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「奇岩
城」(長編)
L'AIGUILLE
CREUSE
<ネタばれ雑談その2>
◇「針の岩」は実在する
以下、未読の方にはネタばらしになるが、そもそもここはネタばれ雑談コーナーである(笑)。
物語の核心、
「エギーユ・クルーズ(空洞の針)」の正体は、ノルマンディー
はエトルタの海岸にある「針の岩」で、その内部が実は空洞になっていてフランス諸王の財宝の隠し場所にしてルパンの秘密基地となっていた―というものであ
る。この壮大な設定に胸躍らせた読者は多いだろうが、この「針の岩」が実在するものであることを、筆者ですら大人になるまで知らなかった。フランスでは有
名な観光地なのでみんな知っていたのだろうが、日本の読者には今でもそう広くは知られていないはずで、この物語の愛読を古くから続けていながら、その核心
部分の真の衝撃度を理解してない人も多いのではないだろうか。下がその実在を示す証拠写真である。
(フランス語版・英語版ウィキペディアから画像の
一部を拝借)
フランス北西部の大西洋沿岸は強い偏西風が吹き付けるため、こうした断崖地形があちこちにあるそうだ
(筆
者はまだ行ったことがないもんで)。とくにこのエトルタの断崖は石灰層の地質のため波と風の浸食を受けてこのような自然の奇観を造り上げて
しまったらしい。写真に見えるようにエトルタの地は海水浴を楽しめるビーチもあり、観光地・別荘地として有名で、この断崖の奇観は印象派の画家
クロード=モネ(1840-1926。ルパンの同時代人の一人である)らによって絵画の題材にもされて
いる。
もちろんこの「針の岩」の内部が空洞というのはルブランの創作。だが『奇岩城』の文中にはいかにもそれが衝撃事実の暴露っぽく書かれており、史実との巧
みなかみ合わせのみならず、わざわざ注で
「本書による発覚のため、軍当局の要請により(エギーユへの入口
が)破壊された」なんてもっともらしく書いていたりする(笑)。
この「針の岩」がルパンの根城として登場するのは本作『奇岩城』のみだが、後年の作品
『八点鐘』中
の一編
「テレーズとジェルメーヌ」でも同地が舞台となり、ヒロインのオルタンスが
「あの針の岩にアルセーヌ・ルパンが住んでいた」と言う台詞がある。
この「針の岩」、実際にフランスに旅して直接見るに越したことは無いのだろうが、ルパンものの映画・ドラマでお約束のようにロケ地とされているのでそっ
ちで実態を拝むこともできる。1970年代製作のTVドラマシリーズでは4話でロケ地となっており、うち『奇岩城』後半を原作とした「エギーユの秘密」と
題する1話では「針の岩」のすぐそばでロケが行われているので、その大きさがつかみやすい。
また2004年に製作された映画「ルパン」は
『カリオストロ伯爵夫人』を原作としている
が、財宝のありかを「奇岩城」に設定し、スビーズ伯爵邸をエトルタのすぐそばに配置したため、「針の岩」周辺で撮影された場面が何度も出てくる。クライ
マックスでは「針の岩」の上で格闘するシーンまで出てくるが、これはさすがに撮影許可がおりなかったそうで、CG合成によるものだ。
エトルタの地には多くの文化人が別荘を構えたが、ここを舞台とする物語を書いたルブランもこの地に別荘を持っていた。その名も
「ルパン荘(Le Clos Arsène Lupin)」と
いい、1999年からアルセーヌ・ルパンの博物館として一般公開されている。ルパンファンとしては一度は行ってみたい聖地である。webサイトは
こちら
(フランス語サイト。一部に英語あり)。
余談ながら、江戸川乱歩の「怪人二十面相」は明らかにルパンの和製版として創作されたものだが、その隠れ家も「奇岩城」の翻案といった形になっている。
未読の方のために明かさないが、関東地方にあって多くの人が知っている、「あるもの」の内部にそれがある設定だ。それが明かされるのは
『灰色の巨人』という一編である。
☆ルパンのホームグラウンド、コー地方
『奇岩城』の物語の発端となるのは、ディエップ近くのアンブリュメジーの海岸近くにあるジェーブル伯爵邸だ。ここに盗賊一味
(つまりルパン一味)
が押し入り、殺人まで行われるが、何もとられていない上に重傷を負ったはずの犯人の姿も見えない―という謎だらけの事件で物語の幕が開ける。これだけで短
編、ヘタすると長編が一本できそうなほどのシチュエーションとトリックのアイデアが注ぎ込まれている。しかしこれがただの発端であり、そこからフランス各
地に話が飛び、さらにはフランスの歴史にまで話が及んでしまうスケールの大きさがこの物語最大の魅力だ。
ところでその発端となるジェーブル伯爵邸も
「ノルマンディーのコー(CAUX)地方」の一
画である。少年探偵ボートルレは終盤になってこれまでルパンの活躍がしばしばこの地方に集中していたことに気付き、謎の核心へと到達する。
