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「金三
角」(長編)
LE TRIANGLE D'OR
<ネタばれ雑談その2>
☆「金三角」のパリを歩く
『金三角』はほぼ全編がパリを舞台としている。それもエサレス邸
のあるパリ市街西南部のパシー周辺が大半だ。
物語の冒頭、パトリスたちがコラリーを救出するのはガリエラ博物
館の近く。最初にパトリスたちが集結するのがここで、パトリスはここからピエール・シャロン通りを抜けてパリ中心部へ行き、シャンゼリゼ通
りのホテル(野戦病院)に向かう。そこから出てきたコラリーを尾行して、またピエール・シャロン通りを通り、マルソー通りとの交差点を過ぎたあたりで襲撃
が行われている。犯人一味のうち捕らえたムスタファが仲間に殺害されるが、その死体はヤ=ボンによってガリエラ博物館の庭に投げ込まれている。
ガリエラ博物館は19世紀の末にガリエラ公爵夫人が建てた邸宅をもとにした施設で、現在は正式には「パリ市立モード・衣装博物館」となっている。『金三
角』の当時どうなっていたのかは現在調査中。
ヌイイにある野戦病院に戻ったパトリスはその夜、トロカデロ広場とパシー駅の間辺りに「火花の雨」を見る。そこで環
状鉄道に乗ってアンリ・マルタンまで行き、そこからラ・トゥール通りか
らパシー広場に抜ける。そこへトロカデロ広場からフランクリン通りを
通って行く五人組を見かけ、そのあとを追ってレーヌワール通りへ
と入ってゆく。ここにエサレス=ベイの邸宅があるのだ。
レーヌワール通りといえば、ルパン・シリーズでは短編『影の合
図』の舞台になったところ。『金三角』のこのくだりの本文でも「アルセーヌ=ルパンが、古い日時計の割れ目から徴税請負人のダイヤモンドを
発見したという、謎めいた庭があるのもここなのである」と書いており、ちゃんとつながりが明記されている。『影の合図』で、この地域が文豪バルザックや、アメリカ独立時の外交官ベンジャミン=フランクリンが住んだところであることが触れられて
いたが、『金三角』でもバルザックの家があることは書かれており、そしてフランクリンにいたっては物語の後半で重要な意味をもつようになっている。
『影の合図』の「デルヌモンの庭」同様、エサレス=ベイ邸がどこにあるかは具体的な記述がない。レーヌワール街からセーヌ川岸に降りる細い路地のどれか
を通ってパトリスたちが屋敷の裏手から侵入する描写があり、すぐ近くに川岸の造船所があることになっているから、かなり川岸に近い位置なのではないかと推
測される。かつてはパリ郊外で、20世紀初頭でもまだ田舎びた雰囲気が残っていたらしいこの地には土地に余裕があったろうし、エサレス=ベイは大資産家であるからかなり大きい敷地の邸宅を
もっていたかもしれない。
物語の後半に入るとバシュロという人物が登場し、住所
はギマール通り(rue Guimard)18番地とあ
る。「すぐ近くだ」というセリフがあるのでパシーのセーヌ川岸からさして遠くないことが分かるが、現時点でまだ場所が確認できてない。ギマールといえば、
この時代のアール・ヌーヴォー建築家として名高いエクトール=ギマール
(Hector Guimard)が連想されるが、現在のパリに「エクトール=ギマール通り」は実在するもののかなり遠いパリ19区(それに恐らくもっと後の時代についた名前のはず)。というこ
とは架空の通りなのか?と悩んでいるところなのだが、ルパンシリーズで架空の通りを出した前例がない。調べたところパシーのラ・フォンテーヌ通り周辺には
ギマールの設計した建築物が多くあり、中には「ギマール通り」なんて呼ばれるものもあるという話が出てきたのだが、正式な住所として扱われてるのは不自
然。というわけで、今のところ未確認とするしかない。
ラスト近くで出てくる旅券偽造のジュラデック医師の自
宅はモンモランシー通りにある。モンモランシー通りはパ
リ中心部の第3区、地図で見ると現在ポンピドゥー・センターがあるところからやや北に行った地点にあることが確認できる。
☆セーヌ川大追跡!
