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社會と自分

夏目漱石
(縮刷版 實業之日本社 1915.11.10
※ 縮刷第卅版(1924.2.25)に拠った。
〔原注〕(*入力者注記)縦書表示 for Lunascape, IE

縮刷に際して       目次   道楽と職業   現代日本の開化   中味と形式   文藝と道徳   創作家の態度   文藝の哲学的基礎

[目次]

現代日本の開化

―明治四十四年八月和歌山に於て述―
甚だお暑いことで、斯う暑くては多人數たにんずお寄合ひになつて演説などお聽きになるのは定めしお苦しいだらうと思ひます。ことうけたまはれば昨日さくじつも何か演説會があつたさうで、さう同じ催しが續いてはいくらあたらない保證のあるものでも多少は流行はやり過の氣味で、お聽きになるのも餘程困難だらうと御察し申します。が演説をやる方の身になつて見てもさう樂ではありません。殊に只今牧君(*牧巻次郎「列国の対支那政策」)の紹介でさうせき君の演説は迂餘曲折うよきよくせつの妙があるとか何とかいふ廣告くわうこくめいた贊辭さんじを頂戴したあとに出て同君の吹聽ふいちやう通りを遣らうとすると恰も紆餘曲折の妙をきはめる爲の藝當げいたうを御覽に入れる爲に登壇とうだんしたやうなもので、いやしくも其の妙を極めなければ降りることが出來ないやうな氣がして、いやが上に遣りにくい猪レにおちいつて仕舞ふ譯であります。實に此處へ出て參るまへ一寸先番せんばんの牧君に相談を掛けた事があるのです。是は内々ない/\ですが思ひ切つて打明けて御話して仕舞ひます。と云ふ程の祕密でもありませんが、全くの所今日こんにちの講演は長時間ゥ君に對して御話をする材料が不足のやうな氣がしてならなかつたから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると氣丈夫きぢやうぶな返事をして呉れたので、たちまち親船に乘つたやうな心持になつて、それぢやア少し伸ばして戴きたいとョんで置きました。其の結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評たんぴやうを試みられたのはもと/\わたくしの註文から出た事で甚だ難有ありがたいには違ないけれども、其の代り厭に遣りにくくなつて仕舞つた事も亦爭はれない事實です。元來がさう云ふなさけない依ョをあへてする位ですから曲折どころではない、眞直まつすぐき當つてピタリとしまひになるべき演説であります。なか/\もつて抑揚頓挫波瀾曲折の妙を極めるだけの材料抔は藥にしたくも持合もちあはせてりません。とさう言つた所で何も唯ボンヤリ演壇に登つた譯でもないので、此處へ出て來る丈の用意は多少準備して參つたには違ないのです。尤も私が此の和歌山へ參るやうになつたのは當初からの計畫ではなかつたのですが、私の方で近畿地方を所望しよまうしたので社の方では和歌山を其のうちへ割り振つて呉れたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所抔をさぐる便宜を得ましたのは好キ合です。其のついでに演説をする――のではない演説の序に玉津島たまつしまだの紀三井寺きみゐでら抔を見た譯でありますから、此等の故跡や名勝に對しても空手からてでは參れません。御話をする題目はちやんと東京おもてめて參りました。
其の題目は「現代日本の開化」と云ふので、現代と云ふ字は下へ持つて來ても上へ持つて來ても同じ事で、「現代日本の開化」でも、「日本現代の開化」でも大して私の方では構ひません。「現代」と云ふ字があつて「日本」と云ふ字があつて「開化」と云ふ字があつて、其の間へ「の」の字が入つてると思へば夫丈の話です。何の雜作ざふさもなく唯だ現今の日本の開化と云ふ、斯う云ふ簡單なものです。其の開化をどうするのだと聞かれゝば、實は私の手際ではどうも仕樣がないので、私はたゞ開化の説明をして後はあなた方の御高見ごかうけん御任おまかせするつもりであります。では開化を説明してなんになる? と斯う御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化といふ事がゥ君によく御分りになつてるまいと思ふ。御分りになつてなからうと思ふと云ふと失禮ですけれども、どうもこれが一般の日本人に能く呑み込めてない樣に思ふ。私だつて夫程分つてもないのです。けれどもまづゥ君よりもそんな方面に餘計頭を使ふ餘裕のある境遇に居りますから、斯ういふ機會を利用して自分の思つた所丈をあなた方に聞いて頂かうといふのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未來の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けてるのだから、現代と日本と開化と云ふ三つの言葉は、どうしてもゥ君と私とに切つても切れない離すべからざる密接な關係があるのは分り切つた事ですが、夫にも拘らず、御互に現代の日本の開化に就て無頓着むとんぢやくであつたり、又は餘りハツキリした理會をつてゐなかつたならば、萬事に勝手が惡い譯だから、まあ互に研究もし、又分る丈は分らせて置く方がキ合が好からうと思ふのであります。それに就ては少し學究がくきうめきますが、日本とか現代とかいふ特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立して其の性質を調べる必要があると考へます。御互ひに開化と云ふ言葉を使つてつて、日に何遍なんべんも繰返してるけれども、果して開化とはどんなものだと煎じ詰めて聞きたゞされて見ると、今迄互に了解し得たと許り考へてた言葉の意味が存外喰違つてたり或は以ての外に漠然と曖昧であつたりするのはよく有る事だから私は先づ開化の定義からめてかゝりたいのです。
