獺祭書屋俳話 -1-
正岡子規
(日本叢書 吉川弘文館 1893.5.21〔日本新聞社刊行〕、増補五版 1902.11.15)
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【獺祭書屋俳話】の細目: 俳諧といふ名称 連歌と俳諧 延宝天和貞享の俳風 足利時代より元禄に至る発句 俳書 字余りの俳句 俳句の前途 新題目 和歌と俳句 宝井其角 嵐雪の古調 服部嵐雪 向井去来 内藤丈草 東花坊支考 志太野坡 武士と俳句 女流と俳句 元禄の四俳女 加賀の千代 (*以上このファイル) 時鳥 扨はあの月がないたか時鳥 時鳥の和歌と俳句 初嵐 萩 女郎花 芭蕉 俳諧麓の栞の評 発句作法指南の評
※その他の所収作品は下記の「目録」を参照。
獺祭書屋俳話小序
老子曰く言者は知らず知者は言はずと還初道人曰く山林の樂を談ずる者未だ必ずしも眞に山林の趣を得ずと政治を談ずる者政治を知らず宗教を談ずる者宗教を知らず英佛の法を説き獨露の學を講ずる者未だ必ずしも英佛獨露を知らず文學の書を著し哲理の説を爲すもの未だ必ずしも文學哲理を知らず知らざるを知らずとせず而して之を口にし之を筆にし以て天下に公にす知者は之を見て其謬妄を笑ひ不知者は之を聞きて其博識に服す故に之を談ずる者愈多くして之を知る者愈少し余も亦俳諧を知らず而して妄りに俳諧を談ずるものなり曩に『日本』に載する所の俳話積んで三十餘篇に至る今之を輯めて一卷と爲さんとす乃ち前後錯綜せる者を轉置して稍〃俳諧史、俳諧論、俳人俳句、俳書批評の順序を爲すといへども固と隨筆的の著作條理貫通せざること多し况んや淺學寡聞にして未だ先輩の教を乞ふに遑あらざれば誤解謬見亦應に少からざるべし知者若し之を讀まば訂正の勞を賜へ若し夫れ俳諧を知らざる者に至りては知らずして妄りに説を爲す者の言に惑ふ莫れ
明治廿五年十月廿四日
獺祭書屋主人識
凡例
- 一卷頭の肖像は畫伯淺井忠氏の筆に成る
- 一挿畫は子が三十四年の日記中に畫きたるものゝ一なり
- 一獺祭書屋俳話なるものは子が明治二十五年六月日本新聞社に入り始めて其俳句上の所論を公けにしたるものにして俳句界革新の曉鐘なり
- 一第二回の増補は二十五年より二十六年に亘る作品中より子が自ら選拔増補したるものにして芭蕉雜談より俳句に至るまで之に屬す
- 一立待月以下十七篇は今回更に増補したるものにして二十七年以降俳諧に關するものを輯めたるなり、彼の有名なる俳諧大要、俳句問答、俳人蕪村、二十九年の俳句評の如きは曩きに俳書堂より出版したるものあれば此に省く
- 一俳諧一口話は子が小日本に掲げたるものなり
- 一此他子が遺稿にして俳話に關せざるものは別に一册として刊行すべし
目録
一獺祭書屋俳話 | (二十五年六月作) | 一 |
一芭蕉雜談 | (二十六年十一月) | 七十五 |
一歳晩閑話 | (二十五年十二月) | 百三十 |
一歳旦閑話 | (二十六年一月) | 百四十七 |
一雛祭り | (二十六年三月) | 百六十 |
一菊の園生 | (二十六年十一月) | 百六十三 |
一かけはしの記 | (二十五年五月) | 百六十六 |
一旅の旅の旅 | (二十五年十月) | 百七十九 |
一高尾紀行 | (二十五年九月) | 百九十 |
一鎌倉一見の記 | (二十六年四月) | 百九十四 |
一はて知らずの記 | (二十六年七月) | 百九十七 |
一俳句 | (二十五六年) | 二百三十九 |
一立待月 | (三十一年十月) | 二百八十三 |
一俳諧一口話 | (二十七年二月) | 二百九十二 |
一俳句廿四體 | (二十九年一月) | 三百八 |
一漢詩と俳句 | (三十年二月) | 三百三十二 |
一俳諧と武事 | (二十八年一月) | 三百四十八 |
一羽林一枝 | (二十八年四月) | 三百五十五 |
一陣中日記 | (二十八年五月) | 三百五十七 |
一俳人の奇行 | (二十六年三月) | 三百八十一 |
一俳人の手蹟 | (三十一年六月) | 三百八十七 |
一賤の涙 | (三十年一月) | 三百九十 |
一地圖的觀念と繪畫的觀念 | (二十七年八月) | 三百九十八 |
一吉野拾遺の發句 | (三十年四月) | 四百四 |
一字餘り和歌俳句 | (二十七年八月) | 四百七 |
一上野紀行 | (二十七年七月) | 四百九 |
一そぞろありき | (二十七年八月) | 四百十二 |
一王子紀行 | (二十七年八月) | 四百十五 |
一閑遊半日 | (二十七年十一月) | 四百十八 |
一總武鐵道 | (二十七年十二月) | 四百二十六 |
一獺祭書屋俳話正誤 | (二十八年十二月) | 四百三十 |
獺祭書屋俳話
獺祭書屋主人著
俳諧といふ名稱
俳諧といふ語は其道に入りたるものヽ平生言ふ意義と一般の世人が學問的に解釋する意義と相異なるが如し。俳諧といふ語の始めて日本の書に見えたるは
古今集中に俳諧歌とあるものこれなり。俳諧といふ語は滑稽の意味なりと解釋する人多く其意味に因りて俳諧連歌俳諧發句と云ふ名稱を生じ俗に又之を略して俳諧と云ふ。されど芭蕉已後の俳諧は幽玄高尚なる者ありて必ずしも滑稽の意を含まず。こヽに於て俳諧なる語は上代と異なりたる通俗の言語又は文法を用ひしものを指して云ふの意義と變じたるが如し。然れども普通に俳諧社會の人が單に
○俳諧○とのみ稱する時は
▼俳諧連歌▼の意にて云ふものなり。而してこれと區別して十七字の句を發句といふが通例なれども「
○俳諧○▼を學ぶ▼」とか又は「
