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2020年7月5日

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◆キタの女王?


 さて毎年のことながら、今年も半分が終わってしまった。今年の前半は「新型コロナ」一色の様相だったが、後半もどうなることやら。ここんとこいろんなところで「解除」「再開」が聞こえてくるが、「第2波」の足音もあちこちから聞こえてきて、こりゃこのまま今年後半もコロナ一色なのかもしれない。「今年の漢字」も「病」で決まりか(「疾」「疫」という線もあるけど、あれ、単純なのが票集めるからなl)。

 以下、本題。あ、タイトルは「ミナミの帝王」にかけてるのね、って説明しなきゃわからんようなことを(笑)。
 去る6月25日は、「朝鮮戦争」開戦から、ちょうど70周年という節目の日だった。1950年のこの日に北朝鮮軍が韓国側に侵攻、アメリカ軍と中国軍も参加するシーソーゲームの末に、3年後の1953年7月に休戦協定が成立、この大戦争はひとまず終わった。だが現在にいたるまであくまで「休戦」状態であって、戦争終結は一度も宣言されていない。
 2018年から始まったアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の米朝首脳会談で、あるいは「終戦宣言」が出るかとも期待されたが、いまだ実現はしていない。思えばトランプさんが唐突に板門店を訪問して金委員長と一緒に軍事境界線を軽々と超える「歴史的パフォーマンス」をやったのは、ちょうど一年前の2019年6月30日のことだった。あれから何にも話が進んでいないもんな。先日出版されて話題になったボルトン元大統領補佐官のトランプ政権暴露簿本によると、トランプさんってフィンランドをロシアの一部と思っていたりイギリスが核保有国と知らなかったりとトンデモな国際知識だそうだが、逆にだからこそ北朝鮮に対して甘いというか思い切ったことができるのかも。まぁボルトン本によるとあの会談でも自分を目立たせることしか考えてなかったらしいけどね。


 朝鮮戦争では日本が「特需景気」の恩恵を受けて敗戦から立ち直るきっかけをつかんだ、というのは歴史の教科書でもおなじみだが、日本もこの戦争にごく一部ながら「参戦」していて犠牲者を出した史実がある。機雷除去のために派遣された「特別掃海艇」あ割と知られているが(アニメ映画の「コクリコ坂から」で設定肉付けに使われたし)、毎日新聞が報じたところによるとアメリカ軍に付き添って「従軍」した日本人が少なくとも60人はいて、うち18名が戦闘にも参加いていたことがアメリカ国立公文書館所蔵の極秘文書により明らかになったという。

 朝鮮戦争の陸上戦にも日本人が参加していたらしい、という話は何かで僕も聞いたような気はしていた(単に統一教会製作の大失敗対策映画「インチョン!」で三船敏郎がそんな役で出ていることと混同してるかもしれないが(笑))。当時通訳の仕事(当時の朝鮮半島では植民地政策のために日本語はかなり通じた)や情報収集その他のためにアメリカ軍に雇われて朝鮮半島に渡った日本の民間人がいたというのは特に驚くことではない。当時の日本では仕事もなかなかなかった、という事情もあっただろう。今度の文書では60名ということだが、もっと多くいた可能性は高いんじゃないかと。
 
 毎日新聞の記事によると、この60名のうち18人が20歳未満の少年だった。そして全員のうち18名が戦闘に参加、この戦闘参加者のうち4名が少年だったという。そして死者1名、行方不明者1名と報告されているそうだ。掃海艇でも50名以上の死者が出ているが、ここにも朝鮮戦争における日本人戦死者がまぎれもなくいたわけだ。


 朝鮮戦争70周年を前にして、南北間の緊張がまた一気に高まる事態も起きた。二年前からの南北融和ムードの象徴であった南北共同連絡事務所が北朝鮮側に「爆破」され、さらに非武装地帯への軍侵入の動きさえ見せたのだ。その指導をしたのは金正恩委員長の実妹で同国ナンバー2とも目される金与正(キム・ヨジョン)氏であったことも注目された。
 金与正さんといえば、最近の南北友好ムードのきっかけとなった、2018年の冬季五輪・平昌大会に北朝鮮からの訪問団が派遣された際にそのメンバーに含まれ、北朝鮮のロイヤルファミリー「金一族」の直系人物が初めて韓国入りしたことでも話題になった。このあと行われた南北首脳会談でも兄の金委員長に同席し、韓国の文在寅大統領から「こちらではスター扱い」と言われてはにかんだりし、ひところ北朝鮮の友好イメージの象徴的存在ともなっていた。
 そんな彼女が韓国政府を北朝鮮流の無慈悲表現で口汚く悪口雑言を並べた末に、予告通り連絡事務所を爆破したりしたから驚かされる人も多かった。まぁ北朝鮮が友好ムードで事態に進展がないとまた激しい敵対モードに戻ってしまうというのは、これまでにも繰り返されてきたことだが。

