■◇■ ある理不尽の肖像 ■■■■

 --- すべてのカナコファンに捧ぐ ---

▽ 別れは突然に その3 :雑文7 を一部改訂 (2000/07/23)

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 その日、私の財布にはかつてないほどのお金が溢れていた。3万円である。3万円と言えば、吉野屋で牛丼がおよそ60杯、若しくはタバコ120箱、若しくはゲーセンでギターフリークスが300回もできるほどのお金である。逆に言えば、それほどまでに私は追いつめられていたのだ。
 もちろん、カナコ&さかぼう催す私の送別会のためである。詳しくは act.21 を御覧いただきたいが、ともかく私は自分の送別会のために3万円もの大金をわざわざおろしてきたのであった。

 送別会は、3月の末日の夜、名古屋市のとある懐石料理屋で行われた。いつぞやの再来である。店は違えど、それら一流店が持つオーラのようなものは、まったく同じである。そこは、あの超一流料亭と呼んでもおかしくない店と同じにおいのする料亭であった。どうしてそのようなところをカナちゃんが知っているのかは謎である。だが少なくともそういった一流店でカナちゃんが一度たりともお金を払ったことがないということだけは確かである。
 しかしながら私は正直言って少し安心した。いつか行ったあの店と同じような店ならば値段もそうは変わらないはずである。推定ひとり5000円、3人なら15000円である。それで安心しているあたり私の感覚も相当ずれている様な気がするが、それでカナコとさかぼうから逃れられるのならば安いモノだ。そのとき私は、そう思った。

 ところが、まずいつもと違ったのは店に着くと、そこにはひとりのかわいらしい娘さんがいたことだった。その娘さんは我々3人を見つけると、ちょこちょこと駆け寄り、そしてカナちゃんに話しかけた。カナちゃんもその娘が近づいてくるのを認めると、飛び跳ねながら手を振った。どうやら知り合い同士のようである。

 「ごめーん、待ったぁ?」

 と、カナコ。なにやら待ち合わせをしていた様子である。今から送別会だというのに友達と待ち合わせるなどどういう神経の持ち主かと読者諸君は思うかもしれないが、こんなことはそれほど問題でない。問題はなぜに待ち合わせをしていたか、ということである。
 ちなみにカナちゃんの友達は、名をミホさんといい、背が小さく、髪は肩くらいの長さで、かわいらしいという言葉がぴったりの娘さんである。とてもカナちゃんと同じ歳とは思えない童顔で、カナちゃんとならぶと概観だけならそれは文句ナシな二人組になった。
 だが、カナちゃんの次の一言で、かわいいとかかわいくないとか、背が小さくて童顔だとか、そんなことはまったく意味を持たなくなった。

 「今日はね〜、アタシの後輩の子がおごってくれるんだよ。」
 「え〜、そんなの悪いじゃ〜ん。」

 待て。誰がアンタにおごってやると…。しかし、そんな疑問の答えは即座に見つかった。誰がおごってやるとミホさんに言ったのか、カナコ以外にそんなこと言うやつぁいねーって。
 そういうわけなので、我々4人は颯爽と(正確にはひとりはすでにこの時点でゲンナリしていた)店ののれんをくぐったのである。

 カナちゃんが女将に予約してある旨を伝える。ここで私はカナちゃんが「4人で予約してあるんですけど」と女将に告げていたのを聞き逃さなかった。ハナから4人のつもりだったようである。まったくこの娘だけは誠にもって許し難い娘である。こんな理不尽なことが頻発することは本来あってはならないことのように思うが、カナちゃんにかかっては軽々とこういった不測の事態が起きるのだ。
 大きな畳敷きの部屋に案内されると女将は笑顔を残して去っていく。例の如く、すでにオーダーはすんでいるようである。そもそもお品書きすら置いていない。単品で注文するようなところではないようである。私はそういった高級料理店には行きなれていないため、少しソワソワと当たりを見回し、落ち着かない気分だった。そして、その浮き足だった気分を抑えるためと、後々訪れるであろう支払いの時のことを想定し、どの程度のランクの店かを把握するため、店内におかれる数々のオブジェクトを入念にチェックしていった。
 掛け軸、花瓶、畳、どれをとっても一級品のようである。(少なくとも私にはそう見えた)そして、もちろんコース料理も、そのひとつひとつがまばゆい宝石のような逸品ばかりであった。以前行ったひとり 5,000 円のコースと比べても遜色のない、むしろ確実に割高の雰囲気を醸し出したすばらしい料理である。
 私はおそるおそるカナちゃんに問うてみた。

 「あ、あの、カナコさん。今日の料理は、おいくらのコースなんですか?」

 よく考えると、これはお金を払うひとのセリフではない。いや、もっと言うなら送別会で送られるひとのセリフでもないように思う。値段の知れぬ料理のお金をどうして私が払わなければいけないのだろうか。今更のように腹が立ってくるのである。ところが、カナちゃんの口から出た値段は思うよりずっと安い値段であった。

