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「813」(長 編)
813:LA DOUBLE VIE D'ARSÈNE LUPIN

<ネタばれ雑談その2>

☆チョイ悪どころかかなりワルな中年ルパン(笑)

 『813』は、作者ルブランにとっては大作『奇岩城』を書き終えて休む間もなくすぐにとりかかったさらなる大作だった。しかし物語の中では、『奇岩城』 のラストにおいてルパン自身が泥棒家業から足を洗う決意をしたために一味の秘密があらかた暴露されてしまい、しかもルパンは何もかも失う形となって、乳母 ビクトワールとともに悄然と姿を消していった。あのラストからすぐにルパンが大活躍してしまっては不自然、とルブランも考えたようで、『813』は『奇岩 城』のラストでルパンが姿を消してから四年後という設定になっている。
 『奇岩城』は本文中に「1908年4月」の事件と明記があり、それから4年後ということは、『813』は1912年の出来事ということになる。ところが 『813』が刊行されたのは1910年のことだから、なんとルブランは「近未来」のお話を書いちゃったことになるのだ(笑)。

 それはともかく、この四年間、以前はあれだけ大衆の目を引きまくっていたルパンは全くその消息を絶っていたことが物語の中で語られている。あまりに完全 に消息が途絶えたので、とくに警察で死亡説も強く主張されていたことがグレル刑事の台詞からも分かる。もっとも警察としてはルパンをとりにがしたままなの が悔しいので「勝手に埋葬した」というのが真相らしいが(笑)。世間では善良な市民となって妻子と(!)平穏に暮らしているとか、修道院に入ったとか、勝 手な憶測が流れていたようだ。
 ルパン当人が手紙で語るところによれば「書物と愛犬シャーロックを相 手にした隠遁生活」を送っていたというのだが…しかし後にルブランが書き続けたルパン・シリーズでは『八点鐘』『緑の目の令嬢』『バーネット探偵社』から始まるルパン&ベシュシリーズといっ た冒険はすべてこの4年間に行われたことになってしまい、ムチャクチャ矛盾するのである。もっともルパン自身『奇岩城』でソニアの死に触れて「ぼくの一年 は十年にあたる」とか言っていたから、気分転換はかなり早いのかもしれないが。
 
 そうしたツッコミはおいといて、「エルヌモン夫人」こと乳母ビクトワールとの再会場面で、ルパンが『奇岩城』のあとビクトワールに「もう悪事はしない。 まともな人間になる」と約束していたことが明らかになる。一応四年間それを守ったルパンだったが…「ところが、いやになってきたんだ」と結局悪事に身を投じてしまう のである(笑)。ここでの二人のやりとりは『ルパンの冒険』(宝冠事件)でも似たようなものがあったが、やや年齢を重ねたルパンであるだけに、いっそうの オカシミがある。
 そう、ルパンも年齢を重ねたのだ。ジュヌビエーブの居場所を必死に聞くルパンに、アルテンハイム男爵も「あんたももうろくしたな…その年齢(とし)になって…」とい うではないか。1874年に生まれたと推測されるアルセーヌ=ルパンは、1912年には38歳。もはや立派な中年オジサンの領域であ る。若き怪盗紳士としてヤンチャに暴れていたのは昔のこと、しばしの隠遁を経てまた暴れだすのだが、その暴れぶりは以前のものとはやっぱりどこか違う。ど う違うのか?それは行動がかなりワルになってきている、という点だ。そりゃまぁもともと犯罪者なわけだけど、それでもこれまでの彼の犯罪はビジネスライク かイタズラの領域を出るものではなかった。ところが4年間のブランクを経て再登場したルパンは「悪人度」をかなり増しており、チョイ悪オヤジどころか、オ オ悪オヤジと呼んじゃっていい(笑)。
 
