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獺祭書屋俳話  -2-

正岡子規
日本叢書 吉川弘文館 1893.5.21〔日本新聞社刊行〕、増補五版 1902.11.15
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 【獺祭書屋俳話】の細目: 俳諧といふ名称  連歌と俳諧  延宝天和貞享の俳風  足利時代より元禄に至る発句  俳書  字余りの俳句  俳句の前途  新題目  和歌と俳句  宝井其角  嵐雪の古調  服部嵐雪  向井去来  内藤丈草  東花坊支考  志太野坡  武士と俳句  女流と俳句  元禄の四俳女  加賀の千代  (*以下このファイル)  時鳥  扨はあの月がないたか時鳥  時鳥の和歌と俳句  初嵐  萩  女郎花  芭蕉  俳諧麓の栞の評  発句作法指南の評
  ※その他の所収作品は、1893_dassaishookuhaiwa_01.htmの「目録」を参照。

時鳥

連歌發句及び俳諧發句の題目となりたる生物の中にて量多く讀みいでられたるものは時鳥なり。此時鳥といふ鳥は如何なる妙音ありけん昔より我國人にもてはやされて萬葉集の中に入りたるもの既に百餘首に上る位なれば其後の歌集にもこれを二なく目出度ものに詠みならはし終には人數を分けて初音の勝負せんとて雲上人の時鳥きヽにと出で立てることなど 古きものヽ本に見えたり。されば其餘流をうけたる連歌俳諧に此題多きも尤の譯にて若し古今の發句の中にて時鳥に關したるものを集めなば恐らくは幾萬にもなるべからんと思はるヽなり。支那の詩にも子規を詠じたるもの多けれども多くはこれを悲しきものにいひなせり。西洋の詩にも我子規に似たる鳥を詠みたるものありてこは皆其聲をうれしきかたに聞くが如し。▼あはれ果報なる鳥よ。なの一聲は命にもかへて聞かんことを思はれ千餘年前より今日に至るまで幾千萬の詩人をして其の腦槳(*「腦漿」か。)を絞り出さしめたり。▼世の鳴蛙噪蝉(*蛙鳴蝉噪を転倒したもの。)果して何の顔かある。はた空しく川柳都々逸の材料となりて一生を送了する阿房鴉の面の皮のあつさよ。
時鳥に關する古人の發句十數首をあぐれば

一遍上人
時鳥なかぬ初音ぞめづらしき
宗碩
山彦の聲よりおくや郭公
宗牧
ほとヽぎす思はぬ波のまがひ哉
守武
鶯の捨子ならなけほとヽぎす
芭蕉
郭公大竹原をもる月夜
凉莵
時鳥\/とて寐入りけり
丈草
ほとヽぎす啼や湖水のさヽ濁り
去來
蜀魄(*「蜀魂」か。)なくや雲雀の十文字
露川
ほとヽぎす雲踏みはづし\/
素堂
目には葉山ほとヽぎす初鰹
蓼太
子規二十九日も月夜哉
(*大伴家持が立夏に間も無い3月29日にもホトトギスが啼かないことを慨いた歌に基づく。〔万 3983-84〕)
士朗
川舟やあとへ成たる郭公
道彦
子規啼て江上數峯し
一茶
この雨はのつ引ならじ時鳥
(*ならじ—原文「ならし」。「昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす」〔『新古今集』・藤原俊成〕以来の雨夜に物思いを誘う時鳥か。)

扨はあの月がないたか時鳥

時鳥の句の中にて世人の尤も能く知りたるものは

扨はあの月がないたかほとヽぎす

といふ句なり。此句の初五文字を「一聲は」として或は芭蕉の作といひ或は其角の作といふは杜撰なる俗説なり。俳家奇人談(*竹内玄玄一〔げんげんいち〕著)には瓢水の作なりといひ温故集(*蓮谷『俳諧温故集』)藻風とあれば藻風は瓢水の別號かといへり。余近頃擧堂の著せる真木柱元祿十年刊)を見るにはじめに中古の發 句として擧げたる中に

一三
扨はあの月がないたか郭公

とあり又終りの方に

舟のつくまであとを見かへる
藻風
扨はあの月が啼たかほとヽぎす
中興の發句を取合たる可謂奇妙云々

とあり。されば此の句の作者は一三にして藻風は附合の節に此成句を應用したる者なること明らけし(*。)そはとまれ此句は人口に膾炙して後コ大寺の和歌を翻案して更に巧妙なりと稱ふる人も少からず。然るにさきつ頃宗牧句調を繙きしに


月や聲きヽてぞ見つる郭公

といふ句を見つけたり。之を前の句に比するに其調は連歌と俳諧との區別あれども其命意は則ち符を合すが如し。其剽竊なるかはた暗合なるかは知るによしなけれども百餘年前に在りて已に此句ありとすれば前の句が得たる名譽の過半は之を宗牧に讓らざるべからざるなり。文學に限らず天下此の如きたぐひ多し(*。)其寃を雪ぎ(*原文「雪き」)其微を闡くは學者の義務なるべし。洋書を拔萃飜譯して著作と號し古書を翻刻出板して我編纂といひ以て初學者田舍漢を惑は さんとする當時の紳士學者は果して何する者ぞ。