 今回の金与正さんの「激怒」の直接の原因は、脱北者団体が韓国側から北朝鮮側へ風船で飛ばした「体制批判ビラ」にあったといわれる。過去にも北朝鮮国内で体制への反乱を起こさせようと、こうした体制批判ビラがまかれたことはいくらでもあるはずだが、今回はその内容が「過激」であった、との報道もある。単なる体制批判にとどまらず、「金王朝」の北朝鮮における「正史」への疑問(まぁ疑問自体は確かにある)や金一族への個人攻撃のたぐいも含まれていた。それも、どうやらかなり「お下品」なレベルのものも含まれていたようで、ことに金委員長の妻や金与正氏の顔写真に「わいせつ」な女性写真をコラージュするといったものもあったという。これに金与正さんが個人的に激怒した、ということはあったかも。事務所爆破以外にも報復として散布したビラに文大統領のコラ写真があったりしたのもそれを裏付けているような。

 それが本当の動機あどうかはともかく、与正さんによる「報復」は事務所爆破を最後に一応ストップし、予告されていた非武装地帯への軍侵入は保留状態となっているし、彼女のコメントも聞こえてこなくなった。韓国側では例の脱泡者団体が政府の目を盗んでさらなるビラ散布を行ったこともあって家宅捜索など「弾圧」に着手したこともあって怒りを鎮めたのか。それとは別に北朝鮮の英検内部でもさすがに与正さんはやりすぎとの批判が出ているとの一部情報も出ていて、さしもの「王女様」も自制したという見方もある。
 日本のツイッターなどでは、この与正さんの言動がアニメの悪女にそっくりと話題になり、特に「ガンダム」におけるキシリアやハマーン・カーンのキャラとかぶせるイタズラも見かけた(笑)。兄の金正恩さんが最近公の場にあまり姿を見せず、またぞろ健康不安説、さらには死亡説まで流布していることもあって、「兄上も甘いようで」なんてセリフを彼女に言わせてるのもあったな(笑)。クリミア騒動の時もそうだったが、日本ではこの手の遊ばれ方が目につき、まぁいい意味での平和ボケという気もしている(笑)。


 やや前の話になるが、6月5日には北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの父・横田滋さんが87歳で亡くなっている。少し前から体調を崩していることは報じられていたが、拉致問題の進展がまるで見られなくなった状況での死去となってしまった。
 横田めぐみさんが失踪したのは1977年のことで、やがてこれが北朝鮮工作員による拉致との疑いが浮上し、横田さん夫妻は同様の拉致被害者の家族とともに奪回運動の先頭に立って、めぐみさんともどもこの問題の象徴的存在となっていた。2001年の小泉訪朝時に北朝鮮側はめぐみさんを含めた拉致を認めたが、めぐみさんについては自殺したと回答。横田さん夫妻はそれを認めず運動を続ける一方、一部の反対を押し切ってめぐみさんの娘、つまり自分たちの孫であるキム=ウンギョンさんと面会し、短期間一緒に暮らしたこともあった。拉致問題関係で動きがあったのは事実上それが最後だったようにも思う。
 この問題についても北朝鮮の体制自体があるうちははっきりした話は出てこないような気もするなぁ。



◆どついたるねん

 中国とインド。どちらも古代文明以来の長い歴史を持ち、それぞれの地域の中心的存在となり、世界一位・二位の人口を抱えている(近いうちにインドが中国を抜く予定)。いずれも経済発展中で次世代の主導的大国になるともみられている。実は両国とも憲法上は「社会主義国」と規定されているが、どちらもあまりそうは見えない、という共通点もある。

 6月15日、こんなアジアの二大国の軍隊が国境係争地で武力衝突、少なくとも20人以上の死者が出た、と聞くと、かなりドキリとするニュースだが、実のところ報道関係でのその扱われ方は決して大きなものではない。20人の死者を出したインドではさすがに騒がれてはいるようだが…それでもまだまだ落ち着いた状況という気がする。そもそも中国とインドの国境紛争自体はほぼ日常茶飯事で、直前の5月にも両軍の衝突が起こって、双方の司令官がとりあえずの手打ちをしていたりしていた。今回の衝突はその延長上にあるらしいが、さすがにこれほど死者が出たのは珍しく、半世紀ぶりくらいのことなのだそうだが…

