人類の誕生人類の最大の特徴は、直立二足歩行に適応したことにある。 なぜ直立二足歩行に適応していったかについては、 ![]() 直立二足歩行をするために、人類は次のように体型を変化させていきました。 脊椎骨の棘突起を垂直に立てることにより直立姿勢に適応し、骨盤が上下に短くなり横に広がることで上半身の体重を支えるようになった。また、人類特有のスライド歩行がうまくいくように、足の筋肉の付着点が変化した。大腿骨が長くなり、足底弓と親指が短くなった。脳は体に比べて大きく、逆に歯が小さくなり、上下のあごは放物線を描く形に変化した。 こうした特徴が、人類の化石と類人猿の化石とを区別している。 類人猿(注)の古い化石は、アフリカのほか、アジアでも相当古い骨が発見されているが、人類の祖先の骨は、アフリカからしか発見されていない。 (注:「類人猿」とは霊長類のうち「ヒト上科」に 属するヒト以外のものを指し、テナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラなどである。参考ページ 〜 ![]() 初期の人類についてはまだ完全には明らかになっていない。生物の遺伝子についての研究およびこれまでに発見されている化石などから判断して、およそ800万〜500万年前にアフリカの類人猿のなかから人類へ進化したものとみられている。 300万年前ころより後の期間については研究が進んできたが、これより前の期間についてはまだよくわかっていない。なぜなら、この期間については、化石が十分に発見されていないからであり、また、発見されても骨格のごく一部であったり、研究者によって判断が分かれることも多いからである。 人類最古とみられる化石の発見が現在でも続いており、ときおり、権威ある科学雑誌に発表されて新聞報道されることもある。 現在に生きている人類はすべて「ホモ・サピエンス・サピエンス」という生物学上の同一の種に属している。初期の人類には別の種もあったが、それらの種は絶滅してしまった。 (注:したがって、現生人類を皮膚の色などによって区別し「人種」と呼んでいるものは、生物学上の種ではなく、同一種をさらに細かく分類しているものである。) なお、現生人類の生物学上の学名は、次のとおりである。 【 脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・サピエンス種・サピエンス 】 【新聞報道から】 300万年前より以前の人類化石発見について、次のものが新聞報道されている。 詳細については、 ![]() トゥーマイ猿人 〜 約700万年前と推定されたが、反論も出ている。中央アフリカのチャド北部の砂漠で発見された。その場所は、当時は現在の約80倍も大きかったとみられるチャド湖の湖岸で、林もあり、さまざまな動物がくらしていたとみられる。 ミレニアム・アンセスター 〜 約600万年前のものと考えられ、ケニア北西部にあるバリンゴで発見された。、 ? 〜 約520万から580万年前のとみられる化石が、エチオピアのアディスアベバの北東約230キロの地点で発見された。 ラミダス猿人 〜 諏訪元(東京大学理学部助教授(当時))が、エチオピアのアラミスという地域で発見した。約440万年前のものと考えられている。 ケニアントロプス・プラティオプス 〜 ケニア北部にあるトゥルカナ湖畔で、350万年前の地層から発見された。 アファール猿人と同時代に、別の系統の猿人が発見されたことにより、ヒト科の進化の系統樹が見直されるかもしれない。 【人類の進化】 アファール猿人より後の期間については、いくつかの異説があるものの、ほぼ共通の認識ができつつある。 約350万年前の足跡 タンザニア北部のラエトリに、約350万年〜380万年前のものとみられるヒト科生物の二足歩行の足跡が化石となって残っている。柔らかい火山灰の上を歩いた跡が、その後のスコールによってセメント状の硬い層となったものである。長さ26cmの大きな足跡と長さ18cmの小さな足跡が並んで同じ歩幅で歩いている。また、大きな足跡には、長さ21cmの足跡があとから重なっている。 アファール猿人 約340万年前のものと推定される化石が、エチオピアのアファール地方のハダールで発見された。この化石は、個体一体の全身骨格の約40%がみつかり、「ルーシー」という愛称が付けられた。この個体は、小柄ながらきわめて頑丈な成人女性で、すでにしっかりと直立歩行に適応していた。歯は人類の特徴もいくつかみられるが、類人猿の歯に似た特徴も多く残している。 アフリカヌス猿人とホモ・ハビリス およそ200万年ほど前の人類化石が、エチオピア・ケニア・タンザニアにまたがる大地溝帯にあるコビフォラやオルドバイ渓谷、さらに南アフリカでも発掘されている。その代表的なものが、アフリカヌス猿人とホモ・ハビリスである。 従来はアフリカヌス猿人からホモ・ハビリスへ進化したと考えられていたが、アフリカヌス猿人は絶滅種で、ホモ・ハビリスが人類の直接の祖先である可能性が高いと考えられるようになってきた。 ロブストス型猿人 骨太のロブストス型猿人は、いずれの地方でも100万年ほど前まで生き残っていた可能性が高い。ボイセイ猿人は、ホモ・ハビリスと共存し、その後に現れたホモ・エレクトス(原人)とも相まみえた。それは東アフリカだけでなく、南アフリカでも同じだった。 |
