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發心集 序・第一 

鴨長明
(近藤瓶城 編、改訂 史籍集覽23 近藤活版所 1901.12.25
※「新加書」6− 「新加纂録類」、として「二中歴」「簾中抄」「今昔物語 殘缺」「發心集」「螢蠅抄」を収録。
※適宜段落を区切り、句読点・注記を施した。仮名遣いの誤りはそのままにした。 は異本のテキスト。

   總目録  第一  第二  第三  第四  第五  第六  第七  第八

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發心集序

ほとけのをしへたまへる事あり、「心の師とはなるとも、こゝろを師とすることなかれ。」と。まことなるかな、此こと。人一期のあひだに思ひとおもふわざ、あくごうにあらずといふ事なし。もしかたちをやつし、衣をそめて、世のちりにけがれざる人すら、そとものかせぎ(*鹿)つなぎかたく、家のいぬつねになれたり。(*鹿は慈悲心、家狗は瞋恚の心を譬えるという。)いかにいはんや、因果のことはりをしらず、名利のあやまりにしづめるをや。むなしく五欲のきづなにひかれて、つゐに奈落のそこに入なんとす。心あらん人、たれかこのことをおそれざらんや。かゝれば事にふれてわが心のはかなくをろかなることをかへりみて、かのほとけのをしへのまゝに、心をゆるさずして此たび生死をはなれてとく淨土にむまれん事、たとへば牧士のあれたる駒をしたがへてとをきさかひにいたるがごとし。但此心に強弱あり、淺深あり、かつ自心をはかるに、善をそむくにもあらず、惡をはなるゝにもあらず、風のまへの草のなびきやすきがごとく、又浪のうへの月のしづまりがたきににたり。いかにしてかかくをろかなる心をゝしへんとする。ほとけは衆生の心のさま/〃\なるをかゞみ給ひて、因縁譬喩をもつてこしらへをしへたまふ。われらほとけにあひたてまつらましかば、いかなる法につけてかすゝめ給はまし。他心智(*他人の心を悟る智恵)も得ざれば、たゞわが分にのみ理をしり、をろかなるをゝしふる方便はかけたり。所説たへなれども、うる所は益すくなきかな。これによりみじかき心をかへりみて、ことさらにふかきみのりをもとめず、はかなくみること・きく事をしるしあつめつゝ、しのびに座の右にをけることあり。すなはちかしこきを見てはをよびがたくとも、こひねがふえんとし、をろかなるをみてはみづからあらたむるなかだちとせんと也。今これを云に、天竺震旦のつたへきくはとをければかゝず、佛菩薩の因縁は分にたへざればこれをのこせり。たゞ我國の人のみゝちかきをさきとして、うけ給ることのはをのみしるす。されば、さだめてあやまりはおほく、まことはすくなからん。もし又二たびとふにたよりなきをば、ところの名・人の名をしるさず。いはゞ雲をとり風をむすべるがごとし。たれ人かこれをもちひん。しかあれど人信ぜよとにもあらねば、かならずしもたしかなる跡をたづねず。道のほとりのあだことの中に、わが一念の發心をたのしむばかりにや、といへり。

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發心集總目録



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發心集第一

鴨長明 撰
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玄敏僧都とんせいちくでんの事

「むかし玄敏僧都(*玄賓)といふ人ありけり。山しな寺(*興福寺)のやんごとなき智者なりけれど、世をいとふ心ふかくして、さらに寺のまじはりをこのまず。三輪河のほとり(*三輪山の北、檜原谷という。)にわづかなる草のいほりをむすびてなんおもひ入つゝすみける。桓武の御門の御時、此事きこしめしてあながちにめし出しければ、のがるべきかたなくて、なまじゐにまじはりけり。されどもなをほいならず思ひけるにや、奈良の御門(*平城天皇)の御代に大僧都になし給けるを辭し申とてよめる、
三輪川の きよきながれに すゝぎてし ころもの袖を 又はけがさじ
とてなん奉りける。
かゝるほどに弟子にもつかはるゝ人にもしられずして、いづちともなくうせにけり。さるべきところ/〃\尋ねもとむれどさらになし。いふかひなくて日比へにけれど〔は かのあたりの人はいはず、すべて世のなげきにてぞ有ける。
そのゝちとし比へて、弟子なりける人、事のたよりありてこしのかたへ行ける道にある所に大きなる河あり。渡し舟まちえてのりたるほどに、此わたしもりをみれば、かしらはをつゝかみ(*押っ掴み頭)といふほどをきたる法師のきたなげなるあさの衣きたるにてなむありける。『あやしのやうや。』と見る程に、さすがにみなれたるやうに覺ゆるを、『たれかはこれに似たり。』とおもひめぐらすほどに、うせて年ごろになりぬるわが師の僧都に見なしつ。『ひがめか。』とみれど、露たがふべくもあらず。いとかなしくて涙のこぼるゝをゝさへつゝさりげなくもてなしけり。かれも見しれるけしきながら、ことさらめみあはず(*「目見合はせず」か)。はしりよりて『いかでかくては。』ともいはまほしけれど、『いたく人しげゝれば、中/\あやしかりぬべし。のぼりざまに、よるなどゐたまへらん所にたづねゆきてのどかにきこえん。』とて、過にけり。
かくてかへるさに、そのわたりにいたりてみれば、あらぬわたしもり也。まづめくれ、むねもふたがりて、こまかにたづぬれば、『さる法師侍り。とし比此わたし守にて侍りしを、さやうの下らうともなく、つねに心をすまして念佛をのみ申て、かず/\に船ちんとる事もなくして、たゞ今うちくらふ物などの外は、物をむさぼる心もなく侍りしかば、此里の人のいみじういとおしうし侍りし程に、いかなる事かありけん、過ぬる比かきけつやうにうせてゆき方もしらず。』とかたるに、くやしくわりなく覺えて、其月日をかぞふれば、わが見あひたる時にぞありける。『身のありさまをしられぬ。』とて、又さりにける成べし。此事は物語(*『古事談』かという。)にもかきて侍る。」となん、人のほの/〃\かたりしばかりをかきけるなり。
又續古今のうたに、
山田もる そうづ(*案山子を「そほど」という。)の身こそ あはれなれ 秋はてぬれど (*原文「と」の字なし。)ふ人もなし
これもかの玄敏の歌と申侍り。雲風のごとくさすらへゆきければ、田などもる時もありけるにこそ。
ちかき比、三井寺の道顯僧都(*藤原顕時の子)ときこゆる人侍りき。かの物がたりを見て、なみだをながしつゝ、「わたしもりこそげにつみなくて世をわたる道なりけれ。」とて、みづ海のかたに舟をひとつまうけられたりけるとかや。その事、あらましばかりにて、むなしく石山の河ぎしにくちにけれども、こひねがふ心ざしはなをありがたくぞ侍りし。