 中国とインドの国境紛争は、もとをたどっていくとイギリス植民地時代のインドと、中華民国から実質的に独立していたチベットとの国境が、ヒマラヤ山岳地帯ということもあって曖昧になっていたことにきっかけがある(前近代にあっては国境はたいてい曖昧だった)。第二次大戦後、インドが独立し、中華人民共和国が成立してチベットを支配下におさめると、当初は国境問題は棚上げにして友好関係を持ったが、やがて中国とソ連が対立、インドとパキスタンの対立、チベットのダライ=ラマのインド亡命といった複雑な要素が絡み合ってインドと中国も対立、1962年に国境をめぐって武力衝突も起こすようになった。両国の国境紛争で多くの死者が出たのはこの時以来、ということになるようだ(少数の犠牲者を出したのも30年ぶりくらいとか)

 その後も現在にいたるまで中国とインドの国境紛争は年中行事のように続くのだが、インドはパキスタンとの間でも同様の状態にあって、どちらかというとそっちのほうが深刻な問題だったので中国との全面対立は避けてきた。ソ連が崩壊して冷戦構造が終わるとインドは全方位外交になって、経済成長する中国とも経済的に深い関係を結ぶようになった。国境紛争のほうは相変わらずだったけど基本的には両国ともオオゴトには発展しないように気を配ってきた。それは久々に死者が出た今回でも基本的には変えられていない。

 それにしてもあれだけ紛争を繰り返していながら、よく何十年も多くの死者を出さずにすんできたものだ…と思ったら、今回の賢の報道で納得した。実は中国・インド両国は取り決めをしていて、紛争にあたって火器の使用を禁じて言うのだ。紛争といっても棍棒などによる殴り合い、石のぶつけ合いといったレベルにとどまっていて、それで死者を出さずに済んでいたわけ。そんな取り決めを作って守れるんなら、武力衝突そのものを禁じることもできそうなもんだが。
 インド軍が発表したところによると今回の衝突でもそれは守られていたそうだが、よほど激しい「どつきあい」だったためか多くの死者が出てしまったらしい。今のところインド軍側に20人ほどの死者が出たとされ、インド軍側が中国軍側にも死者が出たとしているが、中国政府はその点は明らかにしていない。衝突の原因についてはお互いに相手が実効支配線を越えて挑発してきたと主張している。

 さすがに多くの死者が出たので、インドでは中国への反発がわきあがり、中国製品のボイコットやホテルでの中国人客の拒否といった、ベトナムでも見られたような抗議行動が一部で起きているという。なかには中国国旗を燃やしたりといったデモ行為もあったというが、とりあえず僕が見聞きした限りの報道では、ヒンドゥー至上主義や愛国主義をあおりがちな現在のモディ政権のもとにしてはそれほど激しい動きは起きていない印象を受ける。最近いくつか見たインドの歴史映画・ドラマの中にはかなり強烈に「外国の侵略と戦う愛国者主人公」を盛り上げる内容のものがあったので(これが中国でも似たような現象があるんだよな)、今のところはそれにしては…と思うところ。

 モディ政権が手を付けたのは、インドで広く展開されている中国製のスマホアプリ(トークアプリ)の使用禁止という措置だった。さすがインドというべきか、そのアプリは6億ダウンロードもされてる人気だったというが。このほかにもIT関連でインドに進出している中国企業はいろいろあり、「中国」のイメージを避けようと中国国旗を店頭から外したりといった対応はしてるという。経済的にはお互いにかなり深い関係になってるので、しばらくすれば落ち着くんじゃないか、というのが大方の見方だが。
 あと、モディ政権は今度のことをきっかけに戦闘機を22機もお買い上げしている。どっから買ったかと思ったら、やっぱりロシア。今は中ソ対立のようなことは中露間にはないけど、インドがロシアの兵器のお得意様であるのはソ連時代以来の伝統のようだ。



◆ダーウィンが言った?

