Since 1997/11/08
〜は〜
●PERFECT BLUE●
監督 今敏
声の出演 岩男潤子 松本梨香 辻親八 大倉正章
あちこちで「観ました」「観ろ観ろ」と同時期にやられるので、ここまで言われちゃってことですぐさま観に行きましたよ……。
その結果……ふう、だ。この溜め息がすべてを象徴する、って終わってもしょうがないな。
今敏は大友克洋の「MEMORIES」の「彼女の想いで」の脚本書いた人。ってことで作画も大友克洋系の絵柄。ついでにキャラクターデザインが江口寿史。
大友克洋も江口寿史も細部をやたらに精細して描く方々。おおざっぱに言い過ぎるかもしれんが大友克洋が男性の絵柄を担当し、江口寿史は女性の絵柄を担当している。その凝りようが、奇妙な相乗効果を出している。気色悪さと言ってもいいかもしらんが。
ちょうどこれを観る前日に、某週刊誌で岩男潤子嬢が元セイトフォーだったという、ファンでなくとも知っているような話題が掲載されていましたが、(「衝撃の事実」だと思っているのはこの雑誌だけだと思うが)この役柄、ってばさ……。この人にこの台詞を言わせるのって相当皮肉ではないのかね。(そういえば結婚されていたらしい。元LOOKの山本はるきちっていうが結構「衝撃的」だったかもしらんが。とにかくおめでとうございます)
「自分らしさ」「本当の自分」なんて盛んに言われるが、私はこの言葉が大嫌いだ。心理学者に騙されてはいかんよ。「外見上、世間一般に流通している自分は偽者で、本当の自分は誰にもわかってもらえない」だとか甘えんな。他人に知られている自分も自分で感知している自分も、すべて「自分」である。どうもこの「人格不一致」をさもそういうもんだとして売っている風潮(ドラマ・ストーリーもののメディアすべてにおいて)は好きになれんな。
それとは別に、他人に「幻想としての自分」を売っておられる方々の大変さは、確かに私の想像を超える。基本的にストーカーなんぞはアホンダラである。ここに出てくる「Me−MANIA」なるハンドルネームの男(しかし、実際いかにもありがちな名前で、ネーミングがうますぎて嫌んなってくる。あと、アイドルおたく少年たちの会話やアイドル業界の周縁なども。原作が竹内義和さんだからか)こいつはジョンレノンを殺した男と同じ発想だよ。
「あなた誰?」って聞かれたら「俺」と答えるしかない(笑)
私はこの映画は、発想から演出すべてふくめて実写でやるとしたら、難しいと思うのですよ。まず未麻は誰が演ずるのかという問題(設定がシャレにならんだろ)そして幻覚作用や、あの未麻のドッペルゲンガーは、アニメだからこそ生きてくると思うのです。実写じゃあちょっと……。(1998/04/18)
●秘祭●
原作・脚本 石原慎太郎
監督 新城 卓
出演 大鶴義丹 倍賞美津子 石原良純 本田博太郎 梅津栄 三木のり平 田村高廣
新潮文庫「秘祭」を読んでください。終わり……って終わるなよ。
しかしなあ……、どれを取って話しても、ネタバレにつながりそうだな……。
沖縄本土返還25周年と題された映画のストーリーの根底には、どうも「本土VS島」という安易な図式では抱えきれない重いものを持っているのだが……。
いや、実際観る前にそう想像しましたよ。その間に立って苦悩する純朴青年として大鶴義丹が演じているのだと。(本来の大鶴義丹は、そのルックスとまったく相違しているのだけどね。関係ないこと思い出したけど、この人今の俺の年齢より若いときにすばる文学賞獲ったんだよな)