尤も定義をくだすに就ては餘程氣を付けないと飛んでもない事になる。之をむづかしく言ひますと、定義を下せば其の定義の爲に定義を下されたものがピタリと糊細工の樣に硬張こはばつてしまふ。複雜な特性を簡單に纒める學者の手際と腦力とには敬服しながらも一方に於て其の迂濶ををしまなければならない樣な事が彼等の下した定義を見るとよくある。其の弊所をごく分り易く一口に御話すれば生きたものをわざと四角四面のくわんなかへ入れて殊更に融通が利かない樣にするからである。尤も幾何學抔で中心から圓周に到る距離がこと/〃\く等しいものをゑんと云ふといふ樣な定義はあれで差支ない。定義の便宜があつて弊害のない結構なものですが、是れは實世間じつせけんに存在する圓いものを説明すると云はんより寧ろ理想的に頭の中にある圓といふものを(*原文「く」)約束上取り極めた迄であるから古往今來こわうこんらい變りつこないので何處迄も此の定義一點張りで押してかれるのです。其の四角だらうが三角だらうが幾何學的に存在してる限りは夫々それ/〃\の定義で一旦纒めたら決して動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現實世の中にあるまるとか四角とか三角とかいふもので過去現在未來を通じて動かないものは甚だ少ない。ことに夫自身に活動力を具へて生存するものには變化消長が何處迄も付け纒つて(*ママ)る。今日の四角は明日あすの三角にならないとも限らないし、明日の三角が又いつ圓く崩れ出さないとも云へない。要するに幾何學の樣に定義があつて其の定義から物を拵へ出したのでなくつて、物があつて其の物を説明する爲に定義を作るとなると勢ひ其の物の變化を見越してその意味を含ましたものでなければ所謂杓子定規とかで一向氣の利かない定義になつて仕舞ひます。丁度汽車がゴーツとけて來る、其の運動の一瞬間即ち運動の性質の最も現はれにくい刹那の光景を寫眞に取つて、是が汽車だ/\と云つて恰も汽車の凡てを一枚のうら(*ママ。「うち」か。)に寫し得た如く吹聽すると一般である。成程何處から見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動といふものが此の寫眞のうちには出てゐないのだから實際の汽車とは到底比較の出來ない位懸絶けんぜつしてゐると云はなければなりますまい。御存じ(*原文「し」)琥珀こはくと云ふものがありませう。琥珀のなかに時々蠅がはいつたのがある。透かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きの取れない蠅であります。蠅でないとは言へぬでせうが活きた蠅とは云へますまい。學者の下す定義には此の寫眞の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮かに見えるが死んでゐると評しなければならないものがある。夫で注意を要するといふのであります。つまり變化をするものを捉へて變化を許さぬかの如くピタリと定義を下す。巡査と云ふものは白い服を着てサーベルを下げてるものだ抔と天からめられた日には巡査も遣り切れないでせう。うちへ歸つて浴衣ゆかた着換きかへる譯にかなくなる。此の暑いのにけんばかり下げてなければ濟まないのは可哀想かあいさうだ。騎兵とは馬に乘るものである。是れも御尤ごもつともには違ないが、幾ら騎兵だつて年が年中馬に乘りつづけに乘つてる譯にもかないぢやありませんか。少しはりたいでさア。斯う例を擧げれば際限がないからい加減に切り上げます。實は開化の定義を下す御約束をして喋舌しやべつてゐた處が何時いつの間にか開化はそつち退けになつて六つかしい定義論に迷ひ込んで甚だ恐縮です。が此の位注意をした上でさて開化とは何者だと纒めて見たら幾分か學者の陷り易い弊害を避けられるし、又其の便宜をも受ける事が出來るだらうと思ふのです。
いよ/\開化に出戻りを致しますが、開化と云ふものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云ふやうなものゝ如くに動いてる。それで開化の一瞬間を取つてカメラにピタリと入れて、さうして是れが開化だと提げて歩く譯にはきません。私は昨日きのふ和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大變浪の荒い所だと云ふ人がある、かと思ふと非常に靜かな所だと云ふ人もある。どつちがいのか分らない。段々聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時にき、一方は非常に靜かな時に行つた違から話がかう表裏して來たのである。固より見た通なんだから兩方とも嘘ではない。が又兩方とも本統でもない。是に似寄りの定義は、あつても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害を爲す事も明かなんだから、開化の定義と云ふものも、可成なるべくはさう云ふ不キ合を含んでゐない樣に致したいのが私の希望であります。が、さうするとボンヤリして來る。恨むらくはボンヤリして來る。けれどもボンヤリしてもほかのものと區別が出來ればそれでいでせう。さつき牧君の紹介があつた樣に夏目君の講演は其の文章の如く時とすると門口から玄關へく迄にうんざりする事があるさうで誠に御氣の毒の話だが、成程遣つて見ると其の通り、是れでやうやく玄關迄着きましたから思ひきつて本統の定義に移りませう。
開化は人間活力の發現の經路である、とわたくしは斯う云ひたい。私ばかりぢやない、あなた方だつてさういふでせう。尤もさう云つた所で別に書物に書いてある譯でも何でもない。私がさう言ひたい迄の事であるが其の代り珍らしくも何ともない。が是れすこぶる漠然としてる。前口上まへこうじやうを長々述べ立てた後で此の位の定義の御吹聽に及んだ丈では餘り人を馬鹿にしてゐるやうですが、まあ其處からめて掛らないと曖昧になるから、實は已むを得ないのです。それで人間の活力と云ふものが今申す通り時のながれを沿うて發現しつゝ開化を形造つてくうちに私は根本的に性質のちがつた三種類の活動を認めたい。いな確かに認めるのであります。
