ニュースな史点2020年3月31日
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◆春なのに春なのに
なんちゅうか、ため息ばかり出ますねぇ…ついつい史点もサボり気味…というか、世間のニュースがあらかた「新型コロナウイルス」関連ばかりで、いわゆる「史点ネタ」に乏しくて書く気もわきにくかったんですよね。気がつけば一か月以上が過ぎ、恒例の4月バカが目前に迫っている状況で、その前に一本は書いておかないと、と書き始めた次第だ。
「新型コロナウイルス」が中国の武漢市を震源地として騒がれだしたのは1月下旬のことだった。その後日本では横浜港にやってきた豪華クルーズ船内での感染者続出が注目を集め、毎年アテにしていた春節休みの中国人旅行客がパッタリと来なくなって観光関連や百貨店などで売り上げが激減、という話になっていたのが前回「史点」を書いた2月上旬あたりのこと。屋形船での感染が話題になった、なんてのも今にして思えばまだ牧歌的な段階だった。
その時にも僕が「この件はこれからどうなるのか分からないので書かない」といった趣旨のことを書いていたのだが、その後「水際対策」も空しく日本各地で感染者が確認され(これは新インフルエンザの前例から予想はしたけど)、それは現在も進行中。感染拡大を警戒して2月後半から大きなイベントの中止が相次ぐようになり、今上天皇最初の天皇誕生日の一般参賀中止を皮切りに、中曽根康弘元首相の自民党葬もとりやめ、東日本大震災の追悼イベントも多くが中止に。僕に身近なところでは常磐線が原発事故以来9年ぶりに全線開通したり、「佐貫」駅が「竜ケ崎市」駅に改名といった話題があったのだが、前者はささやかに、後者は記念イベント自体行われない、という状態だった。
さらには人が集まっちゃいけないってんで、劇場の舞台公演やコンサートなども軒並み中止。東京マラソンは実施されたものの一般ランナー不参加・実質無観客という状態に。大相撲も無観客の寂しい状態で行われ、プロ野球はオープン戦を全て中止、春の選抜高校野球など多くのスポーツイベントも中止になってしまった。そもそも「不要不急の外出」自体をを避けてほしい、という話になって、在宅勤務やテレワーク、さもなきゃ会社自体が休業状態というケースも。外食産業も大打撃を受け、居酒屋などのでの酒消費量が減った分、自宅での首領が増えたというデータも。みんなヤケ酒を自宅で飲んでるのであろうか。
博物館や図書館など公共施設も軒並み休業に。僕や家族がいつも利用している市の図書館やスポーツセンターもみんな「当分のあいだお休み」となってしまい、ホントに出かける先もない状態。さらに驚いたのが安倍晋三首相じきじきの声明で、小学校・中学校・高校が全国一斉に少なくとも三月いっぱい休業になってしまったことだ。あくまで「要請」なので一部自治体では対応が分かれてもいるが、ほぼ全国で足並みをそろえた形。要請発表から実施までほんの三日ぐらいしかなく、あまりに急な話だったのでそこそこに混乱もあった。卒業式も保護者・在校生抜きで実施する、あるいはそもそも実施しないといった事態も起こり、式典に飾る花を出す業者とか女子大学生卒業式の定番の振り袖袴のレンタル業者も大打撃だったようで、とにかくあらゆる業界にダメージが及んでしまった。
中国でも厳しい措置はとられていたが、日本では学校休校やイベント中止でも「そこまでのことかな」という感じがあったのだが、3月半ばくらいからイタリアを皮切りに欧米でも感染が爆発的に広がる、いわゆる「パンデミック」の状態になると、各国では国境の封鎖、学校の休止、企業・店舗の営業停止、外出禁止、都市封鎖といったかなりの強硬手段をとってウイルス蔓延を防ごうとした。特にイタリアやスペインでは「医療崩壊」と呼ばれる事態になって高齢者を中心に多くの死者を出し、いつしか本来騒ぎの発信地であった中国のそれを越える被害を出してしまった。著名人でもモナコ大アルベール2世、イギリスのチャールズ皇太子、同じくイギリスのジョンソン首相といったVIPにも感染者が出て、芸能人でもトム=ハンクスや志村けん、このほか各種プロスポーツ選手にも次々と感染例が出て来ている。
こうした状況を受けてあれよあれよという間に今年7月に開催が迫っていた東京オリンピックも来年への延期が決定。中止にならなかっただけマシ、と考えている人も多いようだが、割と直前まで「予定通りにやる」と言っててこれだから、今後の展開次第ではどうなるかわからない。
