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「赤 い数珠」(長 編)
LE CHAPELET ROUGE
初出:1932年11〜12月「ラ・ヴォロンテ」紙連載 1934年7月単行本化
他の邦題:「赤い蜘蛛」(保篠版)「血ぞめのロザリオ」(ポプラ)

◎内容◎

 ドルサック伯爵の城館で盛大なパーティーが催され、伯爵といわくありげな関係をもつ男女数人が招待される。城館では直前に不審な侵入者の痕跡があり、余 興のコーヒー占いで殺人事件の発生が予言される。果たして伯爵夫人が何者かに殺害され、伯爵の莫大な株券も紛失してしまう。
  現場はほぼ密室状態。パーティーの出席者全てに動機が考えられたが、誰もが一人きりで行動しておらず、全員に完璧なアリバイがあった。現場の捜査にやって きたでっぷり太った人のよさそうな予審判事ルースランは、出席した男女の人間関係の葛藤の中から真相を導き出そうとする。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アジュノール=バトン
以前ドルサック伯爵に雇われていた男。伯爵邸に侵入し、狙撃される。

☆アメリー
ドルサック夫人つきの小間使い。夫は給仕頭のラブノ―。見事なプロポーションと美貌の持ち主で、けっこう浮気性。

☆アルヌー
ドルサック伯爵の秘書。

☆アントワーヌ
ドルサック邸の庭師。

☆アンナ
ドートレー男爵の家の老女中。

☆ギュスターブ
ドルサック邸の庭師の甥の若者。

☆クリスチアーヌ=ドブリュ―
ベルナール=ドブリューの美貌の妻。

☆ジェルメーヌ=ドブリュー
ベルナール=ドブリューの妹。

☆ジャン=ドルサック
伯爵。パーティーの主催者。ひそかにクリスチアーヌに恋している。

☆ジョルジュ=ルースラン
予審判事。釣りが趣味で、美食家。色恋沙汰の事件にしか興味がない。四人の子の父。

☆スールドナル
ドルサック伯爵の知人の事業家。

☆ド=ラロシュ伯爵
ドルサック邸の近所に住む貴族。

☆バノール
ドルサック伯爵の友人の老人。

☆ブレッソン
ドルサック伯爵の友人で、妻と共にパーティーに出席。

☆ベルタ
ドルサック邸で洗濯女をしている老婆。

☆ベルナール=ドブリュー
ドルサック伯爵の友人で、クリスチアーヌの夫。事業に失敗し破産寸前。

☆ボワジュネ
ドルサック伯爵の友人。60歳前後。

☆ラブノー
ドルサック邸の給仕頭。妻は小間使いのアメリー。

☆ リュシアンヌ=ドルサック
ドルサック伯爵の夫人。35歳手前で病気がち。

☆レオニー=ブレッソン
ブレッソンの妻。霊感があるのかコーヒー占いで予言をよく当てる。


◎盗品一覧◎

◇50万フランの株券
ドルサック伯爵が金庫に収蔵していたもの。


<ネ タばれ雑談>

☆ルブランが挑んだ、純粋ミステリ

 『赤い数珠』は、モーリス=ルブラン晩年の代表作と呼んでもいいだろ う。スーパーヒーロー・アルセーヌ=ルパンが 登場しないのはもちろんのこと、ルパンもどきのヒーローも全く登場しない。とある城館を舞台にとくにこれといった個性もない男女数人によって展開される、 かなり地味で大人向けを強く意識したミステリ劇である。「劇」と書いたように、物語の舞台も登場人物もかなり絞り込まれていて、そのまま舞台劇に仕立て上 げられそうな戯曲的内容ともなっている(後 述するが、実際に舞台化もされた)。そのぶん読者は登場人物たちの行動や心理の動きをじっくりと追いかけられ、謎解きに集中で きる作りにもなってい る。
 アルセーヌ=ルパンというスーパーヒーローを生み出してしまい、数々の独創的トリックを生みだしながらも「本格推理小説作家」扱い されることがまずないルブランだが、「本格推理」への作家的野心はずっと抱いていたのではないかな、と思わせるのがこの作品だ。60代に入ったルブランが ルパンものでも内容的にイマイチになってくるのは誰の目にも明らかだが、読者や編集サイドからの要請で書いている部分も大きいルパンものを離れれば、まだ まだ新鮮な傑作が書けたということを本作が証明している。これはあくまで推測だが、1930年前後から英米ではアガサ=クリスティヴァン=ダインディクスン=カーエラリー=クイーンといった、トリックと謎ときを主体 とした「本格推理小説」の黄金期が始まっており、ルブランもその刺激を受けて本作を構想した可能性もある。

