←前へ
次へ→
戻る
▼辻仁成『太陽待ち』(文藝春秋)
立原四郎の兄二郎が拳銃で頭を打ち抜かれ、病院で昏睡状態にあるとき、四郎の携帯にひとりの男からの電話がひっきりなしに掛けられてきた。藤沢と名乗るその男は「二郎が持っていたランドセルを返してくれ。なかったら探せ。探せなかったら君の母と姉の命はないと思え」
四郎は井上肇監督が撮影している映画の美術担当。通称「汚し屋」と呼ばれるその仕事は、小道具を映像にふさわしい時代や背景に沿ってそれらしく彩ることを目的とする。仕事仲間は丸山智子。二郎の元彼女。
撮影はほとんど終えているのにクライマックスだけ終わらない。監督が思い描いている太陽がどうしてもうまく撮れない。撮影隊に淀んだ空気が漂う。その中で四郎は、生死を彷徨う兄のこと、そしてしつこくつきまとう藤沢のことで、ひとり困惑している。
ついに四郎は藤沢と直接会う約束をする。ランドセルの中身とは何か。そしてじかに出会って、聞かされた二郎との交流内容、藤沢の出生の秘密――。
章ごとに、ひとつの世界からまた別の世界が、核分裂のように増殖する。それは植物人間になった二郎の夢の世界であり、また四郎や智子が息をして歩いている現実の世界であり、さらには監督の回想の世界であり、誰かの出生の秘密に繋がる手記の中の世界である。後半になると、それぞれ独立した世界はさまざまな形を伴って繋がり始める。思いがけない繋がり方をしていくのは、ひとりの人間が持ち合わせている孤独、そして優しさにどれだけ作者自身が感情移入しているか、そして読者がどれだけそれを納得するかがこの作品が世に浸透していく鍵だろうか。(2001/11/09)
←前へ
次へ→
戻る