徒然草 (1)
尾上八郎解題、山崎麓校訂
(校註日本文學大系3 國民圖書株式會社 1924.7.23)
※ 本文の句読点をそのまま残した。
(2) 61-120
(3) 121-180
(4) 181-243
1 つれづれなるままに
2 いにしへの聖の御代
3 よろづにいみじくとも
4 後の世のこと心に忘れず
5 不幸に憂へに沈める人の
6 我が身のやんごとなからむにも
7 あだし野の露消ゆる時なく
8 世の人の心を惑はすこと
9 女は髪のめでたからむこそ
10 家居のつきづきしく
11 神無月の頃
12 同じ心ならむ人と
13 ひとり燈火のもとに
14 和歌こそ
15 いづくにもあれ
16 神樂こそ
17 山寺にかきこもりて
18 人はおのれをつづまやかにし
19 折節のうつり變るこそ
20 某とかやいひし世すて人の
21 萬の事は月見るにこそ
22 何事も古き世のみぞ
23 衰へたる末の世とはいへど
24 齋宮の野の宮に
25 飛鳥川の淵瀬
26 風も吹きあへず
27 御國ゆづりの節會
28 諒闇の年ばかり
29 靜かに思へば
30 人の亡き跡ばかり
31 雪の面白う降りたりし朝
32 九月二十日の頃
33 今の内裏つくりいだされて
34 甲香は
35 手の惡き人の
36 久しく訪れぬ頃
37 朝夕へだてなく
38 名利に使はれて
39 ある人、法然上人に
40 因幡の國に
41 五月五日賀茂の競馬を
42 唐橋の中將といふ人の子に
43 春の暮つかた
44 怪しの竹の編戸の内より
45 公世の二位の兄に
46 柳原の邊に
47 ある人清水へまゐりけるに
48 光親卿、院の最勝講奉行して
49 老來りて始めて道を行ぜむと
50 應長のころ、伊勢の國より
51 龜山殿の御池に
52 仁和寺に、ある法師
53 これも仁和寺の法師
54 御室にいみじき兒のありけるを
55 家のつくりやうは
56 久しく隔たりて逢ひたる人の
57 人のかたり出でたる歌物語の
58 道心あらば
59 大事を思ひたたむ人は
60 眞乘院に盛親僧都とて
61-
1
つれ\〃/なるまゝに〔退屈なので〕、日ぐらし〔終日〕硯に向ひて、心に移り行くよしなしごと〔つまらぬ事、らちもない事〕を、そこはかとなく〔とりとめもなく〕書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ〔妙に變な気持がする〕。
いでや〔偖、之は前の節と續く心持と見たい〕、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。帝の御(おん)位はいともかしこし。竹の園生〔皇族〕の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき〔特に貴い〕。一の人〔攝政關白〕の御ありさまはさらなり、唯人(たゞうど)も、舎人〔朝廷より許された護衞隨身〕などたまはる際は、ゆゝし〔すてきである〕と見ゆ。その子、孫(うまご)までは、はふれにたれど〔零落したけれども〕、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつゝ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜し。法師ばかり羨しからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ。」と、清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛にのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖のいひけむやうに、名聞ぐるしく、佛の御教(みをしへ)に違ふらむとぞ覺ゆる。ひたぶるの世すて人は、なか\/あらまほしき方もありなむ。人はかたち有樣の勝れたらむこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、詞多からぬこそ、飽かず對(むか)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性(ほんじゃう)見えむこそ、口をしかるべけれ。人品(しな)容貌こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、うつさば移らざらむ。かたち心ざまよき人も、才なくなりぬれば、人品くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝ〔わけもなく壓倒される〕こそ、本意なきわざなれ。ありたきことは、まことしき文の道〔質實な學問、修身齊家の道〕、作文、和歌、管絃の道、また有職〔朝廷武家などの典禮に通ずる事〕に公事のかた〔朝廷の政事儀式の方面〕、人の鑑ならむこそいみじかるべけれ。手など拙からずはしりがき、聲をかしくて拍子(はうし)とり、いたましうするものから〔酒をすゝめられて恐縮したやうにはして居るものの〕、下戸ならぬこそ男(をのこ)はよけれ。
2
いにしへの聖の御代の政をも忘れ、民の憂へ、國のそこなはるゝをも知らず、萬にきよら〔華麗〕を盡して、いみじと思ひ、所狹きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。「衣冠より馬車(うまくるま)に至るまで、あるに隨ひてもちひよ。美麗を求むることなかれ。」とぞ九條殿〔右大臣藤原師輔、忠平の子〕の遺誡(ゆゐかい)にもはべる。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へる〔順徳院の御著禁秘抄〕にも、「おほやけの奉物(たてまつりもの)はおろそかなるをもてよしとす。」とこそ侍れ。
3
よろづにいみじくとも、色好まざらむ男(をのこ)は、いとさう\〃/しく〔寂しく慊らず〕、玉の巵(さかづき)の底なき心地ぞすべき。露霜にしほたれて、所さだめず惑ひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつゝむに、心のいとまなく、合ふさ離(き)るさ〔一方よければ一方うまくゆかぬこと〕に思ひ亂れ、さるは獨り寢がちに、まどろむ夜なきこそ、をかしけれ。さりとて一向(ひたすら)たはれたる方にはあらで、女にたやすからず〔與し易くなく〕おもはれむこそ、あらまほしかるべき業なれ。
4
後の世のこと心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。
5
不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに〔拙乏に淺薄に〕思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顯基(あきもと)中納言〔源顯基、大納言俊賢の子〕のいひけむ、「配所〔流罪の地〕の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。
6
我が身のやんごとなからむにも、まして數ならざらむにも、子といふもの無くてありなむ。前中書王〔中書は中務卿の唐の官名、兼明親王、醍醐帝の皇子〕、九條太政大臣〔藤原伊通、宗通の子〕、花園左大臣〔源有仁、輔仁親王の子〕、皆族(ぞう)絶えむ事を願ひ給へり。染殿大臣〔藤原良房、冬嗣の子〕も子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へる〔子孫の劣れる〕は、わろき事なりとぞ、世繼の翁の物語(*大鏡)にはいへる。聖徳太子の御(み)墓を、かねて築(つ)かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり。」と侍りけるとかや。
7