○俳諧○▼に遊ぶ▼」とか云ふが如き塲合には必ずしも俳諧と發句とを區別せずして兩者を包含する程の廣漠なる意に用ふる事も少からず。斯くて終に局外の人をして往々迷を生ぜしむることあり。(余は世上の
俳諧仲間に交はりしことなければ塲處によりて其意義に相違あるや否や詳しきことは知らず)
因に云ふ。芭蕉又は其門弟等が俳諧は滑稽なりと稱する其滑稽といふ語は余が前に述べたる滑稽即ち通常世人が用ふる滑稽に非ず。只和歌の單一淡泊なるに對して其雅俗の言語混淆し其思想の變化多くして且つ急劇なるを謂ふのみ。
連歌と俳諧
俳諧の連歌より出で連歌の和歌より出でたるは人の知る所なり。其始めは一首の歌の上半下半を一二の人して詠みたる程のものなりしが後には歌の上半即ち十七字だけを離して完全の意味をなすに至れり。されど足利時代に在りては猶其趣和歌の上の句の如くにして上代の言語を以て上代の思想を叙するに止まれば其文學として讀者を感ぜしむるの度は在來の和歌に比して却て之に劣るものといふべし。且つ此時代の發句は所謂連歌の第一句にして敢てそれ許りを獨立せしめて一文學となす譯にあらねば其力を用ふる事も隨つて專一ならず。之を讀めば多少の倦厭を生ぜしむるの傾きあり。
松永貞ココ川氏の初めに出でヽ連歌に代ふるに俳諧を以てせしより發句にも重みの加はりしか共其發句は地口しやれ謎等の滑稽に過ぎざれば文學上の價値に至りては足利時代に比して更に一層の下落を來したりとい
ふも酷評には非ざるべし。貞コ派千篇一律にして竟に新規なる思想も出でざりしかば
宗因等起つて檀林の一流を創め一時は天下を風靡せしがこれ亦稍〃發達したる滑稽頓智に外ならざるを以て忽ち芭蕉派の壓倒する所となりて今日に至る迄猶有るか無きかの有樣なり。
芭蕉は趣向を頓智滑稽の外に求め言語を古雅と卑俗との中間に取り
萬葉集以後新に一面目を開き日本の韻文を一變して時勢の變遷に適應せしめしを以て正風俳諧の勢力は明治の世になりても猶依然として髏キを致せるものなるべし而して
芭蕉は發句のみならず俳諧連歌
(*原文「歌連」)にも一樣に力を盡し其門弟の如きも猶其遺訓を守りしが後世に至りては單に十七文字の發句を重んじ俳諧連歌は僅に其附屬物として存するの傾向あるが如し。
延寳天和貞享の俳風
足利時代の連歌より芭蕉派の俳諧に遷るに貞コ派檀林流等の楷梯を經過したる事は前に述べたるが如し。
▼然れども猶細かに之を觀れば其間無數の楷梯と漸次の發達とを經來りしものなり。▼寛永十二年撰べる
○貝おほひ○といふ書は
芭蕉未だ
宗房といひし頃編輯せし者なりといへども猶赤子のかた言まじりにしやべるが如く終に談林を離るヽ
(*「離」の字脱アキ)こと能はず。
延寳八年に
其角杉風がものせる
○田舍句合○、
○常盤屋句合○は稍其歩を進めたるに相違なきも未だ小學生
徒が草したる文章を觀るの思ひあり。
天和三年に刊行せし
○虚栗集○に至りては著るしく俳諧の一時代を限りしものにて其魂は既に正風の本體を得たりといへども其詞は猶甚だ幼稚にして暴露の嫌あるを免れず。
貞享四年刊行の
○續虚栗○は更に幾多の進歩をなして殆んど正風の門を覗ふ者と謂ふべし。
同年の吟詠なる
○四季句合○(載せて
元祿元年刊行
都筑の原(*『続の原』)にあり)は滑稽に陷らず奇幻を貪らず景を自然の間に探り味を淡泊の裏に求めはじめて正風の旗幟を樹立したるものなり。(されど此
四季句合の中には
芭蕉翁一派の門弟ならざるもまじれり)其後
○曠野集○、
○其袋○、
○猿蓑○等續々と世に出でヽ終に
芭蕉の功名をして千載に不朽ならしめたり。此間の楷梯となりたる貞コ派をはじめ
虚栗、
続虚栗に至るまで終に此正風を發揮せしむるの段階に相違なしと雖其間或は退歩したることなきにもあらず。是固より何事の發達中にも免るべからざる運命なるべし。明治の大改革ありてより文學も亦過劇の變遷を生じ飜譯文、新體詩、言文一致等の諸體を唱ふるものありて大に文學界を騷がし其極世人をして其歸着する所を知らず竟に多岐亡羊の感を起さしむるに至れり。然れども天下の大勢より觀察し來れば是等も亦文學進歩の一段落に過ぎずして後來大文學者として現出する者は必ず古文學の粹を拔き併せて今日の新文學の長所をも採取する者なるべく而して是等は皆元祿時代に俳諧の變遷したると同じことならんと思はるヽなり。
足利時代より元祿に至る發句
天下稍〃檀林の俗風に厭くに際して機敏烱眼の一俳人寳井其角は別に一新體を創して世人を驚かさんと企てたり。然れども俗語を用ひて俗客の一笑を買ふが如きは則ち前車の覆轍を踏むに等くして到底之れを傚ふべからず。さりとて和歌的連歌の句法を學ぶは陳腐にして復一個の新題目を加へ一種の新思想を叙述するに地なし。是に於て▼其角は之を漢土の詩に求めて始めて一種の新體を成せり。▼田舍句合虚栗續虚栗の如きは即ち此流の句集とも謂ひつべし。今、古來の發句に付きて變遷の一斑を知らしむる爲に左に時代の順序に從ふて時鳥を詠ぜし數句を擧げん。
道譽
(莵玖波)
待てばこそ鳴かぬ日もあれ時鳥
實
(新筑波)
待たで見ん恨みてや鳴く不如歸
春庵
(鷹筑波)
なくといふ文字は無の字か郭公
失名
(毛吹草)
一疋も音は萬疋そほとヽぎす
政定
(貝おほひ)
啼きさわげ日本つヽみの無常鳥
其角
(田舍句合)
鐘カン\/驚破時鳥草の戸に
千春
(虚栗)
半日の下戸閑居にたへず郭公
暮角
(續虚栗)
時鳥背に星をするたか嶺かな
調柳
(都筑の原)
朝顔の二葉にうれしほとヽぎす
鈍可
(あら野)
馬と馬よばりあひけり不如歸
湖水
(其袋)
時鳥鐘つくかたへ鳴音かな
凡兆
(猿蓑)
郭公何もなき野の門搆へ
野坡
(炭俵)
時鳥顔の出されぬ格子かな
支考
(續猿蓑)
杜宇なかぬ夜白し朝熊山
俳書
連歌俳諧の撰集は足利時代に在りても