麻生太郎副総理だったか、「呪われた五輪」と口走ったように、この東京五輪は決定の直後からいろいろとトラブルが多く、エンブレム盗作騒動、国立競技場デザイン問題、招致をめぐる買収疑惑(今日になって電通幹部に巨額のカネが、なんて話が出てきた)、マラソン会場が札幌にいきなり移転…とまぁ、あれやこれやいろいろあった。ここに来てよもやの延期だが、来年できるという保証もないからなぁ。そもそも「2020年東京決定」となった時に、それがアニメ「AKIR」の設定とおんなじで不吉だ、という話もあったんだよな。昨年の大河ドラマ「いだてん」でも詳しく描かれたが、「東京オリンピック」は1940年開催が予定されていて戦争のために中止になった前例があり、今回は史上初の「延期」という事態も経験することになっちゃったわけだ。
こんな記事を書いてる間にも事態はどんどん推移している。感染はさらに世界各国に広がり、一時は世界中から病原国扱いされてた日本も含めた東アジア諸国よりもそれ以 外の国々での感染が深刻になり、気がついたらアメリカが最大の感染者、死亡者を出す国になってしまっている。一方の中国は一応終息の状況ということらしいが。
日本でも海外からの帰国者からの「感染第二波」が広がり、あくまで「要請」という形だが、都市部での「不要不急の外出の自粛」が進められている。都市封鎖、「ロックダウン」さらには政府による「緊急事態宣言」まで現実味を帯びて来る始末で、とうとう僕の住む市の病院でも院内感染が起こって、ますます危機感は身近なものになってきている。
人類史上、こうした疫病の大流行は何度かある。古くは天然痘やペストでかなりの人口を減らした例もあるし、今回なにかと引き合いに出される第一次大戦末期から大流行して数千万以上の死者を出したと言われる「スペインかぜ」という近い時代の例もある。この「スペインかぜ」という名前、戦争中ということもあって各国が情報を伏せるなかでスペインの被害が大きく報じられたためにその名がついてしまったのだが、今回の新型コロナウィルスについて「武漢ウィルス」だの「中国ウィルス」だのと呼びたがる人たちがいたりしますな。
今度のパンデミックに小松左京のSF小説「復活の日」を連想した人も多い。僕は映画化されたものを見ただけだが、あれは兵器として開発されていたウィルスを輸送中の飛行機がアルプスに墜落、そこからウィルスが漏れてイタリアで大流行、「イタリアかぜ」と呼ばれるという展開があった。経緯は異なるが、今回イタリアで医療崩壊が起きて深刻な被害が出たという報道映像を見ていると、どうしても「復活の日」を連想してしまった。ごく一部の憶測、噂レベルの話ではあるが、今回の新型コロナについて「細菌兵器説」が流れているのも「復活の日」の影響じゃないかって気もしている。
「復活の日」のウィルスは兵器だけに凄まじい致死率で、地球上の人類のみならず多くの生物を絶滅に追い込んでしまう。ただ南極だけは低温のためにウィルスが広がらず、南極観測に来ていた人々や原子力潜水艦の乗員だけが生き残る。今回の新型コロナもアッという間に五大陸に広がり、残るは南極飲み、という状況になっていて、これもこの話を連想させるところはあった。
不幸中の幸いにも、少なくとも現時点ではこの新型コロナウィルス、「復活の日」のウィルスに比べれば圧倒的に致死率は低い(だから「細菌兵器」にしてはかなり弱い)。高齢者やすでに疾患を持っている人で重症化しやすいのは確かなようだが、これについても従来型のインフルエンザだって高齢者など多くの死者を出しているのに騒がれもしない、という指摘もある。ひところ騒がれたSARSみたいに、人類とは当たり前のつきあいになっていつしか話題にならなくなる、という可能性もあるのだが、一方でどこかでこのウィルスがまた変異を起こしてより凶悪なものになってしまう可能性だってある。
短期的にはこの新型コロナのために世界中のあらゆる方面で経済的打撃が出ていて、ニューヨークの株価も記録的な大暴落・急上昇を繰り返していて、一時的かもしれないが世界恐慌並みの失業者が出るとの話もあって、少なくとも今年から来年までの世界経済はリーマンショックを越えるダメージを出してしまいそうだ。相手が目に見えないものだけに、その蔓延の終息・収束もいつになるやらわからず、それが「ぼんやりした不安」を世界的に広げている。それにしてもマスクはともかく、トイレットペーパーの買い占め騒動が日本だけでなく世界各地で起ったのには、ああ、あれは日本人だけの特性ではなかったんだとヘンな安心をしてしまった。