あだし野〔山城愛宕山の麓にある野〕の露消ゆる時なく、鳥部山〔山城愛宕郡清水寺附近の墓地〕の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち〔淮南子に「蜉蝣朝生而夕死、而盡2其樂1。」〕、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つく\〃/と一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しとおもはば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせむ。命長ければ恥おほし〔莊子に「壽則多辱」〕。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なむこそ、目安かるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを愧づる心もなく、人にいでまじらはむ事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛し、榮行(さかゆ)く末を見むまでの命をあらまし〔豫想する、豫期する〕、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなむあさましき。
8
世の人の心を惑はすこと色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ〔何ともいはれぬ〕匂ひには、必ず心ときめきする〔心のをどる〕ものなり。久米の仙人(やまびと)〔和泉國葛上郡の人〕の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけむは、まことに手足膚(はだへ)などのきよらに、肥え膏づきたらむは、外の色ならねばさもあらむかし。
9
女は髪のめでたからむこそ、人のめだつべかめれ。人の程〔人柄〕、心ばへなどは、物うち言ひたるけはひにこそ、物ごしにも知らるれ。事に觸れてうちあるさま〔ただ一寸した樣子〕にも、人の心を惑はし、すべて女のうちとけたる、いもねず〔女は氣を許して熟睡もせず。たしなみが深い故である。〕、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。まことに愛著(あいぢゃく)の道、その根深く源遠し。六塵(ぢん)〔六つの心をけがす刺激、色聲香味觸法(意)の事〕の樂欲(げうよく)〔心を樂しましむる欲〕多しといへども、皆厭離(おんり)しつべし。その中に、たゞかの惑ひ〔色欲〕のひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、變る所なしとぞ見ゆる。されば女の髪筋を縒れる綱には、大象(だいざう)もよくつながれ〔大威徳陀羅尼經に「以2女人髪1爲レ作2綱維1香象能繋況丈夫輩。」〕、女のはける足駄にて造れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る。自ら戒めて、恐るべく愼むべきはこの惑ひなり。
10
家居のつき\〃/しく〔似あはしく〕あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。よき人の長閑に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみ\〃/と見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子〔縁側〕透垣〔竹をすかして編んだ垣〕のたよりをかしく〔作り工合に趣あつて〕、うちある調度も、むかし覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。多くの工匠(たくみ)の、心を盡して磨きたて、唐の日本(やまと)の、珍しくえならぬ調度ども竝べおき、前栽〔庭〕の草木まで、心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは存(ながら)へ住むべき、また時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るよりも思はるゝ。大かたは、家居にこそ事ざまは推しはからるれ。後徳大寺の大臣〔藤原實定。公能の子〕の、寢殿〔貴族の邸宅の中心にして主人の住む建物〕に鳶ゐさせじとて繩を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらむ何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ。」とて、その後は參らざりけると聞き侍るに、綾小路の宮〔龜山帝の皇子、性惠法親王〕のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩を引かれたりしかば、彼のためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏のむれゐて池の蛙をとりければ、御覽じ悲しませ給ひてなむ。」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。後徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけむ。
11
神無月(かみなづき)〔十月〕の頃、栗栖野〔山城國宇治郡醍醐附近〕といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝ筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし〔筧の雫の露と少しもの意をかけた〕。閼伽棚〔閼伽は梵語、水の義、佛に手向ける水を供へる器を置く棚〕に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめ〔興醒め〕て、この木なからましかばと覺えしか。
12
同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事〔世間のつまらぬ些事〕も、うらなく〔腹藏なく〕いひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと〔少しでも調子の合はぬ事がないやうにと〕向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然(さ)やは思ふ。」など爭ひにくみ、「さるからさぞ〔さうだからさうだ〕。」ともうち語らはば、つれ\〃/慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
13
ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選〔支那梁武帝の子昭明太子の編した詩文集、三十卷〕のあはれなる卷々、白氏文集〔唐白樂天の詩文集〕、老子(らうじ)のことば、南華の篇〔莊周の著はしたる書名、所謂莊子〕。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
14