ここ十年来、ルパンが定期的に荒らしまわるのは、まさにこの地方ではないか?まるでエギー
ユ・クルーズの伝説ともっとも密接なつながりを持つ土地のまっただなかに、ルパンの隠れ家があるみたいだ。
たとえば、カオルン男爵事件はどうだ?ルーアンとル・アーブルのあいだの、セーヌ河畔で起きている。ティベルメニル城館事件は?高原地帯の反対側のはず
れ、ルーアンとディエップの間が舞台だ。グリュシェ、モンティニー、クラスビルの強盗事件は?コー地方のまっただなかで起きている。列車の車室で、ラ・
フォンテーヌ街殺人事件の犯人、ピエール=オンフレーに襲撃され、手足をしばられたとき、ルパンはどこへ向かっていたのか?ルーアンだ。ルパンにつかまっ
たシャーロック=ホームズは、どこで船に乗せられたのか?ル・アーブルの近くだ。
さらにまた、現在の事件の舞台はどこだったのか?ル・アーブルからディエップに通じる街道ぞいのアンブリュメジーではないか。
ルーアン、ディエップ、ル・アーブル、いつもこのコー地方の三角形が舞台だ。
(偕成社全集版『奇岩城』長島良三訳、256pより)
ルブランがルパンシリーズ執筆の最初から「奇岩城」の構想をもっていたわけではなさそうだが、確かに過去の作品を
振り返ってみると、この地方がルパンのホームグラウンドになっている。この部分で名前が出てきた地名を、地図で確認してみよう。
「カオルン男爵事件」
(「獄中のアルセーヌ・ルパン」) の舞台となった
マラキについては原文中にジュミエージュの廃墟とサン・ワンド
リーユの廃墟の間のセーヌ川の川中島という設定なのでだいたいの位置は特定できる。その後掲示板で指摘を受け、地図中の位置にマラキという地名が実在する
ことを確認した。
ルパンとホームズが初顔合わせをした「ティベルメニル城館事件」の舞台
ティベルメニルは架空のものかと思っていたが、これも地図中の
位置に実在する地名で、どうやら本当に城館遺跡も存在するとの指摘を受けた
(以前載せていた地図では仮定の位置を示していたが、実在が確認された位置に
訂正してあります)。
また「奇岩城」の物語の発端となる
アンブリュメジーは
「サント・マグリット」と「バランジビル」の二つの実在の村にはさまれた海岸近くと文中にあるので、だいたいこのあたりと推測される。これまた掲示板で情
報をいただいたのだが、このあたりに「アンブリュメニル」という似たような地名があるそうで、ルブランはこれをもじったものかと推測される。
「奇岩城」執筆の時点でもこれだけあるが、その後に書かれたルパン・シリーズにしてルパン最初の冒険譚となる
『カリオストロ伯爵夫人』もこの地方が舞台で、財宝のありかを示す「北斗七星」がこの地方の地図に浮か
びあがる大仕掛けが忘れがたい。
またシリーズ後期の一本である
『バール・イ・ヴァ荘』もコー地方のセーヌ川沿いを舞台にし
ており、刑事ベシュからの電話で事件の起こった土地の名を聞かされたルパンは、
「そんなことは先刻ご承知さ!セーヌ河の河口も、コー地方のことも!ぼくのこれまでの生涯
が、つまり、現代史そのものが、そこで展開されてきたんだぜ!」(偕成社全集版『バール・イ・ヴァ荘』大友徳明訳文より)
と話している。
『ふしぎな旅行者』の記事でも書いたが、ルパン・シリーズでこの地方がしばしば舞台になっ
ているのは、作者ルブラン自身がルーアンの出身であり、この地方に強い土地勘と愛着があったためだ。またルブランは当初純文学・心理小説作家を志している
が、彼がそのジャンルで多大な影響を受けた二大巨頭
フローベル(ルーアン出身)と
モーパッサン(ディエップ出身)
もまたこのノルマンディー、コー地方の出身で、観光地であるエトルタの地でバカンスを過ごすことが多かった。ルブランもそれにならってかどうか分からない
が、やはりエトルタで夏を過ごす習慣がついて、この地でルパンシリーズの想を練るようになり、やがてここに別荘を構える事にもなる。
もっともルブラン自身は、本来自分が志した純文学から大衆小説の人気作家に身を落とした(?)ことで、自分を作家の道に進ませた二大巨頭に対する引け目
を感じていたらしく、エトルタの喫茶店で、すでに故人となっていたモーパッサンの「指定席」からやや離れた場所に一人ひっそりと腰をかけていたというエピ
ソードが以前NHK−BSのルブラン番組で紹介されていたことがある。
ともあれ、ルブランはルパンシリーズをヒットさせ、しばしばコー地方を舞台にしているうちに、ここにルパンの「秘密基地」を作らせちゃえ、と思いついた
のだと思われる。実は『奇岩城』は、当初は
『おそかりしシャーロック=ホームズ』の次回作と
して予定されていたといい
(ドイルから抗議を受け、逆に『ルパン対ホームズ』を先行させることになったらし
い)、ルパンの秘密基地「空洞の針」の構想自体は割と早く思いついたのではなかろうか。
