- 9月11日
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全国的に雨また雨。ところがそんな中、東京周辺だけは魔法のように雨が少ない。帰りがけにアメダス画像を見てみたら、東京湾沿岸だけ器用に青いセルが無かったり。帰りは傘もささずに帰宅できてしまった。そんなわけで、山田さん(8)から名古屋が大変なことになっていると知らされても、にわかには信じ難かったのだった。
名古屋の状況も知らずにやっていたのは本棚の整理。1箱整理するたびに、床の本だの押し入れの本だのを展開しているので本棚は一向に空かない。積んでは崩す賽の河原のような気分である。一箱詰めては母のため、二箱詰めては父のため、あーとの一箱親孝行、お里帰りの千なりは両口屋是清♪
- 9月12日
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朝、ワイドショーを見てみると、名古屋は本当に水没していた。実家のごく近所には避難勧告すら出ていた模様。さすがに実家の安否を問わないのは人としてまずいのではという気になってきたので、夕方休みに連絡を入れてみる。結局、うちはたかだか店の床に水が溢れた程度で済んだらしい。それなら、10年とはいわないまでも15年に一度はあることだから、心配しなくても良いだろう。風(というか波)の心配さえなければ、排水設備がオーバースペックな0m地帯の運河沿いは、かなり安心できる場所のようだ。
中村融編集のアンソロジー、『影が行く』を読了。古い。
大森望が何と言おうとやはり古さは否めない。文章の問題ではなく、語り方、それ自体が時代がかっているためだ。それが一番顕著に現れているのがシオドア・L・トーマスの「群体」。下水に生まれ、成長し、一つの街を壊滅させるまでに至る群体生物を、神の視点で逐次描写というのは、短編とはいえいくらなんでも。普通、もう少し狭い視点を多く置くだろう。とはいえ、そういった古さが悪印象を与えたかというと決してそんなことはなかったり。一部に駄目な古さしかない作品もあるが、概ね大時代な雰囲気を楽しめる。飛びぬけた秀作はなかったが、全体にゆったりと楽しめる良い作品集だった。
敢えてベストを挙げるとすれば、ブライアン・W・オールディスの「唾の木」か。ウェルズへのオマージュとして、バクスターごときとは比較にならないほど器用にウェルズの雰囲気を模している。編者による作品解題を読んだ時点では、ウェルズの諸作がもっと生で出てくるのかと思ったが、ちゃんとそれぞれにずらしているあたりはさすが。『神々の糧』がそうなるとは思わなかったよ。
ところで、誰も、カート・シオドマクが死んだことは気にならないのか。有名作家なのに。
- 9月13日
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名古屋市に就職した後輩がMLに流したメールで、名古屋の惨状の一端を知る。さすがに目の前で人死にが出るというのは辛いよなあ。自分の周り(実家とか友人、知人の家とか)がたいしたことが無かったからって、災害全体の規模を過小評価するのはいけないと、やや反省。
しかし、人死にが出ているという点を踏まえながらも、今回の集中豪雨の結果から、名古屋の洪水対策は優秀であるという印象を受けた。確かに、新川の堤防決壊、天白川の溢水など一部で惨事は起きてしまったわけだが、東、中、中村、昭和といった市中心部からはほとんど被害の話が伝わってこない。電気、ガスなども、西、北など市周縁部を除けばちゃんと供給されていた模様。ちょっと名古屋市の都市構造を見直した。
- 9月14日
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久しぶりにとりあえず、ラファティを見てみたら、いきなりキャラクター事典が出来ていた。いや、もう本当に、いまさらうちのやることは何も無いという感じだ。
水上かなみさんの掲示板の書込み(76)を見て、目から鱗。名古屋の(周縁部はともかく、とにかく都市機能だけは維持するという点での)治水能力が、尾張徳川家の遺産というのは実に納得できる話だ。たしかに、名古屋の中枢機能はたいてい北東部の台地上にあり、水害を周縁に受け流すことができるような構造になっている。っつーか、普通の都市はそうなってるよな。じゃあ、名古屋の治水能力はさほど感心すべきものでもないのか。えーと、感心すべきかそうでないかを判断するには、同規模の雨が他の大都市に降ればいいんだな。
