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「カリオストロ伯爵夫人」(長編)
LA COMTESSE DE CAGLIOSTRO
初出:1923年12月〜1924年1月「ル・ジュルナル」紙連載 同年7月単行本化
他の邦題:「妖魔の呪」(保篠訳)「魔女とルパン」「七つ星の秘密」(ポプラ)

◎内容◎

 20歳のアルセーヌ=ルパンは「ラウール=ダンドレジー」と名乗り、美少女クラリスと将来を誓い合っていた。二人の結婚を許さぬクラリスの父・デティーグ 男爵が怪しげな仲間たちと一人の女に「死刑宣告」する様子を目撃したラウールは、危険を冒してその女の命を救う。妖艶な美女の名はジョゼフィーヌ=バルサ モ、人呼んで「カリオストロ伯爵夫人」、その正体は腕利きの女盗賊だった。ジョゼフィーヌから泥棒の手ほどきを受け、彼女との激しい情事に溺れるラウール だったが、やがて敵味方に分かれて、「七本枝の燭台」の謎が示す修道院の財宝をめぐって三つどもえの死闘を展開する。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆オーブ準男爵
フランス革命時に少年時代を過ごし、普仏戦争まで生きた軍人。中世以来の修道院財宝の秘密を知る最後の人。

☆オスカル=ド=ベンヌト
コー地方の貴族。デティーグ男爵のいとこ。

☆クラリス=デティーグ
デティーグ男爵の一人娘。18歳の清楚な美少女。ラウールと恋仲になる。

☆ゴドフロワ=デティーグ
エトルタに屋敷を構える男爵。クラリスの父親。

☆コルビュ父子
ジョゼフィーヌ=バルサモの部下で、父と息子二人。

☆シモン=テュイラール
ジュミエージュの村に住む地主。

☆ジャン
ラウールとクラリスの間に生まれた男の子。生後間もなく行方不明となる。

☆ジョゼフィーヌ=バルサモ
別名「カリオストロ伯爵夫人」あるいは「ペルグリニ夫人」。修道院財宝を狙う美貌の女盗賊。

☆ジョベール
ボンヌショーズ枢機卿の召使。普仏戦争の混乱の中で何者かに殺される。

☆ジョルジュ=ディスノバル
コー地方の貴族で修道院財宝を求める一派の一人。不審死を遂げる。

☆ダルコール大公
王党派の貴族。「カリオストロ伯爵夫人」を24年前にイタリアまで送ったことがある。

☆テオフラスト=ルパン
アルセーヌ=ルパンの父親。ボクシングや体操の教師だったが、アメリカで詐欺罪により獄死。名前のみの登場。

☆ドニ=サン・テベール
コー地方の貴族で修道院財宝を探す一派の最年少。不審死を遂げる。

☆ド=ブリー
コー地方の伯爵。修道院財宝を求める一派の一人。

☆ドミニック
ジョゼフィーヌ=バルサモの部下。

☆ドラートル夫婦
ジョゼフィーヌ=バルサモの持ち船「ノンシャラント号」を操る船頭夫婦。

☆ドルモン
コー地方の貴族。修道院財宝を求める一派の一人。

☆ニコラ
フェカン修道院の修道士。フランス革命時に処刑され、その直前に修道院財宝の秘密を少年に託す。

☆バスール
イブトー街道沿いの農家の女。ジョゼフィーヌ=バルサモの仲間。

☆バランティーヌ
女優ブリジット=ルースランの召使の女性。

☆ブリジット=ルースラン
女優。母親から譲られた七つの指輪のために災難に巻き込まれる。

☆ボーマニャン
イエズス会会員。野心から修道院財宝を探す一派の首領となる。

☆ボンヌショーズ枢機卿
1870年当時のルーアン大司教。オーブ準男爵から修道院財宝の秘密を告白される。

☆ラウール=ダンドレジー
二十歳の青年。本名アルセーヌ=ルパン。のちの怪盗紳士。

☆ラ=ボパリエール
コー地方の貴族。修道院財宝を求める一派の一人。

☆ラボルネフ公爵
ル・アーブルに快速船で立ち寄った貴族。

☆ルースラン未亡人
ブリジット=ルースランの母。

☆ルー=デスティエ