時鳥の和歌と俳句

伊勢の勾當杉田望一は盲人にして俳諧の達者なりしかども寛永中に沒せし人なれば其作亦幼稚にして今日よりいへばこれといふべきものなし。只其


それときく空耳もがなほとヽぎす

といふ句ばかりは後世にてもほむるものなるがこは後撰集の歌に

伊勢
時鳥はつかなる音をきヽそめて
あらぬもそれとおぼめかれつヽ(*原文「おほめかれつヽ」)

とあるより得來りしものなるべし(*。)又後世の句なるが

抱儀
時鳥なくやこぼるヽ池の藤
箱根山
雨考
郭公人も名のりをしつヽ行

といふあり。前者は家持


はる\/に鳴く時鳥たちくヽと 羽ふれにちらす藤波の花なつかしみ云々

といふより來り後者は千載集中の


師時
あふ坂の山時鳥名のるなり
關もる神や空にとふらん

とあるより脱化したるものなり。又近頃出板せしある俳書を見しに


時鳥初聲きけばめづらしき
(*文か。)まちえたる心地こそすれ

といふ千蔭の歌をとりてか


よい友にあふた心地よ時鳥

とありしが如きは拙の又拙なるものなり。發句も俗客又は無學者の惡戯塲となりしより愈〃出でヽ愈〃陳腐なるものとはなれりけり。

初嵐

一年の内風多し。春風はこそぐられるが如く秋風はつめらるヽに似たり。こそぐられてはてはしだらなく睡り倒れ▼つめられて後は身體りんとしまりて警むる所ろ(*ママ)あり。况んや初嵐野分二百十日なんどありて秋の天氣は男の心にもたとへたるをや。▼二百十日の頃は稻つく る作男ならぬも米あきなふ商人ならぬも氣象臺の役員ならぬも如何に\/と空のみ打ち仰ぐ夕暮に一點のK雲丑寅の方に出沒せしが見る\/墨を流してはや頭の上に見あぐる程にもなりぬ。何程の事かあらんと枕に就きしが雨戸烈しく吹きはなす音に目覺めて

奇淵
山風に野分かさなる寐覺かな

と驚きしも五風十雨順を失はざる大御代の癖とて

宗長
朝露はさりげなき夜の野分哉
支考
冷々と朝日うれしき野分かな

とリれ渡りて嬉しや胸のすきたる心地なり。


君が代も二百十日はあれにけり

我書窓の下に竹垣にそふて一本の萩生い(*ママ)ひろごりて軒端近く風に打ち返さるヽさまけふや花咲くらんあすや花亂すらんと朝な夕な打ち見やる程にそれかあらぬか置き亂す白露の間より紫のほのかに見えそむるに

月居
ぽつ\/と花になるなり萩の露

といふ句ぞまづは思ひ出されける。うれしさに庭下駄穿ちて近より見れば今日咲きそめしと思ひしに

禹洗
萩の花咲くといふ日は亂れけり

机の下に歸りてしばしは書讀みしもいつしかに又萩の方のみ見られて

芭蕉
白露もこぼさぬ萩のうねりかな

實によくも萩の風姿を形容したりけりと坐ろに歎賞せらる。翌朝まだきに起き出でて見ればけふもや眞盛りなるらんと思ふ許りなるに

序志
あたりへもよられぬ萩の盛りかな

よらば散りなん風情なり。

蘭更
雞の引き出す萩の下枝かな

雞なども出でよと打ち興ずる折から此頃の癖とて小雨そぼふりて小庭の秋も何となくものさびたり。こなたの垣ごしには隣の白萩いと氣高く咲きこぼるヽ(*原文「咲きぼるヽ」)さま

蓼太
白萩や露一升に花一升

の句意にもかなへりや。兎角するうち我魂はこヽにあらで向島の百花園、龜戸の萩寺とさまよひありけば

蒼虬
泥水の上に亂すや萩の花

と口ずさまれ遂には曾て遊びにし大宮の公園、榛名山上の草原など思ひつヾけられて

李由
草刈りよそれが重いか萩の露

と吟ずれば刈草高く背負ふたる翁もあとにつヾく童も共にふり向きてほヽゑむ心地ぞすなる。

芭蕉
ぬれて行く人もをかしや雨の萩
曉臺
萩原や花とよれ行く爪さがり

と誦ずれば菅笠打ちかたげて萩薄を押し分け\/行くさまけふの雨にたぐへて目の前にあり\/と見ゆるが如し。はてはまだ見ぬ玉川、宮城野まで思ひやられて。

紹巴
花を重み萩に水行く野末かな
羅人
白萩や細谷川の浪かしら

とは何處のけしきにやあらん。はた旅中に病んで

曾良
行き\/て倒れふすとも萩の原

と詠じたる人の心まで思へば▼萩ほどやさしく哀れなるものはまたとあらざりけり。▼

女郎花

秋の七草は皆それ\/の趣あるが中に▼女郎花ほど淋しく哀れなるものはあらじ。▼されば古來歌人もいろ\/に讀みならひ俳人も多く詠じ出せるが其たけたかく伸びすぎて淋しく花のさかりたるを見て