 先日、自民党の公式広報ツイッターに載った漫画が、ちょっとした物議をかもした。その漫画にはダーウィンをもじったらしい「もやウィン」という謎のキャラが登場し、「ダーウィンの進化論ではこういわれておる。最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である」と語り、「これからの日本をより発展させるために、いま憲法改正が必要と考える」と続けるのだ。

 この漫画が公表された直後から、盛大なツッコミがツイッター上で上がった。真っ先に出るツッコミは「ダーウィンはそんなことは一言も言っていない」というもの。当人が言ってもいない言葉が「〇〇はこう言った」という勘違いやでっち上げが作られ、都合のよい人たちに引用される、というのは有名人にはよくある話で、偉大な科学者だと信ぴょう性がますためかアインシュタインにもこの手の「架空発言」がいくつか存在する。アインシュタインが日本を超絶絶賛する「予言」をしたというのも日本のウヨクな人々の間でいまだに信じて「引用してるデマの一つだ。

 くだんの「変化する者が生き残る」発言、それ自体が存在しないうえに、ダーウィンの進化論の考え方に照らしても完全に間違っている。だからこそダーウィンがそんなことを言ってない、とすぐ断言できるわけで。
 ダーウィンが19世紀半ばに発表した「進化論」のキモは「自然選択」というやつで、生物はある一つの種においても少しずつ異なる形質を持っていて、そのうち置かれた環境に最も適したものが生き残って子孫を増やすため、その形質を持つ個体が増える。そのなかでまたいろいろな個体差が出てきて、環境が変わってくれば、またその環境に適したものが生き残ってその形質を持つ個体が…ということが延々と繰り返されて、結果的に生物はその姿をだんだんと変えてゆく。
 これを一応「進化」と呼ぶわけだけど、ダーウィンのすごいところはこうした「進化」をあくまで「自然選択」、言い換えれば実に機械的、なおかつ非常にゆっくりと進むものと考えて、そこに何かの「意思」があるとは考えなかったことだ。さらに言えば「進化」と訳してしまうが、それが必ずしも「よりよくなる方向性」を持つものともダーウィンは考えていなかった。何が優れているか、劣っているかではなく、環境に適応していたものがたまたま生き残る、というのが「自然選択」ということなのだ。

 だがダーウィンによる進化論発表後、その影響は科学界だけでなく社会思想面にも及び、進化論を人間社会にあてはめようとする動きが出てくる。ダーウィンとほぼ同時期に経済学的に階級闘争と人間社会の変化を説明して「科学的社会主義」を打ち立てたマルクスもダーウィンの説に大いに共鳴して自著を送り付けたりしているように(ダーウィンは相手にしたフシはないが)、ダーウィンの進化論は19世紀から20世紀にかけての社会科学分野の研究者たちを大いに刺激するものはあったのだ(逆にダーウィンもまた当時の社会経済学からヒントを得たところもある)
 問題なのはしばしば「社会的ダーウィニズム」などと呼ばれる、こうした人類社会への進化論の適用は数々の問題を引き起こした。「自然選択」というより「適者生存」「優勝劣敗」の考え方が恣意的に使われ、人種や民族、文化などで「優れた者が勝ち残り進化する」という「誤解」が生まれがちになる。その果てがナチズムに代表される優生思想で、自らの人種や民族を優秀と自慢する一方で劣等な民族や障碍者などは抹殺してよいという発想も生まれた。ナチスを持ち出すまでもなく、最近次々明るみになってるように日本だって旧優生保護法のもとで「劣性排除」を70年代くらいまでやっていたのだ。

 今回の件は優生思どうも想とは異なるが、ダーウィン進化論を人間社会の話に誤って適用してしまった代表的な例。どうもアメリカの経済学者の誰だかが言い出して広まってしまった「誤用」のようで、要するに主張する者の望んでいる「変化」を一見科学的な根拠を持たせて正当化するテクニックである。ダーウィンの進化論をちゃんと理解すれば生物自体が意識して変化するわけでも、変化しなければ生き残れないわけでもないことがわかるはず。
 自民党としては憲法改正という「変化」を正当化しようとダーウィン誤用を持ち出しわたわけだが、だいdたいこの党は正真正銘の「保守政党」であり、憲法以外のことではたいてい「変化」させることには反対し、ともすれば戦前、しまいには江戸時代以前への回帰まで口にするような人たちが多くいる。「変化うんぬんを言うなら、あんたの党が真っ先に自然淘汰されるじゃないか」というツッコミも出ていたな(笑)。


 自民党といえば、通常国会が終わったとたんに、河井克行元法務大臣とその妻・河井案里参院議員がそろって逮捕された。この夫妻がかけられている嫌疑は、案里議員が当選した昨年7月の参議院選挙において、票集めのために広島選挙区の自治体の首長や議員などにかなりの規模の買収工作をしかけた、というものだ。その盛大なバラマキぶりには、「今どきそんなのが」と思ってしまったほど古典的な買収工作で、この点、ちっとも「進化」しとらんなと思ったものだ。