コー地方の貴族。修道院財宝を求める一派の一人。

☆レオナール
ジョゼフィーヌ=バルサモの腹心の巨漢。

☆ロールビル
コー地方の貴族。修道院財宝を求める一派の一人。


◎盗品一覧◎

◇エルゼビール版の書籍
16〜17世紀オランダで出版された高級書籍。ジョゼフィーヌ=バルサモと一緒に盗みをはたらく中でルパンが三冊くすねている。

◇修道院の財宝
中世以来、フランス各地の修道院がためこんだ莫大な財産を宝石に変えたもの。一万粒にのぼる宝石の山。全部で何十億フランにものぼる額とされる。


<ネタばれ雑談>

☆ルパン最初の冒険

 あくまで推測なのだが、第一次大戦後にルブラン『虎の牙』のラストでルパンを引退させ、ルパン・シリーズの執筆もこれきりにしようと考えたフシがある。その後ベル・エポックの時代を回顧するような『八点鐘』をルパン・シリーズとして発表しているが、これはもともとはルパンものではなかった可能性も高い。そしてルパンではないがルパンに匹敵する新主人公をたて、第一次大戦後の時代設定の冒険小説『女探偵ドロテ』を発表したが、これもこの一作きりで終わった。そして「ドロテ」発表の年の年末に同じ「ル・ジュルナル」紙上に連載が始まったルブランの次回作はルパン・シリーズの長編新作『カリオストロ伯爵夫人』となった。結局はルパンものを執筆するよう、読者そして新聞・出版側からの要求に押されたものかと思われる。
 だが今さら『虎の牙』以降の話というわけにはいかない。そこでルブランが考えた(あるいは編集者側が考えた)手段が、一気に時間をさかのぼってアルセーヌ=ルパン最初の冒険をテーマにするというものだった。一応ルパンの出自は初期短編集『怪盗紳士ルパン』に収録された「女王の首飾り」(「王妃の首飾り」)で語られているのだが、まだ6歳という少年時代の話で、彼がその後どうやって「怪盗紳士」になったのかは不明だった。このミッシング・リンクを埋める作品を書いて、「怪盗紳士アルセーヌ=ルパン誕生秘話」にしちゃおうというわけで、洋の東西、人気シリーズものにはよくある企画だとも言える。

 ただしそこはルブラン、アルセーヌ=ルパンの「エピソード1」を書くからには、彼の人生をきっちりと構想しておこうという「伝記作者」の野心もはたらいたと思われる。この『カリオストロ伯爵夫人』はルパンがなぜ「怪盗紳士」になったのかという秘密を明かすだけでなく、『奇岩城』『三十棺桶島』といった歴史趣味を背景とするシリーズの代表作をリンクする設定まで盛り込んだ(ついでに前作「ドロテ」もこのリンクに組み込んだ)
 そして…ルブランは「ルパン最初の冒険」を書くにあたって「ルパン最後の冒険」の存在を明記した。『カリオストロ伯爵夫人』の冒頭にはルブラン(というよりルパンの伝記作者)の序文が掲げられ、「これはルパンの最初の冒険である」と明記しつつ「なぜ最初の冒険の発表が遅れたのか」という読者の当然の疑問に対する言い訳(笑)を書いている。その「言い訳」とは、当のルパン自身が「だめだ。ぼくとカリオストロのあいだではまだ決着がついていない」と して発表を禁じたため、というものだ。ということは、発表の時点でもうその決着はついたということでもあり、その決着はこの物語から四半世紀を経た「ルパ ン最後の冒険」につながることが、物語の最後になって明示されている。この時点でルブランの頭の中では、ルパンの実質最後の冒険となる『カリオストロの復讐』の構想もあわせてできていたということだ。ただしルパン・シリーズそのものは諸般の事情(笑)で次々と新作を出さねばならないため、『カリオストロの復讐』の発表はそれから10年ものちのこととなる。


☆若きルパンと二人の女(一人目)

 この物語のルパンは血気盛んな20歳。女性に対するアプローチも後年よりずっと積極的かつ貪欲(笑)で、シリーズ史上はじめてヒロインが二人登場する。それも全く好対照の二人の女性だ。
 
