←前へ
次へ→
戻る

村上龍『希望の国のエクソダス』(文藝春秋)
 ネタバレ注意。
 朝から1ページ目を開き、高速バスの中でずっと読み、そして高速バスの中でこれを書いてます。新宿歌舞伎町の火事のニュースで頭がいっぱいになっていたので、これで頭を雑巾並みに搾り取られたようになりました。勢いで読んだので、全部の意味をはっきり理解しているか怪しいけど。
 盛んに「現実味の喪失」という言葉が出てきて、自分が現実にかかわっていることへの恐怖心を煽り立てられている時に読んで、ちょうどよかったのかもしれない。不登校の中学生たちが仮想建国をする、というのは、村上龍自身が傍観者になってしまっている年齢だからこそかもしれない。『愛と幻想のファシズム』では自らを託しているようであったが(本人によると、『コインロッカー・ベイビーズ』の二男一女の生まれ変わり)この小説の語り手はまったくの傍観者であり、協力することも恩恵を受けることもない。ラストでは、将来は首謀者ポンちゃんが北海道に造った、経済からも資源からも左右されない、あの野幌市に住みたい、と親子三人で語っているが、そのシンプルな希望に落ち着いてくれてほっとした。もっと悲惨なラストを想像していたから。
 政治用語も経済用語も、「希望だけがない」というポンちゃんの台詞に「じゃあもっと希望をくれええ、せめてこの小説の中だけでも」と麻薬患者のように叫びたくなる飢渇効果を持っていましたな。この小説の趣旨は、もっと絶望することにあったんじゃいのかと。
 あと、主人公関口の伴侶となった由美子。これが最初、同棲の相手で堕胎経験者、という設定、しかも経済記者なので、その辺に疎い(俺も疎い)関口に訥々と語るさまは、女性らしさを排除しているためかと思いましたが、普通に結婚して普通に女の子を産んだところが、ちょっと拍子抜け。(2001/09/03)
←前へ
次へ→
戻る