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2020年6月16日

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◆今週の記事

◆まだまだ見つかるマヤ遺跡


 「マヤ文明」といえば、現在のメキシコ南部やユカタン半島一帯の地域におこった古代文明。ユーラシア・アフリカ大陸とは別に南北アメリカ大陸に独自に生まれた文明の一つで、紀元前2000年ごろからゆっくりと発展、統一王朝などは生まれなかったが諸都市国家が生まれ、文字が使用され、高度な天文学や数学・暦学も生まれ、建造物では独特の形状をもつ「ピラミッド」がよく知られている。
 これほどの文明なんだけど、ほかの文明との接触が少なかったせいもあるのか、それ以上の大きな発展はせず、いつしか衰退の道をたどってしまった。まぁ衰退といってもそのペースはかなりスローで、マヤ文明の都市国家の一部はスペインによる征服以後100年以上続いていたものもある。熱帯のジャングル地帯ということもあって現役のものも遺跡もなかなか発見されなかったという事情もあるようで。そういや最近「星座の配置に合わせて遺跡がある」と少年が言い出して騒ぎになったこともありましたっけ。

 そんなマヤ文明について、「最古にして最大の遺跡を発見!」という報道が出たから、いやはや、マダ文明、まやまや出物があるんだな、と思い知らされた。
 この遺跡の発見については6月3日付の科学誌「ネイチャー」に論文が掲載された。筆頭執筆者にして発見の中心となったのはアメリカ・アリゾナ大学教授の猪俣健氏。研究チームは航空機から地上にレーザーをあててその反射で構造物を探すという調査方法により未知の遺跡、それもかなり大規模なものを発見しちゃったというのだ。現地はよほどうっそうとしたジャングルなのかな、と思ったのだが、TVで流れた映像を見るとそうでもなく、ただあまりに大きく、それでいて平たい、しかも盛り土の遺跡であったためにこれまで気が付かなかった、ということみたい。日本でもたまに古墳が気づかれないままになってることがあるもんね。

 今回「最古にして最大の遺跡」が見つかったのは、メキシコ南部タバスコ州(調べて見たらやっぱり調味料の「タバスコ」はここが原産地だった)のアグアアフェニックウというところ。航空機レーザー調査で見つかった遺跡は、南北1.4km、東西400m、高さおよそ15mという「舞台状の広場」で、高さこそエジプトの三大ピラミッドに及ばないが構造物の体積ならそちらを上回る巨大さだという。といっても土を盛って作り上げたものなので自然地形と区別がつかなかったということなんだろう。マヤ文明に限っても、これまでに確認されている石造りのピラミッド群などより大規模な人工構造物ということになりそうだ。

 この「舞台状の広場」を仮に「大基壇」と呼び、その周囲には中小の広場のほか、舗装された土手道9本、さらに人口貯水池までが確認されたという。堆積物の分析から紀元前1000年ごろから建設され始め、200年ほどの時間をかけてゆっくりと作られたと推測されるという。マヤ遺跡のピラミッドの中には一つのピラミッドをだんだんと追加・増築して大きくしていった例もあるので、似たようなものかもしれない。

 この大規模な構造物、何の目的で作られたかは今は想像するしかないが、普通に考えれば宗教的儀式の場、といったところだろう。猪俣教授もそう推測しているようで、遺物に社会階層を明確に示すものが見当たらないことから、この「大基壇」は周辺住民たちの共同作業で建設された、共同体の儀式の場ではなかったか、と論文で述べているらしい。
 これまで文明発達の通説では、メソポタミアのジッグラトやエジプトのピラミッドに代表される巨大建造物は、社会階層が分化して支配者が出現、しかもその支配者に権力が集中する仕組みが出来てから作られるようになったとされていた。しかし今回のケースはそうではないところに猪俣教授は注目していて、「マヤ文明の発展や人類社会一般の変化を考えるうえで非常に大きな意味がある」と述べている。

 僕が聞いている限りでも、最近中東における文明黎明期の遺跡調査でも、階層分化とか強力な権力構造の出現より前に大規模建築物が造らていることが分かってきているらしい。そうした建造物はたいてい神殿など宗教施設で、農業の成功や災害の回避といった願いを持つ人々が強制されるのではなく共同作業で祈りの場を作る、といった流れがあったのだろう。今回のマヤ文明遺跡のケースもそういう例なのかもしれず、「文明」誕生のパターンを考える上でもなかなか示唆的なのだ。