これに関して。ふと、Web上をさ迷っているうちに、今回最大の被害を受けた西枇杷島町を含む地域、小田井が、昔から名古屋の身代わりにさせられてきた地域であることを知る。江戸時代以来、大雨などで、庄内川が溢れそうになったときは、小田井の人々を集めて、小田井側の堤を切らせていたのだそうな。そこから、働かない人足を意味する「小田井人足」(自分の村が被害に遭うんだから、そりゃ働かないだろう)なんて言葉もあったらしい。木曽川の話(木曽川の尾張側に立派な堤防を作った際、被害を美濃側に流すため、美濃側の堤防を改修させなかったという)とあわせて、尾張徳川家がいかに嫌な、あるいは優秀な統治者であったかをうかがわせるエピソードである。
- 9月15日
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つい油断してオリンピックの開会式を見てしまう。
日本選手団のあの床屋の客のような格好は、誰かかっこいいと思った奴がいたのか。北欧選手団のシンプルなスーツが実に美しく見えた開会式だったことである。
ところで。旧ソ連系共和国のほとんどが、なんとかスタン(ex.カザフスタン、トルクメニスタンe.t.c.)と紹介される中、キルギスタンだけキルギス共和国と紹介されていたのはなぜなんだろう。
「TRICK」最終話を見る。先週ほどではないが、やはり余裕が感じられない作り。詰め込みすぎているため、仲間由紀恵が真の霊能力者であることを明かすシーンなど、いくつかの重要なシーンが全く生きていなかった。実に、実に、実にもったいない。とりあえず最終二話を無かったことにしての第2シーズン希望。
- 9月16日
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夕方からユタ。シドニー五輪の影響か参加者はやや少なく、林、志村弘之さん、藤元直樹さん、久世さん、宮崎恵彦さん、堺三保さん、大森望さん、高橋良平さん、添野知生さん、さいとうよしこさん(以上、割と登場順)ののべ10人。主な話題は、CSがある生活についてとワールドコンなど。昔のテレビの話とマンガの話は世代差が如実に出ますね。
横山えいじ『でじたる小学校日記』(早川書房)を読む。ハイテクなマルチメディアがデジタルでアミューズメントする近未来予想型SFコミック。実にこう、全くもって、いつもの横山えいじ。「うんどう会の練習」の垂直ネタがベストかな。
昨日付けの記述の一部に、「TRICK」最終話の割と重要なネタを割っている部分があったことに気づき、とりあえず修正(いまさら意味はないと思うが)。テレビだとつい、自分より後で見る人はいないと思ってしまいがちでいけない。反省します。
- 9月17日
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昼前に中野に向かい、「チェコアニメ映画祭 2000」のCプログラムを見る。2週間に1度見に行かなきゃいけないというのは思ったより忙しい。
- ブジェチスラフ・ポヤル「ライオンと歌」
- イジー・トルンカ「悪魔の水車小屋」
- イジー・トルンカ「二つの霧」
- イジー・トルンカ「善良な兵士シュヴァイク1/コニャックの巻」
の4作。
「ライオンと歌」は、沙漠を旅する楽士がライオンに食われるが、思わぬ形で報復するという話。鹿?や狐?、トカゲ?など脇役の動物は愛らしいデザインなのに、ライオンだけ京劇にでも出てきそうな隈取をしていたのは、悪役は悪役らしく描くという伝統でもあるのか。アコーディオンを弾きながら、女性の服を相手に見立て踊り狂う楽士の演技はかなり楽しい。
「悪魔の水車小屋」は深夜の水車小屋に現れる悪魔と、手回しオルガン弾きの老人の攻防を描く。この悪魔もなまはげか何かのようなデザインで、他の全てのデザインから妙に浮いている。壊れた手回しオルガンのせいで、演奏するたびまわりのものに逃げられる爺さんが、ユーモラスななかにも哀愁を湛えた演技で見せてしてくれる。
「二つの霧」は二人組の霧(冷気)が、やせっぽちで働き者の爺さんと、ふとっちょでなまけものの男に復讐しようとする話。セルアニメと人形アニメをほとんど違和感無く融合させており秀逸。人形はいかにもなトルンカ顔なのに、アニメキャラはディズニーかはたまたハンナ&バーバラかというデザインなのが、そこはかとなくおかしい。
「善良な兵士シュヴァイク1/コニャックの巻」は、したたかな兵士シュヴァイクが頭のかたい上官を煙に巻き、禁制品のコニャックをひっかけて寝てしまう話。人形の演技で目立ったところはないが、話自体のわかりやすい面白さではこれがベスト。実験的な技巧を追求した作品とは全く別種の価値がある。価値があるが、この種の面白さを人形アニメで製作するのはコストパフォーマンス的に割に合わない気もしたり。
