んだが、構わずに勢いが消えると体勢を立て直して膝立ちの姿勢になる。 その状態から里美が自分のスカートを跳ね上げると白い太股があらわになったが、そこには由羅が予想もしなかったもの――ホルスター――が見え、その中に一丁の拳銃が納められていた。 そして、その銃を引き抜くと素早くセーフティを解除し、獣に向かって引き金を引く。 「うそ……」 一連の里美の動きに由羅は目を見張り、思わずそう呟く。 いつの間にか意識を取り戻していた萌も「ほえぇ〜」と呆然と眺めていた。 その機敏な姿は普段の里美の「のほほん」としたイメージを消し去るには十分であったからだ。 しかし、それと同時に不信感をも覚えた。その動きの起点となったのはくじいて痛めたはずの足だったからだ。 なにより由羅自身が受けて動けなくなった衝撃波をもろに喰らったはずなのに、その動きにはそれを感じさせないでいた。 しかも、眼鏡がない分、狙いが不正確になるため、目を細くして大雑把に狙いを付けていたが、遠視気味の視力を矯正するための眼鏡がないために、ただでさえ普段より小さく見える瞳がさらに小さく見えて里美の印象をまた違ったものとしていた。 くぐもった発射音が響くと、火薬の爆発力によって加速された銃弾が獣の身体に食い込み、その直後に体内で鈍い爆発音が鳴った。 その内部圧力に皮膚が膨張すると、その圧力に耐えられなかったように皮膚が裂け肉片がちぎれて飛び散った。 獣は低い唸り声を上げて苦しみ始め、それを確認した里美はさらに連射を続ける。 何発も銃弾を叩き込むと、獣はゆっくりとぼろぼろになった身体を傾け、どぅっという音を立てて倒れた。 動かなくなったことを確認すると銃をホルスターの戻して由羅の元に駆け寄る。 萌に背を起こされた由羅は呼吸を整えながら 「由羅ちゃん、大丈夫?動ける?」 「まだ身体がきしみますけど、なんとか動けないことはないですね」 簡単に自己診断をして、その結果を由羅は簡単に伝える。 「よかった」 その言葉に胸をなで下ろして安堵する里美。 しかし、それを見つめる由羅の瞳は冷たいものになっていた。 「……で、いったいどう言うことですか?」 「どういうことって?」 「とぼけないでください。銃を持ったとか言う話は聞いてませんよ」 「え?嘘は言ってないわよ。ライフル弾は持ってたけど、ライフル銃そのものは持ってないんだし」 きょとんとする里美。 「この期に及んでボケなんかかまさないでください。あたしがいってるのは今持っている銃のことですっ」 「えっと……これはいろいろとあってね」 「それじゃ説明にもなりませんよ」 「そ、そうじゃなくって」 「じゃあ、なんと言うんです?」 「それは……」 「それに、足くじいたって嘘までついて……」 畳みかけるように浴びせかけられる由羅の言葉に固まったまま里美が言葉に詰まっていると、彼女の背後で先程倒したはずの獣が起きあがり、再び衝撃波を放とうとしていた。 「里美さん、伏せてっ」 それを見た由羅は咄嗟に里美を庇おうとしたが、その直前に衝撃波が放たれて、それは突然のことに反応しきれずに硬直したままだった里美の身体に食い込むことになった。 反動で再び吹き飛ぶ里美。だが、今度は体勢を立て直す暇もなくそのまま壁に叩きつけられるとそのまま崩れ落ちて動かなくなった。 それを確認した獣は満足したかのようにゆっくりと由羅たちの元へと移動してきた。 「萌、動けるかっ?」 「う、うん。怪我してないから」 「じゃあ、里美さんを病院に連れていってくれっ」 「ゆ、由羅ちゃんも……」 萌は由羅もと誘うが、由羅の瞳は獣の方を向いたままだった。 「あたしはここであいつをくい止める」 「くい止めるって……」 「心配するな、あんなのにやられるほどあたしはやわじゃねぇから。それに、お前たちが十分遠ざかったらすぐに追いつくからな」 「う、うん」 軽く萌の頭をぽんと叩くいて行かせた後、『まったく、狼と戦うなんてしゃれになってないよな』と呟きながらも、由羅は視線を獣に走らせる。 「お前の相手はあたしだっ」 痛む身体をおして由羅は立ち上がり、獣に対して向き合う。 