◆文字が消えたり現れたり

 マリ=アントワネットといえば、先日安倍首相が言い間違えて日本の国会でも名前が流れたフランス国王ルイ16世の妃。オーストリア・ハプスブルグ家の女帝マリア=テレジアの娘であり、長年の仇敵であったハプスブルグとブルボン両家が同盟関係をもつ「外交革命」の象徴としてフランスに輿入れしたのだが、タイミング悪くフランス革命にかちあってしまい、最終的に夫と同様にギロチン処刑という最期を遂げた悲劇の王妃として世界史的に名高い。ウィーンにいた少女時代に、「神童」として宮廷に呼ばれた少年モーツァルトに「お嫁さんにしてあげる」と言われた、という逸話もあったりする。そっちの嫁さんでも不幸だったかもしれないが。

 日本ではなんだかんだで漫画「ベルサイユのばら」で一番有名なんじゃないかなぁ。もともとこの漫画、作者がマリ=アントワネットの伝記を読んで感銘を受けたことがきっかけで生まれたもので、架空キャラ・男装の麗人オスカルを主人公にしつつ、マリ=アントワネットももう一人の主役といっていいくらいの存在で、物語も彼女の最期まで描ききられている。
 この「ベルばら」、もちろんフィクションがかなり多いが、あちこちに有名な史実ネタもはめこまれている。その一つが、マリ=アントワネットとスウェーデン貴族フェルセン伯爵(「ベルばら」では「フェルゼン」表記)の秘めたる恋だ。「秘めたる」と書いたけど、当時は夫のルイ16世も知る「公然の秘密」みたいなもんだったようだけど。

 このフェルセン、フランス革命勃発後にルイ16世一家の国外脱出を画策、実行してもいるのだが、この脱出作戦は失敗に終わり、ルイ16世一家はパリに連れ戻されチュイルリー宮殿に幽閉され、やがて処刑への道をたどってゆく。フェルセンはその後も国王一家の救出を画策したが果たせず、失意のままスウェーデンに帰国、だいぶあとになるが自らも悲劇的最期を遂げることとなる。

 さて、去る6月3日、フランス国立公文書館が、15通残されているフェルセン伯爵からマリ=アントワネットあての「恋文」のうち8通について、インクで塗りつぶされて判読不能になっていた部分の解読に成功した、と発表した。この「恋文」は例の国外脱出に失敗した国王一家がチュイルリー宮殿に幽閉されていた時期に出されたものだそうで、「恋文」といっても内容の大半が政治関係や情勢を語ったりしているそうだが、その中にもフェルセンから王妃への個人的感情が吐露された部分もあるとのこと。
 今回、国立公文書館が95日間かけた解読プロジェクトにより塗りつぶし部分の読み取りに一部成功したとのことだが、僕が読んだ報道ではその内容を具体的には紹介していなかった。発表によれば特に「衝撃的事実」なものはなく、個人的感情がいろいろと吐露されている、二人の親密さがより分かった、といった程度のものだったみたい。なぜ塗りつぶされていたのかよくわからなくなるが。

 塗りつぶし部分をどうやって解読したかというと、2年前に開発された「蛍光X線分光技術」というやつで文字に使われたインクの組成を分析、塗りつぶしに使われたインクが文字のインクと別のインクであればそこから塗りつぶされた方の文字を浮かび上がらせることができる、という仕掛けだそうだ。
 こうしたやり方なので、文字に使われたインクと塗りつぶしに使われたインクが同じものだと解読はできない。今回の調査でも実際にそうした例があったそうで、同じインクで塗りつぶしていることから、その部分を消したのはフェルセン本人である可能性が高い、とのこと。ということは別のインクで塗りつぶしたのはマリ=アントワネットなのかな?
 いずれにしても、200年以上も経ってから「恋文」の解読をされることになろうとは思わなかったろうな。


 読めなかった文字が読めるようになった、という共通点があるので、前回史点ネタ候補だったちょっと古いニュースを。CNNが5月21日付で報じていたものだ。

 イギリスのマンチェスター大学には「死海文書」の断片が所蔵されている。「死海文書」とは1947年にパレスチナの死海周辺の洞窟から発見されたおよそ2000年前の古文書群のことで、旧約聖書におさめられたユダヤ教経典の最古写本がふくまれる貴重なもの。その内容の研究は今日までずっと続けられているが、キリスト教教義上まずい部分が含まれていてカトリック教会それをが隠蔽している、といった陰謀論もあったりする。陰謀論とは異なるが、「エヴァンゲリオン」の中での使われ方も「死海文書」に漂うオカルト臭(名前がそもそも)を利用したものだ。
 