其の二通ふたとほりのうち一つは積極的せききよくてき(*ママ)のもので、一つは消極的のものである。なに月竝つきなみの樣な講釋をして濟みませんが、人間活力の發現上積極的せききよくてきと云ふ言葉を用ひますと、勢力の消耗せうもうを意味する事になる。又もう一つの方は是れとは反對の消耗を出來る丈防がうとする活動なり工夫なりだから前のに對して消極的と申したのであります。此の二つの互ひの喰違つてそりの合はない樣な活動が入り亂れたりコンガラカツたりして開化と云ふものが出來上るのであります。是れでもまだ抽象的で能くお分りにならぬかも知れませんが、もう少し進めば私の意味はおのづから明瞭になるだらうと信じます。元來人間の命とかせいとか稱する者は解釋次第で種々いろ/\な意味にもなり又六づかしくもなりますが要するにぜん申した如く活力の示現じげんとか進行とか持續とか評するより外に致し方のない者である以上、此の活力が外界ぐわいかい刺戟しげきに對してどう反應するかといふ點を細かに觀察すればそれで吾人ごじん人類の生活状態もほゞ了解が出來る樣な譯で、其の生活状態の多人數たにんずうの集合して過去から今日こんにちに及んだ者が所謂開化に外ならないのは今更申上げる迄もありますまい。さて吾々の活力が外界の刺戟に反應する方法は刺戟の複雜である以上固より多趣多樣千差萬別に違ないが、要するに刺戟の來るたびに吾が活力を成るべく制限節約して出來る丈使ふまいとする工夫と、又みづから進んで適意てきいの刺戟を求めあたふ丈の活力を這裏しやりに消耗して快を取る手段との二つに歸着きちやくして仕舞ふやう私は考へてゐるのであります。で前のを便宜のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけて置きませうが、此の活力節約の行動はどんな場合に起るかと云へば現代の吾々が普通用ひる義務といふ言葉をくわんして形容すべき性質の刺戟に對して起るのであります。從來のコ育法及び現今とてもヘ育上では好んで義務を果す敢爲邁往かんゐまいわうの氣象を奬勵する樣ですが是れは道コ上の話で道コ上しかなくてはならぬ若しくはしかする方が社會の幸福だと云ふ迄で、人間活力の示現を觀察して其の組織の經緯一つをつかさどる大事實から云へば何うしても今私が申し上げた樣に解釋するより外仕方がないのであります。吾々もお互に義務は盡さなければならんものと始終思ひ、又義務を盡した後は大變心持がいのであるが、深く其の裏面に立ち入つて内省して見ると、ねがはくは此の義務の束縛をまぬかれて早く自由になりたい。人から強ひられて已むを得ずする仕事は出來る丈分量を壓搾あつさくして手輕に濟ましたいといふ根性が常に胸のうちに付け纒つて(*ママ)ゐる。其の根性が取も直さず活力節約の工夫となつて開化なるものゝ一大原動力を構成するのであります。
斯く消極的に活力を節約しようとする奮闘に對して一方では又積極的に活力を任意隨所に消耗しようといふ拐~が又開化の一半を組み立てゝる。其の發現の方法も亦世が進めば進む程複雜になるのは當然であるが、之をごくつゞめてどんな方面に現はれるかと説明すれば先づ普通の言葉で道樂といふ名のつく刺戟に對し起るものだとして仕舞へば一番早分りであります。道樂と云へばだれも知つてゐる。釣魚つりをするとか玉を突くとか、碁を打つとか、又は鐵砲をかついでれふくとか、いろ/\のものがありませう。是れは説明するがものはない悉くみづから進んで強ひられざるに自分の活力を消耗して嬉しがる方であります。尚進んでは此の拐~が文學にもなり科學にもなり又は哲學にもなるので一寸見ると甚だ六づかしげなものも皆道樂の發現に過ぎないのであります。
此の二やうの拐~即ち義務の刺戟に對する反應としての消極的な活力節約と又道樂の刺戟に對する反應としての積極的な活力消耗とが互に竝び進んで、コンガラカツて變化して行つて、此の複雜きはまりなき開化と云ふものが出來るのだと私は考へてゐます。其の結果は現に吾々が生息してゐる社會の實況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云へば出來るだけ勞働を少なくして可成なるべく僅かな時間に多くの働きをしよう/\と工夫する。其の工夫が積り積つて汽車汽船は勿論電信電話自動車大變なものになりますが、元をたゞせば面倒を避けたい横着しんの發達した便法に過ぎないでせう。此の和歌山市から和歌の浦迄一寸使ひに行つて來いと言はれた時に、出來るならたれしも御免蒙ごめんかうむりたい。がどうしてもかなければならないとすれば可成なるべく樂にきたい、さうして早く歸りたい。出來る丈身體からだは使ひたくない(*原文「使ひたくくない」)其所そこ人力車じんりきしやも出來なければならない譯になります。其の上に贅澤を云へば自轉車にするでせう。なほ我儘を云ひ募れば是れが電車にも變化し自動車又は飛行機にも化けなければならなくなるのは自然のすうであります。是れに反して電車や電話の設備があるにしても是非今日けふは向う迄歩いてきたいと云ふ道樂しんの増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身體を使つて疲勞を求める。吾々が毎日やる散歩といふ贅澤も要するに此の活力消耗の部類に屬する積極的な命の取扱方とりあつかひかたの一部分なのでありますが、此の道樂の増長した時に幸に行つて來いといふ命令がくだれば丁度いが、まあ大抵はさう旨くはかない。云ひ付かつた時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫をしなければならない。となると勢ひ訪問が郵便になり、郵便が電報になり、其の電報が又電話になる理窟です。つまる所は人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、ならう事ならしないで用を足してさうして滿足に生きてゐたいといふ我儘な了簡れうけん、と申しませうか又はさう/\身をにしてまで働いて生きてゐるんぢやわりに合はない、馬鹿にするない冗談ぢやねえといふ發憤はつぷんの結果が怪物の樣に辣腕らつわんな器械力と豹變へうへんしたのだと見れば差支ないでせう。