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同人伊賀の國郡司につかはれ給事

伊賀の國にある郡司のもとにあやしげなる法師の「人やつかひ給ふ。」とてすぞろに入來る有けり。あるじこれをみて、「わそうのやうなるものをゝきては何にかはせん。いともちひる事なし。」といふ。法師のいふやう、「をのれらほどの者は、法師とておのこにかはる事なし。何わざなりとも、身にたへんほどのことはつかまつらん。」といへば、「さやうならばよし。」とてとゞむ。よろこびていみじうまごゝろにつかはるれば、ことにいたはる馬をなんあづけてかはせける。
かくて三年ばかりふるほどに、此あるじのおのこ、國の守のためにいさゝかたよりなきことをきこしめして、さかひのうちをゝはる。父おほぢの時より居つきたる物なりければ、所領もおほく、やつこもそのかずあり。他の國へうかれゆかん事かた/〃\ゆゝしきなげきなれど、のがるべきかたなくてなく/\出たつあひだに、此法師あるものにあひて、「此殿にはいかなる御なげき出きて侍るにか。」ととふに、「われらしき(*我々風情。あるいはお前たちごときの意か。)の人はきゝてもいかゞは。」とことの外にいらふるを、「何とてか身のあしきによらん。たのみたてまつりてもとし比になる。うちへだて給べきにあらず。」とてねんごろにとへば、事のおこりをありのまゝにかたる。法師のいふやう、「をのれが申さん事、もちひ給べきにあらねど、何かはたちまちにいそぎさり給ふべき。物は思はざる事も侍る物を。まづ京上(*「京上り」か。)していくたびも事の心を申入て、なをかなはずはその時にこそはいづかたへもおはせめ。をのれがほの/〃\しりたる人、國司の御あたりにははんべり。たづねて申侍らばや。」といふ。思ひの外に、人々、「いみじくもいふ物かな。」とあやしうおぼえて、あるじに此よしかたるに、ちかくよびよせてみづからたづねきゝ、ひたすらこれをたのむとしもなけれども、又おもふかたなきまゝに、此法師うちぐして京へ上りにけり。
その時、この國は大納言なにがしの給はりにてなんありけるに、京に至りつきてかのみもと近く行よりて、法師の云やう、「人を尋むと思ふに、此かたちあやしく侍るに、衣けさたづね給りてんや。」と云ふ。すなはちかりてきせつ。主の男をぐして、かれを門にをきて、(*僧は)さし入て「物申侍らん。」と云に、こゝらあつまれる物共、此人をみてはら/\とおりひざまづきてうやまふをみるに、伊賀のおとこ、門のもとよりこれをみてをろかに覺えんやは。「淺まし。」と守り奉る。
すなはちかくと聞て、大納言いそぎ出あひてもてなしさはがるゝさま、事の外也。「さても『いかに成給けるにか。』と思ふばかりなくて過侍りつるに、さだかにおはしけるこそ。」などかきくどきの給へり。それをばことずくなにて、「さやうの事は靜に(*そのうちのんびりと)申侍らん。今日はさして申べきこと有てなん。いがの國に年比あひ頼みて侍つるものゝ、はからざる外にかしこまりをかうぶりて、國の内をゝはるゝとて歎侍り。いとおしう侍るに、若深きおかしならずは、此法師に許し給りなんや。」と聞ゆ。「とかく申べきならず。さやうにておはしければ、わざとも(*とりわけ)思ひしるべき男にこそ侍るなれ。」とて、元よりもまさゞまに悦ぶべき(*より所領を下さるという)〔廳(*「庁宣」は国司が支配地へ下す公文書。)のたまはせたりければ、悦て出す(*「出づ」か)
又伊賀の男あきれまどへるさま、理也。さま/〃\に思へど、あまりなる事は中々えうちいださず。「宿に歸りてのどかに聞えん。」と思ふ程に、衣けさの上に有つる聽宣さしをきて、きと(*さっさと)立出るやうにて、やがていづちともなくかくれにけりとぞ。これもかの玄敏僧都のわざになん。ありがたかりける心なるべし。