和歌こそなほをかしきものなれ。あやしの賤(しづ)山がつの所作(しわざ)も、いひ出づれば面白く、恐ろしき猪も、臥猪の床〔猪は枯草を集めて寢床とする事が傳へられる〕といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に哀れにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに。」〔絲によるものならなくに別路の心細くもおもほゆるかな(古今集)〕といへるは、古今集の中(うち)の歌屑とかやいひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがたことば、この類(たぐひ)のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、「ものとはなしに。」〔總角の卷に前の歌をかく改めて出してある。〕とぞ書ける。新古今には、「のこる松さへ峯にさびしき。」〔冬の來て山もあらはに木の葉ふり殘る松さへ峯にさびしき。祝部成仲の歌〕といへる歌をぞいふなるは、誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判(すぎはん)の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じおほせ下されけるよし、家長〔源家長、時長の子〕が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや〔さあどうだかと打消す意〕、今もよみあへる、同じことば歌枕も、むかしの人のよめるは、更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも清げに、あはれも深く見ゆ、梁塵秘抄〔後白河帝の御編著、主として今樣を集めたもの〕の郢曲(えいきょく)〔當時のうたひ物の總稱〕のことばこそ、またあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたる言種(ことぐさ)も、皆いみじく聞ゆるにや。
15
いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜(びんぎ)にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社(てらやしろ)などに忍びてこもりたるもをかし。
16
神樂こそなまめかしく面白けれ。大かた(*原文「大かに」)物の音には笛篳篥〔笛に似て竪に吹く雅樂の樂器〕、常に聞きたきは琵琶和琴〔やまと琴とも云ふ。六絃の琴〕。
17
山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれ\〃/もなく、心の濁り〔心の欲情、煩惱〕もきよまる心地すれ。
18
人はおのれをつゞまやかにし、驕りを退けて財(たから)を有(も)たず、世を貪らざらむぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。唐土に許由(きょいう)〔帝堯時代の人、天下を讓らうと云はれ、穢らはしい事を聞いたと云ふので潁川で耳を洗つた。〕といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手してさゝげて飮みけるを見て、なりひさご〔瓢〕といふ物を、人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心の中(うち)すゞしかりけむ。孫晨〔字は元公、家貧しくむしろを織つて暮らす、後栄達し京兆の功曹となる〕は冬の月に衾なくて、藁一束(つかね)ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとゞめて世にも傳へけめ。これらの人〔日本の人を意味する〕は語りも傳ふべからず。
19
折節のうつり變るこそ、物毎に哀れなれ。物の哀れは秋こそまされと、人毎にいふめれど、それも然るものにて〔一應尤もな事で〕、今一きは心もうきたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやう\/氣色だつほどこそあれ、をりしも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になりゆくまで、萬に唯心をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ〔花橘は昔を追懷せしむると云ふ聯想があつた。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(在原業平)〕、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなき〔藤の花のなよ\/したのを心もとないと形容したのである〕樣したる、すべて思ひすて難きことおほし。
灌佛〔四月八日に行はるゝ佛生會、釋迦の誕生日でその像に香水を灌ぐ式がある。〕のころ、祭のころ〔陰暦四月中の酉の日にある賀茂の祭禮〕、若葉の梢すゞしげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも人の戀しさもまされと、人のおほせられしこそ、實にさるものなれ。五月(さつき)、あやめ葺くころ〔五月の端午の節句に屋根軒に菖蒲をふく。〕、早苗とる〔稻の苗を田に移し植ゑる〕ころ、水鷄(くひな)のたゝく〔水鷄の啼聲は人が戸を叩く音に似て居るのでかく云ふ。〕など、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。七夕祭る〔七月七日牽牛織女二星を祭り技藝の上達を祈る。〕こそなまめかしけれ。やう\/夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田(わさだ)刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名(おぶつみゃう)〔十二月十九日から三日間清凉殿で行はれる佛事〕、荷前(のさき)の使〔朝廷で諸國から奉つた貢の初穂を帝陵、外戚の墓へ獻上ある(*する)使、十二月十三日以後。〕たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催し行はるゝ樣ぞいみじきや。追儺〔鬼やらひ、十二月晦日。〕より四方拜〔元旦、天皇(*が)宮中で天地四方を拜せられる儀式。〕につゞくこそおもしろけれ。晦日(つごもり)の夜いたう暗きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらむ、こと\〃/しくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつる〔昔は十二月晦日にも魂祭をしたのである。〕わざは、このごろ都には無きを、東の方には猶することにてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。
20
某(なにがし)とかやいひし世すて人の、この世のほだし〔自分をしばる絆、妻子とか財産とかをさす。〕もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」といひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。
21
萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ。」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ。」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「■(三水+元:げん::大漢和17186)湘(げんしゃう)日夜東(ひンがし)に流れ去る、愁人の爲にとゞまること少時(しばらく)もせず。」〔戴叔倫の詩「■(三水+元:げん::大漢和17186)湘日夜東流去、不下爲2愁人1住中少時上」〕といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。■(禾+尤/山:けい::大漢和8272)康(けいかう)〔竹林七賢の一人、彼の文に「遊2山澤1觀2魚鳥1心甚樂レ之。」〕も、「山澤にあそびて魚鳥を見れば心樂しぶ。」といへり。人遠く水草(みぐさ)きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。
22
何事も古き世のみぞ慕はしき。今樣は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮〔宮内省内、供御輿輦の事及殿庭洒掃、燈燭庭燎(*ていれう−篝火)などを掌る。〕の「人數(にんず)だて〔松明(*を)持つ役に用意せよと命令する事〕。」といふべきを、「立明し〔松明(*原文は「立明」に注する。)〕白くせよ。」といひ、最勝講〔五月吉日清凉殿で最勝王經を講ぜしめられる儀式〕の御聽聞所(みちゃうもんどころ)なるをば、「御講(みかう)の廬(ろ)〔場所の義〕。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