 『813』ではその冒頭、ルパンがケッセルバッハをかなりきつい方法で脅迫する場面から幕を開ける。相手がルパンと知って「殺されることはない」と安堵 するケッセルバッハだが、そんな彼を冷たく笑い、殺しかねない荒っぽい方法でルパンは秘密を聞き出そうとする。結局は殺しはしてないわけなんだけど、読者 にも「おや?なんかこの話のルパンは違うぞ?」と思わせるオープニングだ。
 さらに「セルニーヌ公爵」に扮したルパンの策謀ぶりもかなりワル。ジュヌビエーブとドロレスに接近するためにわざわざ襲撃&救出劇を演出するわ、青年詩 人をわざと自殺に追い込んで別人の身代わりに強引にさせたうえ、本人たちの了解もとらずに勝手に縁組計画を進めるわ…『続』に入るとルパンの壮大な野望が ますます鮮明になってくるのだが、どうも己の野望のために手段を選ばず、人の迷惑も顧みず…

 さらにいえば(くどいけど、ここは完全ネタばれコーナーですから ね!)、物語中で一人二役どころか三役まで演じて(セ ルニーヌがル パンなのは丸分かりというところがニクイ!)読者はもちろんのこと腹心の部下たちまでダマすという、とんでもない悪事もやっている(笑)。 同 一人物の二重スパイをやらされていたことを知った時のドゥードビル兄弟の衝撃と親分不信の念はいかほどであったか(笑)。
 やっぱり『奇岩城』のラストの悲劇を経て、性格がしょうしょうねじれちゃったか。いや、それともその悲劇を忘れて乗り越えるために、より大きな野望を抱 き、そこへ邁進することにしたのか。ともあれ、『813』のルパンはシリーズ中最高の「ワル」度であり、その野望に身を焦がす不良中年オヤジっぷり、そし てその根底に実は美しい娘への「父親」としての屈折した愛情(ただ しかなり自分勝手)があった…!! というのが、『813』という小説のルパンシリーズの一作としての見所なのだ。
 モーリス=ルブランという小説家が本当に凄いと思うところは、エンドレスに冒険を繰り返しているかに見える「怪盗ルパン」が、少年時代から青年時代、そ して中年、熟年と、時代と共に年齢を重ねて変化していく過程をちゃんと描いてみせていることだ。どうしても「推理小説」「冒険小説」の観点からのみ論じら れてしまうルパンシリーズが、実は一人の架空人物の生涯を語る、上出来な「大河伝記小説」になっているということにもっと注目がいっていいと思う。


☆舞台はひたすらパリ・パリ・パリ

 『813』の第一部となる本作では舞台はひたすらパリとその周辺ばかりである。ここで物語に登場した舞台を地図付きで確認してみよう。

 まず物語の発端、ルドルフ=ケッセルバッハら三人の連続殺人が行われるのが「パレス・ホテル」だ。ただ「パレス・ホテル」とは要するに宮殿み たいな高級ホテルのことであり、小説ではそういう名前のホテルのように書かれているが実在のホテルを連続殺人の舞台にするのはマズイから不特定の名前にし ておいたものと思われる。したがって場所も特定できないのだが、文章を読むと「ジュデ通り(Rue de Judée)」「オルビエト通り(rue Orvieto)」に面しているとの記述がある。そこでそういう名前の通りをネット検索やパリ市街地図で探してみたのだが、残念ながら現時 点で発見できていない(検索でかかっても「813」の本文だったり した)。やはり架空の通りなのだろうか?通りの名前が改称されているという可能性もあるが…
 ただしおおよその場所は推定できる。なぜかといえばルパンが部下マルコを「イタリアン大通りのリヨン銀行(Crédit Lyonnais)」に 行かせ、ケッセルバッハの金庫を開けさせるくだりがあるからだ。ホテルからマルコをリヨン銀行に行かせ、金庫を開けさせて30分後に連絡が入るのだが、こ れがかなりの遅れとしてルパンをいらつかせている。そしてルパンが「十 分で話をつけて二十分後にはそちらに行く」と言っているので、馬車か自動車を使うとしても最大十分程度でつく近所と推測できる。イタリアン 大通りのリヨン銀行はパリ中心部の名所・オペラ座のすぐそばにあり、ケッセルバッハが宿泊したパレス・ホテルもその周辺せいぜい1km四方内にあったもの と思われる。
 余談になるが、『女王の首飾り』でスービーズ伯爵 が首飾りを預けていたのも「リヨン銀行」なので恐らく同じ場所。2004年製作の映画「ルパン」では同じ首飾りがカリオストロ伯爵夫人によって「ケッセル バッハ銀行」に預けられており、頭取としてケッセルバッハも登場してルパンと顔合わせ、しかも金庫の暗証番号が「813」(笑)という、ルパンファンを狙 いまくった面白いリンクがある。