  『赤い数珠』はミステリのジャンルで分ければ一応「密室もの」ということになると思う。厳密にいえば決して「密室」ではないのだが、一つの城館を舞台に登 場人物たちの動向が隙なく組み立てられ、殺人現場が実質的に「密室」化してるところに本作のミステリ的面白さがある。読者は探偵役のルースラン予 審判事同様に、登場人物たちの証言を聞き、行動を再確認し、なおかつその複雑な人間関係を解き明かしていく中で誰が犯人なのかルースランと一緒に推理して いくことになる。人間関係から事件の真相を解き明かしていくというスタイルは、心理小説出身のルブランならではのものとも言え、ルパンシリーズにもいくつ か前例があるが、本作でついにその最終にして最高の形を作りあげたと言っていい。

 探偵役のルースランが決して「超人的名探偵」というわけでもないところもポイントだ。予審判事というとルパンシリーズではたいてい無能な道化的役回り で、ルースランも外見的には(内面的に もかな?)そ れを踏襲しているように見える。美食家で釣りが趣味で、若いころは結構遊んでいた過去もあるという「普通の人」であり、殺人事件の捜査なんて本音をいえば あまり興味はない。ただ「色恋沙汰」が絡んだ情痴事件となると話は別(笑)。がぜん興味を覚えて話に聞き入る面白くも俗っぽいオッサンなのであるが、とき として急にズカッと核心を突く発言をするところが素晴らしい。名推理をはたらかせて快刀乱麻の解決をもたらすわけではなく、登場人物たちをディスカッショ ンさせ、その人間関係から事件の真相が自然と浮かび上がるように仕向けていく、という推理小説業界では一風変わった探偵役である。
 ルースラン予審判事という実に個性的なキャラクターを作りあげたルブランは、もしかすると彼を主人公とするシリーズを構想していたのかもしれない。結果 的にシリーズとしては実現しなかったが、ルースランは『カ リオストロの復讐』で再登場し、ルパンその人との共演を果たした。ルブランとしてもかなりお気に入りのキャラだったのではない かと思われる。

 なお『赤い数珠』の単行本刊行は1934年7月のことで、単行本発行順では『特捜班ビクトール』『カリオストロの復讐』の間に入るのだが、ルブランの執 筆年譜によれば『赤い数珠』はもともと『謎 の鍵(Les Clés mystérieuses )』と題して「ラ・ヴォロ ンテ」紙上に1932年11〜12月に連載され、単行本化に際して改題されたものとのことだ。つまり執筆順では『二つの微笑をもつ女』と 『特捜班ビクトール』の間に入ることになる。本作はしばしば「ルブラン70歳の作品」と紹介されてきたがそれは出版年のことであって、実際には68歳の時 のものである。


☆ルパンシリーズとの関係

 『赤い数珠』はルパンは登場しないものの、先述のように探偵役のルースラン予審判事が『カリオストロの復讐』に登場するため、ルパンワールドと同じ世界 の物語である。このため『女探偵ドロ テ』と並んで「準ルパンシリーズ」と位置付けられている。『カリオストロの復讐』でのルパンのセリフによると、このドルサック 城館事件に立ち会ってしまった招待客の一人ボワジュネが ルパン(ラウール=ダヴェルニー)の 友人であり、ルパンは彼からルースランの捜査ぶりを聞いたことになっている。ルパンが自分の変装した人物のことを「友人」扱いする例があるので、もしかし てボワジュネも…と思っちゃうところもあるが、状況から言ってさすがにそれはなかろう。

  ルパンと同じ世界の話であるとして、この事件が起こった年代はいつなのか。『カリオストロの復讐』が1923年春とほぼ特定できるので、それより前である ことは確かだ。『復讐』ではルースランがこの事件を扱ったのは「最近」と表現されており、比較的近い時期である。『赤い数珠』の本文中に「八月初めのバラがまだ咲いていた」と いう記述があり、狩猟解禁日に合わせて人々を招待していることから見ても9月ごろの話と思われるので、1922年の9月と見てよいと思われる。ルパンシ リーズの『特捜班ビクトール』はその年の春のことと推定されるので、ルパンワールドの年代的には『ビクトール』と『復讐』の間に入る話ということになる(ただし先述のように執筆は『赤い数珠』の方が早い)


 『赤い数珠』が日本に初めて紹介されたのは1950年(昭和25)のことで、雑誌「探偵倶楽部」誌上での連載だっ た。訳者は戦前以来ルブラン作品をほぼ独占的に翻訳していた保篠 龍緒。訳題は『赤 い蜘蛛』となっていて(殺 害された死体から血に染まった赤い蜘蛛が這いだしてくる描写が加えられている)、以後数多く出た保篠版「ルパン全集」には必ず この「赤い蜘蛛」が収録されてゆくことになる。
 ところが。この保篠訳「赤い蜘蛛」、途中まではほぼ全訳の展開になっているのだが(殺人事件ののち、ベルナールへの容疑が高まってくるあ たりまで)、 ドルサック伯爵の金庫から盗みだされた株券が全て「白紙」にすりかえられていた、というあたりから原作から逸脱を開始する。しかもその白紙の中から「アル セーヌ・ルパン」の名刺が出現、ルパンがこの事件に首を突っ込んできてしまうのだ。さらに物語が解決編にさしかかってくると、「バルネ私立探偵局長ジム・バルネ」(つまりジム=バーネット)が 城館を訪れてくる。さらに現場捜査に加わっていた刑事ドユーヂー(ルパン物語初期に出ていたガニマールの部下、デュー ジーのこと)に 変装していつの間にやらもぐりこんでいるというおまけつき。しかも本人の口からあっさりとバルネ=ルパンと正体を明かしてしまい、そのまま名探偵よろしく 事件の真相を解き明かしてしまうと、「調査無料」と言いつつ株券をちょろまかして煙のごとく消え失せる…というラストになっているのだ。