芭蕉
ひよろ\/と猶露けしや女郎花
凉莵
身の上をたヾしほれけり女郎花

といひ其黄に咲きいでたる色をめでヽは

龜世
いたづらの色を去りけり女郎花

とよむ。又女郎花となんいへる名も聞きすてがたくて

士朗
女郎花都はなれぬ名なりけり

と吟ぜし人の心多さよ。そこらあたりの野も何となうなつかしく覺えて

蒼虬
井戸の名も野の名もしらず女郎花

とは風雅の本意なるべく

百花
撫でられて牛も眠るやをみなへし

とよみたらんを思へば落ちにきと戯れし法師も物かは。風のそよ吹く毎に我れさきに搖き そめし女郎花の風靜まりて後までも猶搖れ殘るわびしさよ。

凉袋
吹くかたへ心の多し女郎花
曉臺
松風をかつぎて臥せり女郎花
一茶
何事のかふり\/そ女郎花

くねるといふ名は男の喜ぶべきを

秋色
身を耻ぢよくねるとあれば女郎花

と警めたる秋色のコの高さは此一句にても知られたり。

蓼太
わがものに手折れば淋し女郎花
蕪村
兎角して一把になりぬ女郎花

折り易きものは折らるヽ世の慣ひとはいひながら折られて喜ぶ花もあるべし。わけては

秋瓜
原中にひとりくるヽか女郎花
文角
暮たがる花のやうすや女郎花

と夕暮の魂を見つけたる詩人の多情には花も恥ぢらひてあちらむくなるべし。

芭蕉

こヽに芭蕉といふものあり。木に似て枝なく草に似て遙かに高し。幹は大きやかなれど霜枯れにはいち早く枯れて形ものうく葉は廣けれどいつしか雨に破れ風に吹かれて秋の扇にさも似たり。山寺の庭に植ゑられて老僧坐禪の夜深くれば(*更くれば。原文「深くれは」)雨の音物すごく隱栖の書窓にそふて閑人棋を圍むの時月出でヽ凉影枰(*碁盤)上に搖く。▼秋草は皆さヽやかに花咲くものばかりなるに誰かは此芭蕉を取りて秋の季には入れたりける。▼(*原文「搖く。」の句点から傍点を付す。)むかし深川の草庵に芭蕉を植ゑて其雅號となせしより以來ばせをといへば何となう尊とくかしこきやうに思はるヽも此草の幸なりや。されば今古の俳人多く芭蕉を詠じ出だせる(*原文「詠し出だせる」)が中に