 一人はクラリス=デティーグ。絵にかいたように清楚な貴族の令嬢。若きラウール(ルパン)と出会うやたちまちお互いに一目惚れ。父に結婚を拒絶されたラウールに合鍵を渡して私室に招き入れるなどこちらもかなり積極的で、話の序盤でいきなり深夜(午前3時)に部屋に押し掛けてきたラウールとあっさり一夜を共にし、そのまま「できちゃった婚」に至ってしまうことになる。このときクラリスちゃん、まだ18歳なんである。
 『カリオストロ伯爵夫人』を原作として2004年に製作されたフランス映画「ルパン」でもこの展開はほぼ忠実に映像化されていたが、あまりちゃんと読んでなかった僕などは「そうだったっけ?」などと思いながら映画を見ていたものだ。例によって例の如く、こんな展開を南洋一郎が許すわけもなく(笑)、児童向けのポプラ社版ルパン全集の「魔女とルパン」ではクラリスの出番はほとんどカットされルパンとの交際も一切描かれず、その後ルパンと結婚した事実は「ルパン最後の冒険」(「カリオストロの復讐」の南版)の冒頭で軽く明かされるだけになっている。
 典型的な「深窓の令嬢」ではあるんだけど、恋するラウールのためならかなりの危険を冒そうともするし、敵側の人間であるボーマニャンも助けるようにラウールに求めるなどある程度の自己主張もある。ラウールを救いだしたらただちに姿を消してしまうあたりも単純に受け身な女の子とはいえまい。こうした性格付けはあの『カリオストロの城』のクラリス姫のキャラクターになにがしかの影響を与えているようにも思う。
 ただラウールに一度は手ひどく捨てられ、結婚してからもラウールにこっそり泥棒家業を続けられたあげくに男の子一人を残して産褥で死んでしまうという、なんとも影が薄く気の毒なお嬢様でもある。ルブラン自身もあまり思い入れがなかったのか、それとも『水晶の栓』の熟女クラリスと混同あるいは区別をつけようとしたか、続編『カリオストロの復讐』では「クレール」と名が変えられて(あるいは作者に間違えられて)しまっている。

 ところで物語の終盤、瀕死のボーマニャンがラウールに「クラリスと結婚しろ。クラリスはデティーグ男爵の娘ではない」と唐突に言い出す。デティーグ男爵の妻は他の男と愛し合っており、その結果生まれたのがクラリスで、男爵がボーマニャンにそのことを告白したというのだ。この部分、訳本により微妙とはいえ大きな違いがあるので並べてみよう。

 「べつの男の娘で、あの娘は、そのひとを愛していた…」(創元社版、井上勇訳)
 「あの娘は、男爵とは別の人間の娘であり、その男を愛していた…」(偕成社版、竹西英夫訳)
 「母親が別の男を愛してできた娘なんだ…」(ハヤカワ文庫版、平岡敦訳)
 
 同じことを言っているようで、重大な違いがある。井上訳、竹西訳では「クラリス自身が自分の実の父を(知ってか知らずか)愛していた」ようにとれるのだが、平岡訳ではそのようなことは微塵も感じられない。僕は以前からこの箇所が気になっていた。クラリスの実の父親が誰なのか考える上で重要と思えたからだ。
 この箇所、原文を調べると「c'est la fille d'un autre qu'elle aimait…」となっている。「c'est la fille d'un autre」までで「それは他人の娘」で、その後に続く「qu'elle aimait…」は「彼女は愛していた」とその前にある「autre(他人)」を修飾している。直訳すると「それは彼女が愛した他人の娘」で ある。つまり、この相違は「elle(彼女)」をクラリスととるかクラリスの母ととるかの解釈の違いがもたらしたもので、素直に読めば平岡訳が正解になる のだと思う。井上訳・竹西訳ではそれまでのボーマニャンのセリフが一貫してクラリスの話をしていてクラリスの母なぞまったく出てこないために「elle」 をクラリス自身と解釈したのではないだろうか。

 この告白はかなり唐突で、しかもその後のストーリーに全く絡まないことから、作者がクラリスを殺人犯の娘となることから回避するために無理やり入れたようにも見える。物語の途中でラウール自身も「なぜあの父親からあの娘が生まれたんだ?」と首をかしげる場面もあった。だが、この場面を読んでこう考えた人も少なくないはずだ。「実はボーマニャンこそがクラリスの実父なのではないか?」と。
  生涯をかけて追っていた財宝を目の前でカリオストロ伯爵夫人に持ち去られ、絶望し、自殺するボーマニャンが、死の間際になぜかラウールにクラリスとの結婚 をほとんど強制的に誓わせる。そして自らの後継者にラウールを指名して、カリオストロへの復讐を託すのだ。状況証拠としては十分だろう。ボーマニャンとク ラリスとの関係をにおわせる場面が他に全く用意されてないので物語としてはスッキリしていないのだが、上記の「彼女が愛した他人」という表現も、そう考え ると納得するところもあるんじゃないだろうか。
 映画「ルパン」でのボーマニャンは原作以上に存在感のある重要キャラになっているのだが、作り手 は原作でにおわされる「クラリスの実父」説を念頭に映画におけるボーマニャンの設定を創造したのだと思う。映画のネタばれはあえてここでは書かないが、そ う思って映画をみると気がつく点があるはずだ。