 ルノルマン国家警察部長がバラングレー総理の取次ぎ係オーギュストを逮捕する名場面が演じられるのは、「ボーボー広場にある官庁の大きな部屋(「大臣室」と訳す本もある。この方が適切か)。日本人にはピンと来ないが、パリで「ボーボー広場」といえば 「内務省」を意味する。大統領府エリゼ宮の北側にボーボー広場があり、その向かいに内務省の建物がある。シリーズ初登場となるバラングレーは総理だけでなく警察を管轄する内務大臣を兼任してい るから内務省が舞台に…とも思ったのだが、どうも当時は総理官邸もこちらにあったようで、『虎の牙』でルパンがバラングレー総理の居場所を指して「ボー ボー」と言う台詞もある。



 ロシアの亡命貴族ポール=セルニーヌ公爵のすみかは「オスマン大通 りとクールセル通りの交わる角の建物の一階」。ここからブーローニュの森に面した「ガスティーヌ侯爵家」で昼食をと り、クレベール街で決闘の立会人と医師を乗せてから 3時にプランス公園で決闘、3時45分にカンボン街のクラブでトランプ賭博の胴元となり、6時にパリ郊 外ガルシュに駆けつけ、ドロレスとジュヌビエーブの 二人に近づくための芝居を打つ。その後またカンボン街に戻って夕食、オ ペラ座で芝居見物、それからヌイイに 行って医者を乗せ、ベルサイユのホテルへ駆けつけて ジェラール=ポープレの「自殺」に立ち会う、という実にめまぐるしい一日を送る描写がある。
 「ブーローニュの森」はパリ西部に広がる公園で古くからパリ市民の憩いの場。ルパンシリーズでもたびたび登場し、特に『ルパンの脱獄』のラストシーンが 忘れがたい。「プランス公園」はそのブーローニュの森の南にあり、サッカーファンにはW杯フランス大会の会場となったスタジアムがあることで知られる。当 然当時はサッカースタジアムなぞ無かったが、「決闘場所」の定番ではあったようで、『虎の牙』でもルパンがこの公園で決闘をやっている。20世紀に入って からもこんなサーベルの決闘なんてやってたのかと驚かされるが(当 時の日本ではすでに「決闘罪」があり決闘そのものが禁止されている)、以前NHK「映像の世紀」の第一回でも20世紀初頭のパリの路地裏で サーベル決闘をしている映像が紹介されていて、けっこう日常茶飯に行われていたもののようだ。
 その決闘をさっさと済ませてトランプ賭博に駆けつける「カンボン街」はまさにパリの中心部。『813』刊行の1910年、このカンボン街21番地にココ=シャネルが帽子店「シャネル・モード」を開業して世界的ブラ ンド「シャネル」の歴史が始まったりしている。『813』の話の中の時間では1912年になってるので、もうシャネルも評判になっていたころだろう。
 「ガルシュ」はパリ南西の郊外の地域で、ルパンが部下達と一芝居うつ舞台となったサン・クルーの森と公園がああり、ジュヌビエーブやドロレスが住んでい るため物語中にしばしば登場する。。本文によるとこの地は第二帝政期 (1852〜1870)には皇帝ナポレオン3世の皇后ウージェニーの休養地となっていたとあり、第二帝政崩壊後荒れ果て て、1887年に名高い細菌学者ルイ=パスツール (1822〜1895)が設立した「パスツール研究所」がこの敷地の大半を使うことになったという。なお、皇后ウージェニーは第二帝政崩壊 時にイギリスに亡命したが、長命で『813』の当時まだ存命だった。
 貧乏詩人ポープレが宿泊しているのがヴェルサイユの「ドゥ・ザン プルール」という安ホテル。ヴェルサイユ(訳文によ り「ヴェルサーユ」)は説明の必要もないぐらい有名な「ヴェルサイユ宮殿」があるパリ市街から南に20kmほど郊外の町で、『金髪の美女』 に登場するジェルボワ教授もここの高校の数学教師だった。「ドゥ・ザンプルール」というホテルの名前は 「二人の皇帝」ということで、堀口大學・石川湧訳では「両帝ホテル」と訳され、そのたいそうな名前とのギャップが台詞中に反映されている。架空のホテル名 とは思うが「二人の皇帝」という名の由来はちょっと気になる。