此の怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手數てすうが省ける、凡て義務的の勞力が最少低額に切詰められた上に又切詰められて何處迄どこまで押してくか分らないうちに、の反對の活力消耗と名づけて置いた道樂根性の方も又自由我儘の出來る限りを盡して、是れ又瞬時の絶間なく天然自然と發達しつゝ留め度もなく前進するのである。此の道樂根性の發展も道コ家に言はせると怪しからんとか言ひませう。が夫はコ義上の問題で事實上の問題にはなりません。事實の大局から云へば活力をわが好む所に消費するといふ此の工夫拐~は二六時中休みつこなく働いて、休みつこなく發展してゐます。元々社會があればこそ義務的の行動を餘儀なくされる人間も放り出して置けば何處迄も自我本位に立脚するのは當然だから自分の好いた刺戟に拐~なり身體なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。尤も好いた刺戟に反應して自由に活力を消耗すると云つたつて何も惡い事をするとは限らない。道樂だつて女を對手あひてにする許が道樂ぢやない。好きな眞似をするとは開化の許す限りのあらゆる方面にわたつての話であります。自分ががかきたいと思へば出來る丈畫ばかりかゝうとする。本が讀みたければ差支ない以上本ばかり讀まうとする。或は學問が好きだと云つて親の心も知らないで書齋へ入つてくなつて子息むすこがある。はたから見れば何の事か分らない。親父おやぢが無理算段の學資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隱居でもしたいと思つてゐるのに、子供の方では活計くらしの方なんか丸で無頓着で、たゞ天地の眞理を發見したい抔と太平樂を竝べて机にもたれてにがり切つてゐるのもある。親は生計くらしの爲の修業しうげふ(*ママ)と考へてゐるのに子供は道樂の爲の學問とのみ合點がてんしてゐる。斯う云ふ樣な譯で道樂の活力は如何なる道コ學者も杜絶する譯にいかない。現に其の發現は世の中にどんな形になつて、どんなに現れてるかと云ふことは、此の競爭劇甚の世に道樂なんどとてんで其の存在の權利を承認しない程家業にれいせいな人でも少し注意されゝば肯定しない譯にかなくなるでせう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行つて見ると、さがり松だの權現樣だの紀三井寺だのいろ/\のものがありますが、其の中に東洋第一海拔二百しやくと書いたエレーターが宿のうらから小高い石山のいたゞきへ絶えず見物けんぶつを上げたり下げたりしてゐるのを見ました。實は私も動物園の熊の樣にあの鐵の格子の檻の中に入つて山の上へ上げられた一にんでありますが、あれは生活上別段必要のある場所にある譯でもなければ又夫れ程大切な器械でもない、まあ物數寄ものずきである。唯あがつたりさがつたりする丈である。疑もなく道樂心の發現で、好奇心兼廣告欲も手傳つてゐるかも知れないが、まあ活計向くらしむきとは關係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれて斯う云ふ贅澤なものゝかずえて來るのは誰でも認識しない譯にかないでせう。加之しかのみならず此の贅澤が日に増し細かくなる。大きなものゝなかに輪が幾つも出來て漏斗じやうごみた樣に段々深くなる。と同時に今迄氣の付かなかつた方面へ段々發展して範圍が年々廣くなる。
要するに只今申し上げた二つの入り亂れたる經路、即ち出來るだけ勞力を節約したいと云ふ願望ぐわんまうから出て來る種々いろ/\の發明とか器械力とか云ふ方面と、出來るだけ氣儘に勢力(*ママ)を費したいと云ふ娯樂の方面、是れがけいとなりとなり千變萬化錯綜して現今の樣に混亂した開化と云ふ不可思議な現象が出來るのであります。
そこでさう云ふものを開化とすると、こゝに一種妙なパラドツクスとでも云ひませうか、一寸聞くと可笑をかしいが、實にたれしも認めなければならない現象が起ります。元來何故人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力の發現しつゝ今日こんにちに及んだかと云へば生れながらさう云ふ傾向をつてると答へるより外に仕方がない。之を逆に申せば吾人の今日あるは全く此の本來の傾向あるがために外ならんのであります。猶進んで云ふと元の儘で懷手ふところでをしてゐては生存上どうしても遣り切れぬから、夫れから夫れへと順々に押され/\て斯く發展を遂げたと言はなければならないのです。して見れば古來何千年の勞力と歳月を擧げて漸くの事現代の位置迄進んで來たのであるからして、苟くも此の二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が樂になつてゐなければならぬ筈であります。けれども實際はうか? 打明けて申せば御互の生活は甚だ苦しい。昔の人に對して一歩も讓らざる苦痛のもとに生活してゐるのだと云ふ自覺が御互にある。いな開化が進めば進む程競爭がuuますます劇しくなつて生活は愈困難になるやうな氣がする。成程以上二種の活力の猛烈な奮鬪で開化はち得たに相違さうゐない。然し此の開化は一般に生活の程度が高くなつたといふ意味で、生存の苦痛が比較的やはらげられたといふ譯ではありません。丁度小學校せうがくかうの生徒が學問の競爭で苦しいのと、大學の學生が學問の競爭で苦しいのと、其の程度は違ふが、比例に至つては同じことである如く、昔の人間と今の人間がどの位幸福の程度に於て違つてるかと云へば――或は不幸の程度に於て違つてるかと云へば――活力消耗活力節約の兩工夫に於て大差はあるかも知れないが、生存競爭から生ずる不安や努力に至つては決して昔より樂になつてゐない。いな昔より却つて苦しくなつてゐるかも知れない。昔は死ぬか生きるかの爲に爭つたものである。夫丈それだけの努力を敢てしなければ死んで仕舞ふ。已むを得ないからやる。加之しかのみならず道樂の念は兎に角道樂のみちはまだ開けてなかつたから、斯うしたい、あゝしたいと云ふ方角も程度も至つて微弱なもので、たまに足をのばしたり手を休めたりして、滿足してゐたくらゐのものだらうと思はれる。今日こんにちは死ぬか生きるかの問題は大分だいぶ超越してゐる。それが變化して寧ろ生きるか生きるかと云ふ競爭になつて仕舞つたのであります。