僕の住む茨城県は関東では最後まで感染者が確認されず、全国都道府県の中でも感染者確認が遅れた県だったので一部で「納豆パワー」とささやかれていたようだが、残念ながら外国からの帰国者で感染者が次々確認され、とうとう数日前からは僕の住む市にある病院で院内感染で複数の感染者が確認される事態となって、話がますます身近になってきてしまった。
心配事を書き出すとキリがないし、書く方も読む方も気分が重くなるので、少しは明るい話を書いておくと、このコロナ騒動のために世界各地の紛争や経済的もめごとが「一時休戦」の状態、あるいはそうなる可能性が出ている。グテーレス国連事務総長もウィルスを「全世界共通の敵」と呼んで世界の結束を訴え、こうした感染症にもっとも無防備な戦争・紛争地域をなくさなければならないとして世界に停戦を呼びかけている。「共通の敵の前には結束する人類」というのもしばしばSFのテーマになってきたものだけど、それがホントに実現する事態というのは、病気の方がもっと深刻になる必要があったりするのかもなぁ…
◆シン・仁義なき戦い?
もうずいぶん前になるが、当「史点」で「つくる会仁義なき戦い」という記事を書いたことがある。あの「新しい歴史教科書をつくる会」の壮絶な内ゲバ人間模様を映画「仁義なき戦い」のパロディ仕立てで書いたもので、二重にマニアックなだったのだが(笑)、その後ネット上某所でウケてる人にはウケている、ということを知って嬉しくなたこともあった。
まぁ映画化してみたくなるほどハタから見てると面白い「つくる会」内紛だったが、2007年に分派したグループが「日本教育再生機構」を立ち上げ、それまで「つくる会」を支援していた産経新聞・扶桑社はこの分派グループ側を支持して新会社「育鵬社」から彼らの執筆した教科書を発行、「つくる会」側は後ろ盾を失うことになった。「日本教育再生機構」の中心人物は安倍首相のブレーンと目されてるほどだったから、「つくる会」はなおさら苦境に立たされることになった。どうにか「自由社」という出版社から「つくる会」の教科書発行を続けて一部の学校が採用もしていたのだが、ひところの勢いは明らかになかった。ちょっと前には「はだしのゲン」を攻撃してかえってヤブヘビになるという一幕があったりしたけど。
さてこの年度末、次々年度(令和3年度)から使用される中学校教科書の検定が文部科学省で進められ、3月24日にその結果が公表されたが、それに一か月も先立つ2月21日に「つくる会」は記者会見を行い、自分たちの「自由社」の歴史教科書が検定不合格をくらったこと暴露、文科省に撤回を要求したのだ。こんな記者会見も異例だし、文科省の公表のはるか前の暴露も異例、さらに言えば教科書検定で「一発不合格」となってしまったのも、これが初めてのこととなる。
これは一つには今回の検定から新ルールが定められたため。以前は教科書の記述にいくら検定意見がついても修正して再申請すれば合格できたのだが、検討の時間を十分に確保するため、というよく分らない理由から、「著しく検定意見がついた教科書は一発不合格」というルールになったのだ。著しく、というのはどのくらいかというと、「教科書ページ数の約1.2倍の数」の検定意見がついた場合、ということだとか。今回「自由社」の歴史教科書には405箇所もの検定意見がついてしまったため、一発不合格がさっさと決まってしまったというわけだ。なお3月末に文科省が公表した数字を見ると、やはり「自由社」の歴史教科書への検定意見数は他の社のものを圧倒していて、前回の検定時も同社の歴史教科書は358箇所もダントツトップの検定意見をつけられていた。だから新ルールにひっかかってしまうのは必然だったようにも思える。
