ニュースな史点2020年4月1日
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◆縁起をかつぐ最終手段
昨年は各地の大規模水害、そして今年はご存知新型コロナウィルス禍、と日本は災難続きである。コロナのせいで国民的コメディアンは亡くなるし、東京オリンピックは延期になってしまうし、大変な事態が続いている。コロナ感染の日本上陸が騒がれ出したころ、奈良県で感染者が出た直後に春日大社がウィルス退散の祈祷を開始したと報じられていたが、その後の展開を見る限りではその効き目はないようだ。元寇の折にも日本中の寺社が祈祷を行って「結果」を出し、恩賞を求めたという前例があるが、ウィルス相手には神仏もどうにもならないのかもしれない。
政府高官筋によると、こうした国家的災難が相次ぐ事態を受け、日本政府は過去の対応の例を調査した上で抜本的対策に踏み切る意向を固めた模様だ。その抜本的対策とは、「改元」すなわち「元号の変更」である。過去にも国家的災難や不吉な事件が相次ぐと「元号が悪かった」としてまずは改元、という大作をとった例は多い。
去年改元したばっかりじゃないか、とお思いの方も多いだろうが、江戸時代以前の日本では元号は何かあるとコロコロと変えていた。例えば後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して新政を始めた直後に「建武」という年号にしたが、建武二年には足利尊氏の反乱が起こって大混乱に。一部の公家たちから「やっぱり『武』の字を入れたから兵乱がおきたんだ」として「建武」から「延元」に改元が行われた(ややこしいことに尊氏=北朝側が「建武」を使用し続けるが)。
田沼意次が政治をしていた時期の「明和」も九年に入ったら災害が相次ぎ、「これは「明和九」=「めいわく」となるかたいけなかった」ということで「安永」に改元されている。幕末には「嘉永」が黒船来航や内裏炎上を理由に「安政」に改元され、その「安政」も安政七年に「桜田門外の変」が起こったために不吉だとして「万延」に改元、その「万延」は辛酉の年に改元する慣習からすぐ翌年に改元され一年続かなかった。
まぁ、明治以前はかくもコロコロと元号を変えていたわけで、むしろ天皇の在位とリンクさせる「一世一元制」の方が中国の明・清の制度のマネであって日本的伝統でもなんでもないのだ。昨年の天皇の生前譲位や即位前の元号発表に保守層の一部で反発が出ていたが、それこそ日本の伝統に理解がないというべきだろう。
別に「令和」に不吉とか縁起が悪いとか、そういうことはないじゃないか、という声もあろうが、政府関係やからは「決定時には分からなかったが、あとから実は不吉だったとの指摘が専門家から出た」という。それは下図の通り、「令和」という漢字をよくよく見れば、そこに今まさに問題となっている単語そのものがはっきりと含まれていた…という、驚きの話なのだ。
まず左側の図。「令和」の二文字の中によくみれば「コロナ」というカタカナの三字が隠れていることがわかる(赤字)。そして右側の図を見れば、「うイルス」とひらがな・カタカナ混じりながら問題の四字が浮かび上がるのだ(青字)。なんと「令和」の二字の中に「コロナウイルス」の単語がばっちり含まれていたのである!
政府はこの4月1日にも改元を決定、発表する運びだが、今から古典から言葉を拾うのも大変なので、いっそのこと「回復」とか「快方」とか「終息」といった、ストレートでわかりやすい縁起のいい言葉二文字にすべきとの意見も出ているという。事態が収取したらまた別の元号に改めるのでどうせ短期間しか使わない元号になるんだし適当に、との声や、「家内安全」「無病息災」といった四字の元号(古くは中国・日本とも例がある)を求める声もあるという。
政府高官は「まさかちょうど一年後に二度目の新元号会見をやることになるとは」と驚きつつ、歴史的なことには違いないので案外乗り気のようである。
◆二つの顔をもつ男
朱元璋、といえば中国の明王朝の建国者、明の太祖・洪武帝である。極貧の農民から身を起こし(なにせ餓死した両親の葬式も出せなかった)、元末の群雄割拠の中を生き抜いて中国を統一して皇帝に即位、明王朝を創設した。上の記事でも触れている「一世一元制」、つまり皇帝在位中は元号を変えず、皇帝の死後にその元号を贈り名とする、という仕組みもこの朱元璋洪武帝から始まるものだ。