 で、このマンチェスター大学に所蔵されている「死海文書」だが、いろいろな経緯をたどって1997年に寄付されて同大学の所蔵品になったという。「死海文書」には偽物も多く出回っているが、これは出所が確かな本物とされている。ただし何も書かれていない断片が51点もあって、それじゃ「文書」じゃないじゃん、ということもあって所蔵以来ほぼ放置状態にされていたという。しかし近年になってロンドン大学キングス・カレッジのジョージ=テイラー教授が調査を開始、一部の断片に肉眼では読み取れない「文字」があるのでは、と気づいてマルチスペクトル画像法という特殊な撮影方法を使って分析してみた。すると、うち4点に判読可能な文章が浮かび上がってきたというのだ。

 記されていた文章は、当時この地方で使われていたヘブライ語とアラム語。その内容は断片の中でさらに断片的なので判然としないようで、一番長く読み取れた部分でも15,6文字の4行程度の文だという。この部分に「安息日」を意味する単語と読める箇所があり、まんちぇすた^大学では旧約聖書の「エゼキエル書」46章1−3節の可能性が高いとみているとのこと。
 「エゼキエル書」といえば、クエンティン=タランティーノ監督の出世作となった映画「パルプ・フィクション」で、サミュエル=L=ジャクソンが人殺しの前の決め台詞で「エゼキエル書」からの引用文を唱えるのだが、実はその内容は全く別物、という「遊び」があるのを思い出す(欧米のキリスト教徒だって聖書の文句を細かくは知っちゃいない)。まさか「死海文書」にその決め台詞があったりしないよな(笑)。 



◆こんぴらさんが通る

 「こんぴらさん」の別称で親しまれている神社といえば、香川県琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう)。古くから目の前の瀬戸内海を往来する船乗りたちの守り神とされ、独特の信仰を集めてきた。僕自身はかなり昔の四国一周旅行の際に琴平を訪れたが、「高松琴平電鉄」に乗ることだけが目的だったので、「こんぴらさん」の方はその門前すら見ずにスルーしてしまっている。
 「こんぴらさん」といえば、清水次郎長の子分・森の石松が親分の代参でも有名…と書きながらも、次郎長ネタも最近は一般になじみが薄れたからなぁ、わかんない人もかなり多いんじゃないかと。まぁ僕も「江戸っ子だってね、寿司を食いねえ」といったセリフを知ってるってだけで講談ネタの全体は知らないんだけどね。

 そんな金刀比羅宮という大物神社が、「神社本庁」からの離脱を表明したので、ちょっと驚いた。
 知らない人のために簡単に説明しておくと、「神社本庁」というのは名前こそお役所風だが、実態としては日本神道の宗教団体。明治以後の「国家神道」が敗戦により解体されると、いち宗教団体として生き残るために作ったのが「神社本庁」で、基本的に全国の神社はここに所属し、その統括を受けている。日本神道だけに伝統重視、あるいは戦前回帰の保守思想を掲げることが多く、教育勅語の復活計画やら憲法改正署名やらを推進してきた勢力でもある。

 だが意見の対立(たいてい人事や金銭関係)があっために神社本庁から離脱して別宗教法人にしている神社もいくらか存在する。近年では2004年に明治神宮が一時離脱して話題となり(現在は復帰)、気多大社が裁判沙汰の末に2010年に離脱、2017年には富岡八幡宮が宮司人事(女性相続)の問題をめぐって神社本庁から離脱、その直後にその女性宮司を実弟の前宮司が日本刀で殺害したうえ自殺する、という凄惨な事件が起こったことも記憶に新しい。
 皇位継承と同じで女系相続を認めようとしない神社本庁とトラブルになった例は宇佐八幡宮でもあり、裁判では神社本庁側が勝ったが地元の氏子などとはまだ対立がくすぶっているという(コロナ騒動の最中に首相夫人がこの神社に行って問題となったが、僕なんかはこの件がどっかで絡んでるんじゃないかと疑っていた)
 調べていたら織田信長を祭神とする京都の建勲神社も2019年に神社本庁を離脱していた。当時の記事によると同社の宮司は「大した理由ではないが、絶対に神社本庁に入っていなければならないと思う宮司は少ないのではないか」とコメントしていた。神社本庁もうるあいだけでありがたみがない存在と思われているような。