23
衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。露臺〔宮中屋なき臺、舞などに用ゐる。〕、朝餉〔清凉殿内、帝の御朝食を召す所〕、何殿(でん)、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ。」といふこそいみじけれ。夜(よン)の御殿(おとゞ)のをば、「掻燈(かいともし)疾うよ。」などいふ、まためでたし。上卿(しゃうけい)の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜(よもすがら)、此處彼處に睡(ねぶ)り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御(み)鈴の音は、めでたく優なるものなり。」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。
24
齋宮〔天子即位毎に處女の皇族を伊勢大神宮奉仕に遣はさるゝその居所、或はその人。〕の野の宮〔齋宮の伊勢へ出發前齋戒のため居られる所、賀茂神社へもあつた。〕におはします有樣こそ、やさしく面白き事の限りとは覺えしか。經佛(きゃうほとけ)など忌みて、中子〔佛の忌詞〕、染紙(そめがみ)〔經文の忌詞〕などいふなるもをかし。すべて神の社こそ、捨て難くなまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿(ゆふ)かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野〔山城葛野郡平野神社〕、住吉、三輪〔大和三諸山三輪神社〕、貴船、吉田、大原野〔(*以下)皆山城愛宕郡〕、松尾(まつのを)、梅宮(うめのみや)。
25
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事去り、樂しび悲しび行きかひて、花やかなりし邊(あたり)も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家(すみか)は人あらたまりぬ。桃李物いはねば〔「桃李不レ言春幾暮」(菅原時文(*文時、和漢朗詠集))〕、誰と共にか昔を語らむ。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺(ほふじゃうじ)〔共に藤原道長の住みし所、後者はその晩年。〕など見るこそ、志留まり、事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿〔藤原道長〕の作り磨かせ給ひて、莊園(しゃうゑん)多く寄せられ、我が御族(みぞう)のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてむ(*けむ)や。大門(だいもん)金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成(ぎゃうぜい)大納言の額、兼行〔大和守藤原兼行、書の名手。〕が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これも亦いつまでかあらむ。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば萬に見ざらむ世までを思ひ掟てむこそ、はかなかるべけれ。
26
風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。されば白き絲の染まむ事を悲しび〔淮南子に「墨子見2練絲1而泣(*レ)之。」〕、道の衢のわかれむ事を歎く人〔同書に「楊子見2逵路1而哭(*レ)之。」〕もありけむかし。堀河院(ほりかはのゐん)の百首の歌の中に、
むかし見し妹が垣根は荒れにけり茅花(つばな)まじりの菫のみして〔藤原公實の詠歌〕
さびしきけしき、さること侍りけむ。
27
御國ゆづりの節會〔天子御位を皇太子に讓らるゝ儀式〕行はれて、劒(けん)、璽、内侍所〔三種の神器、璽は玉、内侍所は鏡〕わたし奉らるゝほどこそ、かぎりなう心ぼそけれ。新院〔花園院〕のおりゐさせ給ひて〔文保二年二月讓位。〕の春、よませ給ひけるとかや。
殿守の伴のみやつこ〔伴の御奴、主殿寮の下司で伴氏の者、「主殿の伴の御奴心あらば此の春ばかり朝清めすな」の歌がある。〕よそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。
28
諒闇〔まことにくらしの義、天子の喪。〕の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬(いろ)〔諒闇の時の假御所、宮中に建つ。〕の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾〔平常の簾は竹なのである。〕をかけて、布の帽額(もかう)〔帽額は簾につく飾りの布、それが鈍色を用ゐてあるのを特に布の帽額と稱す。〕あら\/しく、御調度ども疎かに、みな人の裝束(さうぞく)、太刀、平緒〔太刀の下緒〕まで、異樣なるぞゆゝしき。
29
靜かに思へば、よろづ過ぎにしかたの戀しさのみぞせむ方なき。人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足〔道具〕とりしたゝめ、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中(うち)に、なき人の、手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いとかなし。
30
人の亡き跡ばかり悲しきはなし。中陰〔死後の七々四十九日〕の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども〔死者の冥福を祈る法事など〕營みあへる、心あわたゞし。日數の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日はいと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちり\〃/に行きあかれ(*原文・頭注「あがれ」)ぬ〔離れた〕。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。しか\〃/の事はあなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ〔後に生きて居る人のため忌む意。〕などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。年月經てもつゆ忘るゝにはあらねど、「去るものは日々に疎し。」〔文選に「去者日已疎、來者日已新。」〕といへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)はけうとき〔人けのないさびしい〕山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆〔梵語、佛に供する五層の高き物、畧せるは木材で製してある。〕も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ。そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ〔文選に「出2郭門1直視、但見2丘與1レ墳、古墓犂爲レ田、松柏摧爲レ薪。」〕。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。