素寒貧の庶民から皇帝にまで上り詰めた大出世ぶりは漢の高祖・劉邦や我が国の豊臣秀吉に通じるものがあるが、皇帝になってからの彼は何度か大粛清を行い、大量の人命を奪った残忍さでも有名だ。成り上がり者にありがちな猜疑心の発露でもあろうが、かなり計画的に粛清を行って結果的に皇帝権力の強化を実現、その後200年以上に及ぶ明王朝の基礎を築いた老獪な政治家、という面もある。国民に対し「六諭」と呼ばれる親孝行など儒教道徳を解く言葉を示したりもしていて、これなどは明らかに日本の「教育勅語」に影響を与えている。前から言ってるが、「明治」って「明の治」なんじゃないかと思うほど洪武帝を参考にしてるようなところがあるんだよな。
さてそんな洪武帝、本人の複雑さを反映してか、その肖像画に全く異なるものが二つ伝わっていることでも有名だ。それが下の二つである。
一方は老後、一方が若い頃、という可能性もあるが、それにしてもずいぶん違う。一方は品の言い「名君」風の顔なのに、一方はえらくねくじれた、かなりの悪人ヅラである。普通に考えると悪人ヅラの方が本物で、名君風のは皇帝になってから自身の美化のために創作したもの、と見るところだが、一方で悪人ヅラの方も洪武帝の肖像としてかなり多く出回っており、それもまた不自然で批判側がわざと醜く描いたもの、という考え方もある。とにかくこの二枚の肖像画が同一人物のものとして後世に残されたのはなぜなのか、長い間謎とされていたのだ。
4月1日、南京郊外の洪武帝の墓「孝陵」が発掘され、驚くべき事実が判明した。墓の中に安置されていた洪武帝の棺を開けてみたところ、なんと遺骨が二体分発見されたのである。発掘にあたった研究チームは、この発見と二枚の肖像画のことを合わせて考えると、「洪武帝は実は二人いた」との推理を発表している。実は二人の人物が「朱元璋」という共通の名前を使って一人の人物を演じ、巧みにそれぞれの個性を駆使して皇帝の地位に上り詰めたのだというのだ。二人の人物が共通の名前を使って一人のように演じる例は作家や漫画家に多く、エラリー・クイーンやボワロ・ナルスジャック、藤子不二雄やゆでたまごなど成功例はかなり多い。
肖像画だけでなく彼の政策でも二面性があるのも、実は二人一役で政治を進めていたためで、どっちの個性が出るかで大きな違いが出たのでは、との推測もある。だが二人一役でどうやって皇帝を演じていたのか、この肖像画のどちらが善政をしてどちらが悪政をしたのか、疑問は次々生まれてくる。そもそも明王朝の後継者たちはどちらの子孫なのかという台問題もある。
研究チームの主任は、この二人のうち名君風の方が表に出てくる存在で、悪人ヅラの方が彼の陰で冷酷な政策を進めるという役割分担があったのでは、と推測する。いわば「日」と「月」の関係のようなもので、由来がはっきりしない王朝の名前「明」もその二つの意味をひそませたものでは、と大胆な推理も披露している。
◆ああ、ああ、古代の化石さ♪
。タイトルの元ネタは前回「史点」でチラッと触れた、嘉門タツオ「替え唄メドレー」の中の「Diamonds」の替え歌部分。最初に聞いた時から「アンモナイトは中生代だから、古代っていうのは違うんじゃない?」と史学科学生的にツッコんでいたものだ(笑)。
さて、4月1日に島根県教育委員会が発表したところによると、島根県を流れる斐伊川上流の山岳地帯で巨大生物の骨格化石が発掘された。その正確な場所については盗掘などの恐れありとして公表されていないが、かなりの大きさ、かつかなりの特殊性を持つ生物の化石とみられ、専門家たちの頭を悩ませているところだという。
発掘された骨格を復元したのが右写真である。かなり複雑な骨格だったので復元は難航したが、どう見ても同じような長い首と頭の骨が8つそろっていて、当初は同じ生物の八体ぶんの化石と思われたが、なぜか胴体部分が大きなもの一つしか発掘されず、やむなく「一つの胴体に八つの首がついた生物」と判断、この形での復元に至ったという。
発見された当初は首長竜の一種ではと推測されたが、首が複数ついている首長竜の発見は前例がなく、首が三つ発掘された段階では「キングギドラなど太古に地球に来た地球外の生物ではないのか」と主張する怪獣専門家もいた。しかし八つの首となるとキングギドラではなく、日本神話に登場する「ヤマタノオロチ」ではないか、とする神話学者の意見が現在のところ有力視されている。発掘された地層も中生代ではなくほんの数千年程度むかしの地層であること、神話では出雲国の肥河、現在の島根県斐伊川の上流に生息していたとされていることも、その根拠となっている。