ただ、このルール自体が、最初から「自由社」つまりは「つくる会」の歴史教科書を排除する目的で作られたのでは…と「つくる会」側でなくても思ってしまうところはある。「つくる会」は明らかにそれを疑っていて、おまけにその検定意見の7割以上が「生徒に理解しがたい」「誤解を招くおそれがある」といった、誤記とか史実に反する記述ではなく感覚的な意見であったため、「最初からウチの教科書を排除するつもりで検定したんじゃないのか」とも口にしている。「つくる会」の歴史教科書だけにその不合格を喜ぶ人たちも少なからずいるようだが、例えば毎日新聞のように文科省の検定姿勢が恣意的では、と疑問を呈する記事を出したところもあった。あ、産経新聞は「つくる会」とは微妙な関係だが、今回の件では文科省を批判する記事を多く載せている。彼らに言わせるとより「自虐的」な教科書が合格しているのがよけいに気に入らないのでもあろう。
具体的な検定意見の例がいくつか記事にされていた。405箇所のうちのごく一部だが、「つくる会」側では特に「理不尽」と感じたものを選んだものと思われる。面白いといえば面白かったので、いくつか紹介しよう。
まず時代区分について、「古代」の範囲を「アフリカでの人類発生から平安時代まで」としたこと。日本史における古代の終わり、中世の始りは平安時代の院政期とするのが通説だからそっちは問題ないが、その始まりを「人類発生」にまでさかのぼらせた例はないんじゃないかと。完全な間違いとは言わないが、普通は人類が文明を起こして「歴史時代」に入ってからの時代区分だろう。「替え歌メドレー」で「アンモナイトだね〜♪ああ、ああ、古代の化石さ♪」という歌詞があったから広い意味での「古代」って使い方はあるんだけどさ(笑)。
いわゆる「仁徳天皇陵(大山古墳)」について、被葬者を仁徳天皇と断定した上で「世界一の古墳に祀られている」とした記述にも「誤解のおそれ」と意見がついたが、これは「祀られる」ではなく「葬られる」にすべきとのことで。まぁ葬ると同時に祀っているのも事実だから、これもそう間違ってはいない。むしろ被葬者を仁徳天皇としたことや「世界一」の根拠を示す必要がありそう。
聖徳太子の記述についても意見がついていた。聖徳太子については先ごろ、「聖徳太子という名前や業績は後世に作られたもので厩戸王とすべき」との意見が話題になったことがあったが、意見がついたのはそのことではなく、「聖徳太子は内政でも外交でも、8世紀に完成する日本の律令国家建設の方向を示した」との記述に「生徒が理解しがたい」とクレームが。聖徳太子が中国・隋の制度や文化の導入を図ったかもしれないが、彼の時代から一世紀もあとに確立する「律令制」にまで話を結びつける必要は確かにあまり感じない。これも厳密には間違っちゃいないとも思うんだけど。
豊臣秀吉による、明制服を企図した朝鮮への侵攻について、この教科書では「朝鮮出兵は16世紀では世界最大規模の戦争」と記述していて、これに「生徒が誤解するおそれがある表現」「確立した見解ではない」との意見がついた。この朝鮮侵攻が世界史的にも大規模な国際紛争であったのは確かだろうが、何をもって「世界最大」としたのかは僕もよく分からない。そもそもなぜそんな記述をしたのか。世界最大規模ってことで自慢する意図でもあったのか?それで敗北してちゃダメでしょ、って話だし(これは太平洋戦争をアジア解放の聖戦とか言う話にも通じるな)。
やはり間違ってはいないけど、なぜそれをわざわざ書いたか、と思ったのが関ケ原の戦い関連の記述。本文を読んでないがどうも長州藩の歴史に関わるくだりと思われるのだが、毛利輝元について「関ヶ原の戦いで西軍の大将格として徳川軍に敗北」との記述に、「輝元が関ヶ原の戦場に参加したかのような誤解をあたえる」との意見がついていた。関ケ原というと中学歴史では西軍は石田三成を実質的主将と説明するのが通例で、実際には大名としての格から形式的な総大将として大阪城にいて戦場にはいかなかった毛利輝元に触れることはまずない。いささかマニアックな記述だが、その結果領土を大幅に減らされてその後の長州藩があるという流れを語ろうとしてるんだろうか。
その長州藩と薩摩藩との「薩長同盟」の仲立ちをした、と今も中学歴史で習う坂本龍馬について、「つくる会」教科書では「土佐藩を通じて徳川慶喜に大政奉還をはたらきかけたといわれている」と記述し、これに「龍馬の実際の行動と誤解されるおそれがある」と検定意見がつけられた。龍馬が大政奉還の立案者とする「竜馬がゆく」的な見方には学術的には疑問もあるからだが、「つくる会」の記述の仕方も「といわれている」と微妙にごまかしてるんだよな。他の歴史参考書でも太平洋戦争開戦の陰謀史観を紹介して「〜という意見もある」とか書いていたっけ(笑)。