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平等供奉山をはなれて異州に趣く事

中比、山に平等供奉(*『今昔物語集』に長増、『古事談』に平燈とするという。)とてやむごとなき人有けり。すなはち天台眞言の祖師(*高僧)也。ある時、かくれ所(*便所)にありけるが、にはかに露のむじやうをさとる心おこりて、「何としてかくはかなき世に、名利にのみほだされて、いとふべき身をおしみつゝ、むなしく明しくらすところぞ。」と思ふに、過にしかたもくやしく、とし比のすみかもうとましくおぼしければ、さらに立かへるべき心ちせず、白衣にてあしたさしはきおりけるまゝに、衣などだにきず、いづちともなく出て、西の坂をくだりて京のかたへくだりぬ。
いづくに行とゞまるべしとも覺えざりければ、ゆかるゝにまかせて淀の方へまどひありき、くだり船のありけるにのらんとす。貌(*かたち)などもよのつねならずあやしとてうけひかねども、あながちにたのみければのせつ。「さてもいかなる事によりて、いづくへおはする人ぞ。」ととへば、「さらに何事と思ひわきたる事もなし。さして行つく所もなし。たゞいづかたなりとも、おはせんかたへまからんと思ふ。」といへば、「いと心えぬ事のさまかな。」とかたぶきあひたれど、(*船人も)さすがになさけなくはあらざりければ、おのづから此舟のたよりに伊與の國にいたりにけり。さてかの國にいづちともなく迷ひありきて、乞食をして日をおくりければ、國の者ども「門乞食」とぞつけたりける。
山の坊には、「あからさまにて出給ぬるのちひさしうなりぬるこそあやしうなむ。」といへど、かくとはいかでか思ひよらん。「おのづからゆへこそあらめ。」などいふほどに、日もくれ夜もあけぬ。おどろきてたづねもとむれどさらになし。いふかひなくして、ひとへになき人になしつゝ、なく/\あとのわざ(*「後〔のち〕の業」に同じ。葬儀。)をぞいとなみあへりける。
かゝるあひだに、此國の守なりける人、供奉の弟子に淨眞(*静真)阿闍梨といふ人をとし比あひしたしみて、いのりなどせさせければ、國へくだるとて、はるかなるほどにたのもしからんとて、具して下りにけり。此門乞食、かくともしらでたちの内へ入にけり。物をこふあひだに、わらんべどもいくらともなくしりにたちてわらひさいなむを、此阿闍梨あはれみて、「物などとらせん。」とてまぢかくよぶ。おそれ/\えんのきはへ來たるをみれば、人のかたちにもあらず、やせおとろへ、物のはら/\とあるつゞりばかりきて、まことにあやしげなり。さすがに見しやうにおぼゆるを、よく/\おもひ出れば、わが師なりけり。あはれにかなしくて、すだれのうちよりまろび出て、縁のうへに引のぼす。守よりはじめてありとある人、おどろきあやしむあまり(*「あやしむ。あざり」か)、なく/\さまざまにかたらへど、詞ずくなにてしゐていとまをこひてさりにけり。
いふばかりもなくて、あさの衣やうのもの用意して、ある所をたづねけるに、ふつとえたづねあはず。はてには國の者どもにおほせて、山林いたらぬくまなくふみもとめけれどもあはで、そのまゝにあとをくらうして、つゐに行すゑもしらずなりにけり。その後はるかに程へて、人もかよはぬ深山のおくのC水のある所に「死人のある。」と山人のかたりけるに、あやしくおぼえてたづね行てみれば、此法師西にむかひて合掌して居たりけり。いとあはれにたうとく覺えて、阿闍梨なく/\とかくの事どもしけり。
今もむかしも、まことに心をおこせる人はかやうに古郷をはなれ、見ずしらぬところにて、いさぎよく名利をばすてゝうするなり。ぼさつのむしやうにん(*無生忍。無生の真理を悟ること。)をうるすらもと見たる人のまへにては神通をあらはすことかたしといへり。いはんや、今おこせる心はやむごとなけれど、いまだふたいのくらゐ(*不退の位。信心が固まった境地。)にいたらねば、事にふれてみだれやすし。古郷にすみ、しれる人にまじりては、いかでか一念のまうしんおこらざらむ。


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千觀内供遁世籠居の事

千觀内供(*10世紀の人。橘俊貞の子。愛宕念仏寺を再興。念仏上人と呼ばれたという。)といふ人は、智證大師(*円珍)のながれ(*園城寺の学僧)、ならびなき智者なり。もとより道心ふかゝりけれど、いかに身をもてなしていかやうにおこなふべしとも思ひさだめず、おのづから月日をおくりけるあひだに、ある時公請ぐしやう(*「くじゃう」。朝廷から法会・講義に招請されること。)をつとめてかへりけるに、四條河原にて空也上人にあひたりければ、車よりおりてたいめんし、「さてもいかにしてか後世たすかる事は仕るべき。」と聞えければ、上人これをきゝて、「何さかさまごとはの給ふぞ。さやうの事は御房なんどにこそとひたてまつるべけれ。かゝるあやしの身はたゞいふかひなくまよひありくばかりなり。さらに思ひみだる事侍らず。」とてさりなんとし給ひけるを、袖をひかへてなを念比にとひければ、「いかにも身をすてゝこそ。」とばかりいひて、引はなちてあしばやに行過給ひにけり。
その時内供、河原にてしやうぞくぬぎかへて、車に入て、「ともの人はとく房へかへりね。我はこれより外へいなむずるぞ。」といひてみな返しつかはして、たゞひとり蓑尾(*箕面)といふ所にこもりにけり。されどなをかしこも心にかなはずやありけん、居所思ひわづらはれける程に、ひんがしのかたに金色の雲のたちたりければ、そのところを尋てそこにかたのごとくいほりをむすびてなん跡をかくせりける。すなはち今の金龍寺(*摂津国高槻の金龍〔こんりゅう〕寺)といふは是也。かしこにとしごろ行ひて、終に往生をとげけるよし、くはしく傳(*『日本往生極楽記』という。)にしるせり。此内供は人の夢に千手觀音の化身と見たりけるとかや。千觀といふ名は、かのぼさつの御名を略したるになん有ける。