しかし、獣は由羅の方に向かわず、むしろ萌を目標としたように襲いかかる。 「きゃぁっ」 目標とされた萌は目の前の現実を拒否するかのように顔を手で覆い、咄嗟のことに硬直していた。 「なっ……!」 意表をつかれた動きに一瞬戸惑いを見せつつも、すぐに萌に襲いかかる獣にブロックをかける由羅。 「うぅっ!」 恐怖に手で顔を覆っていた萌だったが、耳に入ったうめき声にそっと手を外すと目の前には由羅の大きな背中が映っていた。 今まさに飛びかかろうとしていた獣と萌の間に由羅は身体を割り込ませていたが、獣は由羅の腕にその鋭い牙を突き立てて彼女の肌から鮮血を吹き出させていた。 そして、それを外そうとしている由羅。 「ゆ、由羅ちゃんっ!」 「萌、お前は離れてじっとしてろ」 「でも……」 「いまはそんなこと言ってる時じゃないだろうがっ」 由羅に怒鳴られながら近くの電信柱の影に避難する。 それを確認した由羅は渾身の力で獣を引き剥がし、地面に転がしたところで蹴り上げた。 さすがにこれは応えたのか、うめき声とも悲鳴ともつかないような声をあげて少し離れたところに転がった。 しかし、起きあがった獣はしっかりと萌の位置を捕らえ、まっすぐに彼女の方へと向かった。 「え〜ん、なんでわたしばっかり〜?」 半べそになりながらも、また逃げ出す萌。そして萌を守るために動く由羅。 今度は時間的にも精神的にも余裕があり、由羅は獣の移動方向に身体を移すとぶつかる寸前で少し重心をずらして蹴りを放つ。 横腹にしっかりとくい込んだ足をそのまま降り抜くと、軽そうには見えない獣の身体が宙に舞って地面に叩きつけられた。 吹き飛んで動きが鈍くなっている獣を確認し、とどめを刺そうとした由羅は、背後の方から寒気とも殺気ともつかないような奇妙な気配を感じて、思わず振り向いた。 その視線の先では、壁に身体を打ちつけて動けなくなっていたはずの里美がゆらりと立ち上がっていた。 里美はその場で片方の手の平を地面に向けて何かを呟き始めると、彼女の周囲の砂や埃が舞い上がり、彼女を中心として渦巻き始めたように見えた。 始めは錯覚だと思った由羅だったが、次第にその流れは風という明確な形を取り始め、里美のスカートの裾をたなびかせながら激しくなっていった。 荒れる風に髪を留めていた簡素なゴムが切れて吹き飛び、ほどけた長い髪が風に舞う。 その姿は眼鏡が無くなっていることとも相まって、ある種の幻想的な雰囲気を醸し出していた。 由羅は自分の腕の傷の痛みも忘れてその姿を見つめていた。 里美の視線は獣を射抜き、静かに腕を上げる。 風の流れは上げた腕に集まってそこを中心としたものになり、それを振り下ろすと直後に横に勢いよく薙いだ。 里美から解放された風は独立した高圧の流れを持ち、薄く刃状になって獣の四方八方から襲いかかる。 それは獣の体中にくい込み、勢いを減殺しつつも獣の身体を突き抜けていった。 その中のいくつかは足などを切断し、弾丸に耐えた獣もさすがにこれは耐えきれなかったか崩れ落ちた。 しばらく時間をおいて動かなくなったのを確認するとそばに近寄り、靴の先で軽くつつくと獣の身体は崩れ、さらさらと細かい塵になって分解し始めた。 「ったく、銃弾だけでくたばってなかったなんて、しつこいわね」 髪を掻き上げながら獣だったものを見下す里美。その瞳は冷たく、そこには里美という印象を与えるものはまるでなくなっていた 「里美……さん?」 由羅の言葉に、ふいに我に帰る。 「あ、えっと……」 二人を見て狼狽の表情を見せる里美。しかし、それもつかの間のことですぐに先程までの雰囲気を取り戻す。 「なに?」 「やっぱり、あの夜あたしの部屋に忍び込んだのは里美さんだったんですね」 「由羅……ちゃん、もしかして記憶が?」 「えぇ、思いだしてしまいましたよ」 「ほえ?二人とも何言ってるの?」 獣がいなくなったのを確認しておそるおそる二人の所に帰ってきた萌だったが、話がつかめずに呆然としていた。 「しばらく前にお前が見た夢っていうの、夢じゃなかったってことさ」 「え?えぇ?」 由羅の言葉が理解できていない萌。それに続けて里美も話す。しかし、その口調と声色も瞳同様冷たさを含んでいた。 