☆若きルパンと二人の女(二人目)

 そしてもう一人が「カリオストロ伯爵夫人」ことジョゼフィーヌ=バルサモだ。その異名が物語の題名になっているように、実質的主役ともいえる。まるでベルナルディーノ=ルイーニ(後述)が描く聖母マリアを思わせる虫も殺さぬ慈愛に満ちた美貌の持ち主とされ、どんな男もイチコロで陥落してしまう妖艶な美女。そして何十年、いやもしかして何百年も変わらぬ姿を保ち続ける魔女(これは実際にはトリックがあるのだが)。その実態は多くの部下を従え、手段を選ばぬ凄腕の女盗賊。とにかくルパンシリーズ歴代ヒロインの中でも個性ということではひときわ際立つ「悪女」キャラクターだ。
  この物語でジョゼフィーヌは情熱的な恋人として、泥棒稼業の先輩&教師として、そして生涯最初にして最大の敵として若きルパンとわたり合う。年齢について 明記はないが、ルパンが6歳の時に起こした「女王の首飾り」事件のときに「そのころきみは15歳ぐらいだったのかも知れない」とルパンが推測しているので、外見的には30過ぎぐらいなのではないかと思われる。このような年上の美女と恋に落ち、恋愛や人生 の手ほどきをされるという設定はヨーロッパの文学史上けっこう例があるのではないかと(具体的に挙げられないのが悔しいのだが)
  最初のうちは激しく言い寄ってくるルパンをかわしていたジョゼフィーヌだが、やがて自身が本気でルパンを激しく愛するようになる。しかしその時にはルパン はジョゼフィーヌを捨ててクラリスに走った。しかも「できちゃった婚」である。おまけに一度は出し抜いて手にした財宝もかっさらわれて…女の恨みは凄まじ く、ルパンに対して全人生に及ぶ呪いをかけてしまうことになる。よく読めば根っからの悪女というわけでもなく、かなり可哀想な女でもあるのだが…。

 こちらも南洋一郎版「魔女とルパン」ではルパンとジョゼフィーヌの激烈な恋愛関係はいっさいカットで、あく までカリオストロ伯爵夫人なる女盗賊と駆け出し泥棒ルパンの一騎打ちに話を絞っている。ジョゼフィーヌの悪女ぶりも原作にない描写も多く付け加えられ、極端に強調されている。児童向けなのでそれも仕方ないかとは思いつつ、実際の原作小説では この愛憎渦巻く男女関係が物語の重要な読みどころとなっているので、南版しか読んだことのない人はちゃんと全訳を読んでおいてほしい。映画「ルパン」公開 時には南版のイメージしか持ってない観客が多かったようで、ルパンの「二股愛」展開に「原作と違う!」と怒ったり、「映画流の味付け」ととらえたりする意 見がネット上でチョコチョコ見られたものだ(困ったことに公開側の宣伝用ブログにすらこれが見られ、「若いルパンなのでいつもと違って恋多き男」とか書かれていた)

  この物語のルパンの「二股愛」に呆れる読者も多そうだが、若い男の子というのは良くも悪くもそういうもんです(ルブラン自身も覚えがあるのか、本文中にそういう書き方をしている)。まったく対照的な女性に二股かけて あっちにいったりこっちにいったりする展開は、ルパンという二面性だらけのキャラクターの青春時代にはふさわしい話ともいえる。
 ルブランも念のために「ラウールはラヴレースではなかった」(創元版・井上勇訳)と書いている。「ラヴレース」とはサミュエル=リチャードソン(Samuel Richardson,1689-1761)が1747年ごろに書いた大長編書簡小説「クラリッサ」に出てくる、主人公クラリッサに言い寄る女ったらしのこと(「クラリス」にひっかけてることは言うまでもない)。偕成社版の竹西英夫訳は「女たらし」、ハヤカワ文庫の平岡敦訳では「女の子を端から口説いてまわるような青年」と 意訳されており、要するにルパンはそういう青年ではなく、あくまで真面目にクラリスに恋し、速攻で正式に求婚したと言いたいわけ。それが父親の拒絶を受け たことと、若さからくる欲望も後年よりずっと強かった(笑)ことから、ほとんど「夜這い」のようなことになっちゃうわけで…。
 もっとも、『続813』のネタばれ雑談に書いたように、ルパンがジュヌビエーブの 母親と交際していたのはこれより前のこと。ジュヌビエーブが『813』の1912年の時点で18歳のため、この物語の時点である1894年に生まれたと推 測される。だとするとこの年か前の年に関係をもっていたはずで、ルパンにとってクラリスは決して「初恋の人」ではない。そちらの女性が亡くなったのは数年 後のことだから、この時期ルパンは二股どころか三股かけてたことになっちゃうのだ!どうやらルパンはしっかり「ラヴレース」だったのではなかろうか…。

