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◆今週の記事
◆海の底のタイムカプセル
なんと四月バカ企画以来、3か月もサボってしまった。なんかここんとこ急激に多忙になってしまい、物書きをする余裕がなくなってしまっていた。この間にも世界は大きなニュースが続き、特にイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への「ハマス殲滅」を掲げた猛攻はずっと続いたまま。停戦話がたびたび出るが、どっちかが賛成すると敵対側が反対するというパターンが繰り返され、終わる気配はなかなか見えない。「ハマス殲滅なんて無理」と軍幹部が政権批判をしたり、ネタニヤフ政権内部でも意見対立が表面化してもいるけど、ガザの方が方ついたら次はレバノンのヒズボラ退治だと話を拡大させる様子も見えている。国際社会からの非難も多く、これまでイスラエル支持一辺倒だったアメリカでも各地の大学でイスラエル非難の運動が起きたし、西欧でもいくつかの国がパレスチナ国家を承認する動きが出ている。国連の場でもパレスチナ国家の国連正式加盟を支持する決議が圧倒的多数で通ったが(日本も賛同した)、イスラエル国連大使は壇上で国連憲章をシュレッダーにかけるパフォーマンスを見せる始末。さすがに後ろ立てのアメリカももてあますよなぁ、あれじゃ。
それと平行する形で、イスラエルとイランが「報復合戦」のような事態も起きていた。シリアのイラン大使館が空爆を受けてイラン革命防衛隊の幹部が死亡、これにイランが「報復」としてイスラエル領内に無人機やミサイルによる攻撃を実施、特に何の被害もなかったがイスラエルもこれに対する「報復」攻撃を実施した。イラン革命以来、文字通り不倶戴天の関係の両国だが、この件では双方ともかなり自制の効いた、最初の攻撃を別として形ばかりの、茶番といってもいいくらいの報復合戦におさまった。お互い話をこれ以上ややこしくしたくないんだろうなぁ、とも思えるが。
そして5月、イランのライシ大統領が視察先でヘリが墜落して死亡するという衝撃のニュースが流れた。時期が時期だけに、そしてライシ氏は保守強硬派として知られていたし、またイスラエルって実際にイランの核科学者を暗殺した可能性が高いとされているくらいだから、多くの人が「暗殺」と疑ったはずだ。だが事故直後からイラン政府自身がその可能性をほぼ排除、終始冷静に弔いも済ませたので、実際に事故だったということだろう。
こうした話題が続くと気分が滅入ってくるのだが、イスラエルからこうした現代の情勢とはまったく関係のない歴史ネタのニュースも流れてきた。
イスラエルの沖合、つまり東地中海の海底で天然ガス田の開発をしていた企業が昨年、イスラエル北部海岸から訳90km、深さ1600〜1800mの海底からほぼ無傷の古代の貨物船を発見した。報告を受けたイスラエル考古学庁が遺物の引き上げと調査を行い、先日6月20日にその成果を発表した。この船には数百もの両側に取っ手のついた壺が積まれていて、その形式などからおよそ3300年前の紀元前14〜13世紀、青銅器時代後期のものと判断された。これらの壺はワインやオリーブを入れたものと推測され、当時地中海を航海していた貿易船が何らかの理由で難破、沈没したものと考えられた。難破の理由は嵐にあったか、あるいは海賊に襲われたか、と予想はされるが断定するのは無理のようだ。
紀元前14〜13世紀というと、旧約聖書で有名なダビデやソロモンといった王がいた古代イスラエル王国も建国されておらず、そのずっと前の伝説的指導者モーセが紅海を真っ二つにして出エジプトをやり、パレスチナの地へとヘブライ人たちを導いた頃になりそう。もちろんモーセが生きた実際の年代なんて不確かなものだが、よく映画などでエジプトの著名なファラオ・ラムセス2世と絡められることが多く、そのラムセス2世が前13世紀に生きているので、一応その辺の時代の人ととらえておきたい。
そんな時代の地中海貿易といえばフェニキア人の名前がすぐ浮かぶ。彼らがもともと住んでいた地域もそういえばイスラエル北部からシリアにかけての地域だったし、今度発見された貿易船も彼らのものだった可能性は高そうだ。彼らが東地中海で活発な貿易活動を行い、その交易のために発明された表音文字「フェニキア文字」が後のヘブライ文字、アラビア文字、ギリシャ文字とその系譜をつぐアルファベットにまでつながっている、というのも世界史で定番で習う話。