 『813』におけるルパンの強敵がアルテンハイム男爵。 こちらも複数の偽名と身分をもち、いささか慌て者のきらいはあるが、ダンディな紳士かつ手段を選ばぬ策謀家で、ルパンの好敵手といっていい。このアルテン ハイムの屋敷があるのは「ビラ・デュポン街29番地」。 パリ市街地北西部のはずれにあり、本文中でも「パリの町外れの静か な一角」「ビラ・デュポン街のただ一つの入り口はペルゴレーズ通りに面した鉄格子の門」であり、「家の背後に鉄道の環状線が走っている」との描写がある。和田 英次郎氏が著書『怪盗ルパンの時代』の中でこのビ ラ・デュポン街の探訪記事を書かれているが、まさに『813』の本文そのままに入り口には「鉄格子の門」があり、路地といっていい細い通りを抜けるとその 奥にまさにアルテンハイム男爵邸そのままの古い大きな邸宅があったという(「男爵邸」の写真まで載せてる!)
 大友徳明訳文の「ビラ・デュポン街」は原文では「La grill de Villa Dupont」で、堀口大學訳では「デュポン別荘住宅区」、石川湧訳では「デュポン荘」となっているように、当時はパリ市内とはいえほ とんど郊外で、富裕層が別荘を構える「地区」となっていたらしい。唯一の入り口に鉄格子の門があったのもそのためかと思える。ルパンことセルニーヌ公爵は この地区に騎馬で乗り付けており、ほんのちょっとだが珍しいルパンの乗馬シーンだったりする。
 アルテンハイム邸のすぐ後ろを走っている「鉄道の環状線」とは1869年に開通したその名の通りパリ市街を旧城壁に沿ってぐるりと回る路線で、1934 年に廃止されている。今でもあちこちに線路が残っているそうだが…。

 単なる偶然だがこのデュポン地区が面している「ペルゴレーズ通り」にはルパンの警察における好敵手・ガニマール警部が住む(『金髪の美女』参照)。ガニマールは『813』以後の物語で は全く登場しなくなるため、『奇岩城』後の4年間の間に定年退職したものと思われる。部下のデュージー刑事は現役で活躍しているが、まさかルパンが上司になっ ていたとはショックだっただろうなぁ。
 その日の夕方、ルパンはアルテンハイム男爵を「バテル (Vatel)」と いうレストランに誘って会食しているが、この「バテル」が実在するものかどうかは未確認。ただし「バテル(ヴァテール)」というのはルイ14世の時代に生 きた有名な料理人でホイップ・クリームの創作者として知られ、近年フランスの名優ジェラール=ドパルデュー主演で映画にもなっている。このレストランのほ か、ルパンことセルニーヌ公爵とアルテンハイム男爵はブーローニュの森、オペラ座、カンボン街のクラブと一緒に遊び歩くが(腹の探り合いをしながら)、このコースは当時の上流階級の社 交の定番だったのかもしれない。

 『813』パリめぐりの最後は、ジュヌビエーブが監禁されていた「リ ボリ街27番地」。「リボリ街」はまさにパリのど真ん中、ルーブル宮殿に沿って通っている道路だが、「27番地」というのがどのあたりなの かは不明。地図で見てると結構長い通りなので、ルパンが必死になって番地を聞き出したのも無理は無いような。

その3へ続く

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