過去の雑記 00年 9月上

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9月 1日
実は、都内から筑波に通う予定の人が意外に多いことを知り驚く。みんな、西葛西よりよっぽど遠いのに。いまさら、引っ越すといってしまったことを後悔しつつあったり。うーむ、通勤時間が日に40分短いのと、ご近所に知り合いが住んでいるのではどちらが便利か。まあでもしかし出て行くって行っちまったしなあ。

「トリック中押しPR」はちゃんと録れていなかったよ。唯一まったく見ていなかった第1話の内容がわかったんで、とりあえずは良いんだけどさ。

「TRICK」8話を見る。いや、びっくり。すっかり騙された。こんな驚天動地の手法があったとは。まさか、一話完結だなんて。
来週はついに、ファンファンの死の一端が明かされる、かも。

9月 2日
まあ、実際、西葛西から通うというのはかなり過酷なので、ご近所の楽しさは諦めて柏に部屋を探しに行く。先週行った大手の不動産屋に行く途中、ふらっと立ち寄った小さな不動産屋で、単純スペックだけは信じられない程良い物件をみつけ、そこを予約。東と西に大きな窓がある1階、隣に近い位置に飲み屋あり、など環境条件のそこはかとない悪さが落し穴なんだろうな、きっと。

夕方からユタ。参加者は大森望、久世(名前を失念)、小浜徹也、さいとうよしこ、志村弘之、添野知生、高橋良平、林、福井健太、三村美衣、宮崎恵彦、柳下毅一郎(あいうえお順、敬称略)。久世さんは堺三保さんの後輩で、SF大会で堺さんに会った際、「SFの話がしたければここへ行けばいいよ」と言われて来ることにしたらしい。人を誘っておきながら本人はシカゴにいるなんてあたり、いくら善人ぶっても結局SFの人である。
主な話題は、SF合気道部(この名称は実在する)とか。いきなり○○SFを考えるのが流行ってしまったりするあたり、非常にべたな展開である。しかし、思いつくものは大抵実在するのであった。あとは、90年代SF特集はやるのが大変とか、今が旬の潜水艦SFフェア(ありません)とか。

帰宅後、芳林堂で買った、しかくの『爺さんと僕の事件帖』1巻(ASUKA COMICS DX)とイラ姫『最終シスター四方木田』(集英社)を読む。
前者はやおいネタが時折まざる少年少女探偵団もの。人死にが出ない事件ばかりなのは好感が持てる。主人公の少年が決して万能ではない、というより実はめったに謎をとけないのも好印象。画はあまり好きじゃないんだが、作者の趣味が押さえ切れていない書き文字の突込みが気に入ったので多分次も買うだろう。
後者は、ウルトラジャンプ掲載の、女子修道院を舞台にしたコメディ。巨体と傍若無人なふるまいが武器の四方木田はじめ、少し変わったキャラの掛け合いから笑いを紡ぐ典型的なギャグ〜コメディの構造を持つ作品ではあるが、テーマが意外とマジだったりするためか、いわゆるコメディとは異なる印象を残す回が多い。中では、恋人を亡くしたカラスが立ち直るまでを描く「クロエとJB」が気に入った。

9月 3日
今の部屋の解約通知を出してくる。これで本当に引っ越さなくてはならなくなった。がんばれ > オレ。

昨日、ユタでかわされた会話の中で中井紀夫という名前が出てきたので思い出したのだが、SFM10月号によると9月に『山の上の交響楽』(ハヤカワ文庫JA)が復刊される。「すべてを演奏するのには数千年、まかりまちがえば一万年を要するであろう」と言われる山頂交響楽を演奏する人々を描く表題作をはじめ、螺旋状に壁が取り巻く世界の果てを求めひたすらに歩き続ける男(「見果てぬ風」)、電線の上にあるもう一つの世界に踏み込んでしまった少年(「電線世界」)など、少し不思議な世界に生きる人々を透明な筆致で描く作品集。とぼけた味わいのある愛すべき作品ばかりなので、これを機に出来る限り多くの人に読まれ、そして中井紀夫の新作が世に出るきっかけになって欲しいところである。これが爆発的に売れたら<タルカス>の続きだって出るかもしれないし。 < それは難しいだろう

ユタで聞いたといえば、「TRICK」はあと2回で終わりなんだとか。裏は取ってないが来週のネタからすると多分事実。うーむ、これは第2シーズン放映を願う署名運動をはじめるしか。