加生(*凡兆)
秋風に卷葉折らるヽ芭蕉かな

といふ句もさることながら

路通
芭蕉葉は何になれとや秋の風

と詠じたる手柄は又一きはにて路通一生の秀逸は此句にとヾめたりとかや。

保吉
風の夕芭蕉葉提げて通りけり

とあるは

信コ
雨の日や門さげて行く燕子花

より脱化し來りたれど猶見るべき所なきに非ず。

一風
稻妻の形は芭蕉の廣葉かな

といふも奇なれども

巨海    (*原文「稍妻は」)
稻妻は棕櫚や芭蕉のそよぎかな

と詠みしは平穩にして更に妙なり。さるを又

樗堂
はら\/と稻妻かヽる芭蕉かな

といひかへたる器量をさ\/(*ママ。なかなか、という程の意か。)芭蕉翁の遺響あり。

卜枝
垣越しに引導のぞくばせをかな
露川
芭蕉葉や在家の中の淨土寺

露川やヽ卜枝の糟粕を嘗めたり。蓼太更に之を翻案して

蓼太
七堂の外に大破のばせをかな

とせしは奇に過ぎて狂体に陷りたるが如し。

乙州
芭蕉葉や打ちかへし行く月の影

とは月と風との景色を言ひおほせ

其角
雨蛙芭蕉にのりてそよぎけり

とは異な處を見付けられたり。

蓼太
染かねて我と引きさく芭蕉かな
碩布
裏打のしたく成たる芭蕉かな

二句稍奇拔に過ぐれど新意を出だしたるは妙なり。

俳諧麓の栞の評

撫松庵兎裘(*池永厚)なる人あり一書を著して「俳諧麓の栞(*『俳諧麓迺栞』〔明治25.7〕 )といふ。之を一讀するに終始日本古代の文法論を述べて俳諧上に應用したるなり。盖し古より俳人古學を脩め文法を知る者少く隨つて文法語意の點に於て誤謬をなす者比々皆是なり。况んや近世の俳人漫に自分免許の宗匠を以て愚者を惑はす者をや。著者こヽに見る所ありて此文法論を著し今時の俳人の迷夢を破り且つ古の俳書の杜撰を罵る。卓見識ありと謂ふべし。而して文法に至りては余も無學の一人なり。故に敢て之が批評(*原文「之か批評」)を試みず(*原文「試みす」)唯著者に向つて吾人に學問の好方便を與へられたるを謝するのみ。然れども今日の俳諧に古代の文法を其まヽ用ひよと云ふに至りては余は著者に向つて一問答を煩はさざるを得ざるなり。抑も著者が文法といふものは何の時代の文法なりや。太古か奈良か平安かはた近古か。孰れの時代にもせよ何故に其時代の文法を固守するや。文法は時代と共に變遷し得べからざるものか。是等の疑問は從來余が胸間に蟠り て解けざるものなり。著者は一心に文法を確守せらるヽが如し(*。)故に敢て教を乞はんとす。同書第二百六頁の終はりに曰く俳諧ニテハ俗ニ從フモ妨ナキガ如クナレドモ故意ニ定格ヲ犯スベキニ非ルナリ云々ト(*。)是に於て著者は稍〃俳諧を見ること寛なるを知る(*。)而して著者の主義愈〃糢糊たり。(其○故意に○云々と云ふに至りては余も之を賛成するなり。)又著者は俳諧苧環(*溝口竹亭編〔元禄4〕)等を駁撃するに拘はらず却りて芭蕉越人等を庇護して此「かな」は筆者の誤なるべし(*。)此「や」は感歎の「や」には非るべしと云ふは不公平の論たるを免れず(*。)余は信ず(*、)芭蕉越人の如き譬ひ古文法を知るとも故意に之を犯したる塲合あるべしと。何となれば芭蕉時代には古文法一變して「や」「かな」等の用法意義共に古の「や」「かな」に非るを以てなり。其角


此人數舟なればこそ納凉かな

の如きは眞木柱には「納凉なれ」と書きたり。然れども余は寧ろ「納凉かな」の句を以て其角の作なるべしと思惟す。よし其角の作は兎もあれ余は此を以て彼より善しと考ふるなり。蓋し近世俳諧の習慣として「なれ」よりは「かな」の方語氣強ければなり。斯くいへばとて余は全く古文法を廢する意にもあらず。此の事は思考中にて自ら判决し難き處あればこヽに詳言せず。只だ大方(*たいほう)の教を俟つ。
俳諧麓の栞は二百五十頁に渡るの一册子なれども其内百六十頁は十二品詞の説明(殊に動 詞の分類)を以て塞がりたり。故に其他に就きて疑はしき數點を擧げん。第五頁に「通常ノ句體ニ於テ切字ヲ用ヰルハ無形ナル風情ヲ以テ有形ナル風姿ヲ判斷センガ爲ニシテ詩ニハ之ヲ實虚ト稱ヘ無形ヲ以テ有形ヲ裁制[サバ]ケリ」云々とあるが如きは説き得て甚だ容易なるが如きを覺ゆと雖余は再三再四讀み返して猶ほ其の何事なるやを解する能はず。徒に神文を讀み讀經を聽くの感あり。無形の風情とは主觀的觀念の如く有形の風姿とは客觀的萬象の如し。然れども切字なる一虚語が此主觀客觀の間に立ちて何程の功用を爲すかを怪まざるを得ざるなり。古來の歌書俳書には此の如き曖昧なる論固より多し。然れども明治の今日此種の説明を見るは奇怪至極と謂ふべし。文學は論理にて(*原文「てに」)説明し盡すべき者に非ざれば全く之を論ぜざるは則ち可なり。苟も之を説明する以上は今少し論理的の明晰を要すること勿論なるべし。著者の意果して如何。又第二百二頁に


更科○や○月はよけれど田舍にて

○や○字を玉鉾○や○道抔の例とするは甚だ心得ぬことなり。此○や○は感歎の○や○といふべきや否やは知らざれども俳句にては其重なる語を極めるの用を爲すなり。此句にては更科といふ語が主にして題ともいふべきものなり。芭蕉の古池の句の○や○もこれに同じ。越人


行く年○や○親に白髪を隱しけり

○や○も同じ事なり。別に變りたる意義あるに非ず。又第二百二十二頁に

團雪
鳴く鹿もさかるといへば可笑○けれ○

○けれ○を攻撃しあれどもこれは俳諧の上に用ふる一種の意義を含むものなればあながち攻むるには及ばざるべし。况んや○こそ○の係りありて結び語なき古例さへある位なれば其係り語なくして○けれ○の結語ありとも左迄珍らしきことに非るべし。又第二百二十三頁より以後に新定十體なる者を論じたり。其論は皆文法に關する美辭學中の一小部分なれば余はこヽに之を講究するの勞を取らざるべし。
俳諧麓之栞』を把りて之を讀むにはじめに厭倦を生じはては嘔吐を催さしむるものは作例として擧げたる俳句の甚だ拙劣淺陋なることなり。蓋し此書は普通の俳書の如く古句を引きて例となさず盡く今人(著者をも含む)の作を列ねたる故にぞありける。同書の凡例に曰く▼作例ハ(*原文「作例は」)今少シク思フ所アレバ▼○故意○▼ニ近世ノゥ▼○名家○▼及余ガ社友ノ▼○佳什○▼ニシテ法則ニ適合スルモノヲ以テ之ニ充テタリ▼云々と。余等其何故に斯く近人の句計り(*ママ)を擧げたるかは知るに由なけれども思ふに古人の作例許りにては文法の變化の例として一々之れを擧ぐるに便なければなるべし。さるにても今少しは句の選び方もあるべきを初學の楷梯とはいひながら餘りなることヽ思はるヽなり。余は初めに此書を讀みし時は○故意○に今人の拙劣なるを示 さんとの著者の諷刺に出でたるものならんと思ひしが凡例を再讀して佳什云々の字あり。且つ作例中著者自身の俳句さへあるを見て始めて其選び方の眞面目なるを知りたり。余は作例中其僅に可なる者を求めしに二十餘句を得たり。若し夫れ秀逸なる者に至りては一句だも見出すこと能はず。又「▼拾遺金玉▼」と題して擧げられたるゥ作家の句にても過半は平句凡調のみ。然れども初學の余輩妄りに妄評を呈して大家て褒貶せんはあたら罪つくるわざなれば一旦は思ひ止らんとせしも(*原文「思ひ止らんせしも」)人の勸めによりて次に一斑を論ずべし。之を要するに著者は文法に精しき人なるべし。而して俳諧の趣味を解し得るの人ならざるが如し。
俳諧麓の栞」の末に「拾遺金玉」なる一節あり。蓋し方今大家の名句を拾ひ集めたるの意なるべし。されども余輩の愚見を以てすれば箸にも棒にもかヽらぬと云ふべき者だに少からず。例へば