700万年前 600 500 400 300 200 100 現在 ドリオピテクス─┬───────────────────────────────────────────────────────ゴリラ (類人猿) │ チンパンジー │ (類人猿) │ (ロブストス型猿人) ┌─ボイセイ猿人 │ ┌────エチオピ─┤ │ │ クス猿人 └───ロブストス │ │ 猿人 │ │ ・・・・・・・・ミレニアム・──ラミダス猿人・・アファール猿人───アフリカ ・ アンセスター : ヌス猿人 ホモ・ ・ : : : ┌──サピエンス ・ : ・・・・・・・: ┌────ハイデル (現代人) ・トゥーマイ・・? : : ホモ・エル ベルグ人 猿人 ・・・・・アナメン ・・・ケニアントロプス・・・・┌ホモ・ハビリス─ガスター │ シス猿人 ・プラティオプス └ホモ・ルドル │ └ネアンデル フェンシス │ タール人 └ホモ・ エレクトス (注:等幅フォントでご覧ください。) |
猿人 | (トゥーマイ猿人) | 約700万年前? | |
(オローリン・ツーゲネンシス(ミレニアム・アンセスター)) | (Orrorin tugenensis) | 約600万年前 | |
(アルディピテクス・ラミダス) | (Ardipithecus ramidus) | 約440万年前 | |
(アウストラロピテクス・アナメンシス) | (Australopithecus anamensis) | 約420万年前 | |
(ケニアントロプス・プラティオプス) | (Kenyanthropus platyops) | 約350万年前 | |
アウストラロピテクス・アファレンシス | Australopitheacus afarensis | 400〜270万年前 | |
アウストラロピテクス・アフリカヌス | Australopitheacus africanus | 300〜200万年前 | |
アウストラロピテクス・ボイセイ | Australopitheacus boisei | 270〜170万年前 | |
アウストラロピテクス・ロブストス | Australopitheacus robustus | 200〜100万年前 | |
原人 (ホモ) |
ホモ・ハビリス | Homo habilis | 250〜160万年前 |
ホモ・ルドルフェンシス | Homo rudolfensis | 250〜180万年前 | |
ホモ・エルガスター | Homo ergaster | 180〜150万年前 | |
ホモ・エレクトス | Homo erectus | 170〜20万年前 | |
ホモ・ハイデルベルゲンシス | Homo heidelbergensis | 60〜25万年前 | |
旧人 | ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス | Homo sapiense neandertherlensis | 30〜3万年前 |
新人 | ホモ・サピエンス・サピエンス | Homo sapiense sapiense | 10or20万年前〜 |
猿人、原人、旧人、新人という呼び方は、もう古くなってきているが、日本の教科書では依然として使われている。 猿人 「猿人」については、上でみたとおりいくつかの種があったことがわかってきた。 礫石器(れきせっき、最初の石器)は、はじめオルドバイ渓谷でアウストラロピテクス・ボイセイの化石とともに発見されたため猿人が使用したものと考えられたが、その下層でホモ・ハビリスの化石も発見されたことから、ホモ・ハビリスが礫石器の使用者ではないかとする説が有力になりつつある。発見されている最古の石器は約250万年前のもので、エチオピアのハダールで発見された。オルドヴァイ渓谷をはじめ東アフリカの各地で発見されており、約150万年前ころまで、この形の石器が使われた。 礫石器については、 ![]() 原人 「原人」には、ジャワ島で発見されたジャワ原人(直立猿人、ピテカントロプス=エレクトス)や、北京原人(シナントロプス=ペキネシス。火を使用し、言語も使っていたらしい。)、ヨーロッパのハイデルベルク人などがある。 