「そして、萌の記憶はきちんとしていたって事・・・あの夜のことは私が捏造してあなたの記憶に刷り込んだものなのよ……少し失敗してたみたいだけど」 「みゅ?」 それでも理解できない萌。 「まぁ、理解できないのも当然かな」 と、ぽんと軽く里美は萌の頭に手を置く。 「でもね。知らない方がいいって言うこともあるのよ」 目線をあわせて微笑む里美。 「でも、里美さん妙なことできるんですね」 「あ……ま、まあね……」 少々歯切れの悪いような口調に気がついたのは萌だった。 「でも、雰囲気が里美さんじゃないのは気のせい?まるで他の人みたい……」 「おいおい、お前もさっきまで里美さんと話してたじゃないか」 萌の頭を軽くこづくが、萌も譲らない。 「でも、今の里美さん雰囲気が少し冷たいし、話し方も何か変だよぉ」 「さっきどこかぶつけたせいじゃないのか?……たぶん」 だんだん自信が無くなった由羅と萌との話を見て、里美は一瞬溜息をつき、 「やっぱり昔からの知り合いはごまかせそうにはないか」 と、呟く。 「え?」 二人が振り向くと、里美は真剣な顔になった。 「萌の言っていること、正しいわ……私は身体は里美だけど、今の心は里美じゃなくて別のもの……そう言えばわかるかしら?」 「それって……二重人格?」 「まぁ、世間一般ではそうとも言うわね」 「何か違うんですか?」 「たぶん違わないとは思うけど、私の時と里美の時のギャップが大きいと言うことと、ゲームでいったら使える「技能」が違うという事かしらね。あいつのやってることはどうもわかりそうにないし」 苦笑しながら髪を掻き上げ、再び二人に向かいあう。 「改めてだけど自己紹介しておくわ。私は春菜。この『里美』といわれている身体を支配するもう一つの人格よ」 「春菜……さん?」 呆然として呟く二人の声が期せずして重なる。 「春菜でいいわよ。身体は確かにあなた達の先輩だけど、心……というか、今の私はどうせ里美とは全くの別人だから」 「じゃあ、春菜。さっきの……」 由羅が何か聞こうとすると、里美……もとい春菜は由羅の口をに当てるように人差し指を出してその声を止めた。 「聞きたいことはいろいろあるでしょうけど、その前に由羅、あなたの腕の怪我をどうにかしなきゃいけないわね」 言われて気がつくと、怪我した腕を空いた手で無意識に押さえて少しでも止血しようとしていたが、その手も血にまみれていた。 さすがに出血を続ける腕を見ると由羅の顔も蒼白になって慌てた。 「も、萌と同じように治せるんなら、そうしてくれ」 「はいはい。じゃ、結構痛いけど、我慢してね」 「えっ?あ゛ぁぁっ!」 春菜の意味深な台詞に由羅が疑問を持った頃には春菜の手の平と傷ついた由羅の腕の間に暖かそうな緑色の光がともった。その暖かさを由羅も感じたと思った瞬間、突然腕に走った激痛に声を上げる由羅。 「だからいったでしょ?痛いって」 「しゃ、しゃれになってねぇっ!」 歯を食いしばって痛みに耐えるが、その痛みも急速に皮膚が再生して傷が治っていくうちに静まっていき、光が消えた頃には腕の傷も痛みも綺麗さっぱり消え去っていた。 「確かに治ってるけど、さっきの痛みはどうにかならないのか?」 「細胞レベルで活性化させて治癒してるから、痛覚とかの感覚細胞も鋭敏になってるのよ」 「だ、だからってこれは半端じゃ……」 「ないってことはわかってるんだけどね。早く治る魔法はやっぱり由羅も悲鳴を上げちゃうか」 「いきなりこんなのが来たら声あげちまうだろうがっ」 由羅の批判を聞かずに淡々と続ける春菜。 「萌の時は意識無かったから問題なかったけどね。もっとも、意識があったら痛みでまた気絶しただろうから問題ないけど」 「人の話聞けよ、おい」 「まぁ、怪我が治ったからいいじゃないのよ。とりあえず部屋に戻りましょう。話はそれからでもいいでしょ」 と、地面に転がった里美の眼鏡を拾った春菜は二人の返答を待つことなく歩き始めた。 「お、おい。ちょっと待てよ」 「由羅ちゃん、待ってよぉ」 慌てて追いかける由羅と、その由羅を更に追いかける萌だった。 TO BE CONTINUED |