31
雪の面白う降りたりし朝、人の許(がり)いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひが\/しから〔ひがんで居る、趣を解せぬ〕む人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへす\〃/口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。
32
九月(ながつき)二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内(あない)せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ〔たきものの匂ひ〕しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸〔兩方へあける戸〕を今少し〔客の開きし戸をもう少し〕おしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。
33
今の内裏〔冷泉萬里小路の内裏、建武三年燒失後新造された内裏〕つくりいだされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院〔伏見帝の母后、左大臣藤原實雄の女。〕御覽じて、「閑院殿〔御殿の名、藤原冬嗣の邸、後皇居となつた。〕の櫛形の穴〔壁に櫛形の穴をつけて通路としたもの〕は、まろく縁もなくてぞありし。」と仰せられける、いみじかりけり。これは葉(えふ)〔穴の縁を二重にする事〕の入りて、木にて縁をしたりければ、誤りにて直されにけり。
34
甲香(かひがう)〔香をたくに用ゐる器具の名〕は、ほら貝の樣(やう)なるが、小さくて、口の程の細長にして出でたる貝の蓋なり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所の者は「へなたり。」と申し侍るとぞいひし。
35
手の惡(わろ)き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。
36
久しく訪れぬ頃、いかばかり恨むらむと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、「仕丁(じちゃう)〔下僕〕やある、一人。」なんどいひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。「さる心ざましたる人ぞよき。」と、人の申し侍りし、さもあるべきことなり。
37
朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時に、我に心をおき〔隔てる樣をする、遠慮を見せる〕、ひきつくろへる樣に見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人もありぬべけれど、猶げに\/しく〔尤もらしく(同感の心持)〕よき人かなとぞ覺ゆる。疎き人〔親しくない人〕のうちとけたる事などいひたる、またよしと思ひつきぬべし。
38
名利に使はれて靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ愚かなれ。財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金(こがね)をして北斗を支ふとも〔北斗は北斗星、白氏文集に「身後推レ金柱2北斗1、不レ如生前一樽酒。」〕、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらむ人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし〔文選に「捐2金於山1、沈2珠於淵1。」又莊子に「藏2金於山1、藏2珠於淵1。」〕。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。埋もれぬ名をながき世に殘さむこそあらまほしかるべけれ。位高くやんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に高き官位(つかさくらゐ)を望むも、次におろかなり。智惠と心とこそ、世に勝れたる譽も殘さまほしきを、つら\/思へば、譽(ほまれ)を愛するは人の聞きを喜ぶなり。譽むる人、毀る人、共に世に留まらず、傳へ聞かむ人また\/速かに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られむことを願はむ。譽はまた毀(そしり)のもとなり。身の後の名殘りて更に益なし。これを願ふも次に愚かなり。たゞし強ひて智をもとめ、賢をねがふ人の爲にいはば、智惠出でては僞(いつはり)あり〔老子の「智惠出有2大僞1。」〕、才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可不可は一條なり〔善惡は唯一つの義、莊子齊物論〕。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく徳もなく、功もなく名もなし。誰か知り誰か傳へむ。これ徳をかくし愚を守るにあらず、もとより賢愚得失のさかひに居らざればなり。まよひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。萬事はみな非なり。いふに足らず、願ふに足らず。
39
ある人法然上人〔源空、美作の人、淨土專念宗を唱道した、建暦二年寂。〕に、「念佛の時睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何(いかゞ)して此の障りをやめ侍らむ。」と申しければ、「目の覺めたらむ程念佛し給へ。」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定〔きまつて居る事、確定(*原文「碓定」)〕と思へば一定、不定〔不信仰の人には不確定(*原文「不碓定」)の義〕と思へば不定なり。」といはれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも念佛すれば往生す。」ともいはれけり。是も亦尊し。
40
因幡の國に、何の入道〔三位以上の人の佛道に入る事〕とかやいふものの女、かたちよしと聞きて、人數多いひわたりけれども、この女たゞ栗をのみ食ひて、更に米(よね)のたぐひを食はざりければ、「かゝる異樣のもの、人に見(まみ)ゆ〔こゝでは結婚する義〕べきにあらず。」とて親ゆるさざりけり。
41
五月(さつき)五日賀茂の競馬〔賀茂神社の境内で行はるる競馬〕を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)〔下賤の輩〕たち隔てて見えざりしかば、各おりて埒〔馬場の柵〕の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて〔跪きゐて〕物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあさみて〔輕蔑し〕、「世のしれものかな。かく危(あやふ)き枝の上にて安き心ありて眠るらむよ。」といふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來唯今にもやあらむ。これを忘れて物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを。」といひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候。」といひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ。」とて、所をさりて呼び入れはべりにき。かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて物に感ずる事なきにあらず〔文選に「人非2木石1豈無レ感。」〕。