生きるか生きるかと云ふのは可笑しうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないといふ意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車をいて渡世にするか、又は自動車のハンドルを握つて暮すかの競爭になつたのであります。どつちを家業にしたつて命に別條はないに極つてゐるが、どつちへ行つても勞力は同じだとは云はれません。人力車を挽く方が汗が餘程多分に出るでせう。自動車の御者ぎよしやになつてお客を乘せれば――尤も自動車をつ位ならお客を乘せる必要もないが――短い時間で長い所が走れる。糞力くそぢからはちつとも出さないで濟む。活力節約の結果樂に仕事が出來る。されば自動車のない昔はいざ知らず、苟くも發明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追付おひつかなければならない。と云ふ譯で、少しでも勞力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現はれて茲に一つの波瀾を誘ふと、丁度一種の低氣壓と同じ現象が開化のうちに起つて、各部の比例がとれ平均が囘復される迄は動搖して已められないのが人間の本來であります。積極的活力の發現の方から見ても此の波動は同じことで、早い話が今までは敷島しきしまか何か吹かして我慢してつたのに、隣りの男が旨さうに埃及エヂプト煙草をんでると矢つ張りそつちが喫みたくなる、又喫んで見れば其の方が旨いに違ない。仕舞には敷島などを吹かすものは人間のかずへ入らないやうな氣がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云ふ競爭が起つて來る。通俗の言葉で云へば人間が贅澤になる。道學者は倫理的の立場から始終奢侈しやしを戒しめてゐる。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるから何時でも駄目に終るといふ事は昔から今日こんにち迄人間がどの位贅澤になつたか考へて見れば分る話である。斯く積極せききよく消極兩方面の競爭が激しくなるのが開化の趨勢すうせいだとすれば、吾々は長い時日のうちに種々樣樣の工夫を凝し智慧を絞つて漸く今日迄發展して來たやうなものゝ、生活の吾人の内生にあたへる心理的苦痛から論ずれば今も五十年ぜんも又は百年ぜんも、苦しさ加減の程度は別に變りはないかも知れぬと思ふのです。それだからして此の位勞力を節減する器械が整つた今日でも、又活力を自由に使ひる娯樂の途がそなはつた今日でも生存の苦痛は存外ぞんぐわいせつなもので或は非常といふ形容詞をかむらしても然るべき程度かも知れない。是れ程勞力を節減出來る時代に生れても其のかたじけなさがあたまこたへなかつたり、是れ程娯樂の種類や範圍が擴大されても全く其の有難味が分らなかつたりする以上は苦痛の上に非常といふ字を附加してもいかも知れません。是れが開化の産んだ一大パラドツクスだと私は考へるのであります。
これから日本の開化に移るのですが、果して一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでからうぢやないかで此の講演は濟んで仕舞ふ譯であります、が其處に一種特別な事情があつて、日本の開化はさういかない。何故さうはかないか。夫れを説明するのが今日こんにちの講演の主眼である。と申すと玄關をあがつて漸く茶の間あたりへ來た位の氣がして驚くでせう。然しさう長くはありません。奧行は存外短い講演です。やつてる方だつて長いのは疲れますから出來る丈勞力節約の法則に從つて早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聽いて下さい。
それで現代の日本の開化はまへに述べた一般の開化と何處どこが違ふかと云ふのが問題です。若し一げんにして此の問題を決しようとするならば私はかう斷じたい。西洋の開化(即ち一般の開化)は内發的であつて、日本の現代の開化は外發的である。こゝに内發的と云ふのは内から自然に出て發展すると云ふ意味で丁度花が開くやうにおのづからつぼみが破れて花瓣くわべんが外に向ふのを云ひ、又外發的とは外からおつかぶさつたの力で已むを得ず一種の形式を取るのを指した積なのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水かううんりうすゐの如く自然に働いてゐるが、御維新ごゐつしん(*ママ)後外國と交渉を付けた以後の日本の開化は大分だいぶ勝手が違ひます。勿論何處の國だつて隣づきあひがある以上は其の影響を受けるのが勿論の事だからわが日本といへども昔からさう超然として只自分丈の活力で發展した譯ではない。或時は三かん又或時は支那といふ風に大分外國の文化にかぶれた時代もあるでせうが、長い月日を前後ぶつ通しに計算して大體の上から一べつして見るとまあ比較的内發的の開化で進んで來たと云へませう。少なくとも鎖港排外の空氣で二百年も魔醉ますゐした揚句あげく突然西洋文化の刺戟に跳ねあがつた位強烈な影響は有史いうし以來まで受けてゐなかつたと云ふのが適當でせう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝動を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應いやおうなしに其の云ふ通りにしなければ立ちかないといふ有樣になつたのであります。夫が一時ではない。四五十年ぜん一押ひとおし押されたなりじつと持ちこたへてゐるなんて樂な刺戟ではない。時々じゞに押され刻々に押されて今日こんにちに至つた許りでなく向後かうご何年の間か、又は恐らく永久に今日こんにちの如く押されてかなければ日本が日本として存在出來ないのだから外發的といふより外に仕方がない。