莵玖波集(
紀元二千十六年(*西暦1356年)撰)以後稀れに之れ有りといへども多く刊行せしものにあらず。寛永年間に至りては編集せる書も多く且つ之を刊行せしものなれば時世の進歩と共に俳諧の盛運に赴きたるを見るべし。正保慶安承應明暦萬治寛文の間は次第に著作の多きを加ふといへども其の著るしく増加したるは延寳年間なり。余は特にこれが研究をなしたることなけれど見當るまヽに書き付けたる者のみにても延寳年間の編著已に五十部になん\/とす。就中尤も多きは
延寳八年(*1680年)にして其の目を擧ぐ
れば
俳枕 軒端の獨話 洛陽集 向の岡 伊勢宮笥 西鶴大矢數(刊年は天和元年) 花洛六百句 猿黐 阿蘭陀丸二番船 江戸大坂通し馬 俳諧江戸辨慶 破邪顯正返答 田舍句合 常盤屋句合
等にして猶此外に數多の著作あるべきなり。余淺學未だ是等の書の過半は一覽だになし得ずとはいへ前後の時勢より察するに多くは皆片々たる一小册子に過ぎずして敢て後世數卷を一部として發行するものと同時に論ずべくもあらざるべし。志かはあれど如何なる小册子なりとも二百餘年以前に在りて此くの如く多きを見るは其髏キを卜するに十分なりと信ずるなり。天和貞享を經て元祿に至り愈〃其極點に達したるが如く寳永正コ享保の間に下りては刊行の俳書いたく减じ盡し唯東華坊支考が十數部の著書あるのみとはなれりけり。是時に際して俳諧は暫時衰運の暗K界に埋沒せられたるの觀ありて芭蕉の英魂は其の死後二三十年に於て已に其靈威を失ひ盡したるが如し。
字餘りの俳句
▼俳句に字餘りの多きものは延寳天和の間を尤甚しとす。▼十八九音の句は云ふに及ばず時と
して二十五音に至るものありて却つて片歌よりも猶長し。今日にありて之れを見れば奇怪の觀なきに非ざれども俳風變遷の楷梯としては是非とも免るべからざるものならんか。今廣く古人の句中より其格調の異なるもの數句を取りて列擧せんに
立圃
天にあふぎ地に伏し待ちの月夜哉
北鯤
古寺月なし狼客を送りける
杉風
しほらしき物つくしちよろ木かいわり菜
宗長
鵲やさえわたる橋の夜半の月
芭蕉
夏衣いまだ虱をとりつくさず
枳風
あれよ\/といふもの獨り山櫻
藤匂
五月雨けりな小田に鯉とる村童
重ョ
月の秋に生れいづるや桂男
羊角
雛丸が夫婦や桃の露不老國
蕪村
ところてんさかしまに銀河三千丈
嵐雪
五月雨の端居古き平家をうなり鳧
才丸
月に親しく天帝の婿に成たしな
杜國
曙の人顔牡丹霞に開きけり
任口
新年の御慶とは申しけり八十年
由卜
有コなる物汐干の潟なる大きなる鯛
杉風
櫻菎蒻如何なる人の何を以て櫻
松濤
玉祭る里や樒刈男香爐たく女
其角
流るヽ年の哀世につくも髪さへ漱捨つ
等の如し。又十七音にても五七五の調子に外れたる者あり例へば
杉風
岩もる水木くらげの耳に空シ
芭蕉
雪の鲀左勝水無月の鯛
芭蕉
海くれて鴨の聲ほのかに白し
等の如し。
俳句の前途
數學を脩めたる今時の學者は云ふ。日本の和歌俳句の如きは一首の字音僅に二三十に過ぎざれば之を
錯列法(*permutation 順列)に由て算するも其數に限りあるを知るべきなり。語を換へて之をいは
ば和歌(重に短歌をいふ)俳句は早晩其限りに達して最早此上に一首の新しきものだに作り得べからざるに至るべしと。世の數理を解せぬ人はいと之をいぶかしき説に思ひ何でうさる事のあるべきや。和歌といひ俳句といふもと無數にしていつまでも盡くることなかるべし。古より今に至るまで幾千萬の和歌俳句ありとも皆其趣を異にするを見ても知り得べき筈なるに抔云ふなり。然れども後説はもと推理に疎き我邦在來の文人の誤謬にして敢て取るに足らず。其實和歌も俳句も正に其死期に近づきつヽある者なり。試みに見よ古往今來吟詠せし所の幾萬の和歌俳句は一見其面目を異にするが如しといへども細かに之を觀廣く之を比ぶれば其類似せる者眞に幾何ぞや。弟子は師
(*原文「帥」)より脱化し來り後輩は先哲より剽竊し去りて作爲せる者比々皆是れなり。其中に就きて石を化して玉と爲すの工夫ある者は之を巧とし糞土の中よりうぢ虫を摑み來る者は之を拙とするのみ。終に一箇の新觀念を提起するものなし。而して世の下るに從ひ平凡宗匠平凡歌人のみ多く現はるヽは罪其人に在りとはいへ一は和歌又は俳句其物の區域の狹隘なるによらずんばあらざるなり。人問ふて云ふ。さらば
(*原文「さらは」)和歌俳句の運命は何れの時にか窮まると。對へて云ふ。其窮り盡すの時は固より之を知るべからずといへども
▼概言すれば俳句は已に盡きたりと思ふなり▼。○よし未だ盡きずとするも明治年間に盡きんこと期して待つべきなり。○和歌は其字數俳句よりも更に多きを以て
數理上より算出したる定數も亦遙かに俳句の上にありといへども實際和歌に用ふる所の言語は雅言のみにして其數甚だ少なき故に其區域も俳句に比して更に狹隘なり。故に和歌は明治已前に於て略ぼ盡きたらんかと思惟するなり。
新題目
人或は云ふ人間の觀念は時勢の變遷と共に變遷する者なり。そは古來文學の變遷と政治の變遷とを比較して知るべきなり。而して明治維新の如く著るしく變遷したることは古より其例少なく從つて文學上の觀念も亦大に昔日と異なるが如し。單に外部の皮相のみより見るも今日の人事器物は全く同じからず。刀槍廢れて砲礮
(*「礮」は砲の正字。)天に響き籃輿
(*竹製の網代駕籠)は空しく病者の乘りものとなりて人車馬車滊車王侯庶人を乘せて地上を横行す。是等の奇觀は到る處にありて枚擧に遑あらず。此新題目此新觀念を以て吟詠せんか和歌にまれ俳句にまれ其盡くる所あるべからずと。對へて云ふ。そは一應道理ある説なれども和歌には新題目新言語は之を入るるを許さず