赤蟇のかしこまりけり神の前

夏の月頻りに出たうなりにけり

笹啼(*初冬の鶯の鳴き声)いよ\/春の待たれけり

はらわたにほろりと染みぬ桐一葉

春風のあぢはひ(*原文「あちはひ」)知りぬ東山

花の山日の永いでもなかりけり

頭巾きた人さきたちて(*ママ)柳橋

うき秋も月に忘れて草枕

等の如し。其他發句といへばいふものヽ發句とも何ともつかぬ者亦少からず。


行燈もしたし夜長のふみ机

朴訥は仁者に近し毛見(*検見)の衆

右二句の如き一は韓愈の詩を飜譯し一は論語の語を應用したるまでにて何の手ネもなし。


こヽろ練る窓や木の葉の障る音

K髪の亂れはづかし朝ざくら

義にはてし髑髏まつるや枯薄

南朝の御運なげくや榾のぬし

右四句の如き月並社會の俗調に落ちずといへども亦意到りて筆到らざるものなり。

藤丸
戸の透に蓑かけ替へて榾火哉

▼かけ替へて▼」の語巧を求めて却て失す。「▼押しつけて▼」等と改めては如何。

芹舍
餘の木皆手持無沙汰や花盛り

▼手持無沙汰▼」とは尤拙劣なる擬人法にして此類の句は月並集中常に見る所なり。故に余は私に之を稱して月並流といふ(*。)余曾て句あり(*。)


大かたの枯木の中や初ざくら

○凡調○▼見るに足らずといへども猶ほ或は▼(*原文「は」に圏点を付す。)○手持無沙汰○▼の▼○いやみ○▼に勝るべきか▼呵々。

藍山
初秋のくるやまばらの松林

稍〃幽趣あれども惜い哉句法備らず(*原文「備らす」)。拙句甚だ相似たる者あり(*。)録して一粲を博す(*お笑い草までに披露する)


行く秋やまばらに見ゆる竹の籔

余「拾遺金玉」を探りて秀句五首を得たり。即ち

柳仙
から草のかれ\/淋し薄蒲團

機一
月花の遊びはじめや歌がるた

永機
山畑や雲退くあとに蕎麥の花 (其角より來る)

睡子
行く秋や籠に殘りし虫のすね (荷兮より脱化す)

蟹川
白魚とはこよなき鰭(*はた)狹物かな

或は奇警或は蒼勁皆老練の筆なり。余輩後進の及ぶ所にあらず。(蟹川の句中「▼白魚▼○と○▼とは▼(*原文「魚」に圏点を付す。)の「○と○」字除きたきものなり(*。)

發句作法指南の評

近頃其角堂機一なる宗匠あり。發句作法指南と云ふ一書を著して世に刊行す。余之を繙て一讀するに秩序錯亂して條理整然ならず唯思ひ出づるがまに\/記し付けるが如き書きぶりは猶明治以前の著書の躰裁にして今日の學理發達したる世に在りては餘り珍重すべきの書にあらずといへども此著者にして余が想像するが如く明治以前の教育をのみ受けし人ならしめば余は此書を賛美して一讀の價値を有するものなりといふを憚らざるなり。蓋し今日の如く腐敗し盡せる俳諧者流の中より此一人現れ出でヽ同學者の汚點と淺識とを指摘したるの勇氣と見識とは局外者の萬言を呶々するに勝りて愉快なるを覺ゆるなり(*。)然れども之を讀んで猶不足を感ずるの箇處多きは勿論の事にて之を詳評するに勝へずといへども一讀の際思ひあたりしことのみを擧げて著者の教を乞はんと欲するなり。
此書の始に俳諧の起原を説く中に「連歌は詞を和歌に取れる故(略)只中等以上の社會にのみ行はれしを我正風の祖師芭蕉大にこヽに慨歎する所ありて」云々と云ふは順序を轉倒せるものにて連歌を俳諧に變じたるは芭蕉にあらずして貞コにあること勿論なり。されど後段に猶芭蕉の意向を述べて「今の俳諧の如きは作意になれる者のみなれば自然の妙は絶て無き者なり」と云ひたるは確論にして且つこれによつて觀れば前段の誤謬は著者の誤解 にあらずして叙述の粗漏に出づること明らけし。又著者は稍〃「俳諧は滑稽なり」と云ふ釋義に拘泥して故らに戯譃に傾きたる俳諧を引用して例となし且つ其主旨を演繹して「蕉翁晋子(*其角の号)を賞せられしも此道の第一義と立たる滑稽の他に拔でたる故ならん」と云ふに至りては其論甚だ妙たる(*ママ)が如しといへども終に我田へ水を引くの誹りを免かれず。其角の滑稽に妙を得たるは眞實にして著者の言當れり。唯滑稽を以て發句の本意とするに至りては其説甚だ(*原文「甚た」)誤れりと謂ふべし。然れども著者の滑稽の意義を解すること太だ(*原文「太た」)曖昧にして時として意を異にするなきかの疑を存せざるを得ざるなり。
發句作法指南に、發句の調格と題して、其中に「發句は纔に十七字なれば(略)和歌の如くひたすら優美なる姿を述る能はざる者あり(*。)故に和歌よりは一層區域を弘めて俗言平語を交へ嫌ふなきなり。かヽれば姿は第二義として感を第一義とす。さればとて優美を嫌ふ者と思ふべからず(*。)」云々とあるが如きは至當の論なり。然れども姿の亂れたる例として。(*句点ママ)

