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「ジェリコ公爵」(長編)
LE PRINCE DE JÉRICHO
初出:1929年7月〜8月「ル・ジュルナル」紙連載 1930年単行本化
他の邦題:「怪人ゼリコ」「ゼリコ」「ゼリコ侯爵」「ゼリコ公爵」(保篠版)「魔人と海賊王」(ポプラ)

◎内容◎

 海賊王ジェリコは一味を率いてスエズからジブラルタルまで、まさに地中海全域を荒らしまわっていた。ジェリコ一味の襲撃を予感する南仏のミラドール館に エラン=ロックという怪人物が姿を現す。彼は頭を強打されて一切の記憶を失っていたが、知力・体力ともに超人的な能力を発揮する。ミラドール館にいた美女 ナタリーは、そんなエラン=ロックに圧倒され、魅了され、かつ恐れを抱く。
  自分の失われた過去にはナタリーと、そして海賊王ジェリコの影があるとみたエラン=ロックは、ナタリーを守り、ジェリコ一味を一網打尽にするべく活動を開 始する。ジェリコ一味が狙うナタリーのメダルとは何なのか、エラン=ロックの過去はいかなるものなのか。地中海、シチリア、パリ、ブルターニュとエラン= ロックのナタリーの冒険が展開されてゆく。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アーメッド
トルコ人。ボニファスに雇われてジェリコ一味に加わる。

☆アニタ
カステルセラーノ村の裕福な農家のおかみさん。

☆アルメル=ダニリス
ジャン=ド=プルバネックの婚約者。

☆アレクサンドル
ミラドール館の運転手。

☆アンリエット=ゴドワン
マクシムの女友達で結婚相手候補。ジャニーヌの姉。

☆ウィリアムズ
ナタリーの持ち船ネニュファール号の船長。

☆エラン=ロック
記憶喪失になっていて仮に「エラン=ロック男爵」と呼ばれる。知力・体力・胆力ともに超人的。

☆ザフィロス
ギリシャ人。シチリア島で観光ガイドをやっている。

☆ジェリコ
地中海を荒らし回る海賊の首領。

☆ジャニーヌ=ゴドワン
マクシムの女友達で結婚相手候補。アンリエットの妹。

☆シャプロー
精神科医。ナタリーの父の知人。

☆ジャン=ド=プルバネック
プルバネック城の最後の主。第一次大戦に出征し、捕虜収容所で死亡。

☆シュザンヌ
ナタリーに仕えるメイド。

☆ジョフロワ
プルバネック館の番人をつとめる老人。

☆ドミニック
ミラドール館の給仕頭。

☆ドルチばあさん
パスクァレッラとレティチアの母親。

☆ナタリー=マノルセン
アメリカ人マノルセンとフランス人女性の間に生まれた美女。

☆パスクァレッラ=ドルチ
シチリア人の女性歌手。姉のかたきとしてジェリコ一味に復讐を誓っている。

☆フォルビル
マノルセンの秘書。ナタリーに結婚を迫っている。ヘビー級のふとっちょ。

☆ベルトゥ
エラン=ロックの部下。

☆ベルラージュ
エラン=ロックを助けた船の船医。

☆ボニファス
コルシカ人。海賊王ジェリコの片腕となる。

☆マクシム=デュティユール
ナタリーの遠縁のいとこで幼馴染の青年。

☆マノルセン
アメリカ人の富豪。ナタリーの父。シチリア島で急死。

☆マリー=ド=サント=マリー
ジャン=ド=プルバネックの母。息子の死を聞いてあとを追うように死去。

☆ミュリエル=ワトソン
ナタリーの友人。

☆リュドビック
ジェリコの部下。

☆レティチア=ドルチ
パスクァレッラの姉。ジェリコ一味に誘拐され、発狂状態で帰宅。


◎盗品一覧◎

◇プルバネック家に伝わるメダル
なんと十字軍の時代にパレスチナから持ち帰った「キリストの十字架」の破片が入っている。


<ネタばれ雑談>

☆これは「ルパン・シリーズ」なのか?