其の理由は無論明白な話で、ぜん詳しく申上げた開化の定義に立戻つて述べるならば、吾々が四五十年ぜん始めてつかつた、又今でも接觸を避ける譯にかないかの西洋の開化といふものは我々よりも數十倍勞力節約の機關を有する開化で、又我々よりも數十倍娯樂道樂の方面に積極的に活力を使用しる方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内發的に展開して十の複雜の程度に開化を漕ぎつけた折も折、はからざる天の一方から急に二十三十の複雜の程度に進んだ開化が現はれて俄然がぜんとして我等につてかゝつたのである。此の壓迫によつて吾人は已むを得ず不自然な發展を餘儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道ぢみちにのそり/\と歩くのでなくつて、やツと氣合きあひを懸けてはぴよい/\と飛んでくのである。開化のあらゆる階段を順々にんで通る餘裕をたないから、出來る丈大きな針でぼつ/\縫つて過ぎるのである。足の地面に觸れる所は十尺を通過するうちに僅か一尺ぐらゐなもので、の九尺は通らないのと一般である。私の外發的といふ意味は是れでほゞ御了解になつたらうと思ひます。
さう云ふ外發的の開化が心理的にどんな影響を吾人に與ふるかと云ふと一寸變なものになります。心理學の講演でもないのに六づかしい事を申上げるのも如何いかゞと存じますが、必要の過所丈を極簡易に述べて再び本題に戻る積でありますから、暫く御辛抱を願ひます。我々の心は絶間なく動いてる。あなた方は今私の講演を聽いておいでになる。私は今あなた方をまへに置いて何か言ってる。雙方共に斯う云ふ自覺がある。それに御互の心は動いてゐる。働いてゐる。これを意識と云ふのであります。此の意識の一部分、時につもれば一分間ぐらゐの所を絶間なく動いてゐる大きな意識から切り取つて調べて見ると矢張り動いてゐる。其の動き方は別に私が發明した譯でも何でもない。只西洋の學者が書物に書いた通りを尤と思ふから紹介する丈でありますが、凡て一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよ其の内容が明瞭に心に映ずる點から云へば、のべつ同程度の強さを有して時間の經過に頓着とんぢやくなくあたかも一つ所にこびり付いた樣に固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな點と暗い點が出來る。其の高低を線で示せば平たい直線では無理なので、矢張り幾分か勾配の付いた弧線即ち弓形の曲線で示さねばならなくなる。こんなに説明すると却つて込み入つて六づかしくなるかも知れませんが、學者は分つた事を分りにくゝ言ふもので、素人は分らない事を分つた樣に呑込んだ顏をするものだから非難は五々々/〃\である。今云つた弧線とか曲線とかいふ事をもそつと碎いてお話をすると、物を一寸見るのにも、見て是れが何であるかと云ふことがハツキリ分るには或る時間を要するので、即ち意識が下の方から一定の時間を經て頂點へのぼつて來てハツキリして、あゝ是れだなと思ふ時がくる。それを猶見詰めてると今度は視覺が鈍くなつて多少ぼんやりし始めるのだから一旦上の方へ向いた意識の方向が又下を向いて暗くなり懸ける。是れは實驗して御覽になると分る(*原文ルビ「わ」)。實驗と云つても機械抔はらない。頭のなかがさうなつてるのだから只試しさへすれば氣が付くのです。本を讀むにしてもAと云ふ言葉とBと云ふ言葉と夫からCといふ言葉が順々に竝んでれば此の三つの言葉を順々に理解してくのが當り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞臺にのぼり始める時にはもうAの方は薄ぼんやりして段々識域しきゐきの方に近づいてくる。BからCへ移る時は是れと同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。是れは極めて短時間の意識を學者が解剖して吾々に示した者でありますが、此の解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社會の集合意識にも、夫から又一日一月ひとつきもしくは一年乃至ないし十年の間の意識にも應用の利く解剖で、其の特色は多人數たにんずうになつたつて長時間にわたつたつて、一向變りはない事と私は信じてゐるのであります。例へて見ればあなた方といふ多人數の團體が今此處で私の講演を聽いておいでになる。聽いてない方もあるかも知れないが、まア聽いてるとする。さうすると其の個人でない集合體のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入ると、同時に、此の講演に來る前あなた方が經驗された事、即ち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、又蒸し暑くて途中が難儀であつたとかいふ意識は講演の方が心を奪ふにつれて、段々不明瞭不確實になつてくる。又此の講演が終つて場外に出て凉しい風に吹かれでもすれば、あゝい心持だといふ意識に心を占領されて仕舞つて講演の方はピツタリ忘れて仕舞ふ。私から云へば全く有難くない話だが事實だから已むを得ぬのである。私の講演を行住坐臥ぎやうぢゆうざぐわ共に覺えていらつしやいと言つても、心理作用に反した註文なら誰も承知する者はない。是れと同じ樣にあなた方と云ふ矢張り一箇の團體の意識の内容を檢して見ると假令たとひ一ケ月にわたらうが一年に亘らうが一ケ月には一ケ月を括るべき炳乎へいこたる意識があり、又一年にも一年を纒めるに足る意識があつて夫から夫へと漸次じゆんじ(*ママ)に消長してゐる者と私は斷定するのであります。吾々も過去を顧みて見ると中學時代とか大學時代とか皆特別の名のつく時代で其の時代々々の意識が纒つてります。日本人總體の集合意識は過去四五年まへには日露戰爭の意識丈になり切つてりました。其の後日英同盟の意識で占領された時代もあります。斯く推論の結果心理學者の解剖を擴張して集合の意識や又長時間の意識の上に應用して考へて見ますと、人間活力の發展の經路たる開化といふものゝ動くラインも亦波動を描いて弧線を幾個いくつも幾個もつなぎ合せて進んでくと云はねばなりません。