42
唐橋の中將〔源雅清。參議中將〕といふ人の子に、行雅僧都〔僧官の名稱、僧正、僧都、律師。〕とて、教相〔真言宗で理論的學の(*問か)を教相と云ふ。〕の人の師する僧ありけり。氣(け)のあがる〔のぼせる〕病ありて、年のやう\/たくる〔年がだん\/ふける〕ほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さま\〃/につくろひけれど、煩はしくなりて、目眉額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、物も見えず、二の舞の面〔安摩舞の次の舞に赤く恐ろしき面をかぶる、その面を云ふ。〕の樣に見えけるが、たゞ恐ろしく鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額の程鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠り居て、年久しくありて、猶煩はしくなりて死ににけり。かゝる病もある事にこそありけれ。
43
春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開(あ)きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男(をのこ)の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
44
怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣〔通常服、もとは狩に用ゐた。〕に濃き指貫〔裾の所を紐で括るやうになつて居る袴の一種。〕、いとゆゑづきたるさま〔由緒ありげな樣子〕にて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼち(*原文・頭注「そほぢ」)つゝ〔ぬれながら〕分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山の際に總門〔第一の門、正門〕のあるうちに入りぬ。榻〔車の轅を置く臺〕にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しか\〃/の宮のおはします頃にて、御佛事などさぶらふにや。」といふ。御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれくる空薫物〔何處ともなく匂ふやうに焚いた香〕の匂ひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊にかよふ女房の、追風用意〔自分の通つたあとの風が匂ふ樣にした用意〕など、人目なき山里ともいはず心づかひしたり。心のまゝにしげれる秋の野らは、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく〔怨み言を云つて居るやうだ〕、遣水の音のどやかなり。都の空よりは、雲のゆききも早き心地して、月の晴れ曇ること定めがたし。
45
公世の二位の兄〔從二位侍從藤原公世の兄〕に、良覺僧正と聞えしは極めて腹惡しき〔怒りつぽい〕人なりけり。坊の傍に大きなる榎ありければ、人、「榎の僧正」とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切杭(きりくひ)の僧正」といひけり。愈腹立ちて、切杭を掘りすてたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりいけ)の僧正」とぞいひける。
46
柳原〔今京都上京區柳原〕の邊(ほとり)に、強盜(がうだう)(*原文「がうたう」)法印〔僧位の一、法印、法眼、法橋。〕と號する僧ありけり。度々強盜にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
47
ある人清水へまゐりけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)嚔」といひもて行きたれば、「尼御前(ごぜ)何事をかくは宣ふぞ。」と問ひけれども、答へもせず、猶いひ止まざりけるを、度々とはれて、うち腹だちて、「やゝ、嚔(はな)ひたる〔くさめする〕時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや嚔ひ給はむと思へば、かく申すぞかし。」といひけり。あり難き志なりけむかし。
48
光親卿〔權中納言藤原光親、光雅の子〕、院〔後鳥羽上皇〕の最勝講奉行〔最勝講は前出、最勝講の事務をとり行ふ人〕してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御〔天皇などの御膳部〕をいだされて食はせられけり。もの食ひ散らしたる衝重(ついがさね)〔白木づくりの三方〕を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか。」など申しあはれければ、「有職のふるまひ〔かゝる時には公事が多忙なので、有職の心得ある者が臨機の處置をとつたのである。〕、やんごとなき事なり。」とかへす\〃/感ぜさせ給ひけるとぞ。
49
老來りて始めて道を行ぜむと待つ事勿れ。古き墳(つか)多くはこれ少年の人なり〔「莫下待2老來1方學上レ道、古墳盡是少年人」と云へる古句〕。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らむとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれる事は知らるれ。あやまりといふは他の事にあらず、速かにすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて過ぎにしことのくやしきなり。その時悔ゆとも甲斐あらむや。人はたゞ無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらばなどか此の世の濁りもうすく、佛道を勤むる心もまめやかならざらむ。昔ありける聖は、人のきたりて自他の要事をいふとき、答へていはく、「今火急の事ありて、既に朝夕にせまれり。」とて、耳をふたぎて念佛して、終に往生を遂げたりと、禪林の十因〔東山永觀堂を禪林寺と云ふ、その永觀律師の作つた往生十因をいふ。〕にはべり。心戒といひける聖は、餘りにこの世のかりそめなることを思ひて、靜かについゐける事だになく、常はうづくまりてのみぞありける。
50
應長〔花園帝の御代、一年だけ。〕のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺〔當時の藤原實兼の邸〕に參りたりし、今日は院〔上皇の御所、後宇多院〕へまゐるべし。たゞ今はそこ\/に〔どこそこに〕。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言(そらごと)といふ人もなし。上下(かみしも)たゞ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院(あぐゐ)〔山城愛宕郡の寺名、比叡山東塔竹林院の里坊であつた。〕の邊へまかり侍りしに、四條より上ざまの人、みな北をさして走る。「一條室町に鬼あり。」とのゝしりあへり、今出川〔一條東洞院邊を北から南へ流れた川〕の邊より見やれば、院の御棧敷〔一條大路に加茂祭御見物のためありし棧敷。〕のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき〔もとより無根〕事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍(*原文「■(鬥/亞の上端両辺を鉤の手にした形+斤/:とう::大漢和45657)」諍)おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆(しるし)を示すなりけり。」といふ人も侍りし。
