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◆今週の記事

◆腐敗と発酵は同じもの

 今年最初の「史点」となりますが、もう節分も過ぎちゃって春めいてまいりました。今年は元旦にいきなり能登半島地震が起こり、ウクライナ情勢もパレスチナ情勢も相変わらず、どこの景気いいのか知らんが株価がバブル期を超える勢いになるなど、年明けから人類業界は混沌としております、まぁいつもそうなんだろうけど。


 さて、いきなり何の話だというタイトルだが、高校の時に生物の先生が口にしていた言葉である。食べ物などが細菌の活動により腐ってしまうのが「腐敗」であるが、チーズやバター、あるいは納豆といった僕らが口にしている食品を作る過程である「発酵」も細菌の活動によるものということではまったく同じである、という話。つまりは、人間にとって有用なものが「発酵」と呼ばれ、害があるとされたものが「腐敗」と呼ばれるというわけ。その境界線は実は結構あいまいで、人により同じ現象が腐敗にも発酵にもなってしまう。
 昨年末から騒ぎになっていた、自民党の安倍派を中心とする国会議員たちの「政治資金パーティーキックバック裏金」問題の拡大のなかで、安倍派のある議員がこの裏金作りについて「文化だ」と発言しているのを見て、「ああ、政治腐敗も政治発酵とみなせるようになるんだな」と思ったものだ。

 年末には東京地検特捜部が動き出し、数多くの自民党国会議員が任意聴取を受けた。一時、これはかなり多くの逮捕者が出るのかな、と見る向きもあったけど、結局のところ、この件での国会議員の逮捕者は一人しか出ていない。ま、思い返せばあのリクルート疑獄の時だって政治家の逮捕者は一人くらいだった。それでも政界に広い影響は出て、自民党の支持率低下という状況になってるのはおんなじ。ただ日本政界でこういうことがあったときの定番、「誰か自殺者が出る」は今のところない。

 驚いたのが、今回の事態を受けての自民党の自浄作用として、「派閥の解消」岸田文雄首相自身がとなえ、実際にいくつかの歴史ある派閥が1月のうちに解散してしまったことだ。
 戦後日本で長く政権与党であり続けた自由民主党の歴史は派閥の歴史と言っていい。そもそも自由党と民主党が保守合同ということで合体したのが自民党の始まりで、その時点でもとの政党二つの系統の派閥はできていた。また巨大政党だけに所属政治家の間でも政治的立場や意見の相違はあるから自然と「政党内政党」のグループが作られるようになる。最初はあくまで政治の勉強会だったのが「派閥」に成長していった例もある。
 政策的に近い政治家が集まるとはいえ「派閥」というのは人間関係。自民党はこの派閥群のくっついたり離れたり乗っ取ったりの繰り返しで歴代の総理大臣、その下の大臣らを決めてきた。そして国会議員は選挙で落ちればただの人、いやそれ以下、ということになるので、選挙のためのカネを集めて分配するのも派閥の大きな役割だった。今回の「裏金」問題が安倍派に集中したのは、この派閥、その創始者の福田赳夫以来理念優先型で各種業界とからむ族議員が少なく(この点、田中派→竹下派…現・茂木派は充実していた)集金能力に不足するところがあったから、とも言われている。

 ともかく、そうした自民党の特徴そのものともいえる「派閥」を、一気になくしちまおう、というのは歴史的にみて大変なこととは思う。岸田首相自身が属する「宏池会」は池田勇人に始まる「保守本流」の名門派閥で、「お公家集団」とのあだ名があったようにお上品な人は多いが闘争力に欠けるところがあり、岸田さんは宏池会久々の総理大臣となったのだが、そこでその歴史そのものに幕を閉じることになってしまった。
 今回の問題の中心であった安倍派、正式には「清和政策研究会」も福田赳夫以来の有力派閥で、もとをたどれば安倍晋三の祖父・岸信介の流れも汲んでいて、その女婿の安倍晋太郎、その子の安倍晋三も派閥リーダーをつとめた。安倍晋三が暗殺という思わぬ最期を遂げたのちも「安倍派」の看板を掲げたまま集団指導体制になってるのも、この一族、ことに晋三さんの支配力がかなり大きく、後継者指名ができないまま死んだためだと思われる。ヤクザの抗争の原因もたいがい跡目相続問題だもんね。