帰りがけに本屋に寄り、ハヤカワの30周年記念フェアのブックレットを貰ってくる。同じ50年代SFファンと信じていた人が、「自分はこのブックレットのチェックで90年代型とでたから50年代者じゃない」などと言い出したので、裏切られた思いを抱きつつそのチェックとやらを見てみようと思ったのだ。で。分類が、「70年代」「80年代」「90年代」「21世紀」しか無いんじゃないか。こんな胡散臭い結果を拠り所に自分を偽ったりせず、50年代者であることを認めたまえ。> 某氏
# っつーか、このチェックは「いつ書かれたものに向いているか」ではなく、「何年生まれの人のように本を読むか」を診断してるんだから50年代者云々とは関係ないんでは。
帰宅後、荷造りをしたり雑事を片づけたりする合間を縫って、池上永一『レキオス』(文藝春秋)を読了。なるほど、騒がれるのもよくわかる。騒々しく愛すべき登場人物たち、そこはかとなく語られるテーマ、時代を超えた広がりを見せる大仕掛け、読者を眩惑すべく詰め込まれた科学・オカルト用語の数々。そしてなにより速いテンポで語られる、大きな大きな物語。年度ベストに推すに十分なスケールの面白さをもっている。
後半もう少し緻密に語れたのではという気もするが、この話なら厚みや完成度よりは疾走感の方が重要だろうからこれで良いのだろう。事件のテンポアップに寄り添うように読みのスピードを上げていくとその辺ほとんど気にならない。
様々な魅力を持つ本ではあるが、やはり最大の魅力は登場人物の造形か。コニー、劉といった、天才同士の戦いに翻弄され、それでも逃げようとしない普通人たちの姿に触れられただけでも読んだ甲斐があった。
- 9月18日
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15箱目の本を詰め終わり、ついに本棚が一棹空いた。ここまでくればもう大丈夫。あとはたった4棹。
箱詰め作業をしていて一番不思議なのは、箱に詰めるたびに部屋が狭くなっていくように感じられることだ。おかしいなあ。部屋の中の物の量は変わってないはずなのに。
# 何が問題なのかはわかっているから無駄な突込みはしないように。
- 9月19日
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突発的に思い出した小ネタ。先日のユタで、堺さんが「30以上は仲間」という意味の発言をした。条件反射のように「なるほど。Don't Trust Over Thirty.って奴ですね」と突っ込んだら、「じゃあ君も30代の仲間だね」という突っ込みがあらぬ方向から帰ってきた。趣味にしろ体力にしろ30代と呼ばれても否定はできないんでそれ自体は気にしませんが、「信用できない」という理由で仲間と呼ばれるのはさすがにちょっと抵抗が。> 志村さん
# しかも志村さんに。
- 9月20日
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つい油断してチキチキマシーン猛レースのガシャを回す。ケンケンを入手。その造形の退屈さには驚くほかない。アニメキャラのフィギュアは難しいなあ。とりあえず、ヒュードロクーペを引くまでは回してみよう。
物を買うモードに入ってしまったので、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUp!』25巻(少年サンデーコミックス)、東雅夫・編『少女怪談』(学研M文庫)、梶尾真治『おもいでエマノン』(徳間デュアル文庫)を購入。いまさらの『エマノン』は鶴田謙二のイラストだけが目的で買ったのだが、記憶にあるより厚いと思ったら、短編が一つ追加されていたのであった。ラッキー。いや、初出のSFJapan誌ももってるけど。
先日、公開した50年代SF特集リストに誤字があるとの指摘を受け訂正。「オッディとイド」の初出誌名がAstaundingになってたのを直しました。リストの間違いは可及的速やかに対応しますので、ご指摘宜しくお願いします。
ファンジンの山を中心に段ボール箱にほうり込み、2棹目の本棚を空ける。誘惑に負けて読みはじめないようにするのに一苦労。Divergenceだの、Perceptronだの、中間子だのといったちゃんとした会誌はまだいいんだけど、MILKSOFTだのASOVだのWORKBOOKだのだとついうっかりということがあるからいけない。ましてや昔の自分の文章なんかを見てしまって生きる希望を失ってしまったらえらい事になる。封印だ、封印だ。
というようなことをやってる間のBGMは歴代仮面ライダーのOP、EDを集めたアルバム。「レッツゴー!!ライダーキック」から「仮面ライダークウガ!」まで、一連の曲を聞いていると、特撮ソングの進歩の歴史が垣間見られたり。クウガED「青空になる」は、ライダーEDをは思えないさわやかな曲なんでびっくり。スーパー1のEDなんて、「うぅなる鉄拳、飛龍拳♪鋼を砕くパンチ、パンチ、パンチ」なのに。20年(20年……。)の歳月は特ソンすらも変えてしまうんだね。