無論えがかれる波のすうは無限無數で、其の一波いつぱ々々/〃\の長短も高低も千差萬別でありませうが、矢張り甲の波が乙の波を呼出よびだし、乙の波が又丙の波を誘ひして順次に推移しなければならない。一ごんにして云へば開化の推移はどうしても内發的でなければ嘘だと申上げたいのであります。一寸ちよつとした話が私は今此處で演説をしてる。すると夫を御聞きになる貴方がたの方から云へば初めの十分間ぐらゐは私が何を主眼に云ふか能く分らない。二十分目位になつて漸く筋道が付いて、三十分目位には漸く油がのつて少しは一寸面白くなり、四十分目には又ぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸あくびが出る。とさう私の想像通りくかかないか分りませんが、もしさうだとするならば、私が無理に此處で二時間も三時間も喋舌つては、あなた方の心理作用に反してを張ると同じ事で決して成功は出來ない。何故かと云へば此の講演が其の場合あなた方の自然にさからつた外發的のものになるからである。いくら咽喉のどを絞り聲をらして怒鳴つて見たつて、貴方がたはもう私の講演の要求の度を經過したのだから不可いけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食ひたくなつたり酒が飮みたくなつたり氷水が欲しくなつたりする。其の方が内發的なのだから自然の推移で無理のない所なのである。
是れ丈説明して置いて現代日本の開化の後戻あともどりをしたら大抵大丈夫でせう。日本の開化は自然の波動をえがいて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出す樣に内發的に進んでゐるかと云ふのが當面の問題なのですが殘念ながらさう行つてないので困るのです。行つてないと云ふのは、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面に於て丁度複雜の程度二十を有してつた所へ、俄然外部の壓迫で三十代迄飛び付かなければならなくなつたのですから、恰も天狗にさらはれた男の樣に無我夢中で飛び付いてくのです。其の經路は殆んど自覺してゐないくらゐのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのは既に甲は飽いてたたまらないから内部欲求よくきうの必要上ずるりと新らしい一(*ママ)開展するので甲の波の好所かうしよ惡所あくしよいも甘いもめ盡した上に漸く一生面せいめんを開いたと云つて宜しい。從つて從來經驗し盡した甲の波にはころもを脱いだ蛇と同樣未練もなければ殘り惜しい心持もしない。のみならず新たに移つた乙の波に揉まれながら毫も借り着をして世間體せけんていつくろつてゐる感が起らないといふ所が日本の現代の開化を支配してゐる波は西洋の潮流で其の波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せる度に自分が其の中で食客ゐさふらふをして氣兼きがねをしてゐる樣な氣持になる。新らしい波は兎に角、今しがた漸くのおもひで脱却したふるい波の特質やら眞相やらもわきまへるひまのないうちにもう棄てなければならなくなつて仕舞つた。食膳に向つて皿のかずを味ひ盡すどころか元來どんな御馳走が出たかハツキリと眼に映じないまへにもう膳を引いて新らしいのを竝べられたと同じ事であります。斯う云ふ開化の影響を受ける國民はどこかに空虚の感がなければなりません。又どこかに不滿と不安の念をいだかなければなりません。夫を恰も此の開化が内發的でゞもあるかの如き顏をして得意でゐる人のあるのは宜しくない。それは餘程ハイカラです。宜しくない。虚僞でもある。輕薄でもある。自分はまだ煙草をつてもろくに味さへ分らない子供の癖に、煙草を喫つてさも旨さうなふうをしたら生意氣でせう。夫を敢てしなければ立ち行かない日本人は隨分悲慘な國民と云はなければならない。開化の名はくだせないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見ても一寸氣が付くでせう。西洋人と交際をする以上、日本本位にほん/\ゐではどうしても旨く行きません。交際しなくともいと云へば夫れ迄であるが、情けないかな交際しなければられないのが日本の現状でありませう。さうして強いものと交際すればどうしても、己を棄てゝ先方の習慣に從はなければならなくなる。我々があの人は肉刺フオークの持ちやうも知らないとか、小刀ナイフの持ち樣も心得ないとか何とか云つて、を批評して得意なのは、つまりは何でもない、たゞ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければ彼方あつち此方こつちの眞似をさせて主客しゆかく位地ゐちへるのは容易の事である。がさうかないから此方こつちで先方の眞似をする。しかも自然天然に發展して來た風俗を急に變へる譯にいかぬから、ただ器械的に西洋の禮式抔を覺えるより外に仕方がない。自然と内に醗酵してかもされた禮式でないから取つてつけた樣で甚だ見苦しい。是れは開化ぢやない、開化の一端とも云へない程の些細な事であるが、さう云ふ些細な事に至るまで、我々の遣つてゐる事は内發的でない、外發的である。是れを一ごんにして云へば現代日本の開化は皮相上滑うはすべりの開化であると云ふ事に歸着するのである。無論一から十まで何から何までとは言はない。複雜な問題に對してさう過激の言葉は愼まなければ惡いが我々の開化の一部分、或は大部分はいくら己惚うぬぼれて見ても上滑りと評するより致し方がない。併しそれが惡いからおしなさいと云ふのではない。事實已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つてかなければならないと云ふのです。