セーヌ川はフランス北部を北西に向かって流れゆく大河で、パリ市街のど真ん中を貫いていく。正確にはセーヌ川の川中島であるシテ島を中心にパリという都
市が発達したというべきで、セーヌはパリの生みの親であると同時にシンボルでもある。セーヌ川はパリを抜けるとウネウネと蛇行を繰り返してゆったりと流
れ、ルブランの故郷ルーアンを抜け、ルパンシリーズの主要舞台であるノルマンディー地方を貫いてルアーブルで大西洋へと注ぐ。
この川は内陸にある首都パリと大西洋とを結ぶ重要な水運ルートとしても古くから活用されてきた。パリとルアーブルの中間
にあるルーアンはセーヌ水運で発達した都市で、ルブランの父もスコットランドからルーアンに運ばれた石炭を卸す仕事をし、船主ともなって財をなしている(一部の訳本解説のルブランの伝記で「ルブラン家は代々回船業だった」との
記述があるがこれは事実ではないとのこと。詳しくは『戯曲アルセーヌ・ルパン』等の住田忠久氏の解説を参照されたい)。パリじたいも水運で
発達した都市であり、現在でもパリ市の紋章は右図でごらんのとおり、帆かけ船のデザインが中心になっている。その下にはラテン語で「FLUCTUAT NEC MERGITUR(たゆたえども沈まず)」と
書かれており、これはもともとセーヌ川水運組合の紋章となっていたものだとか。
『金三角』はパリからセーヌ川を下っていく水運の様子がうかがえる作品でもある。お読みになってる方はお分かりのように、これは完全に犯人側がルパンた
ちをひっかけてパリから遠ざけるためのトリックなのであるが、パリからスタートしてセーヌ川の船を自動車で追跡していく展開はなかなかスリリングだ。
この展開も地図で確認してみよう。
エサ
レス邸の庭の池にあった仕掛けを手がかりに、ルパンたちはセーヌ川岸のベルトゥー造船所にたどりつく。ここで「ベル・エレーヌ」という伝馬船がマント方向へ下り、シメオンもサン・ラザール駅から列車でマントへ向
かったとの情報を得て、80馬力の自動車で街道をマントまで1時間たらずで突っ走る。左の赤い線がその街道だ。ウネウネと蛇行するセーヌ川沿いの各都市を
最短ルートで結んでいく道路だ。
マントでシメオンがベル・エレーヌ号に乗り込んだとみたルパンたちは、ロ
ニーからラ・ロッシュ・ギュイオンへと蛇行
コースに入るベル・エレーヌ号を先回りして待ち受けるべく、直進する街道を抜けてベルノン方向へ走る。船が3時間かかるところを自動車では15分で走
り抜けた、とあるが、地図で確認するとよくわかると思う。
セーヌと再び出会うボニエール村でルパンたちはついにベ
ル・エレーヌ号をつかまえるが、ここでルパンはトリックにひっかかったことに気付き、大慌てでパリへ戻る、という展開だ。
なお、南洋一郎のポプラ社版『黄金三角』ではルパンたちがベル・エレーヌ号においつく場所
がボニエールを突破して「ベルノン村」になってしまっているが、全訳版を読めばわかるようにベルノンは「村」ではなくそこそこ大きな都市で、パトリスも「ベルノンあたりで軍当局に知らせて逮捕させよう」と言ってい
る。ルパンはなぜかそれを拒んで二人だけの隠密行動を求め、手前のボニエール村で待ち構える。そこにパトリスは相手が「怪盗」であるだけに疑念を覚えるわ
けだが、結末で明らかになるようにルパンはエサレスが集めた大量の金貨を秘密の外交工作に使おうと画策していたため、可能な限り隠密に話を進めたかったの
だ。
そもそも第一次世界大戦の真っ最中のこの時期、国内の移動は自由ではなかった。パトリスも「特別許可証なしにパリの外に出られると思っているのですか!」と
言っている。ところがルパンは「スペイン貴族ドン・ルイス=ペレンナ」名
義で「国内全域有効の戦時通行証」を持っていて、天
下御免で自動車を走り回らせている。それも内務大臣およびフランス大統領の署名入りだ。これについては後でも触れたい。
☆ルパンが画策する外交工作とは?