 もちろん、これらは保篠龍緒による完全な捏造、改訳である。こうした「非ルパンものに無理やりルパンを登場させる」改 訳はすでに『バルタザールのとっぴな生 活』の保篠版である『刺 青人生』においても行われていた(発 表時期は「赤い蜘蛛」と同年)。ルパンが登場していないと売れない、という商売上の判断もあったかと思われるが、これは「日本 ルパン」というオリジナル作品も手掛けていた保篠氏がルパン愛の高じるあまり悪乗りしてしまったのではないか、という感も強い。戦前における『青色カタログ』『空の防御』の 2編にもそのケがあるが、保篠氏自らが手を入れるとルブランのもの以上にルパンを超人的(というよりカッコつけすぎ。不必要なまでに変装しまく る)に活躍させてしまい、「なんかいつもと違う」と読者にも分かってしまうのだ。
  とくに『刺青人生』『赤い蜘蛛』におけるジム=バルネ(バーネット)としての物語乱入は明らかに無理があり、原作の味を大いに損ねる結果となってしまって いる。どちらも「バルネ」として登場するのは「私立探偵」なので物語に入れやすいためでもあるが、保篠氏自身が「バーネット探偵社」に惚れこみすぎてし まったためとも思える。

 その後、契約上の問題から保篠龍緒にルパン翻訳の独占権がなかったことが判明、翻訳権が改めて設定されて他の訳者による「ルパン」が登場することとなっ た。とくに1959年から刊行開始した東京創元社版「ア ルセーヌ・リュパン全集」(井 上勇、石川湧、池田宣政訳)は初めての「原作に忠実な完訳全集」を志しており、必ずしも原文逐語訳というわけでもなかった「保 篠節」翻訳を強く批判する姿勢を見せていた。とりわけ『赤い数珠』の原作に忠実な翻訳を出すにあたって、その解説(中島河太郎・筆)では「赤 い蜘蛛」に対する激しい非難が浴びせられた。「翻 訳というより贋作であって、せっかく著者がリュパンものの類型から超えることのできた記念すべき作品を、泥にまみれさせてしまったといえよう」「この新し い方法に対して、わざわざ旧来の型にはまった描写を挿入して、読者を欺いていたのだから、わが国翻訳の百鬼夜行ぶりを示すというほかはない」と、 直接的名指しは避けつつも鋭い筆誅を加えている(創 元推理文庫版ではこの解説はカットされている)

 ルパン訳者といえば、ポプラ社の児童向け「怪 盗ルパン全集」で日本におけるルパンのスタンダードを築いてしまった南洋一郎がいる。この人も原作を改竄したり、自身のオ リジナル作品をルパンものにしてしまうということをやっちゃった人なのだが、意外にも(?)この『赤い数珠』を原作とする『血ぞめのロザリオ』(「二つの微笑をもつ女」を原作とする「まぼろしの怪 盗」とセットで単行本になった)は、ほぼ原作の通りのストーリーでルパンは登場せず、他作品ではカットしたり変更してしまう大 人向けの部分もほぼそのまま残して(今 は人妻のクリスチアーヌがかつてドルサックの恋人だったとか、ドルサックが小さいころからサディスティック嗜好といった設定は加えているが)ス トーリーを簡略化する形になっている。どうしてこれだけそういう措置が取られたのか分からないが、もしかすると創元社版全集の保篠版に対する「筆誅」の例 が念頭にあったのかもしれない。南洋一郎は本名の「池田宣政」名義 で創元社版「リュパンの冒険」を担当してもいるので。
 南版におけ大きな改作部分はラストシーン。事件解決からしばらくたち、ドルサック伯爵夫妻の墓に何者かが花輪をささげ、「悔い改めた者の 血はきよめられ そのたましいは 神のみ もとへ行く」という言葉が書かれていた、という描写だ。これは南洋一郎自身がカトリックであったためなのだろうが、原作以上に 事件の悲劇性を増した改作と言っていいだろう。
 なお、話の冒頭でドルサックとアジュノール=バトンが格闘する場面で、バトンが「ぐにゃぐにゃの骨なし男みたい」と 表現されている。知ってる人には「またか」と思わされる表現で、南洋一郎はホントにこの手のものがお好きだったようである。

「その 2」へ続く

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