(*原文「評さず」)。俳句には敢て之を拒まずといへども亦之を好むものにあらず。こは固より理の當然にして徒に天保老爺の頑固なる僻見より出づるものとのみ思ふべからず。大凡天下の事物は天然にても人事にても雅と俗との區別あり。(雅俗の解はこヽに叙べず
(*原文「述べす」)通常世人の
唱ふる所に從ふて大差なかるべし)而して
▼文明世界に現出する無數の人事又は所謂文明の利器なる者に至りては多くは俗の又俗陋の又陋なるものにして文學者は終に之を以て如何とも爲し能はざるなり。▼例へば蒸滊機關なる語を見て我們が起す所の心象は如何。唯精細にして混亂せる鐵器の一大塊を想起すると共に我頭腦に一種眩暈的の感あるを覺ゆるのみ。又試みに撰擧兢爭懲戒裁判等の言語を聞きて後に如何なる心象を生ずるかを見よ。袖裡黄金を溢らせて低聲私語するの遊説者と思ひ内にあれば
(*原文「あれは」)覺えず微笑を取り落したる被説者と兩々相對するの光景に非ざれば則ち髯公解語の花を携へて席上に落花狼藉たるの一室を畫き出さんのみ。此妄想に續きて發するものは道コ壞頽秩序紊亂等の感情の外更に一つ風雅なる趣味高尚なる觀念あるべきやうなし。人或は云ふ美術文學は古に盛にして今に衰へたりと。以あるかな。
和歌と俳句
主人小厮
(*ショウシ=小僧)店の一隅に立ちて他の髪を結ひ月代を剃る。
▼八公熊公▼傍に在り。相對して坐す。八公叫んで曰くしめたりしめたりと。熊公頭を垂れて一語なし。甲公乙公各〃語りて曰く桂馬を以て王を釣り出すべし。曰く王頭の歩兵を突くべしと。囂々市塲の如し。
○是れ髪結床に將
棊を弄すなり。○九霞山樵の山水一幅を掛けて下に池坊流の立花一瓶をあしらふ。庭間に松石相雜りて盆池き處金魚尾を搖かす籠鳥一二盆栽三四皆な雅趣あらざるはなし。而して
▼主客兩々▼笑はず語らず時に丁々の聲あるのみ。
○是れ別墅の竹房の碁を圍むの光景なり。○
横町へ少し曲りて最合井(*もあひゐ)釣瓶繩朽つるの邊晝顔蒔かぬ種をはへたるこなたの掃溜に臨みて竹格子まばらなる中に▼みいちやんお花ちやん▼を相手にして破れ○三味線を鳴らす。○絃聲板橋を踏み轟かすが如く歌聲犬の遠吠に似たり。裏店の奧比々此類なり。玄關深く見こみて甃石遠く連り車馬門に滿ちて小僮式臺に迎ふ。左の方一帶の板屏を見越して春色爛熳たり。晩梅早櫻相交るの間玉欄屈曲して玻瓈窓中▼佳人▼○瑤箏を彈ず。○珠玉盤上を走り幽泉岩陰に咽ぶ(*原文「咽ふ」)。鶯腔稍〃澁なりと雖も終に百鳥の群鳴に勝る。
甲店の
▼伴當▼(*番頭)倉皇として街上を走る。乙肆の
▼主管▼(*手代)袖を扣へて止めて曰く僕前日大坂の募集に應ず。入花料
(*選句・添削料)殆んど
(*原文「殆んと」)五十錢を費す。而して一句の賞點に入るなし何事の胸わるさぞ。甲曰く前月の卷已に成るや否や。乙曰く知らず。一行商傍に在り曰く彼卷已に開きたり。天は某。地は某なり。我句幸にして十内に在り云々。甲乙皆失望の体なり。
○俳句を弄するもの皆此流の人○。▼一侯一伯▼會〃相逢ふ。侯曰く前月の歌會貴下秀歌を詠ず。一坐感賞して三代集中のものとせり。健羨の至りなり。伯曰く敢て當らず今夜某々を弊家に召して萬葉の講筵を開く。幸
に駕を枉げられよ云々
○和歌を詠ずるは此種の人なり○。嗚呼何ぞ
○將棊○、○三絃○、○俳句○の相似て
○碁○、○箏○、○歌○の相類するや。前者は下等社會に行はれ後者は上流社會に行はる。前者は其起原新らしく後者は其起原古し。新し故に俚耳に入り易し。古し故に雅客の興を助く。
▼將棊盤は碁盤より狹く而して其手碁より多し。三絃の絲は箏より少く而して其音箏より多し。俳句の字は歌より短く而して其變化歌よりも多し。變化多ければ奇警斬新の事をなすべし▼○唯卑猥俗陋に陷るの弊あり。○▼變化少ければ優美清淡の味あり▼○唯陳套を襲ひ糟粕を甞むるの譏を免かれず。○▼隨つて將棊、三絃、俳句は入り難く碁、箏、歌は入り易し。入り難けれども上達し易く入り易けれども上達し難し。▼此の六技は盖し奇對といふべし。
寶井其角
蕉翁の六感なるものに六弟子の長所を評するの語あり。されども其語簡單にして未だ盡さざるのみならず往々其要を得ざるものあれば漸次にこれが略評を試みんとす。初めに其角を評して「○花やか○▼なる事其角に及ばず▼」といへり。其角の句固より花やかなる者少からず。例へば
鶯の身をさかさまに初音かな
白魚をふるひよせたる四ツ手かな
名月や疊の上に松の影
等の如し。然れども其角一生の本領は决して此婉麗細膩(*サイジ=肌理が細かい)なる所にあらずして却りて▼傲兀疎宕の處恠奇斬新の處諧謔百出の處に在りしことは五元集を一讀せしものヽ能く知る所なり。▼其傲兀疎宕なる者を擧ぐれば左の如し。
鐘一ツうれぬ日はなし江戸の春
夕凉よくぞ男に生れける
小傾城行きてなぶらん年の暮
其角は實に江戸ツ子中の江戸ツ子なり。大盃を滿引し名媛を提挈して紅燈緑酒の間に流連(*居続け)せしことも多かるべし。されば芭蕉も其大酒を誡めて「蕣(*朝顔)に我は飯喰ふ男哉」といひし程の強の者なれば是等の句ある固より怪しむに足らず。而してこれ即ち千古一人の達吟たる所以なり。其恠奇斬新(*原文「其恠斬新」)なる考は
世の中の榮螺も鼻をあけの春
枇杷の葉や取れば角なき蝸牛
初雪に此小便は何やつぞ
等の如し。是等即ち巧者巧を弄し智者智を逞ふする所にして
其角が一吟人を瞞着するの手段なり。されば座上の即吟に至りては
其角の敏捷
(*原文「敏」)一座の喝采を博すること常に
芭蕉に勝れたりとかや。其諧謔百出人頥を解するものまた才子の餘裕を示し英雄の人を欺むく所以なれば
其角に於てこれ無かるべけんや。例へば
こなたにも女房もたせん水祝ひ
饅頭で人を尋ねよ山櫻
みヽつくの頭巾は人に縫はせけり