51
龜山殿〔龜山帝讓位の後山莊を嵯峨龜山に建てられた、その御殿。〕の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの錢(あし)を賜ひて、數日(すじつ)に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結ひて〔樂々と作り上げて〕參らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水を汲み入るゝ事めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。
52
仁和寺〔山城葛野郡花園村にある寺、眞言宗、俗に御室。〕に、ある法師、年よるまで石清水〔男山八幡宮〕を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより〔徒歩で〕詣でけり。極樂寺、高良(かうら)〔共に男山の麓にある末寺末社〕などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍(かたへ)の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊(たふと)くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかり〔見たい知りたいと思ふ〕しかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしの事にも先達(せんだち)〔先輩、案内者〕はあらまほしきことなり。
53
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘とて、各遊ぶことありけるに、醉ひて興に入るあまり、傍なる足鼎〔足の三本ある鼎〕をとりて頭にかづき〔かぶる〕たれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり缺けて血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足(さんぞく)なる角の上に帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師(くすし)の許(がり)率て行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師の許(もと)にさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲〔含まれて不明瞭な言葉〕に響きて聞えず。かゝる事は書にも見えず、傳へたる教へもなしといへば、また仁和寺へかへりて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。かゝる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、たゞ力をたてて引き給へ。」とて、藁の蒂(しべ)〔穂の心(*ママ)〕をまはりにさし入れて、金を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげ〔缺け穿たれ〕ながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。
54
御室〔仁和寺の事〕にいみじき兒のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師〔藝才があり人に興を添へ得る法師〕どもなど語らひ〔仲間にひき入れ〕て、風流の破籠(わりご)やうのもの〔中に隔てがあつて割つてある辨當の類〕、ねんごろに營み出でて、箱風情のものに認め入れて、雙(ならび)の岡〔御室にある丘陵〕の便りよき所〔都合のよい所〕にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へまゐりて、兒をそゝのかし出でにけり。うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる〔例の、前に埋めた所を意味する。〕苔の筵に竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉を燒(た)かむ人〔白氏文集の「林間暖レ酒燒2紅葉1」の句意を採り、酒を暖めん人〕もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ。」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、數珠(ずゝ)おしすり、印〔眞言宗の秘密法、指にて種々の形をして呪法とする。〕こと\〃/しく結びいでなどして、いらなく〔勿體らしく、大仰に〕ふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つや\/〔とんと〕物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども無かりけり。埋(うづ)みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必ずあいなき〔面白味がない〕ものなり。
55
家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居(すまひ)は堪へがたきことなり。深き水は涼しげなし、淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸〔横に引いてあける戸〕は蔀の間〔格子のはまつた部屋〕よりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈くらし。造作〔家の建具類〕は用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、よろづの用にも立ちてよし。」とぞ、人のさだめあひ侍りし。
56
久しく隔たりて逢ひたる人の、わが方にありつる事、數々に殘りなく語り續くるこそあいなけれ。へだてなく馴れぬる人も、ほどへて見るは恥しからぬかは。次ざまの人〔身分のよくない人〕は、あからさまに〔一寸、かりそめ(*に)〕立ち出でても、興ありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人〔品格のよき人〕の物がたりするは、人あまたあれど、一人に向きていふを、自ら人も聽くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく數多の中にうち出でて、見る事のやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる〔大聲あげて騒ぐ〕、いとらうがはし〔亂りがはし〕。をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。人の見ざま〔樣子〕のよしあし、才ある人はその事など定めあへるに、おのが身にひきかけていひ出でたる、いとわびし〔厭だ〕。
57
人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らむ人は、いみじと思ひては語らじ。すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく〔傍で見て居ても氣の毒で〕聞きにくし。
58