 21世紀に入ってからは多くの総理を出して「一強」と呼ばれるほどに強力になった安倍派だが、晋三さんが亡くなった直後に「統一教会」との深い関係が次々明らかにされ、ここで裏金問題でどうにもならず解散を受け入れることに。同派の議員の誰だかが派閥解散について「安倍先生に申し訳ない」などと言ってたけど、経緯を知るとどうもその安倍先生自身に原因があったようにしか思えない。
 まるで安倍派の終焉を見届けるかのように、2月4日に岸信介の娘で安倍晋太郎の妻、そして安倍晋三の生母である安倍洋子さんが95歳で亡くなっている。これも何やら時代の節目…とも思ったが、お孫さんの岸信千代がしっかり岸家の系譜を引き継いでいて、まぁなんというか、お名前も含めて昔の大名家みたいである。

 派閥解消については抵抗している派閥もあるし、解散したはずの安倍派では福田達夫議員(もちろん福田赳夫の孫)が「派閥とは違う新しい新しい集団が必要」と言い出して結局派閥を作るんじゃないのかとささやかれてるし(そうそう、この人、統一教会の件で「何が問題かよくわからない」とのたまっていたな)、安倍チルドレンの代表であった高市早苗議員をかついで保守タカ派がグループをつくろうとする動きもあるとか。
 正直なところ、僕もこのまま自民党から派閥が消えるとは信じていない。これまでにも自民党は下野するなど危機的状況になると派閥解消が唱えられ、一見実行したかに見えて政権を取り返すとまた元通り、ということをやってきてるからだ。中国共産党も長期一党支配の秘訣を自民党派閥政治に求めて調べてる、なんて話もあるくらいで、そうそう簡単には消えないだろうと。「永田町ムラ」の何代にもわたるムラ社会体制をなめてはいけない。

 共産党といえば、とってつけたような話になるが、日本共産党の方は1月に党大会を開き、実に23年ぶりに党委員長が志位和夫から田村智子にバトンタッチした。この党は民主集中制というやつで、党員の選挙などもなく、また表向き派閥も存在せず、いつの間にやらトップが決まって長い間党の顔となる。長年党の理論的リーダーであった不破哲三元議長も引退となり、世代交代さらには初の女性委員長で新鮮さをアピールするということなんだろう。党中央への批判には徹底的に追放で応じる、というところは相変わらずのようだが…。



◆桐島、逃亡やめるってよ

 そうそう、この顔はよく覚えていた。交番や駅などに掲示されている重要指名手配犯の情報提供をよびかけるポスター、どの人物の顔も覚えられないものだが、この妙に明るく笑うロン毛のメガネ青年の顔だけは印象的だった。指名手配犯の顔写真ってたいてい無表情なので、明るい笑顔が印象的だったのだが、これしか使える写真がなかったということなんだろう。まぁ僕も顔は覚えても名前の方はまったく覚えていなかったんだが。

 去る1月25日、その笑顔の青年、もちろんほぼ半世紀前に青年であった桐島聡容疑者本人だと名乗る人物が現れ、大いに世間をざわつかせた。すでに70歳になっていたこの人物は倒れていたところを病院にかつぎこまれ、末期がんで重篤の状態であった。もはや最期と悟った彼は「自分は実は指名手配されている桐島聡だ。死ぬのなら本名で死にたい」という趣旨の発言をし、病院から警察に通報がいった。捜査員が彼に対面して話を聞き、親族関係など桐島自身しか知りえない話をしたこと、体格や出身地の広島訛りなどの状況証拠から、本人の主張するように桐島当人である可能性が高いと判断された。しかし直接的物証がないため、複数の親族からDNAの提供を受けて鑑定をおこなったところ、とりあえず実際に親族関係があるとしても「矛盾はない」という、ちと微妙な結果が出た。

 結局、1月29日朝に「自称桐島聡」は死亡。すでに火葬にされた現時点でも「桐島容疑者を名乗る男」と報道で表現されているところをみると、、まだ断定にはいたっていないようだが、桐島聡当人だったということで間違いなさそう。遺骨の引き取りは親族の誰一人引き受けなかったとのことで、鎌倉の無縁仏の墓地に葬られる見込みだという。彼の関わった事件については当然批判するべきだが、半世紀近くにわたる逃亡の末の一人寂しい最期には、哀れというか独得の感慨を覚えざるをえなかった。