「ヤマタノオロチ」は日本神話を記した『古事記』『日本書紀』に登場する。アマテラスの弟スサノオが神々の世界「高天原」を追放されて地上に降り立ち、出雲国の肥河のほとりに来たところで上流から橋が流れて来たので、おっと間違い、箸が流れて来たので人が住んでいると悟って(まぁどっちでも人は住んでそうだが)上流へ向かうとそこに老夫婦と美しい娘がいて嘆いていた。訳を聞けば「ヤマタノオロチ」という八つの頭をもつ怪物が彼らの娘をいけにえに差し出させていて、今度はこの最後の娘クシナダヒメの番であるという。聞いたスサノオは酒がめを用意してヤマタノオロチをおびきよせ、酒で酔わせた上で退治し、クシナダヒメをめとって出雲の地で暮らすようになった、という神話である。怪獣を倒して美女を救うという、世界神話にみられる英雄伝説のパターンとも言われている。またこのオロチが斐伊川と結びついていることから洪水のイメージが怪獣化したもの、とする見解もある。
しかし今回その「ヤマタノオロチ」と思われる化石が発見されたことで、これは神話ではなく「史実」である可能性が高くなった。神話ではスサノオはオロチをバラバラに切り刻んだとしていることも発見状況に合致するし、尾を斬ったら中から「草薙剣」(三種の神器の一つ)が出て来たとされていて、その通りに一本の尾が途中で斬れていたという。神話がどこまで史実を反映したものなのか、今後の研究が俟たれる。
※古生物学者・山根恭平博士のコメント「このヤマタノオロチっが最後の一匹とは思えない。どこかに同類がまだ生きているかもしれない」
※あやとり評論家・野比のび太氏のコメント「首が八つなら、または七つだろ。ナナマタノオロチと呼ぶべきだ」
◆少年よ、外で遊ぶな
コロナ騒動のなか、イタリアのどこかの市長が、屋外で卓球を遊んでいた若者たちに向かって「家でプレイステーションでもやってろ!」と怒鳴っている映像が話題を呼んだ。ウィルス対策としてとにかく外へ出るな、家の中でやることがないのならTVゲームで遊んでろ、ということであるが、市長が若者に向かって「ゲームで遊べ」と怒鳴りつける光景がみられるようになろうとは、切迫した状況の中でのこととはいえ、面白くなってしまったものである。
この市長の言葉に刺激されたのか、日本国内でも珍事が起きた。4月1日午後、とある住宅街で、外で野球で遊ぼうと出かけた少年たちの前に柔道着を身に着けた暑苦しい男が突然現れ、少年たちに次々と投げ技、締め技をかけて制裁し、「セガサターン、シロ!」と謎の言葉を発した(右図・犯行現場)。通報を受けた警官らにより男は傷害容疑で逮捕されたが、瀬形三四郎(年齢不詳)と名乗るこの男は犯行動機として「海外でプレステで遊べと若者を注意する市長がいたことに刺激された。わが国ではやはりプレステではなくセガサターンで家で遊ぶべきだと思い、少年たちを諭すつもりだったが、やり方が乱暴だったことは反省している」と述べたという。
しかしすでにセガサターンは誕生四半世紀を過ぎたレトロゲーム機で最近の子供はまず遊ばないことや、そもそもセガがゲーム機事業からとうの昔に撤退していることを警官から聞かされ、男は愕然としているという。彼の供述によると、20年ほど前にミサイルと格闘して以来行方不明&意識不明となっており、この間の事情はまったく知らないという。ただイタリアの市長が「プレイステーション」と口にしたため、サターンも現役と思い込ndとのこと。プレイステーションがすでに「4」になっていることを聞かされると非常に悔しそうな表情を見せたともいう。
さらにこの事件に刺激されたのか、とある雪山の奥地では伝説の雪男のような怪物(?)が、登山者を次々襲って頭突きをかまし、「ピーシーエンジン、シロ!」と奇声を発して逃げていくという事件が多発しているという。専門家によれば「PC猿人」あるいは「PC原人」と呼ばれる種族で、つい先月に30年以上前のゲーム機「PCエンジン」の名作タイトル50本以上を収録した「PCエンジンミニ」が発売されたばかりなので、今の若者たちや当時ゲーマーだった中年たちに外で遊びや仕事をするのではなく自宅でPCエンジンミニを遊べ、と薦めている模様だ。「シロ!」と叫ぶのは「PCエンジンミニ」のデザインが最初に発売された真っ白なPCエンジン、いわゆる「白PC」であることにもひっかけているのだろう。
一方、先ごろ子供のゲームプレイ時間を制限する条例を定めた香川県では、今度は若年層を外へ出さないために自宅内でゲームを長時間遊ぶことを義務付ける新たな条例制定の動きを見せているという。こうした状況が世界的に広がれば、せめてゲーム業界だけでも景気がよくなるのでは、と期待する声もある。
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