9月 4日
先日、高田馬場芳林堂で見かけなかったので、近所の書店で『レキオス』を手に入れておく。まあ、おそらく多分いつかよむのだろう。きっと。

こうまで弱気なのは読んでいる本がいつまでたっても読み終わらないから。ぶっ通しで読むことさえ出来ればもう少し何とかなりそうなのだが、10ページ以上連続して読めないとあっちゃあ、進まないのも仕方が無い。なんとか6割まで来たけど先は長いなあ。

脈絡の感じられないメモ。Warhammer 40,000に詳しい国内サイトはここ。Warhammer同様、RPG版もあるのかと思っていたら、純ウォーゲームだった。なるほど、それじゃあ"In the Grim Darkness of the Far Future There Is Only War!"という煽りも納得だな。

9月 5日
帰りがけに一時の気の迷いで高田馬場新宿書店に寄る。何のためによったのかはともかくとして、一般コミックコーナーの真ん中に故意か偶然かメイドマンガコーナーが出来ていたのは笑ってしまった。いや、コーナーっつっても4タイトルでしたが。『サライ』をはじめ、まだまだ追加すべきコミックはあるはずなので、コーナー担当者には一層の精進を望む。超少女明日香とかな(メイド?)。

9月 6日
なんの気なしに体重を量ったら57kgだった。いつもの体重を3kgも割り込んでるよ、おい。ちゃんと三食喰ってんだがなあ、カレーとかざるそばとかカレーとかざるそばとかカレーとか。とりあえず、筋肉をつけるべきなんだろう、きっと。

ま、来週からね。来週から。

9月 7日
バリントン・J・ベイリー"Eye of Terror"読了。こんな時間をかける本じゃないぞ、絶対。

銀河の片隅に不気味に広がる混沌の領域「恐怖の目」。そこは、ワープ空間が荒れ狂い、選び抜かれた偵察隊も正気では戻ってこられない禁断の領域であった。人類の宿敵、「混沌」の本拠地がいつまでも未知の領域であることに業を煮やした帝国は、数々の死を生き延びた幸運の持ち主である超能力者を道案内に、最新鋭の偵察艇を送り込む。そこで彼らが観たものは、驚くべき数の混沌の艦隊だった。

一方、話変わって。こちらは「恐怖の目」に程近い辺境の惑星ゲンドヴァ。最後の手下にも逃げられ鬱々とくすぶっていた自称・ローグトレイダー、ルゴロは、航法士であることをひた隠しにする謎の男に出会う。この男、キャリダンはワープ空間で母親の亡霊に出会ってしまってからワープが出来なくなり、航法士をドロップアウトしていたのだ。暴漢に追われていたキャリダンを助けたことから、ルゴロはまんまとキャリダンを自分の船に乗せてしまう。うだつの上がらない貿易商となりそこない航法士。落ちこぼれ二人組の、明日はどっちだ。

ってわけでこれは、銀河の覇権を争う大戦と、落ちこぼれコンビの冒険を交互に追いながら、混沌の本拠「恐怖の目」の姿を描き出していく冒険アクションSF。ペイパーバックで300ページ足らずと比較的短い話の割にアクションシーンがやたらと多いが、肝心の暴走する哲学がなく、ベイリーとしての評価は今三つ。でもまあ設定の奇矯さと戦闘シーンのサービスぶりは充分なので、酒井昭伸・訳で読むことが出来れば、かなり楽しめそう。少なくとも、『なんとかよ、なんとかかんとか』を読むよりは遥かに楽しめるに違いない。

まあ、でもしかし。どうしてもやっぱりWarhammer 40,000のスピンオフ小説という事実はあるわけで、どこまでがゲームの力でどこからがベイリーの手柄なのかは読んでいる間中気になった。やはり、ここはイアン・ワトスンの書いたスピンオフ小説も読んでみるべきか。

余談。大森望がSFM10月号で触れていたレビューも読んでみた。ヴァンスだ、ハーネスだ。描写が素晴らしい描写が素晴らしいと懸命になって褒めているのが実に切ない。確かに時々光る描写はあるけど、それはベイリーの持ち味じゃないんだよね。ベイリー最大の資産、「暴走する理論」が楽しめないんじゃあ、やっきになって褒めても空しさが募るばかりでは。
# もちろん、Amazon.comという場を考えれば、この褒め方もありだとは思う。空しさを感じるのはまた別の次元の話。

さらに余談。殊能将之ページで知った情報によると、ベイリーの新作長篇が2作刊行されるらしい。何をしている創元。刊行予定だったはずの"The Grand Wheel"を出すのは今しか。