 当サイトではこの『ジェリコ公爵』をルパンシリーズリストから外し、「番外」グループに入れている。なぜならアルセーヌ=ルパンその人がいっさい登場しないからだ。だが不思議なことに、ルパンが登場しないのを百も承知で、戦前以来この作品は「ルパン全集」にほぼ必ず収録されてきた歴史がある。

 最初に翻訳したのは例によってルパン翻訳のナンバーワン、保篠龍緒である。得られた情報の限りでは、1932年から33年にかけて「キング」誌に連載された『怪人ゼリコ』が最古の訳出のようだ。その後1935年に刊行された平凡社版保篠訳ルパン全集に『ゼリコ』と題して収録、戦後になって日本出版協同版ルパン全集では『ゼリコ侯爵』と題して収録されている。その後原題に忠実に『ゼリコ公爵』と改めた。
 保篠龍緒は『バルタザールのとっぴな生活』『赤い数珠』といったルパンが登場しない作品を勝手にルパンが活躍する話に改作した例があるのだが、日本出版協同版『ゼリコ侯爵』を読む限りはそうした工作はしておらず、ほぼ原作通りの訳となっている(ただし冒頭部分などでかなりの省略がある)。しかしその「まえがき」の中で保篠は「今までと趣が異なる」とはしつつも本作の主人公を「ルパン」その人と断定し、「海のルパンとしては唯一の記録である」とはっきり書いてしまっている。話の出所を忘れてしまったのだが、保篠は訳本のいずれかで「『ゼリコ』はルパン・シリーズだとルブランから明言された」ということも書いているそうだ。ただ他の作品で平然とウソをついていた例もあるので、ややマユツバと感じてしまうところでもある。

 そうした保篠訳を批判する形で1959年から刊行されたのが、東京創元社の「アルセーヌ・リュパン全集」だ。ところが面白いことにこちらでも『ジェリコ公爵』は堂々とシリーズの一冊に入っている(『赤い数珠』とセットで井上勇訳)。あとがきで「リュパン」が登場しないことは明記しており、主人公について「盗賊的性格を骨抜きにしたリュパンと変わらぬ人物」といった評価をしている。現在創元推理文庫版で読める訳文がこのときのものだ(文庫版は絶版になっちゃってるようだが、まだ入手は容易と思う)

 次に児童向けのスタンダード、南洋一郎によるポプラ社版「怪盗ルパン全集」では『魔人と海賊王』の タイトルで、1971年からの追加新バージョンでシリーズ入りした。南洋一郎という人も自分が創作した話を堂々とシリーズに入れたり、『ドロテ』にルパン その人としか思えないキャラを出す工作をしたりしてるお方なのだが、この『魔人と海賊王』は意外にも(?)ほぼ原作に忠実な内容である(第一次世界大戦のくだりがカットされてる程度)。「まえがき」のなかで「はたして、そのどちらがルパンなのでしょうか。読み終わってから考えていただきたいものです」と前ふりをしておいて、とうとう最後の最後までルパンが登場せず、あとがきで「この物語には怪盗アルセーヌ・ルパンの名はさいごまであらわれない。だが、ルパンそっくりの性格の人物はいる。わたしはそれがルパンではないかと思えてならないのだが、読者のみなさんは、どうお考えだろうか」な んて書いちゃうのである。詐欺にあった気分になった少年少女も多かったのではあるまいか(笑)。そのせいかどうかは知らないが、現行のポプラ社版「シリー ズ怪盗ルパン」ではルパンが登場しない作品ということで『魔人と海賊王』は除外され、読むのが困難な作品となってしまった。

 そして1980年代にもっとも完全な全訳ルパン全集が偕成社から刊行される。ここでも『ジェリコ公爵』(大友徳明訳)は堂々とシリーズ入りした。当初本シリーズ入りが予定されていたがルパンが出てこないことを理由に別巻にまわされた『バルタザールのとっぴな生活』とか、内容的にリンクしてるのにルパンが出てこないことを理由にやはり別巻にまわされた『女探偵ドロテ』を差し置いての堂々の本シリーズ入りである。なんか昔から不思議と優遇されてる「非ルパン小説」なのだ。