 桐島が所属していたのは「東アジア反日武装戦線」という、凄い名前の極左テロ集団だった。結成されたのは1972年で、同年には「連合赤軍」による山岳ベース事件、あさま山荘事件が起きている。1970年くらいまでは大学生たちを中心にすぐにも社会主義革命が起こるんじゃないかという期待のもとに左翼的な運動が活発だったが、70年を過ぎたころからその行き詰まり、衰退が明らかになってきて、その流れに抗うかのように極端な暴力革命を目指す過激派が目立つようになり、「連合赤軍」がまさにそれだった。「東アジア反日武装戦線」はさらに極端になって「日本帝国主義」の打倒を叫び、海外に進出する日本企業を標的に爆弾テロを繰り返した。今でこそ保守系の人が左がかった人を「反日」呼ばわりする例はよくあるが、彼らは自ら「反日」を標榜、最大8人の犠牲者を出した三菱重工爆破事件(1974)では、巻き込まれた一般人犠牲者について「無関係ではない」と言い張り、日本人全員すら「敵」にしたくらい筋金入りの「反日」だったのだ。

 次々と爆弾事件を起こした「武装戦線」メンバーのうち、当時20歳の桐島は戦線内の「さそり」というグループに配置され、いくつかの爆破事件に関与したとされる。もっとも1975年5月に「戦線」のメンバーが一斉逮捕されるまで警察は桐島の存在に気づいていなかったようで、彼が具体的にどの事件に関わっていたかは死ぬ間際の聞き取りでも警察の認識と一致しないところもあったらしい。
 ともかく「戦線」メンバーの中で前科もなく警察に把握すらされていなかった桐島は、他のメンバーがみな逮捕されたことを知るとすぐに銀行から金を下ろし、広島県の実家に電話をかけて「岡山に女といる。国外逃亡も考えている」と伝えた5月31日を最後に消息を絶った。一部報道で今回名乗り出た人物も一時国外逃亡していたような話をしたとか聞いた気もするのだが、それが事実としても短期間のことだろう。彼は神奈川県内の工務店に住み込みで働くようになり、半世紀近くをそこで「内田洋」として生活していたというのだから。

 この「内田洋」と名乗っていた人物について、周辺の人々が様々に証言していたが、それらを聞く限り桐島はごく普通に、平穏な人生を送ったものらしい。彼自身とくに何か用心するとか警戒するといった様子を見せず、真面目に働き、銭湯へ行き、その帰りにバーで一杯ひっかけ、好きな音楽に身を揺らせ、友人たちからは「うーやん」と親しまれ、どうも20歳も年下の交際女性がいたこともあったらしい。つまりはごく普通に暮らしていたわけで、それは「戦線」の教本に出てくる潜伏方法と同じだとの指摘もあるんだけど、いつしかそういう生活にそれなりの幸せを見出すようになったのではないだろうか。「戦線」の他のメンバーの中には自殺したもの、日本赤軍による「ダッカ事件」の超法規的措置で国外逃亡した者などいろいろいるのだが、彼らの活動自体がグダグダになっていくのを横目にして彼自身いろいろ思うところはあったのではなかろうか。
 ただし指名手配犯であることは十分自覚していたし自首するつもりもなかった。彼の本当の身分を示すわけにはいかない。そのため住み込みだから住居については問題なくても保健相がないから医者にもかかれず、歯も全て抜けていたとの証言がある。医者にかかれればあのような最期にはならず、あるいはもう少し長生きできたかもしれない。交際していた女性とも正式に結婚・入籍というわけにはいかなかったはずだ。


 このニュースを最初に聞いた時、僕が連想したのは井上伝蔵のことだった。井上伝蔵は1884年(明治17)に起きた「秩父事件」の指導者の一人で、彼らの蜂起が政府により鎮圧されたのち北海道に逃亡、欠席裁判で死刑判決を受けながら偽名を使ってそちらで生活、新たに妻子ももうけて(これも戸籍の問題があるので正式というわけではない)34年間潜伏を続けた。1918年(大正7)、死の間際になって家族に自身の素性を告白し、秩父に残していた先妻も呼び寄せてみとられながら世を去った。この逸話を映画「草の乱」(神山征二郎監督、緒方直人主演)の冒頭部分で再現されていて、僕はそれで初めて知ったわけだが、今回の「桐島聡」の死にも通ずるものがあるな、と思ったものだ。

 さらに連想ばなしを書くと、「桐島」が亡くなった直後の1月31日に民放BSで東映映画「新幹線大爆破」が放送された。これが偶然にも、桐島が逃亡を始めた1975年公開の映画で、主人公たちは新幹線に爆弾を仕掛けて身代金を得ようとする内容。彼らの中に左翼運動くずれの男がいて爆弾調達を担当するのだが、演じてるのがこういう「左翼運動家」の役が妙に多い山本圭で、身代金を手に入れたら何をしたいと問われて「革命が成功した国へ行きたい」と答えるところに「時代」がにじんでいて、何やら「桐島聡」と重なってくるものがあった。
 なお、桐島が亡くなった直後、例の指名手配のポスターで彼の隣に写真が乗せられていた手配犯が、「似た人がいる」との通報で逮捕されていた。桐島の話が世間の注目を集めたために、その隣の写真に目が行った結果と思われ、当人にしてみりゃとんだトバッチリだが、まぁ日頃あんまり見てないよねぇ、ああいうポスターって。