さて、ルパンが扮する
ドン・ルイス=ペレンナは、
この事件に首を突っ込み、大量の金貨のありかを極秘のうちに探し求める理由を最後の最後で明らかにしている。
「現在、つまり1915年4月現在、ご存じのように、連合諸国および、さるヨーロッパ最後の中立強国と
のあいだで、ひとつの会談がおこなわれております。…(中略)…討議されている問題のなかで、双方の意見の一致をみないものがひとつありま
す。それは金の問題であります。そしてその強国は、わが国に対して三億フランの借款を要求しているのであります。…(中略)…ところで、その三億フランを小生はもっているのであります。それを自由にでき
るのであります。そして、小生はそれを新しい友邦のためにつかおうと考えているのであります」(偕成社版、416p、竹西英夫訳より)
つまりルパンは大量の金貨を、
「さるヨーロッパ最後の中立強国」を
連合国側、つまりフランスの味方に引き入れるために使おうと言っているのだ。第一次世界大戦の1915年4月段階で、まだ中立していた「強国」、そして連
合国側とひそかに協議を行っていた国といえばどこか?差支えがあると思ったか本文中では明記がないが、これは明らかに
イタリアのことを指している。戦後にフランスで出版された
『虎の牙』でもこのことは触れられていて、そこでは「イタリ
ア」と明記がある。
イタリアは第一次世界大戦勃発前は、ドイツ・オーストリアと
「三国
同盟」を結んでいた。しかしイタリアはオーストリアとの間に「未回収のイタリア」と呼ばれる領土問題を抱えており、1914年に実際に大戦
が勃発した際には参戦せず、中立して様子をうかがう姿勢を見せた。そして大戦の長期化が明らかとなってきた1915年になると連合国側とひそかに連絡をと
りあい、ついに1915年4月26日、イギリス・フランス・ロシアとロンドンで秘密協定を結んで、翌5月にオーストリアに対して宣戦布告することになる。
ルパンが言う「現在行われている会談」とは明らかにロンドンでのイタリア参戦の秘密協議を指している。この小説は1917年になって書かれているのだ
が、わざわざ年代を1915年4月に設定しているのは、イタリア参戦の裏に実はルパンの活躍があった!ということにするためだ。もちろんフィクションであ
るから失礼のないように国名は伏せたというところだろう。連合国がイタリア参戦への見返りとして密約したのは、実際には「未回収のイタリア」地域をオース
トリアからイタリアに割譲させるというものだ。
南洋一郎版『黄金三角』はかなり原作に忠実な内容なのだが、この外交工作部分が変えてある。やはり児童向けには難しいと思われるし、あくまで戦争を嫌い
平和を愛するモットーの「南ルパン」ということもあり、ルパンがこの中立国に三億フランではたらきかけて
「なかなおりのなかだち」、つまり講和仲介をさせようと画策す
ることになっている。
ところでルパンはこの借款工作を急ぐ理由として
「ロシア軍には、
もう弾薬がないのです」と言い、ロシア軍が東部戦線でドイツ軍の攻勢の前に撤退を余儀なくされる情勢だと説明している。ロシア軍は1914
年8月から9月にかけての「タンネンベルグの戦い」でドイツ軍に敗北し、以後ほぼ防戦一方の展開になっていたのは事実だが、1915年春段階で「もう弾薬
がない」ほど切迫してはいなかったのではなかろうか。これはむしろ小説が書かれた1917年
(ロシア革命が勃発した年)段階での感覚をさかのぼって投影さ
せたものではないかとも思う。
ルパンがスペイン人ドン・ルイス=ペレンナを名乗るのは
『続
813』のラスト、アルジェリアのフランス外人部隊に志願する場面が最初だが、『金三角』でのルパンは先述のようにドン・ルイス=ペレンナ