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多武峰増賀上人遁世往生の事

増賀(*「ぞうが・そうが」)上人は經平のさいしやう(*参議橘恒平)の子、慈惠(*「じゑ」)僧正(*良源。元三〔がんさん〕大師。)の弟子なり。此人おさなかりしに、せきとく(*碩徳)人にすぐれたりければ、「ゆくすゑにはやむごとなき人ならん。」とあまねくほめあひたりけり。しかれども、心のうちにはふかく世をいとひて、名利にほだされず、極樂にむまれんことをのみぞ人しれずねがはれける。
思ふばかり道心のおこらぬ事をなげきて、根本中堂に千夜まいりて、夜ごとに千べんの禮をして道心をいのり申けり。はじめは禮のたびごとにいさゝかもこゑたつる事もなかりけるが、六七百夜になりては「つき給へ、/\。」としのびやかにいひて禮しければ、きく人、「此僧は何事を祈り『天狗つき給へ。』といふかな。」と、かつはあやしみ、かつはわらひけり。をはりがたになりて、「道心つき給へ。」とさだかに聞えける時、「あはれなり。」などぞいひける。
かくしつゝ千夜みちて後、さるべきにやありけん、世をいとふ心いとゞふかくなりにければ、「いかにしてか身をいたづらになさん。」とついでをまつほどに、ある時内論義(*「内論議」。正月、御前での議論会。)といふ事ありけり。さだまる事にて、論義すべきほどのおはりぬれば、饗(*「きゃう」)を庭になげすつれば、もろ/\の乞食方/\にあつまりてあらそひとりてくらふならひなるを、此宰相禪師にはかに大衆の中よりはしり出て、これを取てくふ。みる人、「此禪師は物にくるふか。」とのゝしりさはぐをきゝて、「我は物にくるはず。かくいはるゝ大衆たちこそ物にくるはるめれ。」といひてさらにおどろかず。「あさまし。」といひあふほどに、これをいて(*「ついで」か。)として籠居しにけり。後には大和の國たふのみね(*多武峰)といふ所にゐて、思ふばかりつとめおこなひてぞとしを送りける。
そのゝちたうとき聞えありて、時の后の宮の戒師(*「かいのし」。出家する人に戒を授ける僧。)にめしければ、なまじゐにまいりて、南殿のかうらんのきはによりて、さま/〃\に見ぐるしきことゞもをいひかけて、むなしく出ぬ。
又ほとけくやうせんといふ人のもとへ行あひだに、説法すべきやうなど道すがらあんずとて、「名利を思ふにこそ魔縁たよりをえてけり。」とて、行つくやおそきそこはかとなき事をとがめて、施主といさかひてくやうをもとげずしてかへりぬ。
これらのありさまは、「人にうとまれてふたゝびかやうの事をいひかけられじ。」となるべし。
又師の僧正よろこび申し給ひける時、前駈の數に入てからざけといふ物を太刀にはきて、骨限(*「ばかり」か。)なる女牛のあさましげなるにのりて、やかたにつかまつらん(*前駆をいたそう。「やかた口つかまつらん」という本文もある。)とて、おもしろく折まいりければ、見物のあやしみ思は〔おどろか ぬはなかりけり。かくて「名聞こそくるしかりけれ。かたい(*乞食)のみぞたのしかりける。」とうたひて、うちはなれにけり。僧正も凡人ならねば、かの「我こそやかたにうため(*「打つ」は馬〔牛〕を駆けさせる意か。「屋形」は師の乗物を指し、前駆する意をいうか。前同様、「やかた口うため」とする本文もある)。」とのたまふこゑの、僧正の耳には「かなしき哉。わが師惡道に入なむとす。」ときこえければ、車のうちにて「これも利生のためなり。」とこたへ給ひけるとかや。
此上人、いのち終らんとしける時、まづ碁盤をとりよせてひとり碁をうち、次に障泥あをり(*「あふり(アオリ)」。泥除けの馬具。)をこふて、これをかづきて小蝶と云舞のまねをす。弟子どもあやしみてとひければ、「いとけなかりし時、此二事を人にいさめられて、思ひながらむなしくやみにしか。心にかゝりたれば、『もし生死の執となる事もぞある。』と思ひて。」とこそいはれけれ。
すでに聖衆のむかへを見て、よろこびてうたをよむ。
みづはさす 八十あまりの 老の浪 くらげのほねに あひにけるかな
とよみておはりにけり。
此人のふるまひ、世の末には物ぐるひともいひつべけれども、境界(*習わしに従う生活)はなれんための思ひばかりなれば、それにつけても有がたきためしにいひをきけり。人にまじはるならひ、たかきにしたがひ、下れるをあはれむにつけても、身は他人の物となり、心は恩愛のためにつかはる。これこの世のくるしみのみにあらず、出離のおほきなるさはり也。きやうがひをはなれんより外には、いかにしてかみだれやすき心をしづめむ。