◆そして女王はいなくなった

 昨年の大晦日、12月31日にデンマークの女王・マルグレーテ2世(83)がテレビ演説を行い、年明けの1月14日をもって退位することを表明した。なぜ1月14日なのかといえば、彼女が即位したのが1972年の同日だから。そして予定通り、2024年1月14日に王位継承式が挙行され、マルグレーテ2世は52年の在位期間をもって退位、長男のフレゼリク10世(55)が新国王に即位した。女王が生前退位すると「上女王」とかになるのか、と思ったら、退位しても「デンマーク女王陛下」という称号はそのままなんだそうな。

 デンマークは西ヨーロッパにいくつか残る君主国の一つで、デンマーク王室は日本の次に古い君主制国家と呼ばれることがある。日本の天皇家は2600年以上…というのはさすがに怪しいとしても古墳時代の6世紀からは一つの王朝として続いているから世界最長の王朝とされるのだが、デンマーク王室の場合はいくつかの王朝に分けられるものの緩やかに血縁がつながっていて、現在の王室の祖先は10世紀に国王をやっていた人物にまでさかのぼれる。
 そんなデンマーク王室の歴史のなかで、今回のマルグレーテ2世のように生前退位があったのは実は一度しかない。それもずいぶん前の話で、日本でいえば平安時代末の12世紀に生きたエーリケ3世(在位:1137-1146)の例があるだけなのだ。この人の治世はいろいろと混乱期で、生前退位の理由は当人が統治能力なしと自覚したからとも病気だったからとも言われてるそうで。

 生前退位といえば日本の皇室でもつい最近かなり久々に実行したのが記憶に新しいが、それより少し前の2013年にはオランダのベアトリクス女王が生前退位している。オランダの場合は3代続けて女王でいずれも生前退位だったので習慣化してるのかもしれないが、近頃はどこの国の君主も長寿傾向で年齢的に公務が無理になっているってこともあるだろう。
 一昨年死去したイギリスのエリザベス2世にも生前退位の噂がたったことがあるが、結局終身在位となった。オランダのベアトリクスの退位、イギリスのエリザベス2世の死去、そして今回のデンマークのマルガリーテ2世の退位で、世界に女性君主は一人もいない状況となった。

 そういえば日本の皇室では現天皇の皇女である敬宮愛子さんが大学を卒業、日本赤十字に就職が決まった。もうそんな年なんだなぁと感慨深いが、愛子さんがまだ小さく、秋篠宮家に悠仁親王が生まれるまでは女性天皇、女系天皇をどうするんだという議論がわきあがっていた。女性天皇は古代や江戸時代に先例があるが、愛子さんが天皇となって民間から配偶者を迎えると男系の血筋がと途絶える、ってんで保守業界で「愛子天皇」など絶対に不可、って声が強く唱えられた。じゃあどうするんだというと敗戦後に皇籍を離脱した伏見宮系の「旧皇族」男性の皇室復帰をしようという話で、小泉政権時の諮問会議で「共通の先祖が室町時代」ということで実質拒絶されたものの、つい先日も内閣の皇室に関する議論のなかで「旧皇族男子を養子にする」という案が一応とりこまれるなどくすぶり続けている。

 なんか最近、保守系の方面では秋篠宮家への風当たりが異様に強く、「愛子天皇」という話が復活してきてるのは、悠仁さんの後継問題が出るころには適当なs旧皇族男子がいなくなってる可能性があり、今のうちに愛子さんの配偶者に旧皇族男子を立てないと、と焦りだしてるんじゃないかと見える。
 そんななか、週刊誌などの一部報道で愛子さんの「お相手候補」みたいなチラッと話が出てきて…眞子さんの時のような変な騒ぎにならなきゃいいんですがね。