 この盛大な買収工作は、もともと定数2の広島選挙区に案里氏が自民党のもう一人の候補としてかなり強引に立てられたことが背景にあると言われる。もともとこの広島選挙区では溝手顕正氏という自民党現職議員がいたのだが、地元の自民党県連の反対を押し切って案里氏がもう一人の候補に立てられ、その結果案里氏は当選したが溝手氏は落選の憂き目をみた。この際に自民党本部からは案里氏に1億5000万円もの資金を提供しつつ溝手氏にはその10分の1程度というひどいエコヒイキがあり、おまけに河井夫妻は手広く現金をばらまいて買収、溝手氏の縄張りに手を突っ込んで票を分捕るようなことまでやっていたという。

 河井克行氏が集会などで地方議員を物陰に連れ込み、ポケットに札束をおしこんで「とっとけや」と言ったという報道を見て、「あんたヤクザなの、法務大臣なの、どっちなの?」と「仁義なき戦い」のセリフのパロディを口にしてしまった。これは劇中でタクシー業を営む広島ヤクザが神戸に拠点をおく大勢力「明石組」(もちろん山口組がモデル)と結びついて「明石組広島支部」の看板を掲げて広島支配に乗り出す展開があって、いざ抗争に発展したらビビってしまったこの人物に放たれるのが元のセリフ。そういえば安倍晋三総理の側近中の側近で、自民党本部から巨額の軍資金を得て、安倍総理の名前をバックに掲げて(現金を渡すときも「安倍さんから」といったケースもあるという)広島の地元勢力の縄張りに手を突っ込んだ河井氏の姿はかなりダブる。いや実際、一部報道では地元自民党関係者の間では「仁義なき戦い」とささやかれていたそうで(笑)。

 映画「仁義なき戦い」(第3部・第4部)では神戸の「明石組」の圧力に対し、地元広島ヤクザたちが啖呵をきる。
「広島には広島極道の性根っちゅうもんがあるんじゃけえの。(中略)広島極道はイモ(田舎者)かもしれんが。旅(よそ者)の風下に立ったことはいっぺんもないんで。神戸のもんは猫の子一匹通さんから、そう思え!!」
 これ、今回の件で広島県連や溝手陣営の気分をそのまんま表してるようで…溝手氏は岸田派とされ、ポスト安倍をめぐる派閥抗争との見方もある。溝手氏は安倍さんの首相再登板時に「もう過去の人」と反対意向を示していたため、案里擁立は彼を落とす意図を強く持っていた可能性を感じさせる。そんなこんなで彼らの怨念がこの疑惑の暴露につながっていったのではないかなぁ。
 いずれにしても、昔のヤクザ抗争並みに古風な政治抗争で、さしずめ「進化なき戦い」というところかな。



◆一国二制度の終わり

 今年後半戦の始まりとなった7月1日は、香港がイギリスから中国に返還されて23周年の記念日で、特にキリのいい数字でもないが記念式典が執り行われた。そして同時に 5月に中国の全人代(国会にあたる)で制定された「香港国家安全維持法」が施行され、香港でも中国本土なみに政治的自由の抑圧体制が敷かれることとなった。施行の直後のデモで300人以上が逮捕され、そのうち10名がさっそく同法によって逮捕されてしまっている。

 この「国家安全維持法」、もちろんその本文に言論弾圧だの人権制限だのが書いてあるわけではない。法律の趣旨は簡単にいえばタイトルの通り「国家の安全を維持する」ことが目的で、「国家の分裂」「政府の転覆」「テロ活動」「外国勢力との結託」といった国家の安全を危うくする行動を重大犯罪として扱い、最高刑無期懲役にする、という内容だ。しかしこれらの「罪」は中国共産党にとって危険かどうかが基準といってよく、戦前日本における「治安維持法」同様、いくらでも恣意的に言論・政治弾圧を可能にしてしまう。治安維持法だって制定した当初は政府ですらそんな使われ方をするようになるとは思ってなかったりするし、すでにかなりの言論統制監視体制を作り上げている中国本土の状況を考えると、正直香港の先行きは暗い。