 ところで「カリオストロ伯爵夫人」の造形に関して面白い仮説がある。女盗賊ジョゼフィーヌ=バルサモのモデルはモーリス=ルブランの妹で女優のジョルジェット=ルブランで はないかという説があるのだ(ジャン=クロード=ラミ『アルセーヌ・リュパン―怪盗紳士の肖像―』)。有名作家メーテルリンクと事実上の夫婦関係にあったこのルブランの妹は、兄とは大きく性格が異なりなかなか情熱的な女性だったとい うし、「カリオストロ伯爵夫人」に登場するサン・ワンドリーユの修道院を舞台に野外劇を演じた事実もあるという。また彼女は後に兄との思い出も含めた回想録を執筆して いるが、その内容には明らかな創作や捏造も含まれ、自身の人生を劇的に偽装しようとしたフシがあるとされる。
 もっともこの小説を深読みするな ら、クラリスもまたジョルジョットの一面をモデルにしたキャラクターだったといえないだろうか。クラリスの描き方にどこか「妹」的なにおいを僕は感じてし まう。この物語で二人のヒロインが置かれているのは、ルブランが自身の妹を二人の女性に分離して、その間でウロウロするルパン――実はルブラン自身の分身―― を配した、という少々悪趣味な見方も面白いかもしれない。そう思って読み返すと、ジョゼフィーヌ=バルサモじたいがかなり二重人格的だ。
 なお、ルパン・シリーズでは『二つの微笑をもつ女』の冒頭で野外オペラで変死する女優がジョルジェットをモデルにしてるのではないかと指摘されている。


☆アルセーヌ=ルパンの前歴

 ルパン最初の冒険譚とされる『カリオストロ伯爵夫人』では、アルセーヌ=ルパンの過去に関する情報がいくつも提出される。
 まず物語の年代が1894年であり、ルパンが二十歳と明記されていることから、ルパンの生年が1874年と確定した。1874年といえばフランスでは1870年の普仏戦争(『カリオストロ伯爵夫人』でも重大な意味を持つ)でプロイセン軍に敗北、ナポレオン3世の第二帝政が崩壊して第三共和国ができた直後だ。フランス人にとっては「敗戦後」の失意の時期で、少年時代にルパンシリーズの愛読者であった20世紀を代表する哲学者ジャン=ポール=サルトル(Jean-Paul Sartre,1905-1980)は「怪盗ルパン」がこのフランスにとって敗北と屈辱の時代に生を受けていることに注目する発言をしている。この普仏戦争は『カリオストロ伯爵夫人』全体に影を落とす重大事件でもある。

 そしてルパンの父親の名前と略歴が判明する。母親の名前がアンリエットであることは「女王の首飾り」で判明していたが、父親の名前はテオフラスト=ルパンだっ た。ルパンの母が貴族の出で、父親はそれとは身分がかなり異なっていたこともすでに明かされていた(戯曲『アルセーヌ・ルパン』では農民ということになっていた)、実はボクシングの教師で、副業(?)として詐欺師も やっていた。アメリカにわたって詐欺をはたらいて逮捕され、獄中死していることも語られている。ドルー=スビーズ家の「女王の首飾り」事件はその後のこと で(ルパン6歳なので1880年)、カリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ=バルサモはカリオストロ関連のことを調べるうちにラウール少年の犯行に気付き、彼の身元調査をしっかりやっていたことになっている。