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高野の南筑紫上人出家登山の事

中ごろ、高野に南づくしとてたうとき聖人(*『三外往生記』『閑居友』等に南筑紫・北筑紫という鎮西出身の僧の伝を載せるという。)ありけり。もとはつくしの者にて、所知などあまたある中に、かの國のれいとして門田おほくもちたるをいみじき事と思へるならひなるを、此おとこは家のまへに五十町ばかりなむもちたりける。
八月ばかりにやありけむ、あしたにさし出て見るに、ほなみゆら/\と出ととのほりて(*原文「出とくのほりて」)、露心よくむすびわたして、はる/〃\見えわたるに、思ふやう、「此國にかなへるきこえある人おほかり。しかれども、門田五十町もてる人はありがたくこそあらめ。下らうの分にはあはぬ身かな。」と心にしみて思ひゐたるほどに、さるべきしゆくぜん(*宿善)やもよほしけん、又思ふやう、「そも/\これは何事ぞ。この世のありさま、昨日ありと見し人、けふはなし。あしたにさかへる家、ゆふべにをとろひぬ。一たびまなこをとづる後、おしみたくはへたる物、なにのせんかある。はかなき執心にほだされて、ながく三途(*地獄)にしづみなむ事こそいとかなしけれ。」とたちまちに無常をさとれる心つよくおこりぬ。又おもふやう、「わが家に又かへり入なば、妻子ありけんぞくもおほかり。さだめてさまたげられなんず。たゞ此ところをわかれて、しらぬ世界に行て、佛道をおこなはん。」と思ひて、あからさまなる躰ながら(*ちょっと家を出た姿のまま)京へさしてゆく。
その時さすがに物のけしきやしるかりけん、ゆきゝの人あやしがりて、家につげたりければ、おどろきさはぎてけるさまことはりなり。其中にかなしくしけるむすめの十二三ばかりなる者ありけり。なく/\おひつきて、「我をすてゝはいづくへおはします。」とて袖をひかへたりければ、「いでや(*なんと)、おのれにさまたげらるまじきぞ。」とて、刀をぬき(*己の)かみをおしきりつ。むすめおそれおのゝきて、袖をばはなちてかへりにけり。かくしつゝ、これよりやがて高野の御山へ上りて、かしらをそりて、ほいのごとくなむおこなひけり。かのむすめ、おそれてとゞまりたりけれど、なをあとをたづねて、あまになりて、かの山のふもとにすみて、しぬるまで物うちすゝぎ、たちぬふわざをしてぞけうやう(*孝養)しける。
此聖人、後にはとくたかくなりて、たかきもいやしきも歸せぬ人なし。たうをつくりくやうせんとしける時、導師を思ひわづらふあひだに、夢にみるやう、「此堂は、その日その時、淨名居士(*維摩詰。後に「さまをやつし」た法師が登場することと呼応する。)のおはしまして供養し給ふべき也。」と人のつぐるよし見ければ、すなはちまくらしやうじにかきつけ、いとあやしけれど「やうこそあらめ。」とおもひて、おのづから日を送りけり。
まさしくその日になりて、堂しやうごんして心もとなく待ゐたれば、あしたより雨さへふりて、さらに外より人のさし入もなし。やう/\時になりて、いとあやしげなる法師のみのかさきたる、出來りておがみありくありけり。すなはちこれをとらへて、「待たてまつりけり。とく此堂をこそくやうし給はめ。」といふ。法師おどろきていはく、「すべてさやうのさいかく(*才覚・才学)の者にはあらず。あやしのものゝ、おのづから事のたよりありてまいり來れるばかりなり。」とて、ことの外にもてなしけれど、かねて夢のつげありしやうなどかたりて、かきつけたりし月日のたしかに今日にあひかなへることをみせたりければ、のがるべきかたなくて、「さらば、かたのごとく申上侍らん。」とてみの笠ぬぎすてゝ、たちまちに禮盤にのぼりて、なべてならずめでたく説法したりけり。此導師は、天台の明賢阿闍梨になむありける。かの山をおがまんとて、忍びつゝさまをやつしてまうでたりける也。これより此あじやりを高野には淨名居士の化身といふなるべし。
此上人は、ことにたうとき聞えありてぞ、白河院は歸依し給ひける。高野は此聖人の時よりことにはんじやうしにけり。つゐにりんじう正念にして往生をとげたるよし、くはしく傳(*『三外往生記』という。)に見えたり。おしむべき資材につけて厭心(*原文「厭」字の厂なし。)をおこしけん、いとありがたき心なり。二世の苦をうくる事は、たからをむさぼる心をみなもとゝす。人もこれにふけり、われもふかくぢやくする(*「著する」)ゆへに、あらそひねたみて、貪慾(*「とんよく」)もいやまさり、瞋恚もことにさかへけり。人のいのちをもたち、他のたからをもかすむ。家ほろび國のかたぶくまでも、皆是よりおこる。此ゆへに「よくふかければ、わざはひおもし。」ともとき、又「欲の因縁をもつて三惡道に墮す。」ともとけり。かゝれば「彌勒の世には、たからを見てはふかくおそれいとふべし。釋迦のゆいほう(*遺法)の弟子、これがために戒をやぶり罪をつくりて、地ごくにおちけるもの也。」とて、「どくじやをすつるがごとく、道のほとりにすつべし。」といへり。


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小田原教壞上人水瓶を打破事

小田原といふ寺(*高野山の小田原谷)に、教壞上人(*教懐。藤原教行の子。小田原聖と称せられた。高野聖の祖の一人という。『高野山往生伝』に伝記があるという。院政期初めの頃の人。)といふ人ありけり。のちには高野にすみけるが、あたらしき水瓶(*「すいびょう」〔すいびん〕=水差し)のやうなどもおもふやうなるをまうけて、ことに執し思ひけるを、えんにうちすてゝおくの院へまいりにけり。かしこに念誦などして一心に信仰しける時、このすいびんを思ひ出して、「あだにならべたりつる物を。人やとらん。」とおぼつかなくて、心一向にもあらざりければ、よしなくおぼえて、かへるやをそきとあまだり(*雨垂り)の石だゝみのうへにならべて、うちくだき捨てけり。〔或云、水瓶を金瓶といへり。〕
又横川に尊勝のあじやり陽範といひける人、めでたき紅梅をうへて、又なき物にして、花ざかりにはひとへにこれをけうじつゝ、おのづから人のおるをもことにおしみさいなみける程に、いかゞ思ひなん(*「思ひけん」か)、弟子なども外へゆきて人もなかりけるひまに、心もなき小法師のひとり有けるをよびて、「よき(*手斧)やある。もてこよ。」といひて、此梅の木を土ぎはよりきりて、上にいさごうちちらし、あとかなくてゐたり。弟子かへりておどろきあやしみて、ゆへをとひければ、たゞ「よしなければ。」とぞこたへける。
これらはみな執をとゞむる事をおそれける也。教壞も陽範も、ともに往生をとげたる人なるべし。まことに、かりの家にふけりてながきやみにまよふ事、たれかはをろかなりと思はざるべき。然れども、せゞしやう/〃\(*世々生々=生々世々)にぼんなふのつぶね・やつこ(*奴隷)となりけるならひのかなしさはしりながら、我も人もえおもひすてぬなるべし。