どうも売る側のパッケージとして「本土VS島」の背景の安易さが、見え隠れしすぎると、せっかくの俳優の良さも、原作者が脚本やってるってことも無意味になってしまうよ。いい映画なのにそのへんが後味悪いな。
結末もほとんど後味悪いようなものなんだけど。(1998/06/20)
●ピガール●
脚本・監督 カリム・ドディ
出演 ヴェラ・プリオル フランシス・ルノー
「墜ちてゆく女」のフランシス・ルノーがまたしても情けない役で出ている。今度は両刀使い。のぞき部屋でストリッパーをしているヴェラは、ゲイバーに出入りしているフィフィと友人関係に、さらに恋愛関係に。彼はドラッグクイーンのディヴェンヌと肉体関係(つまりお尻の関係ってことです)だった……。その恋愛のもつれは、ピガールという街の夜の有力者たちを巻き込んで、やがて殺人事件が発生……。
というわけでR指定っす。ヴェラが、股間の前に当てる布以外何もつけずに踊ったり、男が男の尻につっこんでいる(←もっと婉曲な表現はないのか)シーンは出るしで。
暴力シーンは比較的おとなしめですが、個人的には、この映画でいちばん暴力的かつ、せつないシーンとして、フィフィがヴェラと愛の行為に至るのだけど、彼はディヴェンヌと同じように、肛門に愛を求めてしまうのでした。拒否して泣くヴェラに強制してしまうという。愛はかたちにならない段階では、美しい(と独り合点してしまいがち、いやこの場合ふたり合点か?)のにかたちになるとグロテスクな部分を連れてくるのだと。
ラストは賛否両論だろう。(1998/11/12)
●FISHING WITH JOHN(episode1〜3)●
ジョン・ルーリー ジム・ジャームッシュ トム・ウェイツ マット・ディロン
ジョンルーリー釣り紀行。各界有名人(笑)それぞれまったく釣りのど素人。おまけにジョンも釣りの腕は怪しい。ほとんど内輪受けの局地のような設定(まさかノンフィクションドキュメンタリーではないだろう)が奇跡的に柔軟な映画に仕上がっている。
仲間内の単なるおしゃべりが、いつのまにか哲学的命題に優るとも劣らないように……一瞬思える(笑)「Why am I here?」と船上でつぶやき続けるジム・ジャームッシュ。釣った魚をパンツの中に入れるトム・ウェイツ。釣りの前にアフリカ原住民よろしく「釣りの舞」を踊るマット・ディロン。みんな釣りの最中は与太話のみ。その与太話は、よくよく聞いてみるとたいしておもしろくもなんともないのだが、不思議と酒を飲んでいるときの会話のように高揚感がある。それが観客までも引きずる。
そういやたったひとつ反則技があった。ジョンは映画音楽プロデューサーである。映画のBGMだってお手の物。まして「他人を笑わせるようなBGM」だって……。(1998/04/18)
●FISHING WITH JOHN(episode4〜6)●
ジョン・ルーリー デニス・ホッパー
月刊カドカワ98年3月号(つまり最終号)にジョン・ルーリーと石井總伍の対談が載っていた……うーむ。燈台元暗し。「どこがほんとでどこが嘘か、クイズにしようと思って」おいおい。
◆ブエノスアイレス◆
監督 ウォン・カーウァイ
出演 トニーレオン/レスリー・チョン/チャン・チェン
1997年ブレノンアッシュ
キスしあう男と男が出てくるものの、同性愛映画にあらず・・・というのも全体的なけだるいトーンは、以前のウォン・カーウァイ映画のような「男と女の緊張感」と無縁だから?