  「女王の首飾り」によれば首飾り盗難事件から6年後、つまり1886年にアンリエットは死んだ。それからラウール少年が何をしていたかは全く分からない。 恐らく乳母のビクトワールを頼ったのだろうと「女王の首飾り」のところで書いたが、そのころからラウールは将来「大泥棒」として身を立てようと決意し、そ のためにさまざまなことを学び始めた。『ルパンの脱獄』によれば1892年(ルパン18歳)に奇術師ディクソンのもとで修行していたことや、1894年(ルパン20歳)のときにサン=ルイ病院の医学生として変装のための技術を学んでいることがわかっている。ヨーロッパでまだ柔道が知られてなかった段階で柔道を教えていた時期があり(1890代初頭でルパンは10代終わりごろ?)、1889年のパリ万国博覧会(ルパン16歳)での自転車レースで優勝したこともあった。
 それと並行して、悪事の方でもしっかり成長を進めていたようだ。ジョゼフィーヌにどうやって生きているのか聞かれたルパンが「働いている」と答えると、「他人さまのふところのなかでだろ?」とすかさずツッコまれている。

 「わ たしはね、おまえさんのことなら、ピンからキリまで知っているんだ。話せというなら、今年のことはもちろん、もっとむかしのことだって話してやれる。もう ずっと以前から、わたしはおまえさんのあとをつけまわしていたのさ。(…中略…)警察、憲兵、家宅捜査、追跡、そんなものがなんだというんだね?みんな、 おまえさんがとっくに経験済みさ。それも、たったの二十でね。」(偕成社版、竹西英夫訳)

 …と、ジョゼフィーヌ=バルサモは言う。つまり『カリオストロ伯爵夫人』が「最初の冒険譚」とされながらも、それ以前にルパンは泥棒稼業に精を出し、早くも警察の厄介になっていたわけだ。

 ここでやはり気になるのがあの『アンべール夫人の金庫』の年代。若き日のルパンが最初に本格的に取り組んだ泥棒計画(しかし結果はご存じのとおり)が『カリオストロ伯爵夫人』より前なのか後なのかがはっきりしない。ジョゼフィーヌの口ぶりからすると「アンベール夫人」事件は『カリオストロ伯爵夫人』以前のルパンのデビュー戦の一つだったのではないかとも思える。
 『アンベール夫人の金庫』で「“アルセーヌ・ルパン”という名はこのとき思いつかれた」と の記述があり、ルパンと名乗って活躍する『カリオストロ伯爵夫人』がその後のことになるのは別に矛盾しないのだが、『カリオストロ』において「アルセー ヌ・ルパン」という名が明らかに彼の本名として扱われているのが困りもの。ルブランは「女王の首飾り」には言及するが「アンベール夫人」の話については忘 れ去ってしまっているかのようだ。

 カリオストロ伯爵夫人ことジョゼフィーヌ=バルサモはルパンの泥棒修行の教師役ともなる。とくにルパンがカリオストロとの対決で最大の教訓としたのは「一人で活動せず、集団で活動すること」だった。重大な情報を手中にしながら、油断してカリオストロの部下たちにとっちめられ、囚われの身となった時にルパンは決意する。

 「将 来、このおれが、おれ自身が希望しているように、まっとうな道に戻るにせよ、あるいは――こっちのほうがより可能性が強いが――決定的に冒険の道をつき進 むにせよ、断じておれは必要欠くべからざる組織をつくってみせる。ひとりぼっちほど、なさけないものはない。組織の首領だけが、目的に達することができる のだ」(偕成社版、竹西英夫訳)

  この時点ではルパンにはまだ「まっとうな道」を進む希望があったようだが、自身が冒険者の道に進むこともほぼ確信していた。そしてその時には「組織」を抱 える首領になるべきだと考えたのだ。『アンベール夫人の金庫』にルパンの部下第一号が確認されるが、これは先述のように時期的にも「ルパン」史的にも微妙 な話になってくる。しかし『ルパン逮捕される』から脱獄にいたる展開ですでに多くの部下がいることが明示されていて、以後のルパンは「仕事」とくに押し込 み強盗に関してはほぼ「一味」で活動するのを常にしていた。それは「モーリタニア帝国」建設まで続くことになる。

 ルパンといえば毎度毎度の変装がおなじみだが、駆け出し時代を描く『カリオストロ伯爵夫人』では服装を着替えるだけでとくに驚くような変装は披露していない。医学生に化けての変装のための研究もまだ途上だったのだろう。
 しかしその一方で、この物語ではシリーズ唯一の変わった変装がある。そう、「女装」だ!ルパンが女装したのは後にも先にもこれだけのはず。もっとも女物の服をちょっと着て遠目に女に見せているだけだが…映画「ルパン」でもルパンの女装シーンがあるのは、おそらくこのシーンを念頭に置いたものだろう。

「その2」へ続く

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