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ソウル市内日本語地図   
  
 
 
 2008年以前の段階で、信頼に足る朝鮮地図は日本製しかなかった。 そのためGoogleが採用した地図には、日本時代の地名が記載されていた。
 これに慌てたサイバーテロ集団、VANKがGoogleはじめ世界の地図メーカーに脅迫、業務妨害などのテロを仕掛けた。
 VANKはその後国家公認で予算がつくようになり、広範な反日活動を繰り広げるようになった。
 日本では日韓ワールドカップのころから、韓国の国家レベルでの、ディスカウント・ジャパン攻勢によって、広範な市民レベルでの嫌韓意識が広まっていった。
 2008年早々からGoogleMapの朝鮮半島は白紙となり一年近くたってから復活した韓国地図からは日本語が削除され、北朝鮮は白紙のままとなった。
 その後、GoogleMapで日本語未対応であった地域、国も次々と日本語表示されるようになったが、韓国地図は 現在に至るもハングルのみである。
 その一方で、GoogleMap韓国版では、最大拡大レベルまで日本地図のハングル表示が行われている。 そうこうするうちに、韓国の地図メーカーが育成され、日本語表示の韓国地図が複数出るようになったが、
 当然、ウリナラファンタジー世界の住人の作であり、意図的な悪意の塊で小細工がなされている。
 そのため、当サイトでは 2009年に主要都市名のみの日本語地図を作成したが、6年以上経過しても地図の表示に変化はない。 今度はGoogleMap英語版のソウル地図に日本語訳を付けてみた。
2015年7月21日    
 
 
 
 明洞
 現在の乙支路と南山に挟まれた区域が日本人居住区・商業中心地として発展した。
 明洞は、日本統治時代には明治町であった
 
 自殺の名所
 ソウルの「自殺の名所」として知られるのが麻浦大橋。次いで漢江大橋、西江大橋の順となる。
 自殺の人気名所はソウル漢江飛込み - minaQのつぶやき  / 
 
 崩落事故
 聖水大橋:1977年4月着工、1979年10月完成。1994年10月崩壊。32人が死亡、17人重軽傷。
 三豊百貨店:1989年開店。1995年6月、営業中に突然崩壊。死者502名、負傷者937名、行方不明者6名。
 
 顕忠院 ( 国立ソウル顕忠院 )
 ここは、国家功労者、歴代大統領などがまつられている韓国の靖国神社。
 2009年5月に新潟日赤センター爆破未遂事件に関係したテロ工作員12名が国家功労者として祀られた。 
 
 南山 
 海抜262m。日本統治時代には官幣大社朝鮮神宮が建てられ、他に国幣小社京城神社と京城護国神社があった。
 朝鮮神宮の跡地には現在、金九の銅像と安重根記念館が建てられている。
 
 龍山基地(龍山地区)
 面積 2.9平方キロ。在韓米軍司令部、在韓国連軍司令部などが存在する。 2004年7月、米韓両国はワシントンでの 
 協議の結果、龍山基地を移転することで最終合意に至った。
 龍山基地は、2008年までにソウル南方80キロの平沢市に移転するとされた。 しかしその後、韓国政府の要請により  
 移転が延期され、2016年に移転することになったが、再度韓国は延期を要望し2017年に延期された。
 1882年(明治15年)、壬午事変に介入した清国軍が龍山に駐留。
 1884年日清戦争の時、日本軍の宿営地になった。
 1904年(明治37年)、日露戦争の際に日本軍は龍山の土地300万坪を買い上げた。
 日本統治時代、龍山基地は大日本帝国陸軍の駐屯地として、朝鮮軍司令部などが置かれた。
 1945年(昭和20年)米軍第7師団、1万5千人が駐留した。この時から"梨泰院"は米軍に付随する基地の町となった。
 1949年(昭和24年)に米軍政が終了。駐韓米軍は軍事顧問団500人だけを残して撤収した。
 1950年に朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争後、1953年(昭和28年)、再び米軍が駐留し現在に至っている。
 1957年、東京にあった国連軍司令部がソウルに移転。駐韓米軍司令部が新設された。
 
 ITAEON ( 梨泰院 )
 梨泰院はソウル市龍山区にある地区 米軍基地(龍山基地)に隣接した売春宿、特飲街、混血児の町として繁栄した。
 現在もアメリカ軍人、観光客が多く訪れるため、1997年観光特区に指定された。
 
 [創刊企画] 龍山(ヨンサン)基地遺跡の再発見 : ハンギョレ /  あまり知られていないお隣韓国の米軍基地 - NAVER まとめ /  ソウル 龍山基地移転 - Google 検索 / 
 
 
 
   米国陸軍地図局作成地図(1946年)に日本語訳を付けた。地名は、「京城府(wikipedia)」と「1930年の京城市街地図」を参考にした。
 このため米軍地図の直訳にはなっていない。日本名の判るところはそちらを優先した。一部英文と食い違いのある部分もある。
 永登浦区、麻浦区、龍山区は省略した。これだけでも1.3MBになった。( 2016/2/22 ) / 1MBにまで削減した。( 2016/2/25 )
 
 
京城地図 (1946年)  
 
 1394年、李氏朝鮮の始祖、李成桂(女真族)は、滅ぼした高麗残滓を消し去るため高麗の首都であった開京(開城)から漢陽へと遷都した。
 1395年、漢陽府を漢城府と改名した。その後500余年間、漢城はソウルの公式名称として使用された。
 1910年10月1日、朝鮮総督府が開設。ソウルの名称を「漢城府」から「京城府」に変えた。
 1945年(昭和20年)8月の日本敗戦後も「京城」の名称が使われ続けた。
 李氏朝鮮時代に漢城、漢陽、京城そしてソウルの四つの名称が使われていた。「漢城」はソウルの正式名称。 「漢陽」はソウルの通称であった。
 「ソウル」はさらにくだけた口語表現呼称であった。「ソウル」は漢字で表記できないので、漢字で書く際に「京城」と表記された。 / 漢城、漢陽そして京城  
 戦後日本での「地理」の授業でも「京城」と書いて「けいじょう」と「ソウル」の二つの読み方をしていた。
 1948年(昭和23年)に大韓民国が独立。「ソウル特別市」が誕生した。 / 大韓民国の地方行政区画 (沿革) - Wiki
 1995年、韓国政府 ( 金泳三 大統領 ) は日本式地名改変事業を推進した。 / 今もソウルの地名の3分の1は日本式、「無理やり変えるのはや... :レコードチャイナ
 2005年1月19日、李明博ソウル特別市長(当時)が、「ソウル」の漢字表記を 「漢城」から「首爾(首尔)」に変更すると発表した。
 2008年2月李明博が大統領となったことで、「首爾(首尔)」表記が中国でも正式採用された。
 
 
  米国陸軍地図局作成の地図に日本語を付けた。大きすぎて原寸表示できないので縮小して表示した。原寸図は「大きな図を見る 」。
width=3110 height=2107 1Mb  大きな図を見る  
 
2016年2月22日    
 この地図に日本語を記入していて、学校、寺院、警察署、墓地などの日本の地図記号を随所に見つけた。日本の地図を下敷きにして作成したものと見られる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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