として完全に身元を保証され、フランス内務大臣および大統領の署名入りの通行証まで持っている。この通行証を獲得した経緯をルパンはこう語る。
「かつて小生はモロッコの戦闘に参加したことがあるのですが、そのとき小生
は、フランスの隣国であり、今回も中立を守っているさる国の、
きわめて友好的な王のお役にたってやったことがあるのです。現在その王は、中立国であるという立場上、やむなく本心を隠しておられるが、わが国の勝利を心
から望んでおられます。その王が小生をお招きになられた。そこで小生は身元の保証をお願いし、通行証を手にいれていただいたのです」(偕成社版、266p)
これも実名は挙げられていないが、フランスの隣国であり第一次大戦の中立国、それも国王がいる国、となると、やはりドン・ルイスの「母国」であるスペイ
ンとしか考えられない。これもまた『虎の牙』ではちゃんと触れられており、スペインの国王の話だったという明記がある。この当時のスペイン国王は
アルフォンソ13世(1886-1941、在位1886-1931)で、
ルパンより12歳若い国王だった。のち1931年に亡命に追い込まれ、スペインは約40年間共和制
(ただし「スペイン内戦」ののちフランコ独裁体制になった)に
なっている。このアルフォンソ13世が第一次大戦時に内心はフランスの勝利を望んでいたかどうかは未確認。なおルパンがいかにして「ドン・ルイス=ペレン
ナ」の身元証明が得られたかについては『虎の牙』でより詳しく説明されている。
イタリアへの工作とは別に、ルパンがトルコに対しても工作を行っていたことが語られている。
「ふた月ほど前のこと
でした。小生は東洋諸国に顔がきき、またトルコ帝国の各方面ともつながりがあることが幸いし、現在のトルコを実質的に支配している党派に単独講和を考慮さ
せることに成功しかけたのです」(偕成社版、415p)
この工作のためにルパンは数億の金をばらまいたというが、当人には不可解な政治的理由により、この単独講和案は連合国側から拒否されることになったとい
う。
「トルコ帝国」とは、いわゆる
「オスマン帝国(オスマン・トルコ
帝国)」のこと。13世紀末に現在トルコ共和国にあたる小アジア地域に建国され、長い時間をかけて成長、17〜18世紀にかけては現在「中
近東」と呼ばれる地域全体と北アフリカおよびヨーロッパのバルカン半島を支配するイスラム大帝国として、ヨーロッパ諸国を恐れさせた。だが18世紀後半に
なると衰退が明らかとなって逆にヨーロッパ列強に押されまくって領土も縮小、ヨーロッパに学んだ近代化を推し進めて体制の立て直しを図ろうともしたが保守
派の巻き返しもあってうまくいかなかった。危機感をつのらせた軍人らを中心に1908年に
「青年トルコ革命」がおこり、第一次世界大戦の直前には革命の
中心であった
エンヴェル=パシャらが政権を握った。エン
ヴェルはトルコ民族主義を掲げ
(それまでのオスマン帝国は多民族帝
国である)、ロシア・イギリスとの対抗上ドイツと密接な関係をもつようになり、1914年に第一次世界大戦が始まるとドイツ側、つまり同盟
国側について参戦している。結局この参戦のためトルコは敗戦国となり、戦後さらに国家解体のピンチを迎えることになるのだが…
(このあたりの歴史に興味がおありの方は当サイトからいける「史劇的な物見
櫓」中「しりとり歴史人物館」コーナーの「ケマル=アタチュルク」の項をご参照ください)。
1915年4月から「ふた月ほど前」の段階でトルコを「実質的に支配していた」のは当然エンヴェル=パシャら「青年トルコ」の一党である。だが調べた限
りでは彼らがこの時点で「単独講和」を考慮した可能性はない。それどころかこの1915年2月から戦局の打開を図ったイギリス海軍がトルコ領のダーダネル
