2003 アイドラーズ・もてぎ12時間+1分耐久レース

始まりは、一通のメールからだった。差出人は流山のミニ屋さんにして前回の茂原走行会の主催者にして物欲教最高顧問の異名をも持つカーセールアオキのAOKI社長。

「突然ですが、7/5のアイドラーズ12時間耐久でドライバーやってみませんか?」と。

AOKIさんが勢いでエントリーしてしまったレース。申請したゼッケンは「49(欲)」。もう本気なのか冗談なのか分からない話ではあるが出場するのは事実の様だ(笑)。おまけにレーシングドライバー三上和美選手もドライバーとして起用したとの事。初参戦ながら「勝ちに行くつもりでやる」との文面にエントリーフィーや仕事の休みやその他もろもろ厳しい事情は吹っ飛んだ。あっちが勢いならこっちも勢いで応戦、いや協力させて頂こうじゃありませんか。レース車両も前回の走行会に出走していた同店のデモカーをベースに新たに作り直すとの事。ドライバーとして走るだけでなく、車両製作まで協力させてもらえるなんて、こんな面白いチャンス逃してたまりますか。

こうして&とカーセールアオキさんのチャレンジが本格的に始動したのはレースまで1ヶ月を切ろうという頃だった・・・。以降、毎週火曜日の休日は流山へ、というのがレースまでの日常となった。

6月10日、とりあえず流山を訪れ詳しい話を聞く。当日までに自分がやること、用意すること。

草レースとはいえ国際格式サーキットでの混走レース。何があってもおかしくない。おまけにパッシブセーフティという言葉さえ無縁に思える基本設計の古いミニでのレース。その日の内にSPARCOの公認レーシングスーツとグローブを調達。ヘルメットもARAIのGP-2K、難燃生地の内装を持つ4輪レース用を注文。やはりカタチから入る傾向を否定はしないけれど、人が死ぬスピードが出る競技。何かあっても結局リスクを背負うのは自分自身だし、用心に越したことは無い。よくサーキット走行の敷居を低く、とか気軽にサーキット走行を、とか耳にするけど、だからといって適当な装備でオッケー、というのは違うと思う。

ってここで語ってもくどいだけなのでそれはまたの機会に。ヘルメットも届き、塗装&ステッカー製作も終えたのが6月21日。職場の宣伝も兼ねて取り扱い中の英国製メーカーのロゴを張り込んでみました。「KENTON」なんて名前、いかにも英国っぽくていい雰囲気でしょ?

6月17日。レースまで半月ちょい、という時点でエンジンルームはまだこの通り。足回りを組み上げてARCのスタビを取り付けている最中だった。&はステアリングギヤボックスのブーツ交換や燃料フィルターの交換などの軽作業を手伝わせてもらう。
組み上がったシリンダーブロック&ミッションを取り付ける。ヘッドは車載した状態でも組み付けられるのはOHVの便利なところ。
ビルシュタインのショックとオートリファイン(ARC)のフロントスタビライザー(もちろんリヤにも装着済み)。機能美溢れる、いかにも良い仕事しそうな足回り。

6月24日。次の周はいよいよ&の本領発揮。FRPボンネットの穴開け加工とボンネットピン、キャッチの取り付け。ボンネットピンの台座もアルミ板から適当な寸法で切り出して製作。穴の位置もピッタリで我ながらニヤリとする仕上がりで。

ボンネット先端のモールもFRPにタッピングビスでは脱落の危険が伴うので固定方法を模索。

あとは冷却用のダクト穴を開ける。穴の大きさ、位置決めを行い、実際の切断は失敗すると怖いので「サンダー職人」高橋さんにお願いする。悪魔のように繊細に、天使のように大胆なそのサンダー裁きは正に職人の名にふさわしいッス。リューターで断面を整えて、明日はそのまま塗装に出します。

最低限の補記類の取り付けも終わり、レースまであと11日という段階で遂にエンジンに火が入る。実は先週積んでから今日までの間にもう一度エンジン降ろしてバラして積み直しているらしい(笑)。連日の深夜までの作業、お疲れさまです・・・。

この日も作業が終了したのは日付が変わる頃。

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