 今回、金刀比羅宮は神社本庁離脱に踏み切った理由として、まず2015年以来神社本庁が不動産取引で疑惑を抱えていて、それを本庁に問いただしても明確な回答がなかったことを挙げている。そうした金刀比羅宮の姿勢への意趣返しだったのか、昨年の大嘗祭に合わせて各地の神社で行われた当日祭で供えられる「幣帛料」が神社本庁から届けられないという事態も起きた。これについて金刀比羅宮は「決して許されない無礼な行いであり、天皇陛下に対して不敬極まりない行為である」とまで激怒を表明、これが離脱決行の決め手になったということだ。

 神社本庁幹部が業者と癒着していたとされる不動産売買疑惑、神社本庁の各県支部でも問題となっていて、意見書が出されるなど批判の火の手が広がっていて、もしかするとさらに大物神社の離脱が続くかも、とささやかれてるとか。
 こりゃあれだな、ことの真相を明らかにするために、古式にのっとって「クガタチ」をやってみるとか、どうか。神様がいるのならホントに罰当たりなことをしてる連中がいるみたいだし。



◆それでもデモになる

 このタイトル、アカデミー作品賞をとった、北部から誘拐されて南部で奴隷生活を強いられた黒人の実話を描いた映画の邦題にひっかけてるんだけど、説明しないとわかんないようじゃ上手くないわなぁ。「えー、今のはどこがおもしろいかと言いますと」とよく言ってた落語家がいましたけ(それでも「昭和の爆笑王」と呼ばれることもある)

 さて去る5月25日夜、アメリカ・ミネソタ州はミネアポリスで、ジョージ=フロイドという46歳のアフリカ系男性が、偽20ドル札を使用した疑いで警察官に逮捕された。なおこのフロイド氏はこの地のレストランで警備の仕事をしていたが、折からのコロナ禍による外出制限により失業しているところだった上に、検査により新型コロナの陽性反応も出ていたという。この点でもこの人は「今のアメリカ」を象徴してしまっていたように思える。

 逮捕にあたって警察官は寝かせたフロイド氏の首の上に膝を押し付けて動きを封じ続け、フロイド氏が「息ができない!(I Can't Brethe !)」と必死に叫ぶもその姿勢を続けられ、結局死亡してしまった。この模様が映像に撮られていてネットで世界中に拡散、「息ができない!」という言葉がそのままアメリカにおける黒人の立場を象徴する言葉として広まり、アメリカ各地どころかイギリスその他の国々でも反差別のデモ、それに乗っかった暴動・略奪が起きる騒ぎへと発展、それでなくてもコロナ禍で大ダメージを出しているアメリカで同時並行の大問題になってしまったのである。

 これまでにも黒人が警察官の暴行を受けたことをきっかけに抗議行動が広がるという事例はいくつもあった。特に大規模なものとして僕の記憶にあるのが1992年に起きた「ロサンゼルス暴動」だ。この時もアフリカ系男性を警察官四人が取り囲んでメッタ打ちにしている(さすがに死なせはしなかったが)映像が撮影されてTVで流され、警察官四人を結局罪に問わない評決が出たことでアフリカ系住民の怒りが爆発、大規模な暴動に発展した。直後に公開された映画「マルコムX」の冒頭でもこの暴行事件の映像が引用さっれ、
 発端が警察官の暴行映像というところが今回との共通点なので何かと引き合いに出されるが、今回は抗議デモが全国レベルで広がって首都ワシントンでも史上最大となるデモ活動が実行された。その有様はむしろ1960年代の公民権運動時代を思わせるものがあり、当時のキング牧師の演説がネットで流されてその内容がそのまんま今日でも通じてしまうことが示され、この国の黒人差別問題の根の深さを改めて思い知らせることにもなった。一部に暴動・略奪があったとも伝えられるが、その中には白人至上主義団体の扇動があったことも確認されていたりする。

 この抗議活動が大規模に広がった背景には、かねてよりの警察官へのアフリカ系の不満が積み重なっていたこともさることながら、フロイド氏がそうであったように折からのコロナ禍が貧困層(どうしても有色人種が多い)を直撃、死者に人種格差がはっきりと出てしまったり貧富の差がさらに拡大してしまう事態になったことも背景にある。さらにはコロナ対策で見通しの甘さを露呈してしまった上にデモ活動に対しても軍隊の出動による鎮圧までちらつかせたトランプ大統領の言動が火に油を注いだ感もある。さすがに国防長官(クビにした前任者)からも厳しく批判されてひっこめたが、あれじゃ中国政府が香港に敷いた「国家安全法」(我が国の「治安維持法」みたいなもんだ)なんかを批判できなくなっちゃうもんな。

