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「バール・イ・ヴァ荘」(長編)
LA BARRE-Y-VA
初出:1930年8〜9月「ル・ジュルナル」紙連載 1931年6月単行本化
他の邦題:「セーヌ河の秘密」(保篠版)「ルパンと怪人」「地底の黄金」(ポプラ)

◎内容◎

 ルパン扮するラウール=ダブナック子爵のパリの自宅に、突然若い女性が助けを求めて訪ねて来た。そこへ旧知の刑事・ベシュからの電話がかかる。ベシュは ノルマンディーのセーヌ河口に近い「バール・イ・ヴァ荘」で起こった事件への協力をラウールに求めており、カトリーヌという若い女性もその事件のことでラ ウールのところへやって来たのだ。
  「バール・イ・ヴァ荘」ではカトリーヌの姉ベルトランドの夫が何者かに射殺されていた。この領地では最近怪事件が続いており、大きな帽子をかぶる神出鬼没 の怪人物も徘徊していた。調査をすすめるうち、ラウールはベルトランド・カトリーヌ姉妹の祖父が熱中していた「錬金術」が事件の背景にあると目星をつけ る。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アルノルド
バール・イ・ヴァ荘の召使い。

☆カトリーヌ=モンテシュー
ミシェル=モンテシューの孫娘でベルトランドの妹。周囲の怪事件に恐れをなしてラウールを訪ねる。

☆ゲルサン
パリの実業家で、ベルトランドの夫。何者かに射殺される。

☆シャルロット
バール・イ・ヴァ荘の小間使い。

☆テオドール=ベシュ
巡査部長。「バーネット探偵社」以来ルパンと腐れ縁があり、事件への協力を依頼する。

☆ドミニック=ボーシェル
ミシェル=モンテシューに雇われていた木こり。仕事中に事故死する。

☆バーム伯爵夫人
バーム城の主でピエールの母親。財産がないことを理由に息子とカトリーヌの結婚に反対。

☆ピエール=ド=バーム
バール・イ・ヴァ荘の近くの城に住む貴族で、カトリーヌの婚約者。しかし母親に反対される。

☆ビクトワール
ルパンの乳母。本文中明記はないが、彼女としか思えない年配女性が登場している。

☆ファムロン
公証人の書記。急に大金を得て職を辞す。

☆ベルティエ
予審判事。

☆ベルトランド=ゲルサン
ミシェル=モンテシューの孫娘でゲルサンの妻。

☆ベルナール
公証人。

☆ボーシェルばあさん
木こりの息子ドミニックを事故で失い、発狂した老婆。

☆ミシェル=モンテシュー
バール・イ・ヴァの領地の持ち主。錬金術に凝って金の製造に成功したとされるが急死。

☆ラウール=ダブナック
ぺリゴール地方出身の青年貴族。実はルパンの変装。


◎盗品一覧◎

◇ベシュの財布の3000フラン
ベシュが寝ている間に部屋に上がってくすねたもの。半ば冗談だったようで、すぐに返している。

◇ローマ古墳の金
盗品ではないが、ルパンが発見したローマ帝国時代の古墳に埋蔵された大量の金。


<ネタばれ雑談>

☆バーネット・ベシュのコンビみたび!?

 『バール・イ・ヴァ荘』はルパン・シリーズとしては『謎の家』から2年ぶりの作品(その間に『ジェリコ公爵』が挟まっている)。内容的にも『謎の家』と直結しており、『バーネット探偵社』以来の腐れ縁、テオドール=ベシュ刑事がまたまた登場し、ルパンと組んでボケとツッコミ、漫才よろしく事件に挑む。つまりルパンシリーズというより実質的には「バーネット・シリーズ」の一作となっており、僕はこれらを勝手に「ベシュ三部作」と呼んでいる(笑)。

 『謎の家』でジャン=デンヌリジム=バーネットにほかならないことを一目で見抜き、そして物語の終盤でその正体がアルセーヌ=ルパンであることを知って逮捕に挑んでみたベシュだったが、まんまと逃げられたことで「あいつにはかなわない」とあっさりシャッポを脱いでいた。そのためか本作でのベシュはラウール=ダブナックの 正体がルパンであることを百も承知で事件捜査への協力を依頼し、逮捕する気などさらさらない。
 それでいてラウールの推理にライバル意識を燃やすし、ラウー ルの目からすればトンチンカンな行動をとってさんざんコケにされる三枚目役をつとめさせられている。久々の再会の場面でルパンにいつの間にか財布の金を盗まれていたことを知って「泥棒!ペテン師!」(何をいまさら…)とわめくなど、ノリとしては『バーネット探偵社』の段階に戻ったとも いえ、二人はいつも口ゲンカばかりしてるようで、奇妙に友情も感じられる一風変わった「相棒関係」である。本作でルパンが「テオドール」とベシュをファーストネームで呼ぶことが目につくのもその反映だろう。