◆母国をたずねて三千里

 現在まで続く韓国エンタメの世界的ヒットの最初のものは、1999年公開の映画「シュリ」だったように記憶している。北朝鮮の工作員と韓国の情報部員が恋人どうしになっていて…というお話なのだが、ハリウッドエンタメ的なアクション満載の攻防戦が非常に面白く、そこに「南北分断」の隠し味がついているのが当時物珍しくもあった。
 そのクライマックス部分で、北朝鮮工作員の男が、「♪我らの願いは統一、♪夢にも願いは統一…そんな寝言をお前たちが歌っているうちに…」と苦い顔で言い出す場面がある。この歌はズバリ「統一の歌」という名前で、韓国で半島全体の統一を願って広く歌われた歌だ。この映画ではこの歌を北朝鮮の現実を知る工作員が、そんな甘いことをと揶揄しているわけで、それは残念ながら四半世紀たった現在でも状況は変わっていない…いや、より悪化してる気配が濃厚だ。

 今更な歴史確認だが、朝鮮王朝時代も日本の植民地支配を受けていた時期も、半島全体が一つの国家、領域となっていた。日本の敗戦後に冷戦構造のなかで北朝鮮と韓国という二つの国家が成立、双方でこの領域と民族の「唯一の正当政府」と主張して統一を目指した朝鮮戦争が戦われ、その休戦後もお互い相手の政府・国家の存在は公式には認めず、「南朝鮮」「北韓」と呼び合い続けていた。冷戦が終わって双方そろって国連に加盟した時点で形としてはお互いの存在を「国家」として容認したようなものだし、韓国が革新系政権の時には南北の首脳会談や協力事業、スポーツでの統一チーム結成といった友好的な動きもみられるのだけど、建前はお互い相手の正統性を認めず、いずれは(どういう形にせよ)「統一」するという姿勢を保ってきた。

 ところが、昨年から北朝鮮で変化が起こってきた。昨年の7月に、金正恩総書記の妹で同国のスポークスマンよろしく何かと公の場に登場する金与正氏が談話のなかで「大韓民国」とはっきりと口にした。それも一度ではなく立て続けにそう言ったのだ。意図してやったのは明らかだが、別に韓国を正式名称で呼ぶことで持ち上げたわけではなく、アメリカと一緒に軍事的に北朝鮮を敵対視していることを非難する文脈で使ったものだ。
 さらにその後から、北朝鮮の報道や文書から、韓国人を同じ民族とする「同族」という表現が一気に消えた。つまり、「大韓民国」という国家は自分たちとは全くの「別の国」と位置づけたものと受け止められている。

 なんだか、台湾の総統だった李登輝が「台湾と中国は国家と国家の関係」と言い出した「二国論」を連想してしまうが、北朝鮮の場合は韓国に吸収併合されるのを本気で恐れてでもいるんだろうか。上述の「統一の歌」も一時北朝鮮でも広まったが最近全面禁止になったという話もある。ちょこちょこ報じられるように北朝鮮にも韓国のドラマや映画、歌曲などがひそかに広まっていて、北朝鮮政府はそういったものも「文化侵略」とみなして危険視しているという。また、韓国が保守系政権になったことで対北政策が敵対的になるのでアメリカと組んで軍事的に侵略されると案外本気で心配している気配もある。韓国を「外国」と位置づけることで、「アメリカともども遠慮せずに攻撃するからな」という脅しの姿勢、という怖い見方も出ていた。
 
 今年に入ってこの傾向はますます顕著になり、金正恩自身が「共和国の民族歴史から『統一』『和解』『同族』といった概念を消さねばならない」と言い出し、過去にあった南北間の合意や共同宣言のたぐいも無効とするとも言い出している。2月に入って韓国との軍事境界線、いわゆる休戦ラインについて「国境」という表現をしてその防衛強化につとめる姿勢も示しだした。まぁこれまでだって事実上「国境」だったわけだけど、ついに建前もかなぐり捨てたわけだ。
 さらにさらに、韓国を「別の国」としちゃったために国歌歌詞の変更まで行ったことがつい先日確認された。歌詞の中で「三千里の美しき我が祖国」というくだりがあり、「三千里」は朝鮮半島全体の南北の長さを指す部分で(ざっくり1200km?)韓国国歌でも出てくる表現なのだが、それじゃ韓国も含めて祖国ということになってしまうってんで、「三千里」を「この世界の」に変えてしまったのだという。国歌歌詞以外でも国土を現す「三千里」の定番表現や人口を現す「八千万民族」といった表現も軒並みカットされてるそうで。

 ということは、もう「統一」なんぞ完全に頭になく、自身の領土主張も半分に縮小して、とにかく内にこもって政権を維持する、というかなり内向きな発想になったということなのか。北朝鮮ウォッチャーのどなたかのい解説で読んだが、さすがにこれについては金日成、金正日の二代の国家観と大きく異なるのでは、と批判的な声が北朝鮮でもチラホラあがっているみたい。


2024/2/20の記事

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