☆フランス国内東へ西へ
『奇岩城』の舞台となるのはパリやコー地方ばかりではない。物語中盤の山場はボートルレがルパンに誘拐された父を探してフランス中部地方をさまよう展開
だ。
ボートルレの故郷であり、当初ボートルレの父もそこに住んでいることになっていたのは
「サボワ」だっ
た。これはフランス東部、アルプス山脈に接する地域。ここの「野中(田舎)の一軒家」にいては危険と、ボートルレはフランスの反対側である港町
「シェルブール」に父を隠す。シェルブールといえば何といっても映画「シェルブールの雨傘」で世界的に
有名だ。
ところがルパンもさるもの、シェルブールからまんまとボートルレの父を誘拐してしまう。手引きする形になってしまった少女シャルロットから
「シャトールー」という地名を聞き出したボートルレは、中部フランス・
アンドル県の県庁所在地シャトールーへと向かう。
シャトールー周辺、アンドル県内をボートルレは三週間ほどしらみつぶしに探索して回っている。しかし手がかりが見つからず焦っていると、幽閉されている
父親が投げ出した手紙がパリ経由で届き、それが
アンドル県エギュゾン郡キュジオンから発送さ
れたものと分かり、キュジオンへ向かうことになる。
日本では「奇岩城」の訳本は数あれど、この展開を地図で説明してくれる訳本が僕の知るかぎりまったく無い。シャトールーぐらいならなんとか世界地図で発
見できるが、その田舎の郡となるとなかなか…で、この部分は読んでいてもいまいちイメージがつかめないところだったのだ。しかし近年はありがたいことに
ネットで世界各地のかなり詳しい地図や航空写真が見られ、けっこう細かい地名まで確認することが出来る。それらを使って作成した地図をお目にかけよう。
上に置いたフランス全土地図のうち、アンドル県とクルーズ県の県境付近を50万分の1の縮尺で拡大し、小説中に登場する地名を書き込んだものが左の地図
だ。現在の地図で調べるとクロザン付近にダム湖とおぼしきものが見えるのだが、当時そんなダムがあったとも思えないので消してある。この画像の横幅がだい
たい50kmと考えていただきたい。
キュジオンの村長
(どうやら郵便局長の役割を村長が兼ねているらしい)から手紙をひろって
届けたのがシャレルじいさんだと聞かされたボートルレだったが、肝心のシャレルじいさんは何者かに薬を飲まされ意識混濁の状態になっていた。
ようやく意識を取りもどしたじいさんは、いつもの習慣でフレスリーヌの町の市場へ刃物の行商に出かけ、ボートルレはこれを追ううち、じいさんを追跡する
怪しい男を見つける。フレスリーヌからクロザンまで三人の追跡劇が続き、クロザンでシャレルじいさんは川を渡り、怪しい男は川を渡らず小道に入っていく。
男のほうを追跡したボートルレは城館を発見、それが
「エギーユ(針)城」という名であり、川
の手前のこの地は
「クルーズ県」であることを知って、「エギーユ・クルーズ」の秘密を解いた
とぬか喜びしちゃうわけだ。文章と地図を追いかけるかぎり、問題の「エギーユ城」の位置はだいたいつかめるだろう。
(注意:『奇岩城』の原書には一部文章が省略されたバージョンがあり、このシャレルじいさん
の意識混濁の箇所がカットされ、ボートルレがいきなりフレスリーヌからじいさんを追跡する展開になっているものがある。創元推理文庫、新潮文庫、集英社文
庫、旺文社文庫の邦訳がこれを底本としているので注意。偕成社全集版、最新の訳であるハヤカワミステリ版が本来の原文に忠実である)
「クルーズ県」の名の由来は、地図中にもある
「クルーズ川(La Creuse)」にあ
る。もちろん「空洞」「中空」を意味する「クルーズ」とはスペルも発音も一緒
(ちなみにアンドル県もアンド
ル川に由来する)。ボートルレ君がダマされるのも無理はない。しかもここまで誘導するのに手が込んでるしなぁ…
ルブランがこの大掛かりな仕掛けをどうやって思いついたのか知るすべはないのだが、アンドル県内のクルーズ川沿いに
「ル・ブラン(Le Blanc)」とご本人の姓とスペルが全く同じ名前の町があったりする(!)の
で、もしかすると以前から気になっていたのかもしれない。
この「エギーユ・クルーズ」が大掛かりなトリックであったことを知ったボートルレは、古文書をたどっていき、ブルターニュ地方の
レンヌ近くの
「ベリーヌ(ヴェリーヌ)」
へと向かう。ここでルパンと直接対決することになるわけだが、文中ではベリーヌは、パリからブルターニュ行き急行に乗って、レンヌで降りずに少し先へ行っ
た小駅となっている。レンヌはブルターニュ地方の大都市だから世界地図でもすぐに発見できるが、このベリーヌについては架空地名なのか、今のところ地図で
は確認できないでいる。
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