マニアックだなぁ、と思ったのは他にも、中華人民共和国成立のくだりの記述にもあった。いや、これはむしろ検定意見の方がマニアックなんだけど。「つくる会」教科書では「中華人民共和国(共産党政権)成立」という記述があったのだが、これについた検定意見が「成立時の中華人民共和国は連合政権」だとして「生徒が誤解するおそれのある表現」とするものだった。「え?そうなの?」と驚く人も多いだろうが、これは検定意見も間違ってはいない。ただ実質的には共産党政権と誰もが思ってるし、僕も実際に塾の現場でそう教えてるくらいで、正直なところ「そこまで言うかな」と思う検定意見ではある。
このほかにも、「それはないんじゃないか」と「つくる会」側に同情しちゃう検定意見もあった。それは恐らく直近の歴史を扱ったと思われる部分で、「新元号は〇〇と決められ」という記述に「生徒にとって理解しがたい表現」と意見がついたというのだ。「〇〇」の部分は申請段階では新元号「令和」の発表前だったため仕方のない表現だったのだが、そこにイチャモンがついたということだ。「つくる会」のそうした説明の通りだとしたら、確かにムチャクチャなイチャモンである。
記事で紹介されたのはこれだけなので、他の200箇所以上がどんなものだったかは分からない。「つくる会」のことだし、特に近現代史でもっとひどい記述があるのかも知れず、紹介されたのはその中で「つくる会」側が文句を言えそうなものが選ばれてるのかもしれない。だが文科省側が最初から「つくる会」歴史教科書を不合格にする意図をもって検定を行った、という見方は、あながち「つくる会」側の被害妄想とは言い切れない気はした。なにせ一発不合格という、かなり無慈悲で一切救済のない措置である。不合格じゃそもそもどこも採用できず、教科書としては死刑宣告に等しい。同社の公民教科書は合格しているのだが、注目されやすい「つくる会歴史教科書」を文科省が目障りと思っていた可能性ああるんじゃないかと。
現在の安倍政権は、安倍さん自身が保守業界では昔から神のように崇められる存在ということもあってかなりの右寄り政権とみるのが通例だが、その一方で案外その方面の意向に沿わない政策を実行しちゃったりすることがある、安倍さんがそれをやると不思議にみんな黙る、という話は前にも書いた。安倍政権になってから歴史教科書の記述もさぞや右寄りに…と予想した人もいたと思うが、産経が悔しがってるようにむしろ傾向はアベコベで、彼らのいう「自虐化」の傾向が見えるほど。まぁそれとは別に、先述のように「つくる会」から対立・分派した「日本教育再生機構」の方が安倍さんに人脈があるので、文科省が例の「忖度」を発揮して「つくる会」つぶしに走ったかもしれない。
あと、憶測にすぎないが、今年の四月に中国の習近平国家主席の国賓待遇での日本訪問が予定されていたことも影響したかもしれない。ご存知のようにこの訪日は新型コロナ問題で秋以降にお流れになってしまったのだが、日本の右派・保守派業界ではこの訪日に反対する言説が年明けからにぎやかだった。「つくる会」も例外ではなく、その公式サイトで訪日反対をわざわざ掲げていた。
それが直接的にひっかかった、というわけではなく、習主席来日直前に以前から存在を知られている「つくる会」の歴史教科書が検定合格、となると妙な波風が立った可能性はある。現在の安倍政権は韓国とは何かとやりあってるが、そのぶん中国とは関係修復を進めていて、今度の訪日を国賓待遇に、というのも官邸の強い意向が感じられ、それだけに検定結果発表のタイミングに神経質になっていた可能性はある。これだって文科省側が「忖度」してたってことかもしれないけどね。
「つくる会」側は文科省に先駆けて結果を公表し、3月中にも抗議集会を開く予定だったが彼らには不運なことに新型コロナ騒動で4月に延期、そちらも開けるかどうか微妙な状況になっている。
ちなみに文科省の公表によると歴史教科書で一発不合格をくらったのは他にもう一社あった。それは「令和書籍」という、名前からして昨年春以降に作ったとしか思えない出版社だが、実はここが出した歴史教科書の執筆者はあの「明治天皇の玄孫」を看板にして先祖の名をはずかしめてる感のある竹田恒泰氏なのだ。中身は読んでないがまぁ察しはつくし、最初から不合格を狙って執筆したものと思われる。なぜって文科省の公表より先に「不合格教科書」と題して一般書籍として販売してるんだもん(笑)。みんな分かってるようで、産経すらもこの教科書には全く触れてない。