等の如し。然れども多能なる者は必ず失す其角の句巧に失し俗に失し奇に失し豪に失する者少からず而して▼豪放迭宕なる者は常に暴露に過ぐるの弊あり。▼其角句中其骨を露はす者を擧ぐれば(*原文「擧くれば」)
吐かぬ鵜のほむらに燃ゆる篝哉
二星私かに憾む隣の娘年十五
此秋暮文覺我を殺せかし
抔あり。扨又其角句中に一種の澹嫻(*あっさり上品な趣)穩整なる文字ありて其調稍〃嵐雪越人に近きが如し。例へば
あくる夜のほのかにうれし嫁が君
明星や櫻定めぬ山かつら
秋の空尾の上の杉にはなれたり
抔にして前に連らねし十數句とは其の趣いたく變れり之を要するに其角は豪放にしてしかも奇才あり奇才ありてしかも學識あり。されば時として豪放の眞面目を現はし時として奇才を弄し學識を現はすなど機に應じ變に適して盤根錯節を斷ずること大根牛蒡を切るが如くなれば芭蕉も之を賞し同門も之に服し終に兒童走卒をして其角の名を知らしむるに至りたり。其角はそれ一世の英傑なるかな。
嵐雪の古調
服部嵐雪は古文を好みしものと見え其作る所の俳句も古書古歌に憑りたるもの多く▼其語調も亦和歌に似たる者少からず。▼例へば
ぬれ椽になづなこぼるヽ土ながら
蔀あけて莖立(*菜の薹)買はん朝まだき
石女の雛かしづくぞ哀れなる
みる房(*海松房。髪削ぎの具)やかヽれとてしも寺の尼
等の如し。又同人の句に
行燈を月の夜にせんほとヽぎす
といふは世の中へ知れ渡りたるものなるがこは萬葉集にある家持の
保等登藝須
許欲奈枳和多禮
登毛之備乎
キ久欲爾奈蘇倍
曾能可氣母見牟
といへる歌をそのまヽ俗譯せしものにして餘り珍重すべきものとも思はれず。されど俳家者流の宗匠及び(*原文「及ひ」)其の門弟等は皆學問淺薄なる者のみ多かれば(*ママ)さることのありとも知らず。よし之れを知る者あれば却つてそを賞讃して古歌にちなみたる名句なりなどヽ云ふこと恰も今日の平凡學者がこは歐洲の學者某の説なりといはヾ尤も善き證論なりと思へるが如しげにも片腹いたきことぞかし。余は此の嵐雪の句よりも
越人
蠟蠋のひかりにくしや郭公
杉風
提灯の空に詮なし郭公
などといふ句の同じ意ながら古歌を飜案したるこそいと妙なれと思ふなり。
服部嵐雪
蕉翁六感の中に「○からび○▼たる事嵐雪に及ばず▼」とあるは適評なるべし。嵐雪の句温雅にして古樸しかも時に從ふて變化するの妙は其角の豪壯にして變化するものと相反照して蕉門の奇觀と謂ふべし。其所謂からびたる句は
梅一りん一りん程のあたヽかさ
相撲取ならぶや秋の唐錦
黄菊白菊其外の名はなくもがな
の類にして此嵐雪一家の格調は終に他人の摸倣し能はざる所なり。
文もなく口上もなし粽五把
蒲團着て寢たる姿や東山
是等の句は實景實情を有の儘に言ひ放しながら猶其の間に一種の雅味を有するものにして是れ亦嵐雪の獨り擅まヽにする所なり。盖し嵐雪は一見識ある人なれども稍〃理想には乏しきものヽ如く隨つて▼宇宙の事物を觀察するに常に其の表面よりするの傾きあり。是を以て其表面的の觀察も亦重も▼○に些細なる事物に向つて精密なるが如し○例へば
花に風輕く來て吹け酒の泡
五月雨や蚯蚓の通す鍋の底
白露や角に日を持つ蝸牛
の如き其一斑を知るに足るべきなり。猶ほ此種の觀察の滑稽なる者には
顔につく飯粒蠅に與へけり
門の雪臼と盥の姿かな
君見よや我手入るヽぞ莖の桶
あり。又た人情の上に於ける觀察も曾て悽楚慘憺の處に向はず、はた勇壯豪放の處に向はずして常に▼婦女若しくは兒童の可憐なる處に在るが如く見ゆ。▼そは
ぽつ\/と喰積(*クイツミ=蓬莱飾りの縁起物)あらす夫婦かな
石女の雛かしづくぞあはれなる
我戀や口もすはれぬ鬼灯
岡見すと妹つくろひぬ小家の門
出代(*奉公人の春の交代)やをさな心にものあはれ
竹の子や兒の歯莖のうつくしき
等の數句を見ても知るべきなり。猶此外に
秋風の心動きぬ灘すだれ
の如く稍〃理想的な句なきに非るも終に嵐雪の本色に非ず。又其奇拔なるもの
順禮に打ちまじり行く歸雁かな
武士の足で米とぐ霰かな
等の類あれども其角の變幻極りなきとは大に異なり却りて味深き處あり。されば嵐雪の變化は其角の天地に渡りて縱横奔放するの類に非ずして僅かに一小局部内に彷徨するものなれども其雅味を存するの多きは其角も亦一歩を讓らざるべからず。宜なる哉「▼門人に其角嵐雪あり▼」と並稱せしや。
向井去來
「
○實○▼なる事去來に(*原文「去來は」)及ばず▼」とは
蕉翁六感の中に
去來を評するなり。而して此評實に
去來を盡すものと謂ふ可し。
去來人と爲り温厚忠實其
芭蕉に事ふること親の如く又君の如く常に親愛と尊敬とを失はざりしかば
芭蕉も亦之を見ること恰も吾愛兒の如くにして他の門弟子とは一樣に思はざりき。されば
芭蕉の
去來に向つて或は之を褒め或は之を叱るも皆師の弟子に於ける關係より出でずして親の子に於けるが如き愛情より發するものなり。
去來曾て
芭
蕉と共に
正秀亭に會す。其座の俳諧に
去來第三を付けたるに其句宜しからずとて
芭蕉これ
(*の)添を削しけるが會はてヽ後
芭蕉(*原文「蕉芭」)は
去來を叱りて「斯くのびやかなる第三を付くること前句の景色を探らず未練の事なり此度の耻は是非一度雪がんと心がくべし」云々とて夜もすがら怒りたりと。
正秀も弟子なり
去來も弟子なり。弟子が弟子の前にて仕そこなふたりとても
芭蕉に於て何か有らん。然るに斯くまで叱責することは弟子を以て之を見ず骨肉の如く之を愛するが爲なるべし。
去來實に此の如き人なれば其作る所の句も亦優柔敦厚にして曾て輕躁浮泛に流るヽの弊を見ず
其角の如く奇を求め新を探りて人目を眩するの才なく又
丈草の如く
(*微)を發き理を究めて禪味を悟るの識なしといへども却て平穩眞樸の間に微妙の詩歌的觀念を發揮せしが爲に