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは。」といふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、必ず生死を出でむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧る營みの勇ましからむ〔氣が乘らうや〕。心は縁にひかれて移るものなれば、靜かならでは、道は行じがたし。その器(うつはもの)昔の人に及ばず、山林に入りても、飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世を貪る〔人世の欲を思ふまゝに欲求する。〕(*頭注脱字あり。補う。)に似たる事も、便りに觸れば、などか無からむ、さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし。」なんどいはむは無下の事〔此上ない惡いこと〕なり。さすがに一たび道に入りて、世をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾(ふすま)麻の衣、一鉢のまうけ〔僧は鐵鉢に食料を入れるから云ふ、一杯の食物の用意〕、藜の羮(あつもの)〔藜の吸物、粗食の意。韓愈の詩に「藜羮尚如レ此肉食安可レ營。」〕、いくばくか人の費(つひえ)をなさむ。もとむる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、惡にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ることをつとめて、菩提〔正しい佛教の悟り、飜譯名義集に「道之極者稱曰2菩提1。」〕に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。
59
大事〔こゝでは佛道の修行〕を思ひたたむ人は、さり難き心にかゝらむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。しばしこの事果てて、おなじくば彼の事沙汰しおきて、しか\〃/の事人の嘲りやあらむ、行末難なく認め設けて〔よくとり調べ始末して〕、年ごろもあれば(*ママ)こそあれ〔年來かうして居るのならば兎に角、僅な時間ですむのであるからの意。〕、その事待たむ程あらじ、物さわがしからぬやうになど思はむには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期〔一生涯〕は過ぐめる。近き火などに逃ぐる人は、「しばし。」とやいふ。身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財(たから)をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、遁れがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらむや。
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眞乘院〔仁和寺内の一坊、門主の隱居所〕に、盛親僧都とてやんごとなき智者ありけり。芋頭〔里芋の親〕といふものを好みて多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日(なぬか)二七日(ふたなぬか)など療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭をえらびて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし、たゞ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠死にざまに錢二百貫〔一貫は一千文〕と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋〔一疋は十文、一貫は百疋と云ふ、三百萬疋(*ママ)は三百貫。〕を芋頭の錢(あし)と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づゝ取りよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、また他用(ことよう)に用ふる事なくて、その錢(あし)皆になりにけり。「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者(だうしんじゃ)なり。」とぞ人申しける。この僧都、ある法師を見て、しろうるり〔語調が何となく滑稽に聞え坊主らしく聞える出鱈目の綽號、語意を考證する必要はない。〕といふ名をつけたりけり。「とは何ものぞ。」と人の問ひければ、「さるものを我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てむ。」とぞいひける。この僧都、みめよく、力つよく、大食(たいしょく)にて、能書、學匠、辯説人にすぐれて、宗の法燈〔一宗の光明たる中心人物〕なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を輕く思ひたる曲者〔こゝでは變物、ひねくれ者〕にて、よろづ自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前すゑわたすを待たず、我が前にすゑぬれば、やがて獨りうち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。時非時〔僧は一日一食正午に食する、夫以外に晩食などするをかく云ふ。〕も人にひとしく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、ねぶたければ晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜もいねず。心をすまして嘯き〔こゝでは飄然として居る形容である、空うそぶく有樣。〕歩きなど、世の常ならぬさまなれども、人にいとはれず、よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。
1 つれづれなるままに
2 いにしへの聖の御代
3 よろづにいみじくとも
4 後の世のこと心に忘れず
5 不幸に憂へに沈める人の
6 我が身のやんごとなからむにも
7 あだし野の露消ゆる時なく
8 世の人の心を惑はすこと
9 女は髪のめでたからむこそ
10 家居のつきづきしく
11 神無月の頃
12 同じ心ならむ人と
13 ひとり燈火のもとに
14 和歌こそ
15 いづくにもあれ
16 神樂こそ
17 山寺にかきこもりて
18 人はおのれをつづまやかにし
19 折節のうつり變るこそ
20 某とかやいひし世すて人の
21 萬の事は月見るにこそ
22 何事も古き世のみぞ
23 衰へたる末の世とはいへど
24 齋宮の野の宮に
25 飛鳥川の淵瀬
26 風も吹きあへず
27 御國ゆづりの節會
28 諒闇の年ばかり
29 靜かに思へば
30 人の亡き跡ばかり
31 雪の面白う降りたりし朝
32 九月二十日の頃
33 今の内裏つくりいだされて
34 甲香は
35 手の惡き人の
36 久しく訪れぬ頃
37 朝夕へだてなく
38 名利に使はれて
39 ある人、法然上人に
40 因幡の國に
41 五月五日賀茂の競馬を
42 唐橋の中將といふ人の子に
43 春の暮つかた
44 怪しの竹の編戸の内より
45 公世の二位の兄に
46 柳原の邊に
47 ある人清水へまゐりけるに
48 光親卿、院の最勝講奉行して
49 老來りて始めて道を行ぜむと
50 應長のころ、伊勢の國より
51 龜山殿の御池に
52 仁和寺に、ある法師
53 これも仁和寺の法師
54 御室にいみじき兒のありけるを
55 家のつくりやうは
56 久しく隔たりて逢ひたる人の
57 人のかたり出でたる歌物語の
58 道心あらば
59 大事を思ひたたむ人は
60 眞乘院に盛親僧都とて
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