■◇■ ある理不尽の肖像 ■■■■

 --- すべてのカナコファンに捧ぐ ---

▽ ウェディングドレスをあなたに:(2004/10/21)

 あれは忘れもしない2003年の春。

 僕の先輩である真田さん(31)の結婚と退職が決まった知らせを受けた僕は、詳細を聞こうとカナコに電話をした。

 「真田さん、結婚して辞めちゃうってホントですか?」
 「あら、耳が近いのね?」(ん?近い?)
 「…え、ええ。風の便りで。」
 「6月いっぱいで退職するんだって。」
 「うっそーん。マジですかー。チクショオォォ。」
 「なんで悔しがってんの…。ちゃんと祝福してあげなきゃダメよ。」
 「相手どんなひとですかっ。この俺を差し置いて結婚しちゃう嫌な野郎は。」
 「真田さんが学生時代にアルバイトしてた歯医者の先生だって。」
 「医者ですか!!!!!チクショウ医者ときたらどいつもこいつも…俺の真田さんを…」
 「…いつからてしくんのになったの…」
 「ぁぁ。明日からどうやって生きていこう…。」
 「そうだ、お祝いにどこかご飯でも食べにいこうか?」
 「ぇ、ぁぁ、いいですよ…。もうなんでも…。」
 「じゃ適当なところを予約しておくからよろしくね。」

 憧れの真田さんを歯医者ごときに奪われる悲しみに、僕はそのとき、なにもかもがどうでもよくなっていた。おそらく俺が全支払いを命ぜられるであろう、お店のランクですらも。

 数日後、僕とカナコと真田さんと3人で夕食を食べに行くことになった。正直、カナコが夕食につきあうことなんて滅多になく(カナコの場合、自分の時間を職場関係の人間に費やすなどという不毛な選択肢は選ばないことが多い。)カナコとしても、真田さんが職場を離れることを残念がっているのがここでもわかった。
 名古屋駅のツインタワーをかなり上の方までエレベーターであがる。午後7時、あたりはにわかにネオンで彩り始め、エレベーターから見下ろす夜景に微妙な歓声をあげる真田さんとカナコ。真田さんのその横顔のまたかわいいこと!25歳と言われても本気で信じるぐらいのかわいらしさ!となりにカナコさえいなければ、それは素晴らしい一瞬になるはずだと本気で思ったくらいだ。できるなら、このエレベーターからカナコだけ引きづりおろして、無理矢理にでもふたりきりになりたかった。

 さて、豪華な中華料理を囲みながら、我々は終始真田さんの結婚話に花を咲かせたわけだが、一部僕には興味のないカナコの最近の恋愛事情について話が振られた。僕は最初、そこでそんなとんでもない事実を聞かされることになるとは、夢にも思っていなかった。そもそもそれに一切の興味を抱いていなかったし、そんなことを受け入れる男性が世の中にいるはずがないという固定観念を持っていたからだ。いや、正直、今でもそれをすんなり受け入れることはできない。有り体に言えば、「ありえねぇ」である。

 「あたしもそろそろ結婚しようと思うの。」

 カナコは確かそんなことを言ったように記憶している。今度の彼氏はどうも大学の先生のようだ。将来有望らしく、ある意味カナコのプライドを満足させるほどの人材であるらしい。カナコの一方的な考えか、或いは勝手な勘違いか、とも思った。カナコを結婚相手として意識する男性がいるとしたら、大物か、若しくは騙されてるかのどちらかだろう。もしも、彼が騙されているとしたならば、僕はそこから救ってやらねばなるまい。
 しかしいったいそのような男性をどこから引っ張ってくるのかまったくわからない。だいたいカナコは当時ですでに3X歳だ。そろそろ外見にもその本質がにじみ出てくるはずの年齢ではないか。だとするなら、第一印象からカナコがどんな人物か見抜けなくてどうするというのだ。

 だが、結婚するという事実は少なからず僕に安堵感を与えた。もう見えない鎖でつながれる心配はない。ようやく長く苦しい苦難の道も終わるのだ。そういえば誰かが言っていた。終わりのないトンネルなどない、と。終わってしまえば、そのトンネルですら、なんというか僕を成長させるためにあったひとつのハードルに過ぎなかった、とすら思える。超えたときひとはハードルを振り返り、それを自信と交換するのだ。
 僕はさりげなく、話をカナコの話から真田さんの話に戻しつつ、そう過去を振り返った。真田さんと食事代は失ったが、この席で得たものも果てしなく大きい。そう考えれば、迷うことなくひとり1万円コースを選んだカナコのその理不尽っぷり無遠慮っぷりもかわいいものに思える。僕はこの達成感を得るために今まで奴隷のような扱いに耐え続けてきたのだ。

 ところで、真田さんはさすがに全額僕に払わすわけにはいかない、と財布の口を開けて払うそぶりをみせたが、カナコは最初から僕に全額負担させるつもりだったようで、本当に何事もなかったように、レジでお金を払う僕を振り返ることすらなく店を出て行った。知らない人がお金を払うシーンだけ見ていたならば、きっと僕と真田さんは二人連れのように見えたことだろう。

 僕らは店を出たところで別れた。いつものカナコならば僕に家まで送らせるところだが、その日は違った。カナコは何も言わず、ただうつむき加減に僕に背を向けた。僕はふたりに手を振ると、駅に向かって足を向けた。仕事帰りの酔っぱらいサラリーマンたちが、騒いでいるのが遠目に見える。真田さんの結婚式は6月だと言っていた。カナコはいつ頃結婚するんだろう、いややっぱり結婚なんてまだなんじゃ。カナちゃんと結婚なんて結んでも結びつかないよね。そんなことを思った。そして、ふと何か思い出したように振り返ると、まださっきの場所にふたりの女性の背中が見えた。その時、僕は初めて気がついた。
 カナコの薬指に輝く銀色のリングに。

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