青銅器時代後期の沈没船が発見された例はこれまでにもトルコ沿岸などであったそうだが、今回の発見は沿岸から90kmと離れている点が注目されている。この時代は陸地が見える範囲で航海するだけだったと推測されていたそうなのだが、今度見つかった貿易船は陸地から遠く離れて目印のない大海を突っ切っていた可能性がある。この時期にすぜに星や太陽を観測して海を渡る航海術が存在していたのかもしれない、と言ってる考古学者もいて、そこもまた興味深いところだ。
とまぁ、古代の貿易船に思いをはせて現実逃避もしたくなったが、聖書によるとモーセも征服した異民族に対してナチスばりの大虐殺やったりしてるのを思い起こして、3000年たってもやってることはあんまり変わっていないなぁと嘆息したりもするのだった。
◆また一つ大物が離脱
何の話かと言えば、日本における最大の宗教団体「神社本庁」から、ある有名大物神社が離脱した、というニュース。正直「またかよ」というのがそのニュースを目にした第一印象だった。
「本庁」なんて名乗っているから国の機関かなにかと思ってる人も実際にいるみたいだが、「神社本庁」自体は全国の神社で組織、伊勢神宮を頂点とする日本神道を競技とする普通の宗教法人である。戦前には「国家神道」という形で軍国日本の「国教」と位置づけられるなど特別扱いを受けていたが、敗戦後に国家神道は廃止され、全国の神社はまとめて一宗教法人となることで延命した。それでもかつての地位を取り戻したいという願望、目標があるから「本庁」なんて変な名前を名乗っているのだと思われる。
なにせ全国の神社を配下に従えているので、およそ8万近い神社が加盟、信者数は8000万人以上とか言ってた記憶もあるが、それは一応「神道」の信者数ということであり、それも仏教の寺も神道の神社も区別せずに初詣その他でお参りしちゃう一般日本人の大半がカウントされてしまうからで…。そもそも日本神道自体が教義もかなりアバウトで「信者」の方の信仰度合もかなりアバウトで、存在感もかなり希薄な宗教だと思うので、「神社本庁」という宗教法人、というのも一般にはピンとこないのではなかろうか。一方で神社本庁がかつての国家神道の夢を捨てた様子はなく、「神道政治連盟」なんてものを作って自民党に深く食い込んでいるし(「神の国」発言とかありましたよねぇ)、憲法改正やら教育勅語の復権やら皇位継承は断固男系でといった保守的主張を全国の神社を通して発信してもいる。
さて、そんな神社本庁から、このたび鎌倉の有名神社「鶴岡八幡宮」が離脱をしてしまった。実際には今年3月の時点で離脱届を提出、神社本庁側も受理していたのだが、宗教法人は各都道府県の認可を受ける必要があって、その手間で6月まで正式離脱ができてなかったということらしい。
鶴岡八幡宮といえば古都・鎌倉の中核的存在。前九年の合戦で知られる源頼義がこの地に八幡宮を勧請(石清水八幡宮の「分社」のいようなことをしたと伝わる)したことに始まり、頼義の子孫である源頼朝が鎌倉幕府開設時に現在の位置に移して、これを平安京でいう大内裏の位置にしてそこを起点に若宮大路を通し、それを中心として鎌倉の街づくりを行った。八幡さまは源氏の氏神であり、鶴岡八幡宮は武士の都・鎌倉の精神的シンボルとなったわけだが、頼朝の息子の源実朝はこの八幡宮への参拝時に暗殺されて源氏直系は滅んでしまってるから、あまりアテにならない神様のような気もする。
現在でも古都・鎌倉を訪れた観光客は鎌倉大仏と鶴岡八幡宮はほぼ確実に行ってるから、鎌倉のみならず日本全国でも有数の大物神社といっていいだろう。その鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱する、というのはやはり「事件」だ。ただ、当「史点」でも何度か取り上げているように、神社本庁からの有力神社の離脱は近年相次いで起こっていて、「またか」という感想を抱いてしまうわけだ。
21世紀に入ってからの神社本庁離脱騒動は、まず明治神宮で起こった。明治神宮は都内最大の神社でその敷地内に神社本庁本部があることから注目を集めた。結局明治神宮は何があったのか神社本庁と復縁したそうなのだが、その後も東京都内の富岡八幡宮が離脱(離脱の直後に宮司一族内で凄惨な殺人+自殺事件がおきたが、神社本庁との関係は特にないみたい)、さらに「こんぴらさん」で知られる香川県の金刀比羅宮が離脱した。また実際に離脱にはならなかったが大分県の宇佐神宮の世襲大宮司家が女性相続となることに神社本庁が反対したことから激しい対立が起こり(宇佐神宮側は一度は離脱表明したが宮司人事など裁判で争うも敗訴)、今もいろいろくすぶっているという。