 1997年7月1日にイギリスから中国に香港が返還された際、「50年は政治体制を変更しない」という約束があった。一党独裁の社会主義国である中国の「中」にありながらも、香港では多党制、民主主義、資本主義の体制を維持する、それがいわゆる「一国二制度」というやつだった。一見無茶な話に見えて、当時の中国は「改革・開放」政索のもと経済的には資本主義国状態でとっくに「一国二制度」状態になっていたから、香港がそこに入ってきたところで特に混乱は起きなかった。
 それでも政治的には中国本土と独立した「特別行政区」となり、選挙もあり議会もあり言論出版の自由ありという形を保ってきたのだが、ジワジワと中国政府の影響が及ぶようになり、今回の「国家安全維持法」でその支配が一気に強まることとなった。それも香港側の政治的手続きはほとんどなく、北京の中国政府が一方的に押し付けてくる形で施行されてしまったから、政治的にも「一国二制度は終わった」と言われてしまうわけだ。「50年は変えない」という約束も23年にして破ることにもなる。

 香港という土地が歴史上重要な意味を持つようになったのは、イギリスがCに仕掛けた「アヘン戦争」の結果、1842年の南京条約で香港島がイギリスの植民地となってからだ。香港はイギリスの東アジアにおける拠点の一つとして独自の発展を遂げ、中華人民共和国の成立後もこの地域で独自の経済・文化の中心地のひとつとなっていった。
 アヘン戦争の経緯はどうやってもイギリスのやり方に問題があるのだが、その後の香港が、結果的に自由かつ混沌とした魅力をもつ中華圏中心地になることにはつながった。中華圏では台湾もあるけど、1980年代までは中国国民党のもとで戒厳令が敷かれていたから、香港の方がずっと自由で明る場所となっていたのも事実。わかりやすいところで「香港映画」という独特の映画業界が生まれ、世界中を楽しませたのがいい例だろう。

 1997年に香港が返還されると、その香港映画も次第に独自の輝きを失っていったように思う。香港映画の「顔」ともいえるジャッキー=チェンが早くから仕事の中心を中国本土に置くようになり、早い段階から「中国より」な政治的発言をしてきたことは知る人ぞ知るだが、彼のような映画人・芸能人はそうしないと生き残れないから、という説明も聞く。近頃じゃハリウッド映画だって中国市場を強く意識してるくらいだし。

 返還以来、文化面だけでなく経済面でも香港がだんだんと独自の存在感を失ってきて、今回でとうとう政治的にも…ということになる。そういう危機感があったからこそここ数年若者を中心に激しい抗議活動が繰り返され、去年も犯罪者引き渡し条例をめぐって大規模デモが繰り返され、条例が撤回されたり議会選挙で民主派が圧勝するなど一時は「勝利」を得たかに見えた時もあったが、中国政府はやはり甘くはなかった。結果論だがかって刺激して、コロナ騒動のドサクサに一気に話を進めてしまった形だ。

 「国家安全維持法」の施行に対してアメリカをはじめとして各国政府は抗議の声をあげ、台湾やイギリスで香港市民の受け入れ姿勢が示されてもいる。香港の民主運動家たちはこれを機に国外へ亡命し、亡命議会を設立するなど国外からの運動を続けようとする動きもあるという。ただ、ついさっき見た話だがこうした運動家がツイッターで日本への移住の意思を示したとたんに、それまで民主化運動側を支持していたネトウヨな人たちが手のひらを返して「来るな」と騒ぎだしたりしていて…
 そもそも外国人嫌いの根が深い島国根性の日本は予想がついたが、民主派がしばしば国旗を掲げていたアメリカやイギリスも正直どこまでアテになるのか僕は疑問視している。トランプさん、例のボルトン暴露本で中国に貿易条件と引き換えにウイグル弾圧を黙認するとか言ってたことが暴露されちゃってたし、天安門事件の直後にもブッシュ父政権は裏では中国政府を擁護してたりしてた例もある。天安門事件の時も民主運動家の多くが国外へ亡命したが、その後まったく存在感を失ってしまったこともあるので、「欧米」もどこまでアテになるやら、とついつい思ってしまうのだ。

 そんなこと言ってたら夢も希望もないじゃないか、と思われそうだが、僕自身は思いのほか悲観的ではなく、前向きに考えるようにしている。香港がもとに戻る、というのは正直考えにくいのだが、中国全体を何らかの形で「民主化」すること自体は不可能とは思っていない。それがどのような形で実現するのかは全く予想つかないのだが、歴史は時として急激に大転換しちゃうこともある。もっともあまり急激だと世界中が巻き込まれそうなので、穏やかにいってほしいもんだとは思ってるんだが…


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