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佐國花をあひして蝶となる事

或人圓宗寺の八かう(*八講。法華八講会。)といふ事にまいりたりけるに、時まつほどやゝ久しかりければ、そのあたりちかき人の家をかりてしばらくたち入たりけるが、かくてその家をみれば、つくれる家のいとひろくもあらぬ庭に、前栽をえもいはず木どもうへて、上にかりやのかまへをしつゝ、いさゝか水をかけたりけり。いろ/\の花、かずをつくしてにしきをうちおほへるがごとく見えたり。ことにさま/〃\なる蝶いくらともなくあそびあへり。ことざまのありがたくおぼえて、わざとあるじをよび出て、此事をとふ。
あるじのいふやう、「これはなをざりの事にもあらず。おもふ心ありてうへて侍り。をのれは佐國と申て、人にしられたる博士の子にて侍り。かのちゝ世に侍りし時、ふかく花をけうじて、おりにつけてこれをもてあそび侍りき。かつはその心ざしをば詩にもつくれり。『六十餘國見れどもいまだあかず。他生にもさだめて花を愛する人たらん。』など作りおきて侍りつれば、おのづから生死の會執にもやまかりなりけんとうたがはしく侍りしほどに、あるものゝ夢に『蝶になりて侍る。』と見たるよしをかたり侍れば、つみふかくおぼえて、『しからば、もしこれらにもやまよひ侍るらん。』とて、心のおよぶ程うへて侍る也。それにとりて、たゞ花ばかりはなをあかず侍れば、あまづらみつなどを朝ごとにそゝき侍る。」とぞかたりける。
又六波羅寺の住僧幸仙といひける者は、とし比道しんふかゝりけるが、たちばなの木をあひし、いさゝかの執心によりてくちなはとなりて、かの木の下にぞすみける。くはしくは傳(*未詳)にあり。
かやうに、人にしらるゝはまれなり。すべて念々のまうしう、一々に惡身をうくる事は、はたしてうたがひなし。まことにおそれてもおそるべき事なり。


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神樂岡C水谷佛種房の事

神樂岡のしみづ谷といふとっころに、佛種房とてたうとき聖人ありけり。たいめんしたる事はなかりしかども、ちかき世の人なりしかば、つゐにわうじやう人とて人のたつとみあひしをばつたへきゝ侍りき。
此聖人、そのかみ水のみといふ所にすみ侍りける比、木ひろひに谷へくだりけるあひだに、ぬす人いりにけり。わづかなる物ども、みなとりて「とをくにげぬ。」と思て、かへり見れば、もとのところなり。「いとあやし。」と思ひて「なをゆくぞ。」と思ふほどに、二時ばかりかの水のみの湯やをめぐりて、さらに外へさらず。そのときに、ひじりあやしみてとふ。答へていふやう、「我はぬす人なり。しかるに、とをくにげさりぬとおもへども、すべて行事を得ず。是たゞ事にあらず。今にいたりては、物をかへし侍らん。ねがはくはゆるし給へ。まかりかへりなん。」といふ。聖のいはく、「なじかはつみぶかくかゝる物をばとらんとする。たゞし、ほしう思ひてこそはとりつらん。さらに返しうべからず。それなしとも、我はことかくまじ。」といひて、ぬす人になをとらせてやりけり。大かた、心にあはれみふかくぞありける。
としをへて、かのC水谷にすみける時、あひたのみたるだんをつ(*檀越)あり。ふかくきえして、折ふしにはおくり物し、事にふれては心ざしをはこびつゝ過けるに、ことにこの聖わざと出きたりていふやう、「思ひかけずおぼしぬべけれど、年ごろたのみ奉りて侍るなり。此ほど夢のごとくなる(*いささかばかりの)庵室をつくるとて、たくみをつかひ侍りしが、魚をよげにくらひ侍りしがうらやましくて、うをのほしく侍れば、『この殿にはおほく侍るらん。』と思ひて、わざとまいれるなり。」といふ。あるじ、おろかなるおんな心に「あさまし。」と思ひの外におぼえけれど、よきやうにしてとり出したりければ、よく/\くらうて殘りをばかはらけをふたにおほひて、かみにひきつゝみて、「是をばあれにてたべん。」とて、ふところに入て出にけり。そのゝち此人ほいなくおぼえながら、さすがに心ぐるしく思ひやりて、「一日の御家づと夢がましく見え侍りしかば、かさねてたてまつるなり。」とて、さま/〃\にてうじておくりたりけれど、そのたびはとゞめず、「御心ざしはうれしく侍べり。されども、一日の殘りにたべあきて、今はほしくも侍らねば、これをかへしたてまつる。」となむいひたりける。これも「此世に執をとゞめじ。」と思ひけるにや。
此佛種房、ある時風氣ありてわづらひけり。かたのやうなる家あれこぼれて、つくろふ事なし。やまひをみる人もなければ、ひとりのみやみふせりけるに、時は八月十五夜の月いみじくあかゝりける夜、よひよりこゑをあげて念佛する事あり。まぢかき家/\たうとくなん聞え、きあつまりてみるに、板間もあはずあれたる家に、月のひかりこゝろのまゝにさし入たるより外にと(*戸)もなし。夜中うち過るほどに、「あなうれし。これこそは、とし比思ひつることよ。」といふをと(*「こゑ」か。後に念仏の「おと」とあり。)かべの外にきこえけり。そのゝちは念佛のおともせずなりぬ。夜あけて見ければ、西にむかひて端坐し、合掌してねぶるがごとくにてぞありける。此家はすこしもはなれず、あやしの下らうのいゑどもの軒つゞきになむ有ける。