「こんぴらさん」離脱の際に、神社本庁上層部の度重なる不祥事、土地売買をめぐる疑惑、人事をめぐる内紛などが理由に挙げられていた。それこそ神罰でも下りそうな話なのだが、神社本庁の上層部の改革はまるで進まない状況のようで、それで頭に来た、独立可能なくらいの有力神社は離れて行ってしまうというパターンになっているのだろう。
◆「原爆の父」の涙
先述のように、最近忙しいもんで映画館にもロクに行けず、公開中の映画を見る機会がめっきり減ってしまった。今年に入って映画館で見たのは、米アカデミー作品賞をとった『オッペンハイマー』だけ。3時間はある大作で扱う人物が人物だけに重いテーマを持つ作品であろうと覚悟して臨んでみたが、かなりスピーディーに進む映画で、事前の基礎知識が多少必要とは感じたけど、なかなかに面白く、まったく退屈することなしにエンディングまで見られた。さすがは作品賞受賞作である。
そんな映画だが、昨年アメリカで公開されて話題になっていながら、日本での公開がなかなか決まらず、もしかして日本では公開しないのでは?と危惧されたりしていた。主人公が「原爆の父」オッペンハイマーであるだけに、日本で公開すると何らかの反発があるのではと配給元が心配したのではとの憶測も流れた。進化論のダーウィンの伝記映画が進化論を拒絶する人が少なくないアメリカで公開されなかった例があるが、「オッペンハイマー」が原爆礼賛ならともかく、決してそうはならないだと予想されただけに、もし日本公開しなかったらいろいろと絶望だなと思ったものだが、幸いこうして見ることができたし、予想通り決して原爆礼賛の内容でもなかった。
原子爆弾開発にあのアインシュタインが関わっていた、というイメージが一部にあることは、漫画『はだしのゲン』でマンハッタン計画やトリニティ実験にアインシュタインにしか見えない人物が立ち会っている描写があることからもうかがえる。実際にはアインシュタインはナチス・ドイツの原爆開発に危機感を抱いてルーズベルト大統領に原爆研究をすすめる手紙にサインしているだけで原爆開発そのものにはまったくタッチしなかった。「はだしのゲン」におけるアインシュタインの立場に実際にいたのがオッペンハイマーで、同じドイツ系ユダヤ人(オッペンハイマー自身はアメリカ生まれ)で理論物理学者、実際の原爆の被害にショックを受けて以後は核兵器開発に懐疑的になったという共通点があるために混同されやすいのかもしれない。
オッペンハイマーは原子爆弾の開発に科学者の総指揮官として積極的にかかわり、日本への投下についても承知していて、映画でも描かれたが投下直後には自らの功績を誇ったりもしていた。しかし原爆のもたらす被害についてもっと低く見積もっていたようで、実際の被害を知って深く苦悩した。原爆開発の功労者としてホワイトハウスに招かれトルーマン大統領と面会した際、「私の手は血まみれだ」と嘆いて見せて、怒ったトルーマンが「あんな泣き虫に二度と会わせるな」と言った、という逸話は例の映画でも印象的に描写されている(僕はそれ以前に海外製作のドキュメンタリードラマでこの逸話が映像化されてるのを見ている)。
オッペンハイマーは原爆をはるかに上回る破壊力を持つ水爆の開発に反対し(先述のドキュメンタリードラマではそもそも実験に成功すると思ってなかったように描かれていた)、そのために冷戦激化と「赤狩り」の嵐のなかで「ソ連のスパイ」との容疑をかけられ、原子力関係の公職から実質追放の処分を受け、当局の監視下に置かれてしまった。
そんなオッペンハイマーが被爆者に対してどういう気持ちだったかについては、苦悩はしていたであろうけど直接的に何か発言したといったことはこれまで確認されていなかった。1960年に来日した際も広島・長崎には赴いていなかった。ただ一度だけ、1964年に訪米した被爆者たちと対面したことだけは確認されていた。このときの面会には被爆者で物理学者の庄野直美氏(2012年没)が立ち会っていて、庄野氏が周囲に面会したことだけは打ち明けていたが、その内容については語らぬままで、オッペンハイマーが被爆者を目の前にして何を語ったかは分からぬままだった。この面会自体が非公開、非公表を条件としていて記録もいっさい残っていないらしい。
去る6月20日、広島のNPO「ワールド・フレンドシップ・センター」が一本の動画の存在を公表したことが報じられた。同NPOの創立50周年の際に収録された動画のなかで、そのオッペンハイマーと被爆者訪米団の面会に通訳として立ち会ったタイヒラー曜子さん(2019年没)がその模様を生々しく証言していたのだ。