芭蕉
枯枝に烏のとまりけり秋のくれ
其角
ひなのさま宮腹〃にまし\/ける
蕪村
柳散り清水かれ石ところ\/

といふ字餘りの三句を擧げたるは未だ以て讀者の心を飽かしむるに足らず。▼何となれば(*原文「何となれは」)姿 即ち句調の善惡は必ずしも字數のみに關せざるなり。▼若し句調は字數の上のみにありとせば三十一文字に限りたる和歌の上に姿を論ずるの必要も無く隨つて定家卿抔が姿に就きて喋々と言葉を費さるヽ事も無き筈なり。和歌既に然りとせば發句亦これなくして可ならんや。例へば

芭蕉 (*岸本公羽の作ともいう。根木は根の付いた倒木。)
川中の根木によろこぶ凉み哉

といふ句を試みに


よろこんで凉むや川に出る根木

といひかへんか。其心は同じ事なれども其の格調に至りては天壤の差あること勿論なるべし。又

正秀
默禮にこまる凉みや石の上

といふ句を


石の上もく禮こまる凉み哉

と改めなば如何。▼僅かに言語の位置を顚倒せしに過ぎざれども猶其句調は原作に▼○劣るを見る○(*原文「る」に傍点を付す。)▼べし。▼近時の書生にして俳諧を學ぶ者皆意到りて筆隨はざるの憾あり。蓋し其思想は豊富なれども未だ格調に於て到らざるものあるによらざるを得んや。
發句作法指南」の中に「發句に雅調と俗調の別あり」と題して其中に「卑俗とは詞の上をいふにはあらず心の卑俗なるをいふ、(*引用文原文は読点で文を区切る。以下同じ。)(略)其の卑俗の調といふは縱令ば(*ママ)


家内皆まめでめでたし歳の暮

といへる類是れなり、此句の如きは詞の上卑しといふべき處は露ばかりもなけれど其心は無下に淺ましき俗調なり、此句を或人が


何事もなきを寳ぞ(*原文「そ」)歳の暮

と直したるは▼雅致淺からず、姿もいと高し▼」云々とあり。余は一讀して稍怪しむ所あり。乃ち再三之を讀む。而して其意を得ず。初めに○心の卑俗○といへるは善し。然れども家内云々の句を何事も云々と改めて其心に幾何の差異ありや。余は兩句を比して其心は全く同じく只其姿變ぜりといはんとするなり。又其姿は孰れが可なるといふに著者は「○姿もいと高し○」と判斷して後句を譽めたれども余は後句に比して寧ろ前句の眞率なるを取る者なり。(尤其句の凡俗なるはいふまでも無し(*。))此の如き甚だしき過誤は後生を誤ること多からんに注意ありたき者なり。又同書に「▼發句の沿革▼」と題して「發句の世に行はるヽ事、凡そ○二百餘年○、其間を大別して○三○となさんに守武宗鑑より貞コ季吟に及ぶ(*、)之を其一とす、」云々と説き出したり。然るに守武宗鑑は今を去る事大略○三百五十年○位前の人なれば○二百餘年○とは痛く違ひたり。 又時代を○三○に分つとありて第一のみを擧げ第二第三の區別無きは不審なることなれど大方は活字の誤植か校正の粗漏によりしなるべし。さはいへ數字の誤謬程害の多き者あらざれば著作編輯に從事する人は尤謹まざる可らず。又同書に▼切字▼并に▼てにをは▼を論じて「此發句の切字といふは一種格別に設けたるものにて歌と同樣に論ず(*原文「論す」)べき者に非ず」と云ひしは卓見なれども「▼てにをは▼と唱ふる者は自ら其詞に備りてある故、眞心のまヽに云ひ出れば(*原文「云ひ出れは」)知らず\/自ら叶ふ者なり、(略)格に變あらば格にあらず」といふが如き餘り文法を輕蔑したる言ひ方にして余は其の一理あるに拘はらず之れを評して「俳諧麓栞」と共に兩極端に走る者なりと云はんとす。
發句作法指南」の中に「發句の感あると感なきと」と題を掲げて白全といふ人