◆アメリカのいちばん長い戦争
どうもアメリカ合衆国という国家は、「独立戦争」からその歩みを始めたこともあってか、アメリカって年がら年中戦争をしている国というイメージがある。まぁ日本だって明治から敗戦まではずっと戦争ばっかやってたように見えるけどね。
第二次世界大戦以後でも、アメリカは朝鮮戦争やらベトナム戦争、冷戦終結後の湾岸戦争、イラク戦争といろいろやっているのだが、つい先日、そのアメリカが「史上最長の戦争」を終結させることになった、という報道があって、一瞬「え?いったいどの戦争の話?」と思ってしまった。、この戦争、「〇〇戦争」といった一般呼称はついていないものの、アメリカ軍によるアフガニスタンでの「対タリバン」の戦いがその「最長の戦争」なのだった。
2001年9月11日、アメリカにおける航空機を乗っ取っての大規模同時多発テロ、いわゆる「9・11テロ」が起こった。犯行の主体はオサマ=ビン=ラディンを首領とする組織「アルカイダ」で、そのオサマ=ビン=ラディンら幹部は当時のアフガニスタンのタリバン政権と結びつき、かくまわれていると考えられていた。そこで当時のアメリカ政府は直後にアフガニスタンへの「報復戦争」を開始し、タリバン政権を打倒、アフガニスタンに新政府を樹立させて国内のタリバン勢力をどんどん追いつめ、オサマ=ビン=ラディンもすぐにも捕まるかという勢いを見せた。
ところがアメリカは2003年からイラク戦争に乗り出してしまい、アフガニスタンの方はタリバン側の反撃やらテロやらが伝えられ、オサマもいつまでたっても見つからず、アフガニスタンは不安定な内戦状態のままだった。イラク戦争の方もサダム=フセイン政権を打倒したあとの混乱がいつまでもやまなかったが(それが現在のシリア情勢にまでつながっている)、その陰でアフガニスタンの方も延々とアメリカ対タリバンの戦争が続いていたのだ。
2017年にアメリカにトランプ政権が誕生すると、この政権は「アメリカに損なことはしない」という感覚からか、世界各地に派遣している米軍の撤退を進め、この流れで延々と続いているアフガニスタンでの軍事活動も終わらせようとした。2018年からアメリカとタリバンとの間で交渉が進められ、紆余曲折の末に今年に入って話は具体的に進展、2月29日にカタールで両者は和平合意に署名、アメリカ軍およびNATO軍は14カ月以内にアフガニスタンから撤収することが決まり、一応「アメリカ最長の戦争」は2001年以来18年余りで終結する見通しとなった。
もちろん、ことはそう簡単にはいきそうにない。合意のあとでもタリバン側の攻撃とそれへの反撃といったドンパチがあったと報じられているし、そもそもタリバン自体がアフガニスタンでは「反政府勢力」であって、その勢力はまたまた拡大傾向にあり(全土の12%くらいは支配してるらしい)、アフガニスタンの内戦状態は続いたままだ。
アメリカだってアフガニスタンをそのままほったらかしにして撤退するわけにもいかないから、アフガニスタン政府とタリバンとの和平実現のはたらきかけをやってはいる。しかしこれだってこれまでの経緯が経緯だから簡単にまとまるわけがなく、これを書いてる3月末の時点でも両者の交渉が進んでる様子は全くない。タリバンにしてみりゃ以前は政権とってたこともあるわけで、勢力が回復してるのに今さら和平してどうする、って気分もありそうな気がする。それにしても9.11テロの直後にタリバン政権自体はあっさりと崩壊したんだけど、彼らのしぶとさには恐れ入ってしまうところもある。そりゃソ連愚の苦戦するわ、と。今のところだとアメリカ軍さえも「撃退」した形になってしまうかもしれない。
そして、困ったことにアフガニスタンの政府自体が混乱状態。もともと「北部同盟」などの反タリバン勢力がアメリカの後押しで作った寄り合い所帯なのでおよおそまとまりを欠いていて、ただいま現在、なんと「大統領」を名乗る人物が二人いるという、日本の南北朝時代みたいな状態になっているのだ(そういやベネズエラもそんなことになってたけどどうなったんだっけ)。