ス海峡へ攻撃を開始しており、むしろトルコが積極的に戦争に参加せざるをえなくなっていた時期でもある。
☆大統領になったバラングレー
物語の最後、謎解きをする場面で唐突に
バラングレーが
再登場する。『813』では総理大臣(首相)兼内相という肩書だったが、今度は
「共和国大統領」と
なっている。今もそうだが当時のフランス第三共和政でも国家元首である
「共和国大統領(Président de la République)」と、
その下の
「閣僚評議会議長(Président du
conseil des ministres)」である総理大臣(首相)とがおり、それぞれ役割分担して政治権力の中枢を担っていた。バラ
ングレーは大戦前の1912年の『813』のときは総理大臣、大戦中の『金三角』では大統領、大戦後の『虎の牙』では再び総理大臣として登場している。
『813』のネタばれ雑談でも触れたが、同時期に全く同じ職歴をもつ政治家が
レーモン=ポアンカレ(1860-1934)。ポアンカレは
1912年に総理となり、1913年に大統領に就任して第一次世界大戦のフランスを指導して1922年に退任、戦後の1922年にふたたび総理大臣となっ
ている。その名前の響きも類似することもあって「バラングレーのモデルはポアンカレ」という説があるのだが、バラングレーが最初に総理として小説に登場し
たのはポアンカレの首相就任前の1910年のこと。また『虎の牙』は1914年にアメリカで先に刊行された際は当然戦後の年代設定ではなく、バラングレー
は大統領を経ずに『813』に引き続き総理として登場していた。だから「単なる偶然」とも言えるのだが、戦時中に書かれた『金三角』でバラングレーが大統
領として登場するのは、やはりポアンカレをモデルとして意識したものだろう。
なお、そのバラングレーの腹心として金貨流出の捜査にあたる元判事
デ
マリオンは、ラストでルパンから「警視総監になる」と言われ、実際に『虎の牙』で警視総監として再登場する。しかし『虎の牙』のほうが先に
書かれていてデマリオン警視総監もそこで登場しており、『金三角』でのデマリオンは時間をさかのぼっての「再登場」なのだ。ルパンの予言が当たるのも当然
である(笑)。
ラストシーンで、デマリオンは姿をくらました怪人物
(名前を名乗
らないイギリスの牧師風の男)について
「不幸な恋愛
事件のはてに、カプリの断崖から身を投げた、あの有名な冒険家みたいな」という言い回しでルパンに言及した。いや、これ、絶対気づいてるん
じゃないか。あんなことするやつほかにいないし(笑)。バラングレーも初対面時は気付かなかったが
「数年前、あなたが総理大臣のときに、おたずねしたことがあります」と
いうイギリス牧師風の男のセリフにあとからハタと思い当たったのではないか。だから特殊任務を任せたいという意向を伝えさせているともとれる。そう考えれ
ば『虎の牙』で、ドン・ルイスが最初に登場した時点ですぐその正体に気付いたのも納得できる。まぁ死んだことにしておきたかったところなんだろうが。この
部分、南洋一郎『黄金三角』ではわかりやすくするためだろう、ルパンがバラングレーたちにあっさり自分の正体を明かしてしまっている。
『金三角』におけるドン・ルイスの初登場場面で、その容姿はこう描写されている。
痩身、肩幅はひろく、顔の色につやがない。くちびるに細いひげをはやし、こめ
かみにいくらか白髪がまじっている。年齢はせいぜいいって五十歳。服の仕立ては、いたって粋であった。(偕成社版、254p)
このときルパンはまだ41歳である。「せいぜいいって五十」とあるので、実年齢よりやや老けた変装をしていたようである。
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