 「 3,500 円のコースで、あとは飲み代と、お刺身が時価かな。」

 なんとこれだけの料理で 3,500 円。私は一瞬耳を疑ったが、紛れもなくそのお値段であった。そして、この瞬間、頭の中でものすごいスピードで計算が進んでいく。3,500 円が4人前で 14,000 円。飲み代なんて4人でビール大瓶が数本、大したことはない。多くても2万円で済む。なんてラッキーなんだ!!
 この時点ですでにおかしなことになっている。そもそもそれが安いと思わされているあたり変である。まったく何かが間違っているとしか思えない。なぜラッキーなどと思っているのか私は。

 しかしここでまったく私の予想を覆すひとつの事件が起きた。宴会も盛り上がり(もちろんミホさんとの会話に終始徹した)さかぼうも近年希にみるほどしおらしく、お金の問題さえなければまったく送別会にふさわしいものだった。そして、もうそろそろと席を立とうとしたとき、女将さんが奥からやってきた。なんとその手に持たれているのは花束だった。
 カナちゃんの仕業のようだった。去りゆく私のために花束を用意してくれていたのであった。赤白黄色、色とりどりに咲くその花を女将さんがまずカナちゃんに手渡し、カナちゃんの手から私の手に渡った。そっと添えてあるカードにはカナちゃんの字で「おつかれさま」と、そしてさかぼうの汚い字で「ありがとうございました」とそう書いてあった。
 これほどの感動があるだろうか、卒業式の日に今までさんざん手を焼いた悪ガキどもにお礼を言われる担任の先生のような、なんともむずがゆいうれしさだった。ああ、私は彼らのことを誤解していた。口では悪く言いながらもカナちゃんたちはそれなりに感謝してくれていたのだ、とようやくその時に気づいた。私はカナちゃんとさかぼうにありがとうと頭を下げ、そして花束をもう一度眺めた。春の匂いがほんのりと私たちを包み、もうお別れなんだと改めて実感させられたのであった。

 もちろんそれだけで済むはずもない。女将はもうひとつ私に手渡した。「払い」である。私はそれを渡された時、本当に女将が金額を間違えたのだと思った。そこには卒倒してもおかしくない金額が記されてあった。私の計算によると多くとも20,000 円で済むはずなのに、その時決壊するはずもない私の財布を揺るがすほどの金額が書き込まれてあった。
 皆の感動をまさか、そこでイヤなムードにするわけにもいかず、私はおずおずと「 VISA カード」を取り出し、女将に渡した。これでお願いします、という蚊の鳴くような情けない声で。

 金額についてはもう何もいうまい。しかし、思えば、花束ひとつで危うく騙されかけたのである。ようく考えてみれば、花束のひとつやふたつもらえて当然である。それ相応のお金を払っているのだから、当然過ぎて、へそで茶をわかすくらいに当然の出来事である。なにをそれごときで私は感動などしてしまったのだろうか。まったくもって不覚だった。一世一代の恥といっても良いくらいである。
 さて、冷静になって金額を確かめてみる。渡された内訳を見る以上確かにひとり 3,500 円である。しかし、お刺身の「時価」というのが曲者だったのだ。「時価」と言えば「時価」なのだ。安いのか高いのわからないが、ともかく「時価」なのだ。その「時価」が原因でまさかあんなにまでなってしまうとは夢にも思っていなかった。
 そりゃあ、喰ったさ。ウニだのトロだの、カニだのタイだの。でもその値段はないだろう。しかもどうして俺がオマエらの分まで払わにゃならんだ!
 と、イカンイカン。ちょっと興奮した。

 そんなわけで、またしてもカナコにやられたようである。

 だが、私はついにカナコの手から逃れた。うれしすぎて、第九をドイツ語で歌ってしまいそうである。もう2度とこんな目にもあわなくて済む。救われた。神は私を見捨てていなかったのだ。
 言っておくが、この話にこれ以上のオチはない。カナちゃんもいっしょに異動になっただの、私の異動がなくなっただの、異動先はとなりの部屋だの、というような腐ったオチなど考えてもいない。また、そんなことになってもらっても困る。真の平和を手にしたのだから。

 ところで、4月以降、カナちゃんからのメールが後から後から送られてくる。今日はゴンタ(カナちゃん宅の犬の名前)がどうしただの、さかたくんがどうしただの、といった死ぬほどどうでもいいメールだ。できれば読まずにゴミ箱行きにしたいところだが、うちの職場のグループウェアメールはメールを出した相手がメールを開いたか、開いていないかわかってしまう。読まずに廃棄すると「削除」ではなく、「廃棄」と表示されるのである。仕方がないのでいちいち開いては捨てているが、このまま平和が続いてくれるといいな、と私は本当に心から願っている。

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