彼女によると、面会の場となった研究所の一室に入ったとたんに、オッペンハイマーは「涙滂沱(ぼうだ、ぼろぼろと涙を流すさま)」の状態で、被爆者を前に「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返すばかりだったという(原語は「Sorry」なのかな?)。オッペンハイマーがこれほど感情的な態度を見せたことには研究者も驚いているようだが、曜子さん自身は当時は「まだ未熟だった」ためにその重要性に気付かなかったと語っている。
実は同じ被爆者訪米団はその前にトルーマンにも面会していたが、トルーマンはやはりというべきか、被爆者を前にしても原爆投下の正当性を主張したという。タイヒラー曜子さんは、後から考えてみると、ということなのだろうが、両者の言葉の対比が自分にとっては重要な経験になったとも語っていた。
この証言が確かなものだとすると、オッペンハイマーという人間についてまた新たな光をあてるものになりそう。彼はこの面会から3ん援護の1967年に62歳でこの世を去っているからすでに晩年と言っていい。この面会の前年にオッペンハイマーは米エネルギー省主催の「エンリコ・フェルミ」を受賞しており、さすがに赤狩り時代の扱いについては政府レベルで名誉回復された状況にもなっていたが、個人的に自身の生涯について表面には出せない思いがいろいろとあり、それが非公開の対面という場でどっと噴き出した、ということなのだろうか。
◆恒例・贋作サミット:プーリア編
2024年の6月、イタリアの長靴のカカトあたりにあるリゾート地に、主要国の首脳たちが集まりましたとさ。
伊:みなさま、ようこそいらっしゃいました、グラッチェ、グラッチェ。
仏:いプーリア・サミットってことだけど、プーリアって「州」の名前でしょ。なんで州の名前に?
英:この開催地のボルゴ・エニャツィアって名前が舌噛みそうだからじゃないの。
独:南イタリアといえば、「ゴッドファーザー」とかマフィアの本場ですな。
日:ああ、昨年の広島も「仁義なき戦い」の本場でしたし、つながってますね。
米:おいおい、マフィアはシチリア島のほうでしょ。
伊:このプーリア州にも「サクラ・コロナ・ウニタ(聖コロナ団)」ってイタリア四大犯罪組織の一角がいますわよ。
日:まぁ我が国でも広島以外どこでもヤクザ組織はありますしねぇ。、
加:それにしても「コロナ」とは、最近別の意味で話題のような。
伊:ともあれ、我が国初の女性首相として、記念すべき50回目のサミットの主催国となるのは名誉ですわ。
独:ネオファシズム政党出身で、ムッソリーニ賛美までした初のイタリア首相でもあるんだよなぁ…
仏:うわぁ、極右かよ。うちも総選挙で女性党首の極右政党が躍進しそうなんだよなぁ。
伊:ついでに言えばクロアチア領にされてる旧イタリア領の奪回も主張してまーす。
米:マフィアもヤクザも縄張り争いは定番だからな。国家もデッカいマフィアみたいなもんだ。
独:まったく、どっかの国とどっかの国がナチスばりのことをっやってるけど、ここにも予備軍がいるような。
加:まぁ友は近くに置け、敵はもっと近くに置けと「ゴッドファーザー」で言ってましたからな、サミットに参加させときましょ。
英:極右はともかく、うちも近々総選挙で、政権交代じゃないかと言われてるんだよなぁ。
米:うちも大統領選挙でまたあいつとやりあわなきゃならん。あんなのがまた出てくるとはなぁ。
伊:「敵を憎むな、判断を誤る」とゴッドファーザーPART3で言ってますわよ。
バ:ゴッドファーザーPART3」といえば、わがバチカン。どーも、招待されたバチカンのローマ教皇です・
英;おおっ、贋作サミット初の教皇登場ですな。
バ:近い国が招待されるのは定番ですからね。イタリアとはお隣さんなので。
英:お隣も何も、首都にあるでっかいお寺みたいなもんでしょうに。
日:首都といえば、我が国の首都の都知事選は変な泡沫候補大乱立でムチャクチャな状況になってます。
米:あれもちょっとした大統領選みたいなお祭りだもんな。実は我が国の大統領選も報道で扱われない候補者がいっぱいいるんだよね。
独:選挙といえば露も圧勝で独裁者を選んじゃってるし、民意ってものの怖さは我が国も大変な例が。
英:もう我が国の殺人許可証もちの彼に命じて、あいつのベッドに馬の首でもおいてこさせようか。
バ:おお、いけませんよ、そんな暴力的な。あくまで平和裏に、相手が断れないような提案をしてあげましょう」
伊:それってゴッドファーザー一作目の有名なセリフでは。
仏:そんな平和を希求する教皇様に世界の指導者になってもらえばいいんじゃないの。
日:それこそ世界キョーコーってことこそになって世界中が不景気に落っこちたりして。
バ:このバチカン、いやバカチンが!
2024/7/3の記事
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