それにしてもこんなに女性が出てこない映画も珍しい。だけどむさ苦しさを感じないのは意図的にモノトーンを使ったりして趣向を凝らしているから。(さっそくホームページでマネしよう・笑)このためにウォン・カーウァイ映画は「オシャレ」と呼ばれるのだろうけど、オシャレで終わらないたくましさ、というか香港の人独特の食欲旺盛さがまたしても反映されているのではないかな。日本人は腹八分目で残すから(笑)
◆フル・モンティ◆
監督 ピーター・カッタネオ
脚本 サイモン・フォーボイ
出演 ロバート・カーライル トム・ウィルキンソン マーク・アディ ポール・バーバー スティーブ・ヒューイソン ヒューゴ・スピーア エミリー・ウーフ レスリー・シャープ ウィリアム・スネーブ
1997 20世紀FOX
……うーむ、日記に以前こういうことを書いたら、友人から「男もすでに商品になっているんじゃないの」というメールをもらったが……、それをフィクションながらに体現している世界ってこれだな、明らかに。
やっと観ました。前から観ようと思っていながら実際観るときの優先順位が低くなっていたのはもう上映記録更新しているのに満員らしくて、「また今度にしよう」と思ってしまったり。
あと、予告だけで判断すると、やむにやまれぬ状況と一見実現不可能に思われる目標に向かって、紆余曲折ありながら最後に栄冠をつかむ……、というお決まりサクセスストーリーなんだろうな、という予想があった。実際に観た。その想像を上回っていた。まあこれだけ評判になっている映画がつまらなくはないのだろうが。
その醍醐味は、芸達者な人間たちがただいるわけではなく、ストーリーの最後の最後まで、ある種の緊張感を携えながらコメディーもシリアスも徹底して演じてること。
だから、誰一人として「この人物って、この映画には無理に出てくる必要ないんじゃない?」という人はいない。これは珍しいことじゃないんじゃないかと思う。1時間33分という短時間でテンポよく進んでいくため、映画が苦手な人も飽きさせない。
なにせ冒頭の、ロバート・カーライルとマーク・アディの、鉄骨を盗むところで失敗して、排水溝を下るところでしくじって沈んだ車の上で立ち往生しているところでの二人のかけあい。あれを観ただけで「あ、この映画はちゃんと金とれるわな、客入るわけだな」と思ったもの。(1998/04/11)
●フレンチドレッシング●
原作 やまだないと
監督・脚本 斎藤久志
出演 櫻井宗久 阿部寛 唯野未歩子 矢口史靖
大映 100分
櫻井宗久=なよなよ+狂暴。
この乱暴な等式から考えていくことにする。
私は櫻井宗久がモデル出身ということ以外何の予備知識もありませ〜ん(あったらむしろ恐いだろ)唯野未歩子もショートカットの、むしろ男の子と見まがうばかりのルックス。やはりモデル系から出てきた子なのかなあ。阿部寛にしたって最近忘れかけているがメンズノンノ出身だし。(本人はこう言われるの嫌だろうなあ)
この三人のホモあり純愛あり、生ありイジメあり暴力ありの青春映画……って頻繁にこの映画ページをご覧になっている方々(ってほとんどいないのだろうな。ちと空し)は気づいたかもしれませんが、どちらかといえば予告だけで「絶対観よう」と思ったのね。
モデル系な方々が出演している映画であって、ひょっとすると櫻井宗久のファンはアイドル映画の作風を期待して観にきている人もいたことだろう。しかしこれがアイドル映画とはちがうんだよな。なにしろ出演者のアップが少ないし。せいぜい唯野未歩子の微笑み(これが普通の女の子以上に「女の子」を感じさせる)ぐらい。
モデル系のルックスと体型は、ともすると合成食品か人工甘味料の感触しか得られないものでありますが、彼らに渦巻く「日常の無味乾燥なやりきれなさ」と「どんな形であれ、この場所での幸せは求めるぞ」という無限の葛藤が、自然食品のざらざらした味わいに近くなっている。
どういうツラしていたって、中身は中身なんだよ。(1998/08/08)
●プープーの物語●
脚本・監督 渡辺謙作
出演 上原さくら/松尾れい子/國村準/山中零/鈴木清順/原田芳雄
テアトル新宿というのは、新人監督の、言ってみりゃ「なんじゃこりゃあ」って作品が多かったりする。大きな収益を見込めない分だけ、作り手がやりたい放題のことをやって、あえて観衆に共感を求めない、言わば監督のマスターベーションに寄りかかっているものが多い。こういうのに比べれば庵野秀明なんてまだ可愛い方だと思うんだけどな。
んで、この作品も一見するとそういう匂いがするのだけど、上原さくらと松尾れい子のかわいらしさに寄りかかっていないところに好感が持てる。(そういうの、多すぎるんだよ。特に主演がアイドル的な存在の人だと)
現代ならいくらでも精細な映像を低予算で作ることも可能なのだけど、あえてそこに行かず、チープな模写感覚を大事にして撮っている。言葉も説教臭くならず、なおかつナンセンスの味もくずさず(どこかに行ったまま、帰ってこなくなっていること多いもんなあ)最後まで行く。ロングランになったのもわかる。
しかし鈴木清順も原田芳雄もよくこの映画に出たなあ、と思っていたら鈴木清順はこの映画の監督の師匠らしい。(1998/06/27)
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