 このベシュの存在がルパン・シリーズの 後期に独特のノリをもたらしてくれたことは間違いなく、恐らく好評でもあり、作者ルブランも気に入っていたからこそ「バーネット」以降二度も登場させたのだろ う。だがこのままではマンネリに陥る危険も十分あり、また泥棒ルパンと警官ベシュがコンビを組み続けることの無理も感じたようで、ベシュの登場は本作でひ とまず終わる。
 その後『ルパンの大財産(「数十億」とも。「ルパン最後の事件」の邦題あり)』で またまた登場してルパンとドタバタをやるのだが、これはほとんど「ゲスト出演」「ファンサービス」に近く、ストーリー上あまり必然性がないものだった。こ れについてはその作品の雑談で検証したいが、そういう登場をすることじたいがベシュがいかに貴重なレギュラーキャラクターであったかを証明しているとも思える。


☆「バール・イ・ヴァ」って何?

 この小説、原題は「LA BARRE-Y-VA」、つまり舞台となる地名「バール・イ・ヴァ」のみである。このため日本ではそのままではとても小説のタイトルに見えないため、例によって最初の翻訳を手がけた保篠龍緒『セーヌ河の秘密』というオリジナル訳題にしている(厳密にいえば作中の舞台となるのはセーヌの支流だが)。その後に出た東京創元社の「アルセーヌ・リュパン全集」版の石川湧訳では『バール・イ・ヴァ荘』と“荘”つきにし、偕成社版の大友徳明訳もこれを踏襲している。ただし偕成社版の解説で大友氏自身が書いているようにバール・イ・ヴァの領地の建物は原文では「le manoir」となっていて「館」「城」「城館」の方がふさわしく、日本語で言う「荘」の与えるニュアンスにはややそぐわないそうである。ただ常時在住しているわけではない地方の「別荘」というニュアンスを考えれば「荘」のほうがあっているとも思える。
 他の邦題としては南洋一郎の「怪盗ルパン全集」の一冊『ルパンと怪人』がある。これは作中に登場する大きな帽子をかぶった神出鬼没の「怪人」をタイトルに持ってきたもので、南版全集の中にあっては内容をしっかりと反映したタイトルだと思う(フランスの初版単行本でも「怪人」を強調した表紙絵だった)。なお南洋一郎は「池田宣政」名義で同じポプラ社からもう少し高学年を意識した「アルセーヌ・ルパン全集」も出しており、そこでは『地底の黄金』というほとんどネタばれのタイトルをつけている。
 試みに他の言語の訳題を調べてみると、韓国語版では「バール・イ・ヴァ(恐らく発音すると「パリバ」になる)」と原題のまま、中国語版では「回浪湾」となかなか見事に地名を漢訳してタイトルにしている。

 本文中でも説明されるように「バール・イ・ヴァ」とは「Barre(波)」が「Y(そこ)」に「Va(来る)」という意味を持つ、フランスにおいても変わった地名だ。作中、ラウール=ダブナックことアルセーヌ=ルパン「コードベック近くの、丘の斜面に建てられた礼拝堂と同じ名前だ」というセリフがあるが、詳しい地名が載るフランス地図をあたってみると、コードベック=アン=コーのセーヌ右岸に礼拝堂どころかずばり「バール・イ・ヴァ」という地名が見つかる。またネット検索で「Barre-y-va」とあたってみると、その地にある同名のキャンプ場の紹介サイトがかなりヒットする。
 というわけで、これ、れっきとした実在地名なのである。ただしこの小説の舞台となった「バール・イ・ヴァ」の領地は語源こそ同じだが全く別の地点、という設定(具体的な地理については後述)。たぶんだがノルマンディー出身で何かというとなじみのあるこの地方を舞台にしたルブランのこと、「バール・イ・ヴァ」という変わった地名が気に入って、何らかの形で作品化してやろうと構想していたのではなかろうか。

