開設一周年記念 全翼機の世界特別編


3. 萱場3型無尾翼グライダー

3.1 3型の概要
 2型と同時に開発に着手した3型(戦前の航空雑誌では、萱場式5型という標記がされていますが、番号由来不明)は、大日本飛行協会の鷲見譲次氏を中心として昭和14年夏から作業が進められ、双発の長距離エンジン付き機ともなれるようHK1(萱場1型)、2型と比較して大型の機体なりました。 製作は東京蒲田にあった日本小型飛行機製作所で、昭和16年2月11日に完成し、羽田の萱場格納庫での修祓式の後、ウインチにて低空直線飛行を2回実施、良好であったようです。
 3型は全幅16m、全長6mの離れたタンデム式復座、垂直面の全くない機体で、方向操縦は翼端近くに設けたスポイラで行うものでした。翼弦中央部にそれがあります。方式はHoIXに近い感じです。
後にスポイラの代りに両翼端のエルロンを割り翼とした方向翼は特許にもなりましたが、実験せずに終っています。
[蛇足]これがどういう特許なのか不明ですが、もしかしたら日野熊蔵氏が取得した特許「日式操縦機(昭和16年10月出願、特許番号149023)」に関係あるかもしれません。 日野熊蔵伝の写真を見ると、展覧会の展示板に無尾翼機が描かれています。日野氏の特許自身は操縦装置自体だと思われますが、分割エルロンと関連したものかとも思われます

3.2 3型の飛行
 3型は昭和16年2月11日から始まった羽田でのウインチ曳航試験では概ね良好な特性を示し、柏でのテストに移行します。羽田が手狭だったこともあるでしょうか。軍との関連もあったかもしれません。
そして、2月27日、その日の最終飛行(高度50m)において、ダッチロールを起こします。鈴木五郎氏の著作『昭和の日本航空意外史』から、引用します。
「離脱しての滑空は素晴らしい縦安定であり、左右の傾き修正も良好だ。
滑空比が1:55くらいの時、突然、方向の修正に疑問を生じた。これまで、低空におけるテストでは十分の効きがあったのに、左方向に修正しようと左ペダルを静かに踏むと、左に急速に機種を向け、機体は右方向に横すべりしてしまうのである。
急いで反操作のため右ペダルを踏むと、今度は機種だけを右に、機体は尻を左に振って横滑りする。その修正に精一杯努めたが、状況はますます悪化した。つまり、修正不可能のダッチロールに入ったのである。 動的不安定(舵によるコントロールの難易度)の疑問が現実のものとなって、私は悟った。これはスポイラーを翼面から少し出すと、その効きはいきなり最高となる。ペダルを大きく踏んでスポイラーが翼面から高く上がると、下に風が吹き抜けて効きが最小になるのだ。と。この風圧降下は低空では測定できなかった。スポイラー による操舵の効きと向きを換えることは、逆になってしまうのである。」
 島飛行士による懸命の回復操作に係わらずロールは止まらず、ロールしたまま接地、「機首を下にもんどりうって転覆し、両翼、胴体とも大破してしまった」と島氏は回想しています。
島氏の無尾翼機による初の事故で、これにより島氏は顔の傷と脚の跛行を以降負ってしまいます。
こうして、3型は67回の飛行のみで、その生涯を終えます。


萱場3型飛行記録(『航空技術 '67年11月号』 より)
  期間  場所  飛行方法 回数 備考
S16.2.11 〜 16.2.19羽田ウインチ曳航43 慣熟飛行。安定性、操縦性良好、方向操縦性やや不良。横安定性非常によし。地上滑走中の重心位置不良。
S16.2.24 〜 16.2.27ウインチ曳航24 各テストとも良好。尚、27日の最終飛行でダッチロールに入り、ロールを残したまま着陸、左翼を大破。


3.3 機体緒元
 3型の緒元は前述した全幅、全長の他、滑空速度が80kmという以外残っていないようです。
写真を見る限り翼平面はクランクしているようで、ごく短い矩形の内翼と後退角をもった中翼、後退角を減らした外翼とに別れ、中翼と外翼後縁にフルスパンに渡って補助翼と昇降舵が付いているようです。 中央翼と外翼には一体の上反角が付いています。



使用/参考文献
  ・航空技術 No.149(67-8),152(67-11),154(68-1)、萱場資郎、日本航空技術協会
  ・航空70年史−1、、1970、朝日新聞社
  ・日野熊蔵伝、渋谷 敦、1977、図書出版 青潮社
  ・WINGED WONDERS THE Story of Flying Wings、1983、 National Air & Space MuseumE. T. Wooldridge
  ・昭和の日本航空意外史、鈴木五郎、1993、グリーンアロー出版社
  ・日本軍用航空戦全史(第五巻)、秋元 実、1995、グリーンアロー出版社

 使用した写真は、『航空技術』からのものです。



Mainページに戻る 日本の無尾翼機に戻る 次ページに進む