9月 8日
「TRICK」第9話を見る。いや、その焦りまくった作りはどうよ。
父の死因が明らかになり、母の秘密が明かされ、最強の霊能力者の正体が明らかになり、といきなり怒涛の展開。付かず離れずでここまで来た仲間由紀恵と阿部寛の関係まで急に進展を見せたり、どっからどう見ても尺が足りない感じ。こんなやっつけで作るくらいなら、大ネタは忘れて淡々と終わってくれた方が何かの間違いであるかもしれない次に期待が持てる分遥かにマシだ。これでは、次が作れないではないか。実にもったいないことである。
しかし、次回予告撮影時点で、まだ次週本編の撮影が終わってないというのはどうか。ひょっとして佐伯日菜子の回で精力を使い果たして、脚本が間に合わなくなったのが終わる理由だったり。< あれは別の脚本家です

古沢嘉通掲示板で噂の"Anamnesis"の奥付け情報が。早速、リストに反映……、あ、うちのリストは年度とタイトルのデータしかなかったのか。
日記(memo)によると、21ページで、"TALES OF MIDNIGHT"の物語内物語という形式らしい。以前の予想は割と良い線をついていた様子。いや、ついたからってどうなるもんでもないけど。
伝聞情報で何物かは見えたので、つぎの目標は実体を手に入れること。引っ越しが片付いたら、早速注文を、しなきゃならない本っていくつあるんだろう。

9月 9日
今回の筑波転勤を受けて名大SF研OB-MLの在関東メンバーに送別会を開いてもらう。とはいえ、8人の参加者のうち東京都在住者は現時点で僕だけというメンバーなので、引っ越し先が柏ごときでは、本気で送別してはもらえない。なんせ、参加者のうち二人は僕の引っ越し先より遥かに遠いところから来ているのだ。というわけで、正直に割り勘で払う送別会の主賓なのであった。いや、そんな、不満なんてありませんよ、先輩方。

飲んだ後は、例によって徹夜でカラオケ。珍しく上野にいるからいつもと違う環境か、と思ったら、上野にもパセラはあるのであった。なんとも代わり映えのしない行動である。

と思ったら、違いはあった。みんないきなり寝てしまうのだ。夜中過ぎには5人で店にいたはずなのに、二人だけで歌っている瞬間とかあったり。カラオケのためだけに秦野から上野まで出てきた堀川(12)すら寝てしまうとは、学生時代からは想像も出来ない光景である。かくいう僕も一、二時間寝てしまったり、己の年齢というものに直面させられた思いの一夜であったことである。

9月10日
SFM10月号を読了。

いやもう、マーティンの「…ただ一日の昨日とひきかえに」をはじめとして、収録短編は軒並み、なんでこんなにってくらいに後だの自分だのを見つめる話ばかり。もう少し大仰な話は無いのか。確かに、過去の特集収録作にも技巧の平均レベルでは負けていないが、圧倒的に力が足りない。何もこうまで正直に70年代イメージの作品ばかり並ばなくても。
また、作家紹介エッセイの方も自分語りの連続。少数派に留まるうちは、この形式も楽しく読めるが、ここまで並ぶと幾らなんでも鼻につく。もっとクールなエッセイが欲しいところであるよ。
収録作の中では、シルヴァーバーグ「現実からのトリップ」が最も目を惹いた。ホテルで孤独に過ごす異邦人と女詩人の心の触合い。実にシルヴァーバーグらしい、いやったらしい筆致で描かれる恋物語だ。他では、ヴェトナム戦争の二面を重ねあわせ立体的に表現したウィルヘルム「掃討の村」がまあまあ。ネタだけだと筒井康隆みたいだけど、愚直に方法論を維持してしまうあたりが筒井と違う。
しかしあれですね。この特集を読む限りだと、70年代ってのは、挫折と無力感とミーイズムの時代以外の何物でもないんですね。70年代ってーと、ロボットアニメと東映特撮の印象しかないから、実感わかないなあ。

特集以外で目立ったのは、清水義範と牧野修。
清水の連載は予想以上にどうしようもない終わり方で、駄目さ加減を見せつけてくれた。これなら、話をまとめることすらできなかった恩田の連載の方がなんぼかましという程のていたらく。どうも根本的に駄目なんじゃないかという気がしてならないので、単行本化で大幅に筆が入ったとしても多分読まない。
牧野修の新連載は『MOUSE』のカッコよさを久々に味あわせてくれる好篇。とりあえず、向こう3話は楽しめるに違いないと思わせるだけの力がある。途中がこの出来なら、ちゃんと終わろうが終わるまいが気にならないだろう。

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