アフガニスタンでタリバン政権崩壊後四度目の大統領選挙が実施されたのは昨年9月のこと。公表されている結果では、現職のガニ大統領が得票率約50%という微妙な数字で再選されたのだが、次点で得票率39%とされたナンバー2のアブドラ前行政長官(元「北部同盟」外相)が選挙の不正を訴えて自分こそが勝者だと主張、3月9日にこの二人がそれぞれに「大統領就任式」を挙行して「二人大統領状態」になってしまったのである。
そもそも前回の大統領選挙でもこの二人はモメていた。途中まではアブドラ氏優勢に進んでいたのに、決選投票でガニ氏が逆転勝利したことから、アブドラ氏側はこの時も結果をなかなか認めようとしなかった。そこでガニ大統領はナンバー2の行政長官の地位を彼に与えることでどうにか政権を成立させた経緯がある。それだけにアブドラ氏側も二度目の譲歩とはいかない、というわけだ。アブドラ氏は元「北部同盟」の外相として国際派でもある上に「北部同盟」の将軍など有力者のバックアップもあってかなりの強気。「我こそが正統の大統領」という姿勢を今も崩していないとされる。
もっとも、ロイター通信のインタビューにアブドラ氏は「閣僚の4割を自分の派閥から出すこと」「タリバンとの和平交渉を自分が主導すること」などをガニ大統領側に要求したといい、彼が「大統領就任」を強行したのも実は条件闘争に過ぎないんじゃないか、との見方も出ているようで。
アメリカは当然ガニ大統領を支持していて、そちらの就任式に代表を出席させてもいるのだが、正直なところ安定政権を作ってくれるならどの政権でもかまわん、という気分だろう。思い返せば「9.11テロ」直前まではタリバン政権とかなり接近していたこともあったんだから。
◆うしろ、うしろー!
もう一つ新型コロナ関連の記事を書くことになろうとは…と思いつつ、この件には個人的にも「歴史的」なこととして取り上げないわけにはいかない。
この「史点」の執筆を進めていた3月30日の午前10時過ぎ、新型コロナウィルスに感染して入院が報じられていたコメディアン・志村けん(70)の訃報がテレビで報じられたのだ。入院後、一部で重篤説が報じられていたので、そういうこともありえるかなと思っていたところがあったが、いきなり「死去」と知らされると愕然とした。「志村けん」という人は、特に僕の世代にとって単なる有名芸能人という以上に身近な、物心ついたころから慣れ親しんだ存在で、例えるなら「近所でおなじみの面白オジサン」か「年齢が上の同級生の友達」といった人だった。「70歳」と聞いて、若死にと思うと同時に、もうそんな歳になっていたのか、と感慨深くもあった。
2004年にドリフターズのリーダー・いかりや長介が亡くなった時も「史点」で書いたが、まさかその次に志村けんで買うことになろうとは…
志村けん、本名志村康徳さんが生まれたのは1950年2月20日で、つい先月に古希を迎えたばかりだった。厳格な教師を父に生まれたが、小学校時代からお笑いと音楽にのめりこんでいた。1966年にビートルズの来日公演を武道館まで見に行っているが、のちにメンバーとなるドリフターズがこの公演の前座をつとめていた、という縁がある(ただし志村が観客にいた日にドリフは出演していなかった)。
高校生の段階でお笑い芸人の道を決めていて、由利徹に弟子入りを申し込んで断られたこともあったという。お笑いと音楽の方向性から、本来コミックバンドであるドリフを選び、高校卒業間際にいかりや長介の自宅に押しかけて玄関で長時間待ち、弟子入りを志願。これをきっかけにドリフの付き人になれるのだが、脱走して出戻りしたり、他の芸人とコンビを結成してまた付き人に戻ったりと下積み時代の波乱がある。一番年の近い加藤茶の付き人兼居候になったが運転免許がなかったんで加藤に運転させる「態度のでかい付き人」だったとの逸話もある。「出戻り」の際にも加藤が口添え役だった。
1974年、「8時だヨ!全員集合!」などで人気絶頂になっていたドリフターズから、荒井注が脱退を表明。それを埋める新メンバーとして志村を加入させることが決まる。1974年3月30日(奇しくも志村の訃報が伝わったのと同じ日付)の「全員集合」で荒井から志村へのメンバー引き継ぎが披露された。それから間もない時期の「全員集合」のコントをDVDで見たことがあるが、この時期の志村はまだギャグが滑ってる感じで、2年ほど芽は出なかった。
