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▼銀色夏生「夕方らせん」(新潮文庫)
小説の作風には、大なり小なり自分という存在を滲ませるかたちと、自分自身からまったくかけ離れたかたちを作り出す、大ざっぱに分ければそんな二分化がある。
銀色夏生という人は厭世的なように見える。そのペンネームに、文庫の著者紹介に写真を入れたがらない姿勢、そして幻想的な詩や小説。
それは一方的な見方だということもよくわかっている。刷数を重ねて十冊ぐらいにもなる『つれづれノート』(角川文庫)には、愛児や自らの写真、育児や離婚のことを潔く明かして、なおそれが自己憐憫につながらない清廉な文章になっている。
この清廉さが、詩はまだしも小説になると、味の薄い夏の洋菓子のように、訴えかけるものが少ないのではないかと、身勝手な想像をしていたが、いざ実際に読んでみると、何作かははっきりとセクシャルなものを喚起させる文章であった。いやエロ語り、ってこととはまたちがうんだけどさ。(2001/07/19)
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