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天王寺聖隱コの事

ちか頃、天王寺にひじりありけり。ことばのすゑごとに「るり」といふ二文字をくはへていひければ、やがて字の名につけて瑙璃とぞいひける。そのすがた、ぬのゝつゞり・かみぎぬなどのいふばかりなくゆかしげに(*昔の後をとどめないほどに、という意か。)やれはらめきたるを、いくらともなくきふくれて、布袋のきたなげなるに、こひあつめたる物をひとつにとり入て、ありき/\これをくらふ。わらんべいくらともなくわらひあなづれど、さらにとがめはらだつ事なし。いたくせたむる(*「責むる」=苛める)時は、ふくろより物をとり出してとらすれば、わらんべどもきたながりてこれをとらず。すつれば又とりて入つゝ、つねにはさま/〃\のすぞろごとをうちいひて、ひたすら物ぐるひにてなむ有ける。さしてそこに跡とめたりとみゆるところなし。かきのね・木のした・ついぢにしたがひて夜をあかす。
そのころ大塚といふところに、やむごとなき智者有けり。ある時、「雨のふりてまかりよるべき所もなければ、この縁のかたはしにさぶらはむ。」といひければ、れいならずあやしく覺えけれど、さながらおきつ。夜ふけて聖がいふやう、「かくたま/\まいりよりて侍べり。としごろおぼつかなく思ひ給へる事ども、はるけ侍らばや。」といふ。事の外におぼゆれど、よのつねの人のやうにあひしらふ程に、やう/\天台宗の法門どものえもいはぬことはりどもたづねつ。又あるじ、あさましくめづらかに覺えてよもすがらねず、さま/〃\にとひこたへて、明ぬれば、「今はいとま申侍らん。」とて、「心にいぶかしく思ひ給へる事ども、おかしく、今よひさぶらひてはるけ侍りぬ。」とてさりぬ。又此事ありがたくたうとく覺えけるまゝに、そのあたりの人どもにかたりたりければ、そしりいやしめし心をあらためて、かたへは權者(*仏菩薩の化身・高徳の僧)のうたがひをなしてたうとみけり。
されど、その有さまはさき/〃\に露かはらず。「さることやありける。」と人のとふ時には、うちわらひてそゞろごとにぞいひなしける。かやうに人にしられぬることをうるさくや思ひけん、つゐには行がたもしらせずなりにけり。としへて人かたりけるは、和泉の國に乞食しありきけるが、おはりには人もきよらぬ所の大きなる木のもとに、した枝にほとけかけたてまつりて、西にむかひ合掌して居ながらまなこをとぢてなむありける。その時はしれる人もなくて、後に見つけたりけるなり。
又近頃世に佛みやうといふ乞食ありけり。それもかのひじりのごとく物ぐるひのやうにて、くひ物はうを・鳥をもきらはず、著物はむしろ・こもをさへかさねきつゝ、人のすがたにもあらず。あふ人ごとに、かならず「あま人・法師・おとこ人・女人等しやう/〃\。」といひおがむわざをしければ、それを名につけてなむ、見とみる人みなつたなくゆゝしき者とのみ思ひけれど、げにはやうありけるものにや。阿證房といふひじりをとくい(*親しい友人)にして、思ひかけぬ經論などをかりて、人にもしらせず、ふところに引いれてもて行て、日比へてなむかへす事をつねになんしける。つゐに切提のうへに、西にむかひて合掌たんざしてをはりにけり。
これらは、すぐれたる後世しやのひとつのありさま也。「大隱は朝市にあり。」(*王康琚「反招隠詩」)といへる、すなはち是也。かくいふ心は、賢き人の世をそむくならひ、わが身は市の中にあれども、そのとくをよくかくして人にもらさぬなり。山林にまじはりあとをくらふするは、人の中にありてコをえかくさぬ人のふるまひなるべし。