旧人 従来「旧人」と呼んでいたネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)の化石は、ヨーロッパと中東で発見されている。旧石器時代中期のムステリアン文化(ムスティエ文化)の担い手で、石器製作技術が進歩し、狩猟技術に長じ、埋葬の風習など呪術や宗教心の芽生えがみられる。 新人 「新人」(ホモ・サピエンス・サピエンス)もまたアフリカで誕生したようである。10〜20万年前のいつか、アフリカに残っていた古いタイプの人類から新人へ進化した。そこから北上して、10万年前ころに中東へ入り込んだ。その後、寒いヨーロッパから逃れたネアンデルタール人の一派が中東へ入り、両者は長い間一緒に暮らすことになる。 おそらく3万数千年前ころ、新人の一部は、ついに氷河期のヨーロッパに進出した。ヨーロッパの先住民だったネアンデルタール人は、押し寄せる新人との生存競争に敗れた可能性が高い。3万年ちょっと前に、ネアンデルタール人の痕跡はなくなり、ヨーロッパは新人文化一色となる。 新人には、モナコ付近で発見されたグリマルディ人(黒人的特徴があり黒人の祖先かもしれない。)、ヨーロッパと北アフリカで発見されているクロマニョン人(精巧な剥片石器や骨角器を使い、アルタミラやラスコーに代表される洞窟壁画を残している。)、中国の山頂洞人(剥片石器や骨角器とともに発見された人骨)などがある。 【最近のDNA研究から】 デイヴィッド・ライク著「交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史」日向やよい訳、NHK出版、2018年 この本の117ページによると、考古学と遺伝学のデータを総合的に考察すると、現生人類と旧人類の系統の関わる主要な集団分離が、過去200万年の間に最低4回は起こったようだとしている。 1 180万年前 ホモ・エレクトスがアフリカを出る 2 140〜90万年前 超旧人類グループが分離 (注:デニソワ人の祖先。考古学的にはまだ存在が確認されていないが、DNA研究から存在が想定される。) 3 77〜55万年前 現世人類の祖先が、デニソワ人やネアンデルタール人と分離 4 47〜38万年前 デニソワ人とネアンデルタール人が分離 【LINK】 ![]() ![]() 〜ロシア・アルタイ地方のデニソワ(Denisova)洞窟で発見された人類の化石が、DNA解析などにより、第3の人類(新人)ではないかと見られているらし。 ![]() 〜片岡電業社社長の片岡和憲さんのページ。このなかで、ライアル・ワトソンの「水生のサル説」が紹介されています。非常に興味深いです。 ![]() ![]() ![]() 〜アメリカのワシントン州立大学のサイトから「人類進化の概観」 ![]() 〜アメリカのワシントン州立大学のサイトから「人の種の期間線表」 ![]() ![]() ![]() 【参考ページ】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 参考文献 「交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史」デイヴィッド・ライク著、日向やよい訳、NHK出版、2018年 「ヒトはどこからきたか 最新考古学の世界」河合信和著、朝日新聞社(朝日ジュニアブック)、1991年 「新しい人類進化学」埴原和郎著、講談社ブルーバックス、1984年 「Newton '95年3月号」から「最古の人類化石を発見した(諏訪元助教授へのインタビュー)」教育社、1995年 「Newton '98年3月号」から「飛躍とマンネリをくりかえしてきた人類史(馬場悠男著)」教育社、1998年 「イミダス特別編集 人類の起源」馬場悠男監修、高山博責任編集、集英社、1997年 「世界の歴史1 人類の誕生」今西錦司他著、河出文庫、1990年 「Japan Chronik 日本全史」講談社、1991年 「年表式世界史小辞典」文英堂、1988年 「朝日=タイムズ 世界考古学地図 人類の起源から産業革命まで」クリス・スカー編集、小川英夫・樺山紘一・鈴木公雄・青柳正規日本語版編集参与、朝日新聞社、1991年 「イラストガイド 私たちヒトの進化」ピーター・アンドリュース、クリス・ストリンガー著、モーリス・ウィルソン絵、遠藤萬里訳、発行てらぺいあ、2002年 中日新聞 CHUNICHI WEB PRESS 2000年12月5日の記事「最古の猿人化石発見」 北海道新聞の2001年3月22日、2001年7月12日、2002年7月11日の記事から。 ![]() ![]() 更新 2020/1/20 |
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