※次のようにも、言われています。
父:土方隼人義諄
母: 恵津(歳三が6歳のとき、労咳のため逝去)
1 長兄:為二郎(盲目のため家督を継がず、歳三より23歳年上)
2 次兄:喜六(家督を継ぐ、歳三より16歳年上)
3 三兄:(夭逝:文化11年10月逝去)
4 長姉:(夭逝:労咳のため、文政4年8月逝去)
5 次姉:(夭逝:文政5年5月逝去)
6 四兄:(夭逝:文化12年6月逝去)
7 三姉:周(歳三が3歳のとき、16歳にて逝去)
8 五兄:大作(糖谷の医家へ養子となり、糖谷良循と名乗る)
9 四姉:のぶ(佐藤彦五郎に嫁ぐ)
10 歳三
辞世の句
歳三は、宇都宮で手足を負傷し、会津で幕府の奥医師の松本良順に治療してもらう。
その後、良順の勧めで会津と目と鼻の先にある東山温泉で湯治をした。
歳三が湯治した旅籠「清水屋」は、嘉永4年12月に松蔭が宮部鼎蔵と宿泊した旅館であり、主人から松蔭の”人となり”を語ってもらった。
歳三が、吉田松陰の「自分の信念を貫き通す」生き方に共鳴し、松蔭の辞世の句を手本に、すでに辞世の句を詠んでいた。
※松蔭の辞世
身はたとい
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし大和魂
※歳三の辞世
与志耶躯波
よしやみは
蝦夷門島辺珥 玖遅奴登母
えぞがしまべにくちぬとも
魂波吾嬬廼 幾美耶万母羅牟
たまはあずまのきみやまもらむ