それでは子供がせなおぶはれて大人と一所いつしよに歩くやうな眞似をやめて、じみちに發展の順序を盡して進む事はどうしても出來まいかといふ相談が出るかも知れない。さういふ御相談が出れば私は無い事もないと御答おこたへをする。が西洋で百年かゝつて漸く今日に發展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚のそしりを免かれるやうに、誰が見ても内發的であると認める樣な推移をやらうとすれば是れ亦由々ゆゝしき結果に陷るのであります。百年の經驗を十年で上滑りもせず遣りとげようとするならば年限が十ぶん一に縮まる丈わが活力は十倍にさなければならんのは算術の初歩を心得たものさへ容易たやすく首肯する所である。是れは學問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛なまかじりにして法螺ほらを吹くのは論外として、本當に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移り又乙から丙に進んで、毫も流行を追ふの陋態ろうたいなく、又ことさらに新奇をてらふの虚榮心なく、全く自然の順序階級を内發的に經て、しかも彼等西洋人が百年も掛つて漸く到着し得た分化の極端に、我々が維新ゐしん後四五十年のヘ育の力で達したと假定する。體力腦力共に吾等よりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、如何に先驅の困難を勘定に入れないにした所で僅か其のなかばに足らぬ歳月で明々地めい/\ちに通過しをはるとしたならば吾人は此の驚くべき知識の收獲を誇りると同時に、一敗また起つ能はざるの~經衰弱にかゝつて、氣息奄々きそくえん/\として今や路傍に呻吟しんぎんしつゝあるは必然の結果として正に起るべき現象でありませう。現に少し落ち付いて考へて見ると、大學のヘ授を十年間一生懸命にやつたら、大抵の者は~經衰弱に罹りがちぢやないでせうか。ピンピンしてるのは、皆うその學者だと申しては語弊があるが、まあ何方どちらかと云へば~經衰弱に罹る方が當り前の樣に思はれます。學者を例に引いたのは單に分り易い爲で、理窟は開化のどの方面へも應用が出來るつもりです。
既に開化と云ふものが如何に進歩しても、案外其の開化のたまものとして吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競爭其の他から種々いろ/\しなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蠻時代とさう變りはなさゝうである事はぜん御話しゝた通りである上に、今言つた現代日本が置かれたる特殊の状況に因つて吾々の開化が機械的に變化を餘儀なくされる爲にただ上皮うはかはを滑つてき、又滑るまいと思つて踏張ふんばる爲に~經衰弱になるとすれば、どうも日本人は氣の毒と言はんか憐れと言はんか、誠に言語道斷の窮状に陷つたものであります。私の結論は夫丈に過ぎない。あゝなさいとか、斯うしなければならぬとか云ふのではない。どうすることも出來ない。實に困つたと嘆息する丈で極めて悲觀的の結論であります。こんな結論には却つて到着しない方がさいはひであつたのでせう。しんと云ふものは、知らないうちは知りたいけれども、知つてからは却つてアヽ知らない方がかつたと思ふ事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭氣いやきがさした所から、置手紙おきでがみなにかして、妻を置き去りにしたまゝ友人のうちへ行つて隱れてたといふ話があります。すると女の方では大變おこつてとうとう男の所在ありかを捜し當てゝ怒鳴り込みましたので男は手切金てぎれきんを出して手を切る談判だんぱんを始めると、女は其の金をゆかの上に叩きつけて、こんなものが欲しいので來たのではない。若し本當にあなたが私を捨てる氣ならば私は死んで仕舞ふ、そこにある(三がいか四かいの)窓から飛下りて死んで仕舞ふと言つた。男は平氣な顏をよそほつてどうぞと云はぬ許りに女を窓の方へ誘ふ所作をした。すると女はいきなりけて行つて窓から飛下りた。死にはしなかつたが生れも付かぬ不具かたわになつて仕舞ひました。男も是れ程女の赤心せきしんが眼の前へ證據立てられる以上、普通の輕薄な賣女ばいぢよ同樣のくわんをなして、女の貞節を今迄うたぐつてゐたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち歸つて、病妻びやうさいの看護に身をゆだねたといふのがモーパサンの小説の筋ですが、男のうたがひい加減な程度でめて置けば是れ程の大事だいじには至らなかつたかも知れないが、さうすれば彼の懷疑くわいぎは一生徹底的に解ける日は來なかつたでせう。又此所こゝ迄押して見れば女の眞心まごゝろが明かになるにはなるが、取返しの付かない殘酷な結果に陷つた後から囘顧くわいこして見れば矢張やは眞實しんじつ懸價かけねのない實相は分らなくてもいから、女を片輪にさせずに置きたかつたでありませう。日本の現代開化の眞相も此の話と同樣で、分らないうちこそ研究もして見たいが、斯う露骨に其の性質が分つて見ると却つて分らない昔の方が幸福であるといふ氣にもなります。兎に角私の解剖した事が本當の所だとすれば、我々は日本の將來といふものに就てどうしても悲觀したくなるのであります。外國人に對して乃公おれの國には富士山があると云ふやうな馬鹿は今日は餘り云はない樣だが、戰爭以後一等國になつたんだといふ高慢な聲は隨所に聞くやうである。中々氣樂な見方をすれば出來るものだと思ひます。ではどうして此の急場を切り拔けるかと質問されても、ぜん申した通り私には名案も何もない。只出來るだけ~經衰弱に罹らない程度に於て、内發的に變化して行くがからうといふやうな體裁のいことを言ふより外に仕方がない。にがい眞實を臆面なくゥ君の前にさらけ出して、幸福なゥ君にたとひ一時間たりとも不快の念を與へたのは重々ぢう/〃\御詫おわびを申し上げますが、又私の述べきたつた所も亦相當の論據と應分の思索の結果から出た生眞面目きまじめの意見であると云ふ點にも御同情になつて惡い所は大目に見て頂きたいのであります。

(「現代日本の開化」<了>)


縮刷に際して       目次   道楽と職業   現代日本の開化   中味と形式   文藝と道徳   創作家の態度   文藝の哲学的基礎

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