▼其句を讀む者一たび之を誦すれば終に復忘るヽ能はざるに至る。盖し其意匠の幽遠に馳せずして却て高尚なるのみならず。▼○其格調極めて自然にして敢て人工斧鑿の痕なければなるべし。○其景を叙するの處情を叙するの處神理天工、一心一手の間に融會して外面一片の理想を着けず裏面一點の塵氣を雜へざるに至りては
芭蕉も亦之を摸倣すること能はず。况んや
其嵐二子をや。况んや其他の作家を以て自ら任ずる
許六、
支考の輩をや。試みに其句數首を擧ぐれば
上り帆の淡路はなれぬ汐干哉
凉しさや夕立ながら入日影
乘りながら秣はませて月見哉
應\/といへど叩くや雪の門
芭蕉の鉢叩聞かんとて落柹舍を音づれけるに折節鉢敲の來ざりければ
箒こせ(*寄越せ)まねて見せん鉢叩
是等の句は皆其句の妙靈なるのみならず
去來其人の性質躍然として現れたるを見るべし。
去來の句今日に傳ふる者僅に二百句許りにして隨ひて一題數句ある者は稀なり。只秋月と時雨の二題は吟詠各十句の多きに及び而して他の些事
(*微)物に至りては一句だに無き者少からず。是を以て見るも
去來の觀念は毎に那邊に向ひしかを知るに足らん。又
去來は
▼武士なる者の意氣凛然たる所を忘れざりし(*原文「忘れさりし」)▼と見えこれを證するの句多し。
元日や家に讓りの太刀はかん
笋の時よりしるし弓の竹
鎧着てつかれためさん土用干
秋風や白木の弓に弦はらん
鴨啼くや弓矢をすてヽ十餘年
老武者と指やさヽれん玉霰
時として豪壯の氣を帶ぶる(*原文「帶ふる」)者あり。然れども終に粗糲に失せず。
湖の水まさりけり五月雨
時として教誨の意を含む者あり。
何事ぞ花見る人の長刀
時として稍〃纖巧にして奇創なる者あり。然れども其妙味は奇創纖巧の處に非ずして却て神韻縹渺自然に渾成する處にあるが如し。
痩せはてヽ香にさく梅の思ひ哉
時鳥啼くや雲雀の十文字
卯の花の絶間叩かん闇の門
芭蕉曰く上手にして始めて仕そこなひありと。盖し去來も亦其一人なり。其奇に失する者
年の夜や人に手足の十許り
上臈の山莊に候し奉りて
梅が香や山路獵入る犬のまね
其俗に失する者
賽錢も用意顔なり花の杜
時鳥きのふ一聲けふ三聲
從兄弟に逢ふて
昔思へ一ツ畠の瓜茄子
内藤丈草
僧丈草は犬山の士なり。繼母に仕へて孝心深し。家を異母弟に讓らんとてわざと右の指に疵をつけ刀の柄握り難き由を言ひたて家を遁れ出でヽ道の傍に髪押し斬りそれより禪門に入る。其時の詩あり。
多年負屋一蝸牛。 化做蛅蝓(*蛞蝓か。「蛅」は毛虫)得自由。 火宅最惶涎沫盡。 偶尋法雨入林丘。
其後
芭蕉の弟子となりて俳句を學びしが斯る心だての大丈夫なればにや
芭蕉もいたく之を愛し「人の上にたたんこと月を越ゆべからず」とはじめより喜べりとぞ。されば
丈草も深く
芭蕉に懷き其死後も義仲寺のほとりに草廬を結びて一生を終へたり。明和の頃
蝶夢なる俳人、
去來發句集丈草發句集を編み其端書に記するに蕉風の正統を得し者は
去來丈草二子なり。されども此二子は名聞を好まず弟子をも取らざれば後世之を祖述するものなく却りて
其角嵐雪の流派のみ盛に行はれたり云々の意を以てせり。是れ實に
去來丈草の知己と謂ふべし。
丈草の俳句を通覽する者は▼其禪味に富むことを心づかぬ者は非ざるべし。少くとも諸行無常といふ佛教的の觀念は常に丈草の頭腦を支配せしものと思しく其種の作句實に多し。▼併しながら丈草の句は所謂坊主の坊主臭きものにして多くは暴露に過ぎ稍〃厭ふべきものあり。之を芭蕉の禪味を消化して一句の裏面に包含せしむるものに比すれば及ばざること遠し。例せば
喙木鳥の枯木探すや花の中
眞先に見し枝ならん散る櫻
聖靈も出て假の世の旅寐かな
ぬけ殼とならんで死る秋の蝉
着て立て夜の衾も無かりけり
歸り來る魚のすみかや崩れ簗
其尤巧妙にして薀雅なる者は
取りつかぬ力で浮ぶ(*原文「浮ふ」)蛙かな
其尤拙劣にして平淺なる者は
贈新道心
蚊屋を出て又障子あり夏の月
此外禪味を含まずして格調の高きこと去來の壘を摩する者あり。
子規なくや湖水のさヽ濁り
Kみけり沖の時雨の行どころ
水底の岩に落ちつく木の葉哉
の類なり。又輕快流暢の筆を以て日常の瑣事を拈出するは丈草の長所なるが如く
春雨やぬけ出たまヽの夜着の穴
ひまあくや蚤の出て行く耳の穴
つヽ立て帆になる袖や凉み舟
夜咄の長さを行けばとこの山
屋根ふきの海をねぢむく時雨哉
抔の例あり。又
丈草の好題目として擇ぶ所のものは動物にして
▼丈草句中の三分の一は禽獸蟲魚に關係せり。▼是れ即ち
芭蕉去來が好んで天象地理の大觀を吟詠するとは大に異なりて
丈草の一籌を輸する所以亦こヽに在る可し。俳句に擬人法を用ふるは後世に多くして元祿前後には少き樣なるが
丈草は例の動物を取りて
○擬人的○の作意を試みたり。
我事と泥鰌のにげる根芹かな
大原や蝶の出て舞ふ朧月
夕立に走り下るや竹の蟻
啼きはれて目さしもうとし鹿の形
等のたぐひにて是れ恐らくは禪學の上より得來りしものならんか。
東花坊支考
東花坊支考は
蕉翁晩年の弟子なり。人と爲り磊落奇異敢て法度に拘はらず。
芭蕉世に在るの間は吟詠妙境に到りて他の高弟をも凌駕しいと頼もしく見えたり。然るに
芭蕉死して後は自ら門戸を搆へ學識に誇り多才を頼み妄りに
芭蕉の遺教と稱して數十卷の俳書を著し甚だしきものは自ら書を著し自な
(*「自ら」か。)解釋と批評とを加へて以て天下に刊行するに至れり。是に於て其句多く輕佻浮泛に流れて往々
芭蕉正風の外に出でしが其極終に美濃派の一派を起し今日に至るまで多少の勢力を有して全國に蔓衍せりといふ。
支考の性行此の如くなれば其吐
く所俳句も