☆「ルパンみたいな主人公」による別物作品

 ただ、本作がルパンシリーズに含められる理由も分からなくはない。読めばわかることだが主人公エラン=ロックの超人ぶりは明らかにアルセーヌ=ルパンと瓜二つである。またその正体である海賊ジェリコ(ここはネタばれ雑談ですからね!…といってもたいていの人は中盤まで読めば気づいちゃうよね)は、 大勢の部下を率いる大海賊ではあるが、「殺人は絶対禁止」というポリシーを持っている。これではルパンその人と思われても仕方がない。ちょうど記憶喪失に なっている設定なので、自分の正体がルパンであることを当人が忘れてしまっている、という解釈ができなくもない。それにそもそもルパン自身が変幻自在のう えに同時並行でいくつもの人格と冒険をこなしてるらしいことから、海賊ぐらいやってても不思議であるまい、と思ってしまうところもある。

  しかし。物語のラストでエラン=ロックの過去が全て明らかになると、これはどう考えてもルパンその人とは思えなくなってしまう。ルパンも母方が貴族という 設定はあるのだが、プルバネック家は中世以来続いている正真正銘の貴族である。どう考えてもルパンが入り込んで「なりすます」ことができる隙もない。 それに物語は明らかに第一次世界大戦後、恐らく1920年代半ば、あるいは後半を想定しており、物語の時点でエラン=ロックの年齢が「32歳」とはっきり確定され ていては、すでにこのとき50歳を超えてしまうルパンではいくらなんでも入れ替わりはできない。やはりルブラン自身がこれをルパンシリーズとみなしていたとはとうてい思 えないのだ。

 『ジェリコ公爵』は「ル・ジュルナル」紙上に1929年7〜8月に連載されている。ルパン・シリーズの長編『謎の家』が「ル・ジュルナル」に連載されたほぼ一年後のことだ。「ル・ジュルナル」といえば『813』以来ルパンシリーズの多くの作品の発表の場となった新聞だが、第一次大戦後のルブランはこの新聞にルパンシリーズと非ルパンシリーズとをほぼ一年ごとに代わる代わる連載している。ルブランは『虎の牙』でひとまずルパン物語に終止符を打ったが、ルパンシリーズを求める声に応じて大戦前の時代のルパンものを書く一方、その合間をぬってSF作品や『ドロテ』『バルタザール』と いったルパン以外の主人公を立てた単発ものの冒険小説にも意欲的に取りくんだ。『ジェリコ』はそちらの系統に属する作品なのだが、主人公があまりに「ルパ ン的」であるのは、「昔の話じゃなくて現在を舞台にしたルパンもの、ルパンみたいなものを書いてくれないか」という編集側の要請でもあったんじゃないかと 僕は推測しているのだが。

 「ルパンかどうか」という興味がどうしても先行して読んでしまう作品だが、単体の冒険小説としても結構面白く 読める小説だと思う。謎とき要素があるにはあるがだいたい予想がついてしまうものだし、「推理小説」の範疇には入れにくいだろう。むしろその「予想」がい つ明らかになるのかということに読者がドキドキする仕掛けになっている。また南仏・地中海・シチリアといった日射しも熱い「海の世界」を舞台に展開され、 情熱的で「男くさい」雰囲気に満ちたところは、都会的でオシャレ要素が強いルパン・シリーズとはまた違ったルブラン作品として楽しめるだろう。
 さらに、この小説は20世紀も30年近く経ったというこの段階で、「海賊」などという大時代的な設定を持ちだし、過去を失った謎の怪人物(作中でもモンテ・クリスト伯爵に例えられている)に大活躍をさせ、しまいには十字軍時代の遺物まで飛び出してくるという、意図的に時代錯誤を感じさせているんじゃないかと思えるほどの大ロマンとなっている。エラン=ロックのナタリーに 対する態度がルパンに比べてもずっと騎士道精神的かつ抑制的であるところも、19世紀的な古風な冒険ロマンを20世紀の現代によみがえらせてみようという 狙いだったのではないかと思える(後述するが、作中でしばしば引用されるように一世紀前のバイロンのロマン詩『海賊』がモチーフとなっている)。ルパン自体がすでにそういう存在だったのだが、ここまで古風には立ちまわれない「現代っ子」なので、似ているけど別人の 新ヒーローをすえることにしたのではなかろうか。

「その2」へ続く

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