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高野の邊の上人僞て妻女をまうくる事

高野のほとりに、とし比おこなふひじりありけり。もとは伊勢のくにの人なりけり。おのづからかしこにゐつきたるなり。行コあるのみならず、人の歸依にていとまづしくもあらざりければ、弟子などもあまた有けり。年やう/\たけて後、ことにあひ頼みたる弟子をよびていひけるやう、「きこゑばやと思ふ事の日頃侍るを、その心のうちをはゞかりてためらひ侍りつるぞ。あなかしこ/\(*決して)、たがへ給ふな。」といふ。「何事なりとものたまはむこと、いかでたがへ侍らん。又へだて給ふべからず。すみやかにうけたまはらん。」といへば、「かく人をたのみたるやうにて過す身は、さやうのふるまひ思ひよるべき事ならねども、年たかくなりゆくまゝに、かたはらもさびしく、ことにふれてたづきなく覺ゆれば、さもあらん人をかたらひて、よるのとぎにせばやとなむ思ひたる也。それにとりて、いたうとしわかゝらん人はあしかりなむ。物の思ひやりあらん人を忍びやかにたづねて、わがとぎにせさせ給へ。さて世の中のことをば、それ(*あなた)にゆづり申さん。たゞわがありつるやうに此坊のぬしにて、人の祈りなどをもさたして、我をばおくの屋にすへて、二人がくひ物ばかりを、かたのやうにしておくり給へ。さやうになりなん後は、そこの心のうちもはづかしかりぬべければ、たいめんなどもえすまじ。いはんやその外の人にはすべて世にある物ともしるべからず。死うせたる物のやうにて、わづかにいのちつぐべくばかり沙汰し給へ。これをたがへ給はざらんばかりぞ、とし比のほいなるべし。」とかきくどきつゝいふ。淺ましく思はずにおぼえながら、「かやうに心をかずかたらはする、ほいに侍り。いそぎたづね侍らん。」といひて、ちかくとをくきゝありきけるほどに、おとこにおくれたりける人のとし四十ばかりなる有けるを聞いでゝ、念比にかたらひてたよりよきやうにさたしすへつ。
人もとをさず、我もゆくこともなくて過けり。おぼつかなくも物いひあはせまほしきおりもあれど、さしも契りしことなれば、いぶせながらすぐるほどに、六年へてのち、此女人うちなきて、「このあかつき、はやおはり給ひぬ。」とてきたる。おどろきて行てみれば、持佛堂の内にほとけの御手に五色の糸かけて、それを手にひかへて、けうそくにうちよりかゝりて念佛しける手もちともかはらずすゞのひきかけられたるも、たゞいきたる人のねぶりたるやうにて、露もれいにたがはず、壇には行ひの具うるはしくおき、鈴の中にかみをおしいれたりけり。いと悲しくて、事の有さまをこまかにとへば、女のいふやう、「とし比かくて侍りつれども、例のめをとのやうなる事なし。よるはたゝみをならべて、われも人も目さめたる時は生死のいとはしきやう、淨土ねがふべきやうなどをのみ、こま/〃\とおしへつゝ、よしなき事をばいはず、ひるはあみだの行法三度ことかく事なくて、ひま/\には念佛をみづからも申、又我にもすゝめ給ひて、はじめつかた二月三月までは心をおきて、『かくよのつねならぬありさまをわびしくやは思ふ。さらばこゝろにまかすべし。もしうとき事になるとも、かやうにえんをむすぶもさるべき事なり。此ありさまをゆめ/\人にかたるな。もし又たがひに善知識とも思ひて、後世までのつとめをもしづかにせんとならば、こひねがふところなり。』とのたまひしかば、『さら/\御心おき給ふべからず。とし比あひぐしたりし人をはかなく見なして、いかでかその後世をもとぶらはざらむ。我も『又かゝるうき世にめぐりこじ。』とねがひいとふ心は侍りしかど、さても一日たちめぐるべきやうもなき身にて、ほいならぬかたにて見たてまつれば、なべての女のやうにおぼすにや。ゆめ/\しかにはあらず。いみじき善知識と人しれずよろこびてこそすぎ侍りし。』と申しかば、『かへす/\うれしき事。』とて、いまかくれ給へることもかねてしりて、『おはらん時、人になつげそ。』とありしかば、かくとも申さず。」とぞいひける。


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美作守顯能家に入來る僧の事

美作守あきよしのもとに、なまめきたる僧の入來りて、經をよにたうとくよむあり。あるじきゝて、「なにわざし給ふ人ぞ。」といふ。ちかくよりていふやう、「乞食に侍り。但、家ごとに物こひありくわざをばつかまつらず。西山なる寺にすみ侍るが、いさゝかのぞみ申べき事ありてなん。」といふ。物ざま無下に思ひくたすべきにはあらざりければ、こまやかにたづねとふ。「申すにつけていとことやうには侍れど、あるところのなま女房をあひかたらひて、物すゝがせなどし侍りし程に、はからざる外にたゞならず成て、この月にまかりあたりて侍るを、ひとへにわがあやまちなれば、『ことさらこもりゐて侍らむほど、かれがいのちつぐばかりの物あたへ侍らばや。』と思ひ給へるが(*「給ふるが」とあるべきところ)、いかにも/\ちからをよび侍らねば、もし御あはれみや侍るとてなむ。」といふ。
事のおこりはげにもとはおぼえずなれど、「さこそ思ふらめ。」といとおしく覺えて、「いとやすき事にこそ。」とておしはからひて、人ひとりにもたせてそへてとらせんとす。此僧のいふやう、「かた/〃\きはめてつゝましく侍り。ことさら『そことはしられじ。』と思ひ給へるなり。身づからもちてまからむ。」とて、もたるゝ程おふていでぬ。あるじなをあやしく思ひて、さやうのかたにいふかひなき者をつけてやる。さまをやつして見がくれにゆきけるほどに、北山のおくにはる/〃\とわけ入て、人もかよはぬ深谷に入にけり。一間ばかりなるあやしき柴のいほりのうちに入て、物うちならべて、「あなくるし。三ほう(*三宝)のたすけなれば、安居(*「あんご」)の食もまうけたり。」とひとりうちいひて、あしうちあらひてしづまりぬ。此つかひ、「いとめづらかにもあるかな。」ときゝけり。日くれて、こよひかへるべくもあらねば、木かげにやはらかくれゐにけり。夜ふくるほどに、ほけきやうをよもすがらよみ奉るこゑいとたうとくて、なみだもとゞまらず。
明るやおそしとたちかへりて、あるじに有つるやうをきこえければ、おどろきながら、「さればよ。たゞものにはあらずと見き。」とて、かさねて消息をやる。「思ひがけず安居の御れうとうけ給はる。しかあらば、一日の物はすくなくこそ侍らめ。これをたてまつる。なをもいらん事候はゞ、かならずの給はせよ。」といはせたりければ、きやう打よみて何とも返事いはざりけり。とばかり待かねて、物をばいほりのまへにとりならべてかへりぬ。日ごろへて、「さてもありつる僧こそ不審なりけれ。」とておとづれたりけれど、そのいほりには人もなくて、さきにえたりし物をば外へもちいにけるとおぼしくて、後の送り物をばさながらおきたりければ、鳥けだものくひちらしたるやうにて、こゝかしこにこぼれちりてぞありける。
まことに道心ある人は、かく我身のとくをかくさんと、とがをあらはして、たうとまれん事をおそるゝなり。もし人世をのがれたれども、「いみじくそむけりといはれん。たうとくおこなふよしをきかれむ。」と思へば、世俗のみやうもん(*名聞)よりもはなはだし。此ゆへに、ある經に、「出世の名聞は、たとへば血をもつて血をあらふがごとし。」とゝけり。もとの血はあらはれておちもやすらん。しらず、今の血は大きにけがす。おろかなるにあらずや。

(第一 <了>)

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