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▼綿矢りさ『インストール』(河出書房新社)
すでにあちこちのネットの掲示板、あるいは「FLASH」の記事に写真と談話付きで報道されたりして、この作品と作者を取り巻く環境は、あと何日か、穏やかならざる状況が続くのでしょう。
現役女子高生が書いた小説としていろいろ偏見を持った目で見られることは間違いないし。僕もそのひとりで、すでに何人かの方々が書評を掲載されているのを読んでいるわけで、その部分だけで当作品への向き合い方に変化は出てくるのだし。まったくまっさらに読んだとは断言できない。また、そういう心持ちでしか読めなかったです。では以下、書評。
デビュー作という冠を与えられるにふさわしい小説であるということ。これも偏見で言ってますが、女性が書く文章は、端々に「自分が女であるということ」への情念が見え隠れしやすいものなんですが、(そういう人、いっぱいいるでしょ。誰とは言わないけど)「日々に悶々とした女子高生」を描いていながら、作者自身が悶々としていると感じられない。つまり主人公と作者がまったく重ならなかった。
もちろん、僕は綿矢りさという人物に関する情報は、報道された内容以外にまったく持ち合わせていません。ただ、「女子高生として自分がどう見られているか」「マスコミに取り沙汰される女子高生の世代として自分がどう感じているか」などという、書き手としての情念や時代への問いかけなどが出ていたら、途中で読むのをやめたかもしれない。書きたいことがはっきりと伝わっているけど、この人は「何を書くことで書き手の私が存在しているかを訴えかける」より「物語をつくるという作業が好き」なんだろうな、ということが素直に伝わってきました。主人公は言ってみれば「綿矢りさが解釈した女子高生像」でしかないんですね。
一文一文がわかりやすい文章(チャットとは何か、という質問があったら、マニュアル読ませるよりこの小説を読ませた方がいいくらい)なので、読み手がどこを引用して、どのように解釈するかが非常にやりやすい。ただし、その平易な文章に溺れて本質を見失う危険性もある。
同様にして、ネカマのエロチャットでアルバイトを薦めた小学生の男子や、彼の不器用な継母など、現実の世界に存在するかどうか、ぎりぎりの位置にいる設定の登場人物も、舞台が(現実世界を模倣した)フィクションに住むことだけで有効になる。
選者の保坂和志が「『インストール』というタイトルはよくない」と発言したことについて、「小説自体を浅く解釈されてしまう」と僕は勝手に解釈しましたが、これくらいわかりやすいのなら、タイトルだって呼応するように平易でいいのではないかと。(2001/10/21)
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