首向けて眠り催す榾火かな

と作りしをある人一讀して扨もあぶなき句を詠まれたりといへば白全忽ち悟りて


背向てあぶながらるヽ榾火哉

と改めたることを記載しそれにて一座の秀吟となりし由をも言ひたり。然れども余が見る所を以てすれば後句稍曲折を求めて却て卑俗に陷り一の妙味なし。寧ろ前句の淡泊無味なる こそ面白かるべけれと思ふなり。
同書に「蕉翁の六感」と題して其角嵐雪去來丈草支考野坡の六門弟の句を芭蕉の感賞せしよし記し且つ其句を掲げたり。こは誰が言ひ傳へしことか知らねども蕉翁の感賞せりと云ふは誤謬なるべし(*。)其證は去來の部に「實なること去來に及ばず」と書きて

去來
應々といへど叩くや雪の門

といふ句を載せたり。然るに去來の此名什は蕉翁歿後の作なる事去來抄に詳なれば爰に去來抄の一部を抄出して示さん。同書に曰く
丈草曰此句(去來が雪の門の句なり(*。))不易にして流行のたヾ中を得たり。支考曰いかにして斯安き筋よりは入たるや。正秀▼ただ先師の聞給はざるを恨るのみ。▼曲翠曰句の善惡をいはず當時作せん人を覺えずといへり。其角曰眞の雪の門也。許六曰尤佳句也。いまだ十分ならず。露川曰五文字妙也(*。)去來曰人々の評亦おの\/其位より出づ。○此句は先師遷化の冬の句なり。○其頃同門の人も難しと思へり。今は自他ともに此塲にとどまらず。
これを讀めば芭蕉の此句を聞くに及ばざること明けし。又右六感の中に支考の句として


蚊屋を出て又障子あり夏の月

を擧げたり。されど此句は風俗文選に載せたる「贈新道心辭」といふ文の終りに附けたる句 なれば丈草の作なること論を俟たず。恐らくは著者誤りて丈草支考とを入れ違へたるものには非るか。
發句作法指南」の中に「○家人擧て風雅○」といへる一項ありて「世に俳句を好む人多し(*。)されども▼夫之を好むも妻はさる心なきあり(*、)父之を好むも子其道を知らぬあり▼(*。)」云々とこと\〃/しく説き出しながら其例として僅かに曲翠一家をのみ擧げたるはいと飽き足らぬ心地すれば今余が知れるまヽに之を補はんと欲すれども盡く列擧せんは餘りくだ\/しければ其有名ならぬ者と且つ疑はしき者とを闕きてありふれたる者のみを擧げんとす。先づ其○父子○共に俳句を嗜む者は左の如し。

紹巴  ……  ┏ 玄仍
┗ 玄仲
倫里  ……   來川
昌琢  ……   昌程 智月尼  ……   乙州
蝉吟  ……   探丸 荊口  ……  ┏ 巴靜
┃ 此筋
┃ 千川
┗ 文鳥
季吟  ……  ┏ 湖春
┗ 正立
未得  ……   未琢
東順  ……   其角 提亭
(*原文「堤亭」)
 ……   苔翁
風虎  ……   露霑 (*露沾 風麥
(*原文「麥風」)
 ……   梢風尼

又其父子共に(*原文「父共子に」)相聞こゆるに非るも○兄弟○共に俳家たるもの少からず。即ち

玄陳
(*玄仍の子)
 ……   心前
(*玄仍の号)
仙風
(*杉風の父)
 ……   杉風
望一  ……   正友 牧童  ……   北枝

等の如し。又叔姪共に之を嗜むものは

正秀  ……   曲翠 半殘  ……   東來

等あり。又○夫○○妻○も之を嗜むもの多きが中に

嵐雪  ……    凡兆  ……   登米
惟中  ……    千春  ……   綾戸
加生
(*凡兆か。)
 ……   とめ 光貞  ……   みつ

等尤有名なり。又○一家數人○を出だすものには

┏ 去來
┃ 
┃ 魯町
┃ 
┗ 千子
 ……   
 風國
 
永參女  ……   
 知足
┏ 
┃ 
┃ (蝶注ネ
┃ 
┗ つね
 ……   
  

の如きあり。此外○家奴○にして俳諧に入る者、其角の奴に是吉あり。仙化の奴に吼雲あり。尚白の奴に與三あり。蓋し父子夫妻叔姪主從にして共に之を好む者は一は其遺傳により一は其椏ゥに出でずんば非ざるなり。
發句作法指南」の中に「○延寳前○▼にも▼○名吟○▼なきにあらず▼」といふ一項ありて著者の名句と認めたる俳句を擧げて之を評論したり。然れども此中の過半は延寶以後の作ならんと思はるヽなり。今手許に參考書無きを以て一々之を證明する能はずと雖ども是等の句は歴史的に考ふるに决して貞享以前に於て此の如く多くある可らざるなり。蓋し貞享の頃芭蕉の一派を開きしより後は天下之が爲に風靡し假令他門の俳家といへども多少蕉風の餘響を受けぬものは之れ無きに至れり。故に貞享以後には蕉門以外にも名句多けれども延寳以前に於ては此種の句决して此の如く多からざるなり。且つ又此項中に却りて