 トランプ大統領、このところの騒動を通して支持率が急落、再選に失敗したカーターブッシュ父の例に近づいたと報じられ、今年の大統領選挙に赤信号がともってしまった。するとトランプさん、その世論調査を発表したCNN(かねてより宿敵関係だな)に対し調査結果の撤回と謝罪を要求するという挙に出た。もうこの人についてはいちいち驚いていられなくなってきてるが、この調子だとこの人、大統領選挙で負けても結果にあれこれイチャモンつけて大統領の地位に居座ったりするかもしれんぞ。

 今度の騒動でまたも再燃したのが、南北戦争の南軍の英雄リー将軍や、アメリカ大陸に到達したコロンブスといった歴史人物の銅像の撤去問題。その対象は軍関係の施設の名前にまで及んだほか、なぜかイギリスに飛び火して、かつての奴隷商人の銅像が実際に引き倒されて河に投げ込まれてしまうという事件も起きた。イギリスではその批判対象はチャーチルにまで及んでいるというからスゴイ。
 そりゃまぁ、かつての奴隷商人をいまは少なくともその行為で評価するのは問題だろうし、チャーチルのことを言い出したら欧米の歴史的政治家たちの大半が植民地主義・帝国主義・人種差別と関わってるから、近代史観の総見直しということでは意味はあると思う。ただ銅像をいちいち引き倒さなくても…と思ってしまうところだが、銅像だけに実際に特定の思想や運動のシンボルになりがちで、やっぱり問題だ、という考え方に同調したくなるところもある。例えば南北朝マニアの僕でも皇居前の楠木正成銅像はそこに建てられている趣旨がおかしいから、引き倒せとは言わないが場所は移したら、と思っている。

 今度の騒ぎを受けて、映画「風と共に去りぬ」のネット配信が一時停止された、なんて話も聞こえてきた。この映画、原作ともども名作と名高いが南北戦争時の南部側の心情が基本線にあって、南北戦争での南部敗北後に解放された黒人を「自衛」のために襲う「KKK」が肯定的に描かれるくだりがあるため、映画公開時から問題視はされていた。一応映画は原作よりはその辺をマイルドにして逃げをうち、主人公の乳母的存在の黒人女性を演じた女優さんがアカデミー助演女優賞をとる快挙もあるのだが、今日ではアメリカでもあまりおおっぴらに見られるようにはなっていないという話も聞いている。映画が内容的にものすごく黒人差別ってわけでもないが、この手のことがあると有名だけに「自粛」の対象となってしまうのだろう。

 だけどこの手の話もやりだすとキリがなくて…今作ったら問題だが当時の感覚で作ったものについては「当時の感覚です」とおことわりを入れたうえで公開し、封印などは避けるべきだと思っている。黒人だけでなく、日本人も含めたアジア人の描写だって1960年代くらいまで結構ひどいものがあるし、そうした話はアメリカ、あるいは映画に限らず無数にあるわけで、ホントにキリがなくなってしまうのだ。

 僕が愛好している「怪盗ルパン」だって、一部にかなりひどい人種差別や、世界大戦中だからだがドイツに対するすさまじい敵愾心が描かれているくだりがあり、全訳本で読むときはこの辺「当時の感覚です」というおことわりは必要だろうとは思っている。
 たぶんそうした事情が背景にあるからだろう、ネットフィリックスで配信される「現代版」のドラマシリーズ「アルセーヌ・ルパン」では、オマール=シーというアフリカ系俳優がルパンを演じている。僕も最初は「なんでまた」と驚いたが、そのくらいしないと現代にルパンを登場させられない、ということだったのかも(やはり差別問題を抱える「ドリトル先生」をエディ=マーフィーが演じたのも同事情だろう)。一部写真や映像を見た限りでは案外「ルパン」になってるな、とも思ったが。

 話があっちこっち飛んでる感じもあるが、この騒動の間に日本のネット上では、人種差別反対への賛同を示す芸能人やスポーツ選手のツイートにチャチャを入れ、「日本には人種差別はない」などと主張するネトウヨさんたちがワラワラ出現。どう見ても彼ら自身が進んで差別をやってるようにしか見えないのだが、不思議と当人はそう思ってないようなのだ。えてしていじめっ子は自分の行為を「いじめ」と思ってなかったりするんだよなぁ。
 

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