○亦一種の理想を含む○者十中八九まで是れなり。
月花の目をやすめばや春の雨
鶴に乘る支度は輕し衣がへ
世の中をうしろの皴(*ひび)や更衣
灌佛やめでたき事に寺參り
魂棚(*祖霊を祭る精霊棚)にこちらむく日を待つ身かな
名月やけふはにぎはふ(*原文「にきはふ」)秋の暮
一俵も取らで案山子の弓矢かな
臘八(*釈迦の成道会)や痩せは佛に似たれども
此の如きもの數ふるに暇あらず。其の
笠着せて見ばや月夜の鷄頭花
と云ふに至りては理想已に極まりて稍狂に近きものなり。此他理想といふべからざるも其意匠自然に出でずして斧鑿の痕を存するものあり。即ち
梅が香の筋に立ちよる初日かな
野は枯れてのばすものなし鶴の首
二ツ子も草鞋を出すやけふの雪
等の類なり。▼擬人法はもと理想より生ず▼るものにして丈草の此法を用ひしことは已に言へり。支考に至りて▼此種の俳句實に夥多にして動物植物を形容するの慣手段と爲せしが如し。▼其例を擧ぐれば(*原文「擧くれば」)
花の咲く木はいそがしき二月かな
鶯の肝潰したる餘寒かな
虻の目の何か悟りて早合點
片枝に脉や通ひて梅の花
百合の花たヾものあちら向きたがる
物思ひ\/鳴く鶉かな
膓に秋のしみたる熟柹かな
節々の思ひや竹に積る雪
等の如し。又多少の理想なきに非るも意匠諧謔に陷りて風雅の趣に乏しきものあり。例へば
蓮の葉に小便すれば御舍利かな
牛になる合點じや朝寢夕凉み
凩や鼻を出し行く人はなし
寒ければ寢られず寢ねば猶寒し
の類にして支考が一生の本領も亦こヽに在りしなるべし。されば後來美濃派の起りしも主として此處より入りしが如し。盖し支考は固より一個の英俊なる俳家たるを失はず。其賦する▼所稍神韻に乏しと雖も滑稽諧謔の中に一定の理想ありて全たく卑俗に陷るを免れたり。▼然れども後世無學の俗輩一片の理想無くして此諧謔を學ぶ、俗陋平淺ならざらんと欲するを得んや。支考の多能なる俳句に於て到々處(*「到る處」か。)必ずしも前に論じたる境涯に止まらず時として其角去來を學び時として尚白凉莵に擬する者あり。是れ支考の支考たる所以なるべし。其の例
これ迄か\/とて春の雪
水澄て籾の芽し苗代田
餅くはぬ旅人はなし桃の花
里の子の燕握る早苗かな
我笠や田植の笠にまぎれ行く
裸子よもの着ばやらん瓜一つ
初霜や蘆折れ違ふ濱堤
一つ葉や一葉\/にけさの霜
志太野坡
志太野坡の俳句は▼意匠の清新奇拔なるものを取りて作するを常とす▼故に其句多くは
初午(*二月の稲荷祭)や鍵をくはへて御戸開
苗代や二王のやうな足の跡
郭公顔の出されぬ格子かな
崖端を一人が覗けば花の山
夕凉みあぶなき石に上りけり
落椿餘りもろさについで見る
飛びかへる竹の霰や窓の内
の類なり。其尤諧謔を弄する者に至りては
長松が親の名でくる御慶かな
鉢卷を取れば若衆ぞ大根引
の如き者あり。其句法の警拔人を駭かす者は
ほの\/と鴉Kむや窓の春
つヽまれて水ものびたる蓮かな
這(*この)梅の殘る影なき月夜かな
等なり。之を要するに野坡は常に滑稽を以て人頥を解かんとする者の如く其の理想に至りては甚だ低きかと思はる。偶
葉かくれて見ても朝顔の浮世かな
豆とりて我も心の鬼打たん
等の句あれども恐らくは其眞面目にあらざるべし。されば戀の句に
振袖のちらと見えけり闇の梅
娘ある隣の衣とうたればや
とあるが如きは淺薄暴露殆んど讀むに堪へず。其理想は斯く低しといへども其度量快豁なるは曾て其家に忍び入りし盜賊を相手に談笑せし一事を以ても知るべく從つて▼其句も亦紆餘迫らざる處ありて假令上乘に非るも蕉風の特色を存して大に愛すべきものなり。▼即ち
押して見る山の乾きや蕗の薹
食の時皆あつまるや山櫻
靜かには啼かれぬ雉の調子かな
猫の戀初手から啼て哀れなり
秋もやヽ雁おりそろふ寒さかな
此頃の垣の結ひ目や初時雨
力なや膝をかヽへて冬籠
等の句を見て其一斑を見るべし。歳暮の句に
年のくれ互にこすき錢づかひ
とあるが如きは元商家に生れたる故に其觀察のこヽに及びしものなるべけれども此等の意匠は其人情を穿つに拘はらず卑俗に流れて偶々嫌厭を生ぜしむるに足るのみ。蕉翁六感に「▼おどけたる事野坡に及ばず▼」とあるは中らずといへども遠からざるの評なり。
武士と俳句
諸候にして俳諧に遊びし者、
蝉吟、
探丸、
風虎、
露沾、
肅山(*蕭山か。)、
冠里、諸公あり。武士にして俳諧に遊びし者、
芭蕉をはじめ比々皆然らざるはなし。されど中に就きて俳諧のみならず武士とし
ても亦名高き人々は、
大高子葉、
富森春帆、
神崎竹平、
菅沼曲翠、
神野忠知等なり。蕉門十哲の中、性行の清廉と吟詠の高雅とを以て古今に超絶する二豪傑、
向井(*原文「向丼」)去來、
内藤丈草も亦武士のはてにして殊に
丈草は繼母に孝を盡し弟に家を讓らんが爲に我指に疵をつけ刀の柄握り難き由いひたてヽ禪門に入りたる人なりとぞ。夫れ風流は弓馬劍槍の上に留らず。雅情は電光石火の間に宿らず。否これらは寧ろ風雅の敵にして、
芭蕉も行脚の掟には「
▼腰に寸鐵たりとも帶すべからず惣て物の命を取る事なかれ▼」といひ、
去來も亦た
何事ぞ(*原文「何事そ」)花見る人の長刀
と咏じて(*原文「咏して」)人口に膾炙せり。然りといへども▼誠實なきの風流は浮華に流れ易く節操なきの詩歌は卑俗に陷るを免れず。▼文學美術は高尚優美を主とするものなり。而して▼浮華卑俗を以て作られたる文學美術ほど面白からぬものはあらじ。▼否これほど世を害するものはまたとあるまじと思はる。後世和歌俳諧の衰へたるも職として(*主として、の意か。)こヽによらずんばあらず。享保年間は芭蕉を去る事遠からず。而して已に三笠附(*前句と付句を組み合わせて高点を競う遊び。)といふ事もはら行れて一種の博奕となり從つてコ川氏も亦法律を設けて博奕と同じく之を禁ずるに至れり。近時に至り此三笠附なる者は餘り流行せずといへども宗匠のあとつぎも發句の點も皆金錢に比例する世の中、扨もうるさし。今初めにあげたる數家の俳句を左に連ねて二階からの目藥(*頂門の一針の反対か。)となさん。