守武
元日や神代の事も思はるヽ
宗鑑
元日の見るものにせん不二の山
貞コ
草も木もめでたさうなりけさの春
貞室
いざのぼれ嵯峨の鮎くひに都鳥
これは\/とばかり花の芳野山

等の如き延寳以前の名句を擧げざるは餘りありふれたりとてわざとせし事にや如何。又

貞コ  (*原文「ねふらせて」)
ねぶらせて養ひ立てよ花の雨

と云ふ句を評して「此句は子を設けたる人にと端書あり、此○ねふらせて○といふ一句家に嬰兒を養育する情を盡せり、(略)夫れ嬰兒は○乳汁○▼の養ひ足れば▼(*原文「足れは」)○眠る○、若しいさヽかにても不足すれば○眠り○▼得ぬのみにもあらず▼種々の疾病是れより起り、よし幸に死せずとも生涯多病の者となる、此句は之を思ひて▼春時花を催す▼○雨○▼を▼○乳○▼に比していへる▼(*、)凡骨にあらざるなり」と長々しくいはれたり。されども余の考にては是れ大なる誤解なりと思はる。評者は「○ねふらせて○」を「○眠らせて○」と解し「○雨○」を「○乳○」に比したるが如く見ゆれども余は「○ねふらせて○」は「○舐らせて○(*原文「せ」に圏点無し。)と解し「○雨○」は「○飴○」にかけたるものと思ふなり。即ち○飴をねぶらせて○養ひたてよといふ事を▼花の▼○雨○に取り合はせたるものなるべし。總て貞コ時代の俳句は發音の同じきものにたよりて他の語をかけるが通例の詠み方にして唯其物に類似の點ありて○雨○○乳○に比するが如き事は餘り見當らぬなり。俳句に限らず總て詩歌文章を解するには▼其作者と其特性と其時代の風調(*ママ)とを知らざれば大なる誤謬を來たす▼は常のことなり。
發句作法指南」に芭蕉句解を作りて

芭蕉
行く春や鳥啼き魚の目は涙
鰒汁や鯛もあるのに無分別
七月や六日も常の夜には似ず
あか\/と日はつれなくて秋の風

の數句をも名吟の如く評し殊に秋風の句を取りて劇賞せしが如きは其意を得ざるなり。芭蕉如何に大俳家たりしとも其俳句皆金科玉條ならんや。又

芭蕉
くてもあるべきものを唐辛子

といふ句を解して「唐辛子はくても辛き者なればくてもあるべきに、さも○辛さうに燃たつ如く赤くなる事よ○▼と飽まで辛きさまなるを言ひ顯したる處▼」云々とあれどもこは全く反對に誤解したるものにはあらざるか。愚考によれば此句の意は「唐辛子は固より辛き者なればせめてきまヽにあらば目にも立たずしてよかるべきになまじひに赤くなるが故に人の目にも立つなり。▼目に立つ程うつくしければ甘くもあらんかと思へばさはなくて甚だ辛き▼者なる故に其赤き色に染まるだけが憎らし」となるべし。若し單に辛き形容とのみせんには「○あるべき者を○」の廻し方ゆるやかに聞こえて面白からざる樣に覺ゆ。
又同書其角傳の終りに
同(○寳永○○四年○二月(*稲津祇空の号)病を草庵に訪ふ
春暖閑爐に坐の吟とて

鶯の曉さむしきり\/す
此句解し難きよし世上には云へど(*原文「云へと」)去來並に支考の評に云々
とあれども去來は既に○寳永元年○に死したれば此の寳永四年の句を評すべきよしなし。こは何かの間違ひなるべし。
又同書の「或俳書にてにをはをいへる」と題せる一項は九頁の長きに渡りながら其の解説甚だ必要ならず。
「陣中○へは○便り○も○無用○と○かたく云ひつけ置たる○に○」(略)これもてにをはをのけて「陣中たより無用かたく云ひつけ置たる」(略)かくして聞ゆべきか(*原文「聞ゆへきか」)(略)
といふが如き解釋にも及ばざる事をいくつともなく例を引きて無用の辯を費したる(*、)實に兒戯に類するものにして餘りといへば餘りといふべし。
又同書に諸家の略傳を叙し又は略評を下す處多くは俳家奇人談(*竹内玄玄一著)の文章を取りて處々助辭接續辭抔を僅かに書き替へたり。古書を其儘採り用ふること既に見識なきが如くなれども其文を全く引用してこれは何の書によれりと明言し置かば固より何の罪も無き事なるに其文章の大方は採用しながら處々の言語を書き替へたるが如きは古文を剽竊して己れの文と僞 り稱するの嫌疑を免れず(*。)著者の意必ず此の如くならざるべけれど少くとも其不注意の罪は之を負はざるべからざるなり。猶此外多少の瑕瑾多かれども(*ママ)一々之を指摘するも煩はしければ其評論は止めつ。

獺祭書屋俳話 2/2 <了>