 ところでその「バール・イ・ヴァ」とは作中で説明されるように、春分・秋分前後の大潮のときにセーヌ川を海水が逆流して「ここまで来る」ことからついた地名である。こうした現象は「海嘯(かいしょう)」あ るいは「潮津波」と呼ばれ(フランス語では「le mascaret」)、 アマゾン川や中国の銭塘江、フランスではガロンヌ川でおこるものが有名。河口が広がっている「三角江」の川で発生しやすいそう で、そういえばセーヌ川もその河口は大きな三角江になっている。この逆流はルブランの故郷ルーアンまで届くこともあったといい、その途中のコードベック= アン=コーではその逆流の波の勢いが古来名物となっていて、それで「バール・イ・ヴァ」の名がついたということのようだ。
 ただしそうした現象が見られたのも1960年代まで。現在のセーヌ川はあちこちに橋も架けられ、治水整備されたこともありこう した「海嘯」は現在ではほとんど起こらなくなっている。


☆ルパン物語における位置づけ

 この小説はルパンシリーズ長編の中では短い部類に属し、比較的小粒な冒険となっている。その割に物語の中での時間経過が長いという特徴もあり、事件の発端が5月、 事件のクライマックスが9月、エピローグ部分が10月で、足かけ半年にも及ぶ物語となっている。この間、ラウールことルパンは時々よそへ出かけてはいるも のの、大半をバール・イ・ヴァの領地で過ごしている。それは「謎とき」が9月の半ばにならないとできないから、という事情もあるのだが、「24時間戦う男」の彼にしてはえらくのんびりしたスケジュールで過ごしていた期間となるのだ。

 前述のようにこの物語は『謎の家』から直結しており、ベシュのセリフによると『謎の家』事件から「2年もたっていない」ことになっている。当サイトでは『謎の家』事件のクライマックスが1910年4月末のことと推定しており、それから2年も経ってないということは『バール・イ・ヴァ荘』事件の期間は1911年5月〜10月と位置づけられることになる。ただ5月の時点で前年4月のことを「2年もたっていない」と表現するのは間違いとは言い切れないもののやや不自然ではある(「2年たってない」という言葉は、ルブランが自身の「謎の家」執筆時からの年月と混同している可能性も感じる)

 ベシュがラウール=ダブナックの正体を知ったきっかけはルパンの共犯者のタレコミだった。シリーズ後半に入るとルパンの部下そのものがほとんど登場しなくなるのだが、ここではなんと裏切り者が出ていたという珍しいケースが明らかになる。ただベシュの「わるい癖がまだなおらないだな」という口調からすると、『謎の家』以後ルパンが目立った悪事を働いてないとも読み取れ、ルパン一味自体が「休業状態」だったようにも見える。「ルパン史」においては『奇岩城』で何もかも失ったあとの「おとなしくしていた」時期にあたるため、生活苦に追いつめられた部下でも出たのかもしれない(笑)。
 そういえば本作でルパンはいっさい盗みをしていない(最初の方でベシュの財布の中身をかっぱらっているが、すぐに返したので一種のジョークだろう)。ラストで発見される莫大なお宝にも手をつけた様子がなく、この冒険の動機はほぼ純粋に「人助け」であり「謎ときの興味」なのだ。美人姉妹との「二股愛」はその過程でたまたま生じたものであり、当初からそれが目指すお宝だったというわけでもない。

 この物語のエンディングの半年後、翌1912年4月にはルパン最大の冒険『813』がスタートする。『813』のなかでルパンが乳母ビクトワールに 「悪事をしないまっとうな暮らしがいやになってきた」と語って「大悪事」に乗り出す姿勢を見せていることを思い起こすと、その前年にこのいたってのんびり とした、盗みもいっさいしない冒険をしていたことは一応「ルパン史」のなかで矛盾なくつながっているのである。ベシュが登場するシリーズが本作で終わ るのもルブランがそのことを意識していた可能性だってある。
 深読みすると、この物語のラストでルパンが美人姉妹をどっちも愛したあげくそろってフラれ、ヤケクソになってベシュを引き連れていずこかへ走り去っていくあの暴走こそが、ヨーロッパの地図を塗り替える大陰謀の動機であった…ってな風にも読めてきちゃうのだ(笑)。

「その2」へ続く

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