■◇■ ある理不尽の肖像 ■■■■

 --- すべてのカナコファンに捧ぐ ---

▽ 良き先輩:(2001/08/18)

 先輩、これからもよろしく。あ、無理にとは言いませんが。

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 「よろしく、お願いします。」
 と、僕は言った。彼女はその時、とても優しい笑顔でお姉さんらしく笑うと
 「よろしくね。ここの仕事は忙しいときはとっても忙しいけど、みんな良いヒトばっかりだから楽しいよ。一部のひと除いてだけどね。」
 とおどけてみせた。僕は彼女のその言葉に新入社員としての不安と緊張感をやわらげられたような気がした。忙しいときは忙しいだなんてかなりあたりまえだし、一部の嫌なヒトを除いたら残りは良い人だなんていわれなくてもわかる。きっとこのひとは、そういうあほっぽい冗談を言って僕を少しでも安心させようとしてくれているんだなと思った。当時彼女はまだ26歳で、肩まである綺麗な黒髪もまつげの長い二重まぶたも、そしてそのしなやかな指先も、すべてが僕の憧れだった。しゃべりさえしなければとても才能豊かな女性にすら見えた。
 そう言えば、いつから僕は彼女の召使いになったのだろうか。そのきっかけすらもう僕は覚えていないけれど、いつからか二人は使うものと使われるものの関係になった。ある意味恋人よりも深い関係。ただ搾取する側と搾取される側にはいつも争いごとが絶えず、あー言えばこう言うし、こう言えばあー言う、そんなステキな関係が続いた。
 僕が今の職場に勤めるようになってから数日、彼女は僕にいろいろな知識を与えてくれた。お茶の煎れ方、課長の机の拭き方、ごみ箱の片付け方、それまで後輩がいなかった彼女にとって僕はとても(都合の)良い後輩だったようだ。彼女の仕事のほとんどである雑用のすべてが僕にそうしてきっちり引き継がれていった。(もちろん僕はアルバイト社員ではないので、本職の方がたっぷりあるのだが)彼女はその度に
 「こういう仕事はね、一見無駄なように見えて、実はすごく大事なんだからね。雑用って言うと若い子はすぐに嫌がるけど、こういう細かいことをきちんとやってこそ大事な仕事もキチンとこなせるようになるんだから。」
 と言っていたが、客人にお茶を出す等の仕事のとき、彼女が毎回毎回僕にぐずぐず文句を言っていたこととはたぶん彼女の中では別の事柄なんだろう。ちなみにそういう時決まって彼女は彼女の好みによってその客人のランクを定めて、お茶の分量や氷の量などを定めていた。お茶出しを極めた人間にしかできない、かなりの高等技術なのだ。
 僕は勤めてから2,3ヶ月のうちに彼女の教えてくれた雑用のほとんどをマスターした。彼女に言わせればまだまだアタシには及ばない、のだそうだが、僕はそう思うんならオマエがやれとかそういう野暮なことはもちろん言わなかった。だいいち良く考えると朝一番に出勤して部屋の掃除やエライひとの机拭きをするのだが、彼女が一番に出勤したところを僕は見たことが無い。そもそも彼女の出勤時間は確かに僕らよりも遅く設定されてはいたのだが、その時間にきっちりと現れたことすらなかったように記憶している。10分程度の前後はどうやらあたりまえのようだった。あ、いや「前」はない。10分「後」だけだ。
 今振り返ってみても当時から彼女のやることは無茶苦茶だった。我がままという言葉はあまり適切でない。やはり理不尽なのだ。行動や考察の仕方に何の脈絡もないことが多い。わけのわからない理由で僕はよく小間使いにされるし、八つ当たりもされる。僕が入社してもう5年目。彼女との付き合いも5年目。いつになったら僕はひとりの男として見てもらえるのだろうか。成人の男として、ひとりの人間として見てもらいたいと思う。いや、一番いいのは、僕のことをすっかり記憶からはずしてもらえたらそれが一番いい。危険因子にはできるだけ接触しないほうが賢い。ほら君子危うきに近寄らずと昔から言うではないか。
 あ、いや、君子カナコに近寄らず、か。

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