そして1976年、志村は自身の故郷の音頭をアレンジした「東村山音頭」のネタが大ヒットとなり、ここから志村の快進撃が始まる。このあたりから僕も記憶にあるところで、僕が物心ついて「全員集合」を見始めたころにはすでに志村は番組のメインの存在だった。コント全体はいかりやが中心となって作っていたらしいが、特に番組の面である「前半コント」は志村がストーリーの主役にすえられていることが多く、笑いの大半は志村のボケだった。お化け屋敷ネタのコント(遺跡の探検ものとか、当時ヒットしていた「市川崑金田一シリーズ」のパロディなど)で、志村の背後にお化けが迫るが志村が気づかない、というシチュエーションが多く、そこへ観客の子供たちが「志村、うしろ!うしろー!」と口々に叫ぶのが定番となっていた。僕もこの「志村、うしろ!」の世代と自称している(笑)。いわゆる「団塊ジュニア世代」、第二次ベビーブーム世代ってことですな。
「全員集合」の名物となったものの多くが志村関係で、なぜか社会現象化した「カラスの勝手でしょー♪」や、加藤茶とコンビでの大道芸「ヒゲダンス」、仲本工事との「ジャンケン決闘」(西部劇風のセットで、撃ち合いではなくジャンケンをし、負けた方が罰ゲーム)などなど、1980年前後に子供だった人(まぁ男子中心だろうけど)なら誰もが知ってるはず。中でも「ジャンケン決闘」で「最初はグー!」とやるのは、もともとドリフメンバーやスタッフとの飲み会で支払いを決めるジャンケンをする際、みんな酔ってるせいでタイミングが合わないのを志村が「最初はグー!」と声をかけて合わせたのが始まりとされ、今や「全員集合」など見たこともないはずの世代までがごく自然に「最初はグー!」と言ってからジャンケンをするものだと思っているほど国民的に普及してしまった。
このほかにも挙げればキリがないほど、多くの名作コントや一発ギャグがある。代表作となった「バカ殿様」も「全員集合」「ドリフの大爆笑」の中から生まれて独り立ちしたものだ。
1985年に「全員集合」はついに放送終了。視聴率が落ちてきた末期にはネタ作りも志村中心になっていたらしい。そして後番組が「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。これ以後は不定期の「ドリフの大爆笑」以外ではドリフ全員がそろうことはほとんどなくなり、他のメンバーが俳優業などにも進む中で志村一人はお笑いに徹してほぼピン芸人状態になっていった。
90年代以降になると、僕などは「志村けん」というと「まだ頑張ってる懐かしい人」といったイメージになっていたが、1996年ににわかに「志村けん死亡説」が流布する騒ぎが起きた。今でも原因がはっきりしない謎の現象で(インターネット普及以前でパソコン通信で広がった)、本人が出現したことで短期間で収束したがかなりの広がりを見せたのは事実で、それが彼の存在が「国民的」なものであることを思い知らせもした。
その騒ぎから20年以上が過ぎて、今回不意打ちのように訃報を知ることになってしまった。以前の騒ぎもあったから「嘘だろ」と反応する人も少なくなかったと思う。それも今世界的に話題の新型コロナウィルスに感染してのあっけない死、ということでなおさら哀しいものがあった。コロナ感染で亡くなった人の措置として親族もその最期に立ち会えず、遺体の火葬・お骨上げも参加できず、お骨になってから引き渡しになったということで、それがまた寂しい限り。本人もまったく予想もしないあっけない死去で、今年はNHKの朝ドラや山田洋次監督の映画主演など新たな活躍を控えていたというのも残念な限りだ。
その訃報は国内だけでなく世界的にも報じられ、台湾総統がお悔みツイッターを出すほどだった(台湾観光のCMに出てたことがあった)。中国や東南アジアでも出演番組が放送されていたそうで、コロナ禍ということもあって大きな反響を呼んでいた。考えてみればこの人のギャグは言葉だけでなく体を張ったものが多かったから、その笑いは国境を越えやすかったのだろう。
長い活躍だったからどの世代にも親しまれた人だけど、やはり僕ら「志村、うしろー!」世代には子供のころに親しんだ人ということもあって「一つの時代が終わった」と感慨に浸ってしまうものがあった。それにしても、いつの年でもそういうものだが、今年は正月の4分の1がこんな展開になるとはなぁ…。
2020/3/31の記事
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