忠知
しら炭や燒かぬ昔の雪の枝
曲翠
馬叱る聲も枯野の嵐哉
子葉
なんのその巖も通す桑の弓
春帆
とんでいる手にもたまらぬ霰哉
去來
鴨啼くや弓矢をすてヽ十餘年
丈草
啄木鳥の枯木探すや花の中
女流と俳句
女流俳句を嗜む者少からず。其の風調亦た一種のやさしみありて句作の強からぬ所に趣味を存すること多くて却て男子の拈出し能はざる細事に着眼して心情を寫し出すこと其微に入り以て讀者を惱殺せしむるものあり。大凡世の人は女は歌こそよまヽほしけれ。歌はいみじうみやびたるわざにて鬼神をもひしぎたけきものヽふの心をも和ぐるものなれどもなまなかに心ひなびて詞もむくつけき俳諧などしたらん女はよろづに男めきてあらあらしくなりなんとぞいふなる。これ固より一理ある論なれどもさのみ一概にはいふべからず。古と今とは言語の變りあれば深閨に養はるヽ上臈すら古學を修めぬものはたやすく和歌をよみいづ
べくもあらず。まして下々のいとなみにひまなききはヽ歌よむすべもしらねば卅一文字をつらぬることだにわきまへず。さるものは心まかせに俳句など口ずさまんことつき\/しく興ある樂なるべし。且や古今の相違は言語の上のみにあらず生活の方法眼前の景物まで盡く變りはてたれば日常の事又はそれより起る連想のたぐひも古人の窺ひ得ざる所多し。而してそを詠み出でんとするには是非とも今日の俗語を用ひざるべからず。殊に女子の目撃する
事
(*瑣事)に至りてはいよいよ之を雅言に求めて得られざるものヽみ多きを奈何せん。たヾ古今に渡り東西に通じて一點の相違なき者は人情なり。故に戀歌の類は必ずしも鄙語を用ふるに及ばずといへども其他は最早之を用ふるの已むを得ざるなり。和歌には
伊勢小町相摸紫式部清少納言の如き雲上の女傑輩出せしかども俳諧には上臈なき故に卑俗の二字を以て排し去る者多きはひが事なり。
▼言葉俗なりとも心うちあがりたらんは如何ばかり高尚ならまし。▼只此評を受くる者は俳諧社會に俗客入り來りて俗氣の紛々たるが爲ならんのみ。
元祿の四俳女
元祿前後の俳諧に遊ぶ婦女子の中、まづ
捨女、
智月、
園女、
秋色を以て四傑とも稱すべし。
◎すて女◎(*原文「す」に二重圏点なし。)○は燕子花の如し。○うつくしき中にも多少の勢ありて、りんと力を入れたる處あり。
◎智月
尼◎○は蓮花の如し。○清淨潔白にして泥に染まぬ其色浮世の花とも思れず。
◎秋色◎○は撫し子の如し。○ゆら\/と風に立ちのびてやさしうさきいでたる中〃にくねりならはぬあどけなさに其人柄まで思ひやられてなつかし。
◎園女◎○は紫陽花の如し。○姿強くして心おとなしきは俳諧の虚實にかなひ日々夜々の花の色は風情の變化を示して終に閑雅の趣を失はず
(*原文「失はす」)ともいはん。而して四女の中句作にては、余は
園女を推して第一とす。
園女は見識氣慨
(*ママ)ありて男子も及ばざる所あり。其某禪師に答ふる書の如き曾て婦女子の婉柔謙遜なる所を失ふて、唯剛慢不遜なる一丈夫の趣あり。されど其俳句に遊ぶに際しては决して婦女子の眞面目を離れず。盖し得難きの女傑と謂ふべし。近時の女學生以て如何となす。これらの人々の俳句に就て三四を拔萃して左に掲げん。
すて
うき事になれて雪間の嫁菜かな
同
日くらしや捨てヽおいても暮る日を
同
思ふ事なき顔しても秋のくれ
同
粟の穗や身は數ならぬ女郎花
智月
我年のよるともしらず花盛
同
有と無と二本さしけりけしの花
同
盆に死ぬ佛の中の佛かな
同
木枯や色にも見えずちりもせず
秋色
井戸端の櫻あぶなし酒の醉
同
戀せずば猫の心の恐ろしや
同
雉の尾のやさしうさはる菫かな
同
佛めきて心おかるヽはちす哉
その
山松のあはひ\/や花の雲
同
鼻紙の間にしぼむすみれかな
同
あるほどのだてしつくして紙衣哉
當麻のまんだらを拜みて
同
衣がへ自ら織らぬ罪深し
加賀の千代
○加賀の千代○は俳人中尤有名なる女子なり。其の作る所の句も今日に殘る者多く俳諧社會の一家として古人に讓らざるの手際は幾多の鬚髯男子をして後に瞠若たらしむるもの少から
ず。俳諧の上にも男子にあらざれば言ふべからざることと女子にあらざれば言ふべからざることとあり。今千代の句を以て兩者を對照するも亦た一興なるべし。
山峰
┏ 母方の紋めづらしやきそ始 (*きそ始: 正月三箇日に新衣を着ること。)
千代
┗ 我裾の鳥も遊ぶや着衣はじめ
前者は男にして始めて言ふべく後者は女にして後ち作し得べきものなり。
一具
┏ 馬下りて若菜つむ野を通りけり
千代
┗ 仕事ならくるヽをしまじ若菜摘
破笠
┏ 妻にもと幾人思ふ花見かな
千代
┗ 足跡は男なりけり初櫻
其角
┏ 子もふまず枕もふまず時鳥
千代
┗ 男さへきかれぬものを郭公
麁言
┏ 折からの嫁くらべ見ん田植哉
千代
┗ けふばかり男をつかふ田植かな
其角
┏ 早乙女に足洗はするうれしさよ
千代
┗ 早をとめや若菜つみたる連もあり
支考
┏ 出女の口紅をしむ西瓜かな
千代
┗ 紅さいた口もわするヽ清水哉
余所目に見る支考の句はをかしく我身の上を思ひかへしたる千代のはいとほし。
芭蕉
┏ 白菊の目にたてヽ見る塵もなし
千代
┗ 白きくや紅さいた手の恐ろしき
芭蕉は園女をほめて吟じ千代は己を卑下して詠ず。
淺山
┏ 妹なくてうたヽね悔ゆる火燵哉
┃ 尼になりしとき
千代
┗ 髪を結ふ手